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Das schaut auf eins hinaus.
 love potion.
 赤い糸。




 全身の毛のうちで唯一眉毛だけは剃らない方が良いです。黒いものを出すべく毛を剃るのが良いということで私はこのあいだT字かみそりでジョリジョリと頭を剃ってスキンヘッドをやってみたりもしたんですけど、生まれて初めてやらかした眉毛を剃るということだけは失敗でした。「自分の目の黒いうちは(~は行わせない)」という表現が日本語でありますけど、少なくとも黄色人種の日本人の場合目はある程度ブラックでないとものを見ることはできないんですね。ちなみに睫毛を切って短くしてしまうのは良いです、目がぱっちりして大きくなります。女の人の化粧で睫毛を上げるというのがありますけど、あれはたしかに合理的ではあります。



 日本人の男が「日本」の唯名そのまんまのいい男ばっかりだったららよかったんですけど、残念ながら少なくとも前世紀までの大多数の日本人の男はどうしようもなく汚かったんで、この日本という国では女たちは子供の頃から狙われないように男の前で演技をすることまで覚えさせられながら男に対して脅えつつ生きることを強要させらていたんですね。村上春樹さんの醜さと顔のブサイクさと現実にはあり得なさ過ぎる小説の内容の下劣さには露骨な異常臭や異常者臭を感じるんですけど、まあ日本の風土に生きていたヒトのオスの抱いていた欲望が昇華されたところのものの表れがアレかなとは思います。

 例えばおそらくドイツとかはユダヤは左そうでないものは右としっかりと分けてたんですね、言語的にというか文化風土的に。戦後に始まったことなのか戦前からそうだったのかは分かりませんけど、日本だけがユダヤ少なくともユダヤ的発想に基づくものを「左→右(→左)」という形で右に入れることを許容していたから「右」なるものがエゴを満たすための道具に使われておかしな汚れたことになっていたんですね。何度も書いているようにJudenというのは顔を見れば分かりますけど、目蓋に特徴があるところの他人を切り裂くような風貌のまた自らも他人に(精神を)切り裂かれているような醜い風貌のアレ、というか人をひたすらいら立たせるピエロです。ユダヤ人というのは当人たちも嫌な思いをしているところの「嫌」らしい人間なんです。ユダヤは右らせたら駄目なんです。悪いことの懺悔をして完全にキリスト教徒たることが成長が止まり肉体的にと同時に人格的にも悪事に染まるという形で社会になじんで固まってしまってからのヒトの特にオスに可能であったのかどうか分かりませんけど、おそらくは中途半端であったろうJudenchristの名称でそのような人々は結局キリスト教を自分らの都合の良いように作り変えてしまおうとしただけでした。Judenというのはたぶんエゴから逃れられない悲しい人たちなんです。いくつか前の記事でも機械と書きましたけど、彼らには一見したところの人格が無さが露骨です、対人関係において人格を消して・人格を消したことにしてユダヤではない一般他者をあざむき保身を図る(という形で自身のエゴイズムを守る)のが彼らだからです。
 「左→右」の人たちと違って、「右→右」の人たちはもっと自然体で淡白なんですね。例えば私の場合は嫉妬というのは自覚されて胃にクるんですけど、嫉妬で頭が狂いそうになるヒトというのが居るんですね。これがヤバいんです。

 もしかしたら戦前の日本も同じかそれ以上に酷かったのかもしれませんけど、戦後の日本というのも女がひたすら泣かされるソドムだったんですね。結局戦争が終わって、アメリカが援助してくれたにもかかわらず、粗野で野蛮な日本の男共はまた女を好き勝手に傷つけはじめました。女が泣かされるから子供もまともには育ちません。ネットを与えられてからですらあのザマでした、チンピラがまるでそれがオタクな風貌のヒトの所業であるかのように必死に見せかけようと試みていたところの下劣下賤下俗悪なネット掲示板とかの。
 男がキモくなって悲しい思いをするのは女、そしてそもそもキモいところのエゴイズムありきで行動している女々しい男には女は近寄りません。まあエゴイズムに絡み取られずに逆に強くなって(本来の)能力を発揮したり女を愛したりするできるのが本来的な男だということなんでしょうけどね。



 今どきマンガ的というよりは絵本的な「やさしいおじいさんおばあさん像」に捕らわれている馬鹿な子供もまず居ないと思いますけど、日本においては残念ながら一部の老人たち特に汚いジジイ共において甘やかしが通用しないとなると嫌がらせによってまで若者を「左」へ釣ろうそして蹴り落とそうとしてくるのが居ます。まあ義務教育を受けている年頃くらいの子供までは一般的には攻撃の対象からは除かれるとしても、言うこと聞くいい子をかわいがってやろうという見せかけのフリをしながら平気で蹴り落としたりズタズタに踏み潰したりということをやらかすのが10年くらい前までは随所に居ました。私SSもたぶんやられてました。老人で汚いのは本当に汚いです。まあそうでないと第二次大戦後の日本における悪社会でさんざん悪事を働いて同世代の善良な人たちを犠牲にして生きてきた自分らの身が危ないと彼ら自身ご丁寧よろしく認知しているからということもあるんでしょうけど。
 ノーベル賞なんてただのyou're the 爆弾賞です。「ああ、お前さんはここまでよくぞ(正統ではなく)分裂気味な生焼けダイナマイト的に頑張ってくれちゃったから8千万Sクローネでイオナズンの刑ね?」という汚れを溜め込んで汚くなったヒトのオスにおあつらえ向きなご苦労さん表彰賞です。

 直接打撃攻撃でなくてグループ魔法や魔法全体掛けというとちょっとマンガ的表現なんであまり良くないですけど、事象を概念的に一般化して鑑みる現代人のクセや傾向の弱点を突いて攻撃してくる連中というのが居ます。事象Aについてそれを知った後でそれに正や負の感情を絡めて社会的に一般概念化してしまう場合、例えば私のように数学的や哲学的に物事についてつらつら書いている場合それを言語として書き連ねさせるべくそれを想起させる材料になっていたその時点では忘れていた個々の具体的な情報が書いた後になって意識上に出てきて「ああ、あのことじゃん」と思い返されるということがあるんですね。つまりそれについてターゲットが決まった対応や思考を行うことが確定していることをひたすら繰り返しターゲットに対して行うことで、ターゲットが数学的や哲学的に物事を考える場合における結論において事象Aの認知の欠落をターゲットにおいて引き起こすことができてしまうんですね。仮にターゲットが思考し書き連ねるという行為に及ばないのであってもそれは意識上にのぼらない忘却という形でターゲットにおいて現象化されてしまうだとか。ターゲットにとって見知らぬ不特定多数の人間によるストーカーなんてものはこれの典型であって、サブリミナルをかけるということですらそれからのカモフラージュです。男性的なヒトは「そうなるとそうなる」わけではないのであって、やる側はおそらくこれを分かって「やって」ます、攻撃してます。だからそれら個々の具体的事柄についての示唆や促しを情報が提供される他者に対して行っているわけではなく且つ全体魔法掛けでその具体的情報が焼かれてしまう、だけならまだしも、対人関係においては誤解されてトラブルのもとになったりむしろトラブルを引き起こすことを狙って他者と他者の仲を引き裂こうとしたり自分に相対する人間を都合よくpurgeしたりしようと攻撃してくる悪質な連中も居るということです。

 ヒムラーもナチの構成員を統率するのにこういった汚いことをやったらしいですけど、つまり現代に生きるヒトの男性的空間認識能力の高さや学習能力の高さに漬け込んでヤクザ的に「人に言えない何か」を知らしめ同時にそこから「何か」を学習させあわよくば洗脳していこうという試みをやらかしてくる連中というのが居るんですね。女性は恐怖心もあいまってあっさりとそれをそれであると見抜けるので自覚的に回避することもできるんですけど、男性は男性としての自信過剰さに囚われているとこれにあっさりとやられることになりはするんですね。いらないものやくだらないものを情報として溜め込み過ぎるんです。だからきれいな嫁さんは「あの人(夫)は若い頃いい人だったのに……」と年取ってキモく冷たくなった夫を見て嘆くんですね。まただから昔の人は現代人に比べて必死に「悪い奴とは付き合うな!」と善良な人間に対して日常的に警告していたんです。悪人も悪人と接して悪人になったのであって、Judeはどんどん伝染していくということです。私みたいに書いて出してしまえばまだなんとかなりそうですけど。直接その人を傷つけてしまうよりはマシです。



 疑わしきものは罰するあわよくば罰しうるものをすすんで作るという最悪なことを行う人間たちが形成する社会(主義)が崩壊に向かうのは当然なんですね。ハーレーダビッドソンにまたがってブサイクに珍走している分にはいいですけど、それでは済まないです。というか、ヒトのメスを虐げるヒトのオスというのはヒトの文明的な生態上滅びて減少していくように出来てるのではないかと。

 幼稚園なんて非常に恐ろしいところです。大学の勉強なんてあんなもの大したことはないです、私がこのブログで書いているようなことについてデータや参考資料を持ってきて組み変えたり組み合わせたりしてこれこれはこうでありこうであるということを説明するだけであって、理科系でもそれに実証実験が加わるだけということであって基本的には変わりはないです。昔ながらのキリスト教の女学校なんかでは入学して「お年は?お名前は?」と聞かれるだけというところもあったみたいですけど、勉強をはじめる小学校に向けて幼稚園こそはもう唯名的に全てが決まってくるその始まりのところというか「そうなるとそうなる」というところの現象そのものを唯名的に後年になって知らしめ背筋をゾッとさせる。勉強を知らないが故に小学生になる前のまだ無知な幼稚園児の時点では愛を知らない愛が芽生えないのがまだしもの救いです。
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