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2025.04.12 Saturday
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notre dernier jour, jour naissant, et cætera
2013.01.20 Sunday
馬鹿にさせるというやり方。
ヒトの体はものを食べすぎるともちろん気持ちが悪くなるというかエゴに走りやすくなったりしますけど、水だけ飲んでるとラクです。自己意識が健全になったりもします。人間バカ食いして不快感と快感を混ぜて同時っているとツラくなるだけです。お茶がteaというのもオカシいんで。
物語というのはハッピーであろうがアンハッピーであろうがエンドありきで書かれているんですね。だからメディアとしてのハード以外に物語の物語性が装いであるというところに落とし穴があったりします。物語というのは定常情報ではなくて非定情報なんですね、自ら定常を奪っているところの。物語を読むのでなくてtextをtextとして解くのが良かったりするんじゃないですかね。人同士の愛の影を追っかけていたりすると自分も非定情報としてもっていかれたりします。functionは幻影を肯定してしまう役割も持っています、愛は幻影ではないですけど。破茶滅茶な、人同士の関係において愛と幻影の区別が付かなくなるのが恋愛なんではないですかね。
幻影が無いとその形を発露できないというおぞましい愛もありますけど、サディストがマゾヒストを放置させながら放置するという愛の形もまたあったりします。
サディストにとってサディストは無関心であるというよりは最初から近寄りたいとは思わないものなんですね、たぶん、お互いに。サディストにとってサディストとその存在だけが唯一逃避に流れるその瞬間だったりします。nichtのわりあてとしての裏返った方程式、時刻が無くなって時間が出来るんですね。そういうso weiterなセックスというものがヒトの形をした神の遊戯だったりするんではないですかね、永遠に生きる。だから母親と息子というのは常に遊んでるんです。セックスを恐がる男というのは、仮に心が通いあった男女カップルであってもそこには違いがありその違いとは男から女へは嗜虐心は健常な関係の場合は無いが女から男へは健常な関係の場合であっても嗜虐心が存在する、ことを知っているんではないですかね。間と間を区切る「仕切り」というのは仕切りにとって仕切りが重荷です、だから、仕切りたる自我を仕切って切り刻んで満足することに逃避するしかないんですね。これは精神分裂ではないです。愛の愛を上塗り。現象が愛そのものによってバラされて、愛が現象によってバラされるんですね。このジークフリート要塞線みたいな愛と現象の関係はそのうち忘却されてしまいます。ただサディストとサディストの関係が忘却されてしまうかとういうとそうではないです。Daseinじゃなくsein。「それ」。バベルの塔は登る処ではないです。
日本語で「理解する」という言葉がありますけど、適切なのはwissenな「分かる」という表現です。understandはもちろんですけど、knowももちろん同じであって「知る」とか「分かる」とかいう概念は英語には無いです。
傷をつくると体内に「悪」が入る、「悪い」ものは体内から外へ出ます。前者は名詞、後者は形容詞。人間に食い物にされている人の笑顔は犠牲の現象、人を馬鹿にして笑う人というのは気持ちが悪い人が多いですけど、キモい人というのは骨が悪かったりします、たぶん。逆に、分裂症者は外傷しやすいです、昔は拳銃や刃物で互いの弱点を突き合って攻撃し合っている人たちが居ました。戦争は何も産みません。
肉もそうですけどpoisonなpoissonなんか食べなくてもヒトは生きていけるんですね、これに味をつけるためだけのNaClも要りません。海が汚れるだけです。ナトリウムはdas Natriumでドイツ語由来なんですね。sodiumはソドムの大馬鹿者です。これを塩化したらばどういうことになるかというお話です。heat upされていても何も産まれないわけで、女の子宮はignisだったりします。母親から息子を見た時、母親は母と娘だったりするんですね。人魚姫は塩で汚れた海では生きていけません。自分の子宮が汚れるからです。TはTと呼ぶことに差し支えなければそれいいんではないですかね。
ヒトの体はものを食べすぎるともちろん気持ちが悪くなるというかエゴに走りやすくなったりしますけど、水だけ飲んでるとラクです。自己意識が健全になったりもします。人間バカ食いして不快感と快感を混ぜて同時っているとツラくなるだけです。お茶がteaというのもオカシいんで。
物語というのはハッピーであろうがアンハッピーであろうがエンドありきで書かれているんですね。だからメディアとしてのハード以外に物語の物語性が装いであるというところに落とし穴があったりします。物語というのは定常情報ではなくて非定情報なんですね、自ら定常を奪っているところの。物語を読むのでなくてtextをtextとして解くのが良かったりするんじゃないですかね。人同士の愛の影を追っかけていたりすると自分も非定情報としてもっていかれたりします。functionは幻影を肯定してしまう役割も持っています、愛は幻影ではないですけど。破茶滅茶な、人同士の関係において愛と幻影の区別が付かなくなるのが恋愛なんではないですかね。
幻影が無いとその形を発露できないというおぞましい愛もありますけど、サディストがマゾヒストを放置させながら放置するという愛の形もまたあったりします。
サディストにとってサディストは無関心であるというよりは最初から近寄りたいとは思わないものなんですね、たぶん、お互いに。サディストにとってサディストとその存在だけが唯一逃避に流れるその瞬間だったりします。nichtのわりあてとしての裏返った方程式、時刻が無くなって時間が出来るんですね。そういうso weiterなセックスというものがヒトの形をした神の遊戯だったりするんではないですかね、永遠に生きる。だから母親と息子というのは常に遊んでるんです。セックスを恐がる男というのは、仮に心が通いあった男女カップルであってもそこには違いがありその違いとは男から女へは嗜虐心は健常な関係の場合は無いが女から男へは健常な関係の場合であっても嗜虐心が存在する、ことを知っているんではないですかね。間と間を区切る「仕切り」というのは仕切りにとって仕切りが重荷です、だから、仕切りたる自我を仕切って切り刻んで満足することに逃避するしかないんですね。これは精神分裂ではないです。愛の愛を上塗り。現象が愛そのものによってバラされて、愛が現象によってバラされるんですね。このジークフリート要塞線みたいな愛と現象の関係はそのうち忘却されてしまいます。ただサディストとサディストの関係が忘却されてしまうかとういうとそうではないです。Daseinじゃなくsein。「それ」。バベルの塔は登る処ではないです。
日本語で「理解する」という言葉がありますけど、適切なのはwissenな「分かる」という表現です。understandはもちろんですけど、knowももちろん同じであって「知る」とか「分かる」とかいう概念は英語には無いです。
傷をつくると体内に「悪」が入る、「悪い」ものは体内から外へ出ます。前者は名詞、後者は形容詞。人間に食い物にされている人の笑顔は犠牲の現象、人を馬鹿にして笑う人というのは気持ちが悪い人が多いですけど、キモい人というのは骨が悪かったりします、たぶん。逆に、分裂症者は外傷しやすいです、昔は拳銃や刃物で互いの弱点を突き合って攻撃し合っている人たちが居ました。戦争は何も産みません。
肉もそうですけどpoisonなpoissonなんか食べなくてもヒトは生きていけるんですね、これに味をつけるためだけのNaClも要りません。海が汚れるだけです。ナトリウムはdas Natriumでドイツ語由来なんですね。sodiumはソドムの大馬鹿者です。これを塩化したらばどういうことになるかというお話です。heat upされていても何も産まれないわけで、女の子宮はignisだったりします。母親から息子を見た時、母親は母と娘だったりするんですね。人魚姫は塩で汚れた海では生きていけません。自分の子宮が汚れるからです。TはTと呼ぶことに差し支えなければそれいいんではないですかね。
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