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2025.04.16 Wednesday
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Übung macht den Meister.
2012.11.29 Thursday
左手中指というサドの証。
先日2012/11/28日の昼頃から何年かぶりに発熱して悪寒が滲み出てきてかなり苦しい思いをしてました。薬も飲まずに何も食べずに12時間くらい耐えてましたけど、さすがに限界が来て本日の深夜0時をまわったところで睡眠薬ロヒプノールとアキネトンを服薬したら、急激に楽になって少しものを食べて寝ました。マンションの私の部屋の床下からはそれでも容赦なくこの日に限ってドリルでコンクリートの壁に穴を開けるような音やチェーンソーで木材を切り裂くような音やハンマーでコツコツコツコツと釘を打つような音が鳴らされ続けてましたけどまあそれはどうでもいいとして、熱にしろ悪寒にしろ痛みにしろ毛にしろ皮膚のシワやたるみやニキビの類にしろ悪いものが内から外へ出てくるというのは本当なんですねこれは。真実です。「馬鹿は風邪をひかない」という言説が昔からありましたけど、これは当たってます、溜め込んじゃってるからです。私SSも最近は昔に比べればあまり馬鹿ではなくなってきたので、ということっぽいです。この日の朝は自分の部屋にある余分な荷物の整理と処分をしてました。
旅行へ行くとよく分かりますけけど、西洋人基本的に水をよく飲みます。というかあの人たち水ばっか飲んでます。水が最もきれいな飲食物です。ペットボトルでお茶をガバガバ飲むとかキチガイじみたことをやるのは日本人だけです。
イギリスで発展して大陸での啓蒙主義に受けつがれた理神論(deism)は、これはこれでその内容からしてchaoticなものです。汎神論(pantheism)は一見cosmosなものに考えられますけどこれが何故キリスト教において迫害されたかというと、キリストの居ない無神論と同じことで、前にもこのブログの記事で書いたように現実問題としては「何がどうなってもいい、現実問題としては現時点で俺が何やっても俺の勝手」ということになってしまって倫理的に論外であるという結果を招くだけのことになり暴力が跋扈して特定のイデオローグ内での社会は崩壊するということになってしまうからであって、これもまたchaoticなものではあります。
世界中のどこかに誰にも知られずに何かひっそりしたものがあるとか宇宙人がいるとかそういったことはありえないのであって、嫌な物事を経験したり記憶したりしてしまって情報が蓄積されるとそれが腑に落とされて病気の原因になるという形で汚れを背負うのであっても、また脳裏に浮かんできて意識上で自覚されてそれが分かったからロボット的機械的に下手をしてじゃあやってみようということになるのであっても、宇宙人だとか誰も知らない無政府主義国家に生きる悪党だとかの正体は単に人間の脳の半分だとかそういったことがオチです。左でも右でもいいんで、とにかく、悪いことは行わない、悪いものは食べない、ということが重要で大事なことです。だから、物理的に「唯脳論然り」というのは間違ってますけど、ものの考え方的に「唯脳」というのはありです、というのは要するに左右のバランスの問題的に「左」か「右」かの考え方で教育が効を発揮していけばいいということです。ちょっとまた変に抽象的で分かりにくい説明で申し訳ないですけど、右半分でいくか左半分でいくか決めておいていけばいいということです。物事というか物理的なものの左右のシンメトリーを考えてもらえば分かりやすいです。私は個人的には、というよりは、どう考えても「左」が良いとは考えられはしませんけど。
統合失調症は精神が歪む病気です、仮にそれが良いものであっても音楽とか聴き過ぎたりして年齢不相応に情報を溜め込んでしまっているとこうなってしまいます。精神分裂病は精神がsplitされて分裂してしまう病気です、いわゆるバチあたり、バチあたりなことを行っているとこういうことになります。前に精神は「左」とか書いた覚えがあるんですけど、これは間違いではないですけど、精神は「右」も「左」もというのが正しいです。というのは、右にもとづいて左があるわけであって、これが左へイき過ぎると統合失調症、「左→右(→左)」で神殺し的に右が分裂すると精神分裂病、ということだからです。「神」を「経て」はいるがちぎれそうなまでに(「左」に)イっちゃっているのが統合失調で、「精神」を引き裂かれて(「右」がバラけて)いる方が精神分裂です。でもまあ、外人さんはほとんど皆太っていて男性だと無駄毛がモジャモジャとかそういうケースがほとんであって、欧米人は皆統合失調症であるとかそういうオチになってきてしまいますけど。だからSchizophrenieは「統合失調症(Tougoushittyoushou)」ではなくて「精神分裂病(Seishinbunretsubyou)」なんです。
人体にまでこの考えを適用するとおヤクザさんみたいにコワいことになってしまうんでアレですけど、物理的に社会主義、例えば部屋の整理なんかでも決まったものを決まったところへ設置するとかいったことは実に重要なことです。それを「右→左→右」な形で腑に落としてしまうものであろうが「左→右→左」で「そうなるとそうなって」しまうものであろうが、悪くなると悪くなるんです。昔の人たちは子供の教育におけるしつけや礼儀作法にうるさかったですし今でもいいお家の人たちはそういったことを大切にしておららるでしょうけど、これは少なくとも成長期が終わって仕事を始めてお金を稼ぐようになるまではヒトとして健全な発育を促してそういう悪質な歪みを避けなければいけないということのためのものなんですね。ちなみにお金は汚いです。まあ「右→左→右」な人間は外圧を加えられるとそれだけでストレスになって病んでしまうので一概にこれら「しつけ」の類が良いとは言えませんけど。アメリカ人とかこういったことについてはroughです。で、だから、哲学者の中島義道さんはこれをひたすら嫌っておられましたけど、「ゴミはゴミ箱へ!」とかそういった標語の類というのもまたこれはこれでとても大事なものです。
廃品回収者の「いらないものがありましたらあなんでもかいしゅういたしまあす わからないことがありましたらあなんでもおききくださあい」というのはこれとは逆を狙っているので最悪ですけど。宮崎駿とかいう豚畜生の作ったアニメ並みに悪質です。自分ら悪党人が囲い込んで被害者にしうる人間を奴らが製作してしまえるから、ということです。だからそれに気付かないほどまでにイっちゃっているか諦念に支配されているかしてしまっている統合失調症もこれはこれでまたSchizophrenieとは違った苦痛に満たされきった精神の病ではあります。マスコミも昔はテレビのNHKみんなのうたとかで良い歌を流してましたけど、もう私が中学生になった20年くらい前からはひどい歌が流れ始めてました。他には、例えば、あのスクウェアとかいうゴキブリメーカー製のゲームは本当に汚くて悪質なんであって、まさに上の世代が下の世代に対して禍根を作り巻き起こして苦しめようとすると同時に自分らの保身を計る目的だけのものであるということなんですね。NTT出版の攻略本は良かったですけど。FFⅦはたしかに面白くはありましたけど、その内容からしてどれだけ子供らに悪影響を及ぼしたかという問題です。ネタのネタ性を具現化したネタたるセフィロスなんかどこにも居ません。本当にまさにユダヤのユダヤたる所業を具現化したようなアレです。同じくドラえもんのアニメなんてものも一見健全風味であるが故にさらに悪質であって、ドラえもんは悪魔です、のび太はアレは鬼畜です。サブカルチャー全般そうですけど、ビジュアルと中身をそっくりそのまま逆転させてるんです。子供用にゆるやかに描写してあるんで非常に悪質だったということなんですけど、メガネをかけた真面目な好青年は基本的にあんなのび太みたいな畜生ではありません。広告業界関係者なんてものもアレは全て業の深い穢多畜生です。
あのイギリスという国はかなりブラックです。別にイギリスが悪いと言っているわけではないです。アメリカは白いです。昔は「日本の社会はアメリカの社会を十年遅れでコピーしている」なんて言説もありましたけど、だからつまり日本を穢れた国にして「需要」させてアメリカがそれに合わせて技術や下手をすれば社会システムすらも与えるという構図というよりはheartfeltなアメリカ的価値意識を利用した戦略をずっと第二次大戦後画策し続けて行い続けていた、ということです、おそらく。しかしそれもやはり女性の人権を守るためには仕方の無いことなのかもしれません。ちなみにイギリスは曇りの天気が多いんですね、「左」っている。人様に汚れを押し付けることでそれを「生きる」というfuckin' Japな価値意識はやはり残念ながら社会的に許容されるわけはないということです。
イギリスも日本も道路は左側通行で、唯名的に言葉の世界に生きる者は基本的に無政府主義的考えに支配されているわけですけど、表音文字が使われているイギリスは人権意識がアメリカへ飛んで表れて、表意文字が使われている日本ではそれが結局は男が女を支配するという形で裏目に出ているということなんですね。日本語というのは残念ながらあまり良い言語ではないです。例えば女の人の店員がお店で言うあの「おあずかりしま~す」とかいったセリフもアレの類のものは止めた方が良いんではないですかね。
恋する女の男に対する対し方でも法律でもなんでもそうですけど、既成事実を作ってしまえばそれで悪事も済むという発想が社会的に許されるはずがないんですね。論外であるところの典型的な悪人の発想です。悪事によって他人を騙して修復不可能なヒビを入れてそれによって被害者は何十年も苦しみながらそれをその後なってに訴えられると「そんな昔のこと~」とか「そんな何十年も前のこと~」とかいうセリフを発するのは逃避以外の何物でもないです、というのはそういった悪人の言動や態度がまた後続の人間の新たな悪事へとつながるからです。この発想はどう考えても他力本願のものであって、やはり恋する女です。アメリカが助けてくれなかったら日本は無政府主義国家のままでした。私もその末裔の一人なんでしょうけど、日本人は、能力も低くて、頭も悪くて、悪いことばっかりやってきた民族なんです、昔から。西から東へ、左から右へと逃げてきた人種の末裔なんです。私がいくら右が良いからといってドイツ語でタイトルつけたブログで印欧語タイトルの記事書いていて日本には走らないのもそのためです。ドイツ人でもそうですし欧米人は基本的に詩を大切にしてますけど、気持ちの悪いマンガなんか描くのは日本人だけです。日本人は汚れを他人様になすりつけて左へ蹴落とすというやり方でひたすら生きてきた悪い民族なんです。そりゃ殺し合いになるわけです、女が男に虐待されるわけです。
私は肩の骨が変形してるんですけど、成長期の9歳くらいの時にベッドにうつ伏せ寝で本やマンガを読んだのが原因でこれになったので、やはりヒトの体の成長期は絶対的にあるんでしょうね……と考えていたら実はこれは全く間違いでした、本来的に出っ張った腹を出すと肩の形が正常になって筋肉の凝りや痛みがあっさりと消えるんです。男の手足をもいだ、否、関節に苦痛を与え歪めながら手足を膨れ上がらせて腹を引っ込めた・引っ込んでいることにさせたのは、女たちだということなんでしょう。それと同時に抗精神病薬リスパダールの服薬で「肩で風を切って歩いている」状態を味わってしまうことができてしまいますけど、これは絶望的に頭がイタいです。統合失調症患者が背負っているのは、手足を切られて子を産む道具にさせられていた女たちによる男への復讐なのかもしれません。男にとって過度の歪んだ愛情で女に惚れるということは地獄を見るということなのかもしれないです。
私は20代の中ごろに一回心底天地をひっくり返されたような気分になった・いわゆるビビったことがあるんですけど、女性が日頃から感じている恐怖というものについて男性でありながらそれに近いものをよく知ってます。ヒトのメスが性的に絶頂を迎える時というのはおそらく恐怖感でwhite outするような感覚です。
男はオッサンになるとビールをガバガバと飲みますけど、ビールなんてあんなもの世界で最も汚い飲み物です。その証拠にすぐ太ります。キモいんです(気持ち悪いですし、肝臓にキます)。クサいんです。落花生をおつまみにビールを飲むとか最悪です。私はこのビールという飲み物はまったく飲めないんですけど、味がどうこうとかいうよりはよくあんな汚いもの平気で飲めるなという問題です。私は酒全般が嫌いなんですけど、まだ日本酒の方がマシです。ドイツ人がビールや豚肉のソーセージを夕食に食べるのは、ドイツ人というのはキレイだからです。ドイツ語は音楽的で美しい言語なんです。
ヤクザというとあの人たちはカネを作るために悪いこともやるのでちょっと語弊がありますけど、ナチスみたいな善良側の極善な極道の人たちが正義漢であるということをこの日本という国の第二次大戦後の教育を受けた人間は誰も理解しないできようがないんですね。というのは、やはり真実にのっとったらばメスがオスに虐待されるという結果を招かざるを得ないからです。日本のおヤクザさんたちは、学校では教師たちが子供にそれをきちんと教えずに間違った教育でボロボロにしているところの、「右」の大切なものを後世に伝えて守るために仕方がなく悪いことも行っておカネを作っているんですね。もちろん技術革新を頭とした社会の発展には必要なものであるということで学校がそれだけで悪いわけではないですし、またヤクザもそれだけだと悪いということになってしまうということではあるんですけど。またそして、いたずらに禍を巻き起こすだけのカルマな「左」のユダヤ的悪事とは違うということなんでしょうけど。「左」イコール金というわけではないです。つまりヤクザというのは本来的にはfuckin' Japではないです。この日本という国ではユダヤがキリストを迫害するという構図がずっとこの何十年もまかり通っていたんです。で、だからつまり実のところキリスト教徒というのは恐いですよ?アメリカで何故Hispanicの住民が嫌われるかといえば、スペインには拷問の歴史があるからです。Spainはs+painなんですね。首都はMadridですね。mad+rid。拷問というのは「手」で「考える」ところを「問う」んです。悪質なユダヤ人なんかひたすら拷問されてました。ユダヤ人は排斥されて然るべきようなことを行ってはいますけど、拷問を行って良いわけは無いですけどね。日本語を表音文字的に捉えるのと同じく、それとは逆に印欧語を表意文字的に捉えるとそれはそれで面白いというかものわかりにつながったりします。
基本的に、逆もそうですけど、「右」の「左」に対する恐れというものはやはりあるということです。左は左を大切にしてますけど、左から右へ行くのは例外無くワルであってエゴイズムにもとづいて他人をいたずらに傷つけて奪うという結果を招くだけのいわゆる後でヤキが回る連中です。それが悪いことだと分かっているなら最初からやるなと。生き死になんかよりも悪事を行わないことや悪事に加担しないことの方がはるかに重要に決まってます。右だけというか「右→右」の人は法律の勉強とかだけやってりゃいいのかもしれませんけど、ヒトの肉体の身を持ちながらまあ右ってるだけだとそれが他者を悪事へ連れ込むような類のものであれそりゃそのような悪事をいつかは起こしてしまうということです。悪人同士で殺し合いやってますね。ちなみに私SSは「右→左(→右」です、アメリカ人的です。
イギリスは、第二次大戦後、アメリカを利用して、英語を大きく流入させて日本が女を虐げずに「神国日本」であり続けるかそれともゴキブリの行き交うエゴイストのエゴイストによるエゴイストのための穢れた国になるかを試したんではないですかね。で、仮初めの自由を与えたらば結局ヤクザがカネを調達するために仕方なくマンガやアニメやゲームや出版「業」界製の有害な書籍を多数作って、そのせいでそちらに人が取られて文学が失われかかって、キモオタな人たちが大量に生産されて、さらにそれらをキモオタの人たちが需要して悪循環に陥って、結局女が尊重されなくなって女が悲しい思いをすることになったんですね。そしてまたそれのせいで結局「右」が崩壊しかかったというオチです。
「人間は万物の霊長である」という表現がありますけど、人間は他のものの命をいただいて関連しあって文明や技術を発展させていくんですね。まあ「みんなで生きている」ということです。だから動物愛護もそれも守ることも発想としては当然なんですね、だから私はもう獣肉は食べないんですけど。「命」は「愛の結晶」なんであって、「愛」は工学化され得ないということです。ヒトのオスのヒトのメスに対する扱いもそうですけど動物を虐待するとか馬鹿なことをやるのは日本人だけです。heartfeltではなくて「心ある」「心暖かい」人間だからこそこういったことを行ってしまうということであって、残念ながらあまりよろしくない言語である日本語の持つ業が具現化してしまってこういうことになってしまっていたということです。夏目漱石の「こころ」なんて滅茶苦茶に汚いことがこれが人の心にまつわるしかたのないことだと書いてあったりします。「心」は"heart"だと間違いです。「愛」は"love"で正解です。人間関係ということだけにとどまらず、「愛」というのは絶対に右ってたらダメであるということです。「考える」は「右」だと書きましたけど、「思考」という言葉もあるわけであって、これは「左」と「右」が手をつないで事象を解析するところのヒトが持っている機能です。
先日2012/11/28日の昼頃から何年かぶりに発熱して悪寒が滲み出てきてかなり苦しい思いをしてました。薬も飲まずに何も食べずに12時間くらい耐えてましたけど、さすがに限界が来て本日の深夜0時をまわったところで睡眠薬ロヒプノールとアキネトンを服薬したら、急激に楽になって少しものを食べて寝ました。マンションの私の部屋の床下からはそれでも容赦なくこの日に限ってドリルでコンクリートの壁に穴を開けるような音やチェーンソーで木材を切り裂くような音やハンマーでコツコツコツコツと釘を打つような音が鳴らされ続けてましたけどまあそれはどうでもいいとして、熱にしろ悪寒にしろ痛みにしろ毛にしろ皮膚のシワやたるみやニキビの類にしろ悪いものが内から外へ出てくるというのは本当なんですねこれは。真実です。「馬鹿は風邪をひかない」という言説が昔からありましたけど、これは当たってます、溜め込んじゃってるからです。私SSも最近は昔に比べればあまり馬鹿ではなくなってきたので、ということっぽいです。この日の朝は自分の部屋にある余分な荷物の整理と処分をしてました。
旅行へ行くとよく分かりますけけど、西洋人基本的に水をよく飲みます。というかあの人たち水ばっか飲んでます。水が最もきれいな飲食物です。ペットボトルでお茶をガバガバ飲むとかキチガイじみたことをやるのは日本人だけです。
イギリスで発展して大陸での啓蒙主義に受けつがれた理神論(deism)は、これはこれでその内容からしてchaoticなものです。汎神論(pantheism)は一見cosmosなものに考えられますけどこれが何故キリスト教において迫害されたかというと、キリストの居ない無神論と同じことで、前にもこのブログの記事で書いたように現実問題としては「何がどうなってもいい、現実問題としては現時点で俺が何やっても俺の勝手」ということになってしまって倫理的に論外であるという結果を招くだけのことになり暴力が跋扈して特定のイデオローグ内での社会は崩壊するということになってしまうからであって、これもまたchaoticなものではあります。
世界中のどこかに誰にも知られずに何かひっそりしたものがあるとか宇宙人がいるとかそういったことはありえないのであって、嫌な物事を経験したり記憶したりしてしまって情報が蓄積されるとそれが腑に落とされて病気の原因になるという形で汚れを背負うのであっても、また脳裏に浮かんできて意識上で自覚されてそれが分かったからロボット的機械的に下手をしてじゃあやってみようということになるのであっても、宇宙人だとか誰も知らない無政府主義国家に生きる悪党だとかの正体は単に人間の脳の半分だとかそういったことがオチです。左でも右でもいいんで、とにかく、悪いことは行わない、悪いものは食べない、ということが重要で大事なことです。だから、物理的に「唯脳論然り」というのは間違ってますけど、ものの考え方的に「唯脳」というのはありです、というのは要するに左右のバランスの問題的に「左」か「右」かの考え方で教育が効を発揮していけばいいということです。ちょっとまた変に抽象的で分かりにくい説明で申し訳ないですけど、右半分でいくか左半分でいくか決めておいていけばいいということです。物事というか物理的なものの左右のシンメトリーを考えてもらえば分かりやすいです。私は個人的には、というよりは、どう考えても「左」が良いとは考えられはしませんけど。
統合失調症は精神が歪む病気です、仮にそれが良いものであっても音楽とか聴き過ぎたりして年齢不相応に情報を溜め込んでしまっているとこうなってしまいます。精神分裂病は精神がsplitされて分裂してしまう病気です、いわゆるバチあたり、バチあたりなことを行っているとこういうことになります。前に精神は「左」とか書いた覚えがあるんですけど、これは間違いではないですけど、精神は「右」も「左」もというのが正しいです。というのは、右にもとづいて左があるわけであって、これが左へイき過ぎると統合失調症、「左→右(→左)」で神殺し的に右が分裂すると精神分裂病、ということだからです。「神」を「経て」はいるがちぎれそうなまでに(「左」に)イっちゃっているのが統合失調で、「精神」を引き裂かれて(「右」がバラけて)いる方が精神分裂です。でもまあ、外人さんはほとんど皆太っていて男性だと無駄毛がモジャモジャとかそういうケースがほとんであって、欧米人は皆統合失調症であるとかそういうオチになってきてしまいますけど。だからSchizophrenieは「統合失調症(Tougoushittyoushou)」ではなくて「精神分裂病(Seishinbunretsubyou)」なんです。
人体にまでこの考えを適用するとおヤクザさんみたいにコワいことになってしまうんでアレですけど、物理的に社会主義、例えば部屋の整理なんかでも決まったものを決まったところへ設置するとかいったことは実に重要なことです。それを「右→左→右」な形で腑に落としてしまうものであろうが「左→右→左」で「そうなるとそうなって」しまうものであろうが、悪くなると悪くなるんです。昔の人たちは子供の教育におけるしつけや礼儀作法にうるさかったですし今でもいいお家の人たちはそういったことを大切にしておららるでしょうけど、これは少なくとも成長期が終わって仕事を始めてお金を稼ぐようになるまではヒトとして健全な発育を促してそういう悪質な歪みを避けなければいけないということのためのものなんですね。ちなみにお金は汚いです。まあ「右→左→右」な人間は外圧を加えられるとそれだけでストレスになって病んでしまうので一概にこれら「しつけ」の類が良いとは言えませんけど。アメリカ人とかこういったことについてはroughです。で、だから、哲学者の中島義道さんはこれをひたすら嫌っておられましたけど、「ゴミはゴミ箱へ!」とかそういった標語の類というのもまたこれはこれでとても大事なものです。
廃品回収者の「いらないものがありましたらあなんでもかいしゅういたしまあす わからないことがありましたらあなんでもおききくださあい」というのはこれとは逆を狙っているので最悪ですけど。宮崎駿とかいう豚畜生の作ったアニメ並みに悪質です。自分ら悪党人が囲い込んで被害者にしうる人間を奴らが製作してしまえるから、ということです。だからそれに気付かないほどまでにイっちゃっているか諦念に支配されているかしてしまっている統合失調症もこれはこれでまたSchizophrenieとは違った苦痛に満たされきった精神の病ではあります。マスコミも昔はテレビのNHKみんなのうたとかで良い歌を流してましたけど、もう私が中学生になった20年くらい前からはひどい歌が流れ始めてました。他には、例えば、あのスクウェアとかいうゴキブリメーカー製のゲームは本当に汚くて悪質なんであって、まさに上の世代が下の世代に対して禍根を作り巻き起こして苦しめようとすると同時に自分らの保身を計る目的だけのものであるということなんですね。NTT出版の攻略本は良かったですけど。FFⅦはたしかに面白くはありましたけど、その内容からしてどれだけ子供らに悪影響を及ぼしたかという問題です。ネタのネタ性を具現化したネタたるセフィロスなんかどこにも居ません。本当にまさにユダヤのユダヤたる所業を具現化したようなアレです。同じくドラえもんのアニメなんてものも一見健全風味であるが故にさらに悪質であって、ドラえもんは悪魔です、のび太はアレは鬼畜です。サブカルチャー全般そうですけど、ビジュアルと中身をそっくりそのまま逆転させてるんです。子供用にゆるやかに描写してあるんで非常に悪質だったということなんですけど、メガネをかけた真面目な好青年は基本的にあんなのび太みたいな畜生ではありません。広告業界関係者なんてものもアレは全て業の深い穢多畜生です。
あのイギリスという国はかなりブラックです。別にイギリスが悪いと言っているわけではないです。アメリカは白いです。昔は「日本の社会はアメリカの社会を十年遅れでコピーしている」なんて言説もありましたけど、だからつまり日本を穢れた国にして「需要」させてアメリカがそれに合わせて技術や下手をすれば社会システムすらも与えるという構図というよりはheartfeltなアメリカ的価値意識を利用した戦略をずっと第二次大戦後画策し続けて行い続けていた、ということです、おそらく。しかしそれもやはり女性の人権を守るためには仕方の無いことなのかもしれません。ちなみにイギリスは曇りの天気が多いんですね、「左」っている。人様に汚れを押し付けることでそれを「生きる」というfuckin' Japな価値意識はやはり残念ながら社会的に許容されるわけはないということです。
イギリスも日本も道路は左側通行で、唯名的に言葉の世界に生きる者は基本的に無政府主義的考えに支配されているわけですけど、表音文字が使われているイギリスは人権意識がアメリカへ飛んで表れて、表意文字が使われている日本ではそれが結局は男が女を支配するという形で裏目に出ているということなんですね。日本語というのは残念ながらあまり良い言語ではないです。例えば女の人の店員がお店で言うあの「おあずかりしま~す」とかいったセリフもアレの類のものは止めた方が良いんではないですかね。
恋する女の男に対する対し方でも法律でもなんでもそうですけど、既成事実を作ってしまえばそれで悪事も済むという発想が社会的に許されるはずがないんですね。論外であるところの典型的な悪人の発想です。悪事によって他人を騙して修復不可能なヒビを入れてそれによって被害者は何十年も苦しみながらそれをその後なってに訴えられると「そんな昔のこと~」とか「そんな何十年も前のこと~」とかいうセリフを発するのは逃避以外の何物でもないです、というのはそういった悪人の言動や態度がまた後続の人間の新たな悪事へとつながるからです。この発想はどう考えても他力本願のものであって、やはり恋する女です。アメリカが助けてくれなかったら日本は無政府主義国家のままでした。私もその末裔の一人なんでしょうけど、日本人は、能力も低くて、頭も悪くて、悪いことばっかりやってきた民族なんです、昔から。西から東へ、左から右へと逃げてきた人種の末裔なんです。私がいくら右が良いからといってドイツ語でタイトルつけたブログで印欧語タイトルの記事書いていて日本には走らないのもそのためです。ドイツ人でもそうですし欧米人は基本的に詩を大切にしてますけど、気持ちの悪いマンガなんか描くのは日本人だけです。日本人は汚れを他人様になすりつけて左へ蹴落とすというやり方でひたすら生きてきた悪い民族なんです。そりゃ殺し合いになるわけです、女が男に虐待されるわけです。
私は肩の骨が変形してるんですけど、成長期の9歳くらいの時にベッドにうつ伏せ寝で本やマンガを読んだのが原因でこれになったので、やはりヒトの体の成長期は絶対的にあるんでしょうね……と考えていたら実はこれは全く間違いでした、本来的に出っ張った腹を出すと肩の形が正常になって筋肉の凝りや痛みがあっさりと消えるんです。男の手足をもいだ、否、関節に苦痛を与え歪めながら手足を膨れ上がらせて腹を引っ込めた・引っ込んでいることにさせたのは、女たちだということなんでしょう。それと同時に抗精神病薬リスパダールの服薬で「肩で風を切って歩いている」状態を味わってしまうことができてしまいますけど、これは絶望的に頭がイタいです。統合失調症患者が背負っているのは、手足を切られて子を産む道具にさせられていた女たちによる男への復讐なのかもしれません。男にとって過度の歪んだ愛情で女に惚れるということは地獄を見るということなのかもしれないです。
私は20代の中ごろに一回心底天地をひっくり返されたような気分になった・いわゆるビビったことがあるんですけど、女性が日頃から感じている恐怖というものについて男性でありながらそれに近いものをよく知ってます。ヒトのメスが性的に絶頂を迎える時というのはおそらく恐怖感でwhite outするような感覚です。
男はオッサンになるとビールをガバガバと飲みますけど、ビールなんてあんなもの世界で最も汚い飲み物です。その証拠にすぐ太ります。キモいんです(気持ち悪いですし、肝臓にキます)。クサいんです。落花生をおつまみにビールを飲むとか最悪です。私はこのビールという飲み物はまったく飲めないんですけど、味がどうこうとかいうよりはよくあんな汚いもの平気で飲めるなという問題です。私は酒全般が嫌いなんですけど、まだ日本酒の方がマシです。ドイツ人がビールや豚肉のソーセージを夕食に食べるのは、ドイツ人というのはキレイだからです。ドイツ語は音楽的で美しい言語なんです。
ヤクザというとあの人たちはカネを作るために悪いこともやるのでちょっと語弊がありますけど、ナチスみたいな善良側の極善な極道の人たちが正義漢であるということをこの日本という国の第二次大戦後の教育を受けた人間は誰も理解しないできようがないんですね。というのは、やはり真実にのっとったらばメスがオスに虐待されるという結果を招かざるを得ないからです。日本のおヤクザさんたちは、学校では教師たちが子供にそれをきちんと教えずに間違った教育でボロボロにしているところの、「右」の大切なものを後世に伝えて守るために仕方がなく悪いことも行っておカネを作っているんですね。もちろん技術革新を頭とした社会の発展には必要なものであるということで学校がそれだけで悪いわけではないですし、またヤクザもそれだけだと悪いということになってしまうということではあるんですけど。またそして、いたずらに禍を巻き起こすだけのカルマな「左」のユダヤ的悪事とは違うということなんでしょうけど。「左」イコール金というわけではないです。つまりヤクザというのは本来的にはfuckin' Japではないです。この日本という国ではユダヤがキリストを迫害するという構図がずっとこの何十年もまかり通っていたんです。で、だからつまり実のところキリスト教徒というのは恐いですよ?アメリカで何故Hispanicの住民が嫌われるかといえば、スペインには拷問の歴史があるからです。Spainはs+painなんですね。首都はMadridですね。mad+rid。拷問というのは「手」で「考える」ところを「問う」んです。悪質なユダヤ人なんかひたすら拷問されてました。ユダヤ人は排斥されて然るべきようなことを行ってはいますけど、拷問を行って良いわけは無いですけどね。日本語を表音文字的に捉えるのと同じく、それとは逆に印欧語を表意文字的に捉えるとそれはそれで面白いというかものわかりにつながったりします。
基本的に、逆もそうですけど、「右」の「左」に対する恐れというものはやはりあるということです。左は左を大切にしてますけど、左から右へ行くのは例外無くワルであってエゴイズムにもとづいて他人をいたずらに傷つけて奪うという結果を招くだけのいわゆる後でヤキが回る連中です。それが悪いことだと分かっているなら最初からやるなと。生き死になんかよりも悪事を行わないことや悪事に加担しないことの方がはるかに重要に決まってます。右だけというか「右→右」の人は法律の勉強とかだけやってりゃいいのかもしれませんけど、ヒトの肉体の身を持ちながらまあ右ってるだけだとそれが他者を悪事へ連れ込むような類のものであれそりゃそのような悪事をいつかは起こしてしまうということです。悪人同士で殺し合いやってますね。ちなみに私SSは「右→左(→右」です、アメリカ人的です。
イギリスは、第二次大戦後、アメリカを利用して、英語を大きく流入させて日本が女を虐げずに「神国日本」であり続けるかそれともゴキブリの行き交うエゴイストのエゴイストによるエゴイストのための穢れた国になるかを試したんではないですかね。で、仮初めの自由を与えたらば結局ヤクザがカネを調達するために仕方なくマンガやアニメやゲームや出版「業」界製の有害な書籍を多数作って、そのせいでそちらに人が取られて文学が失われかかって、キモオタな人たちが大量に生産されて、さらにそれらをキモオタの人たちが需要して悪循環に陥って、結局女が尊重されなくなって女が悲しい思いをすることになったんですね。そしてまたそれのせいで結局「右」が崩壊しかかったというオチです。
「人間は万物の霊長である」という表現がありますけど、人間は他のものの命をいただいて関連しあって文明や技術を発展させていくんですね。まあ「みんなで生きている」ということです。だから動物愛護もそれも守ることも発想としては当然なんですね、だから私はもう獣肉は食べないんですけど。「命」は「愛の結晶」なんであって、「愛」は工学化され得ないということです。ヒトのオスのヒトのメスに対する扱いもそうですけど動物を虐待するとか馬鹿なことをやるのは日本人だけです。heartfeltではなくて「心ある」「心暖かい」人間だからこそこういったことを行ってしまうということであって、残念ながらあまりよろしくない言語である日本語の持つ業が具現化してしまってこういうことになってしまっていたということです。夏目漱石の「こころ」なんて滅茶苦茶に汚いことがこれが人の心にまつわるしかたのないことだと書いてあったりします。「心」は"heart"だと間違いです。「愛」は"love"で正解です。人間関係ということだけにとどまらず、「愛」というのは絶対に右ってたらダメであるということです。「考える」は「右」だと書きましたけど、「思考」という言葉もあるわけであって、これは「左」と「右」が手をつないで事象を解析するところのヒトが持っている機能です。
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