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Styx
2012.11.15 Thursday
つみ上げ。
昨日2012/11/14日11:07分に12日ぶりに抗精神病薬ジプレキサを2.5mg錠を二錠で計5mg服薬しました。それから30分程度でこの抗精神病薬ジプレキサが切れはじめた時のつらさが消えました。それ以後16時間程度睡眠しました。それから起きてしばらく経った2012/11/15日9時頃にこの記事を書いてます。食事は2012/11/13日の16:00分前後にオレンジジュースを1リットル飲んだ後2012/11/15日の午前の4:15分にみかんを三個食べただけです。
「言う」という行為も含めてのことですけど、悪いことを行ったり言ったりすると、まわりまわってそれが自分に戻ってくるようになるってるんですね。愚かだとか馬鹿だとかいった人間にはこの単純なことが分からない、もしくはしっかりしていないのかなんなのか原因は分かりませんけど目の前の快楽に釣られてやってしまうんですね。私だって抗精神病薬の服薬その他で現象的にはそうとう苦しい思いをしてますけど、例えば幼稚園の時に親同士が仲が良かっただけの同卒生の女の子に向かってその場のノリで「大きくなったら結婚しようね」とか言ってしまったりしてます。だから私もまた(たぶん女心をもてあそぶという形で)悪いことを言ってしまっているということです。ちゃんとした親は子供が悪事を働けば怒って叱りますけど、私も小さい子供を思い出せば悪い友達に釣られて通学路を守る交通安全のおばさんに向かって悪口を言うとか小さな悪事を行ったことはあります。マンガだって殺人や暴力のあるシーンのものを見れば悪いことになるということです。こち亀の両津みたいな人間だってあんなもん現実に居たら確実に野垂れ死ぬか殺されるかするように出来てます。だからありゃマンガなんです。「マンガ」というのはそういうもんなんです。リアルでも中学や高校の同級生に多々居ましたけどあの2ちゃんねるで10年くらい前に女性と性交渉をしたことのない男のことを童貞童貞と言ってバカにしていたクズ畜生共は万死に値します。もちろん一般的な男性は自分が童貞であることについてコンプレックスなんか持っていないわけであって、マンガその他サブカルチャーやマスコミが童貞が劣等なものであるかのような社会的コンテクストを必死に捏造していたということです。悪いことはやるな、これに尽きます。
現実的な問題としてもっと言うならば、その本人が「不快である」と言っていることはやるな、これに尽きます。現代では哲学的思考は一部の分かる人間だけがその思考様式や手段をそれ以外の人たちに情報で伝えていけばいいんであって、人類全てのヒトが哲学者になったら社会が止まる、どころか現実問題として原始時代に逆戻り、下手をすればメスがオスに虐げられるだけの社会というのが現れてそれで終わりということになるだけです。だからその当人が「不快である」ということは行わずにあとは教育の効果を発揮させて現象的に悪いことをさせないかつ悪いものに触れさせなければいいだけです。たぶんそうやって浄化されていくんです。人間の社会がそうであるというよりはもう万物がそうであるとしか言い様がないんで、我々今の社会に居る人間だってその上に立ってるんです。我々現代人は全て昔の王侯貴族と同じです。
精神科医の木村敏さんが「偶然性の精神病理」という本(岩波現代文庫から出てます)でこういったことについて分かりやすく書いてるんですけど、ヒトの時間の感覚においては通時性と共時性というのがあるんですね。女性において性やセックスというのは共時性というか共時的にあるべきものなんですね、だからこれを「分かってる」男が女にモテるわけです。これが分かるオスは身体感覚的には頭にキている結果として痩せ型のヒトが多いから事態的には結果としてデブではなくて痩せている男が好まれるケースが多い、ということであって、女は男の肉体の外形それのみをとってして男を評価しているわけではないです。とあるヒトのオスにおいてそのオスがメスに好まれないということがあったとしてそのオスの肉体が肥満しているという事実が直結してメスに好まれないという事態につながっているわけではないです。
バンドの演奏で一番難しいのは演奏者全てでその一瞬だけ音を出すことを止めるブレイクと呼ばれるものだと言われてますけど、ロック音楽というのは共時性の産物です。だからギターの早弾きというのはロックにおいては本来的には邪道なんです、たぶん。ギターという楽器はあれは女体みたいなもんです。だからロックミュージシャンがあまり健全ではないが性的興奮を女に与えるという意味で(不良)女にモテるというのは道理なんですね。だからロックという音楽は覚せい剤をきめてからのライブハウスでの生演奏ありきであって、ラルクみたいなテレビで歌謡ポップスロックもどき?みたいのを歌っているのはそういった昔の本物な人たちにはウソだと言われることになるんでしょうね。が、違法薬物は絶対にやったら駄目です。だから必然的にロックという音楽もいけないものということになってしまいます。ちなみに私はギターの早弾きが好きなんですけど、たぶん女の人と直接な単なるセックスではなくて言語のコミュニケーションも含めてあんなことやこんなことをいろいろ……とか思ってる派なんでしょうね。だからレイプとか嫌いです。
たぶん音楽をやってる人はそれがロック音楽とかであっても哲学とかそんなに複雑で難しいものでなければ分かる人たちです。ヘーゲルはちょっと難しいですけど、カントとかだったらそんなに難しくないです。
まあちょっとロックじゃないかもしれないですけどあのAcid Black Cherryのジグソーという曲のPVは出来てるな~と思うんですけど、あれはヒトの腹面と背面について描いてるんですね、「オマエの背中(側)はこんなに汚いんだぞ、」と。鏡の使い方が上手いです。ヒトの体なんて腹筋か背筋しかないんだよ、程度のことです。さらにはジグソーのパズルなんてコインの表か裏の二種類しか無いんだよバカめという嫌味を感じるほどですらあります。あの歌ってる人は左から右への人ですけど、あの人はそれで右を極めることを選択してるんですね。
以下カントの「判断力批判」より。
「 幸福の概念は、人間が抽象によって本能から導来するような概念でもなければ、従ってまた人間自身の動物性から得てくるような概念でもなくて、或る種の状態の概念――換言すれば、人間が単なる経験的条件のもとで彼らの状態をそれに完全に一致させること(しかしこのことは不可能である)を欲するようにな理念にほかならない。人間はこの理念を、構想力や感覚とからみ合った悟性によって、実にさまざまな仕方で構想してみるばかりでなく、そのうえかかる悟性をしばしば変更するもので、仮に自然が人間のほしいままな意志に完全に服従しているとしても、一定不変な普遍的法則を立てて(幸福という)かかる動揺不定な概念と、従ってまた各人がそれぞれ任意に設けるところの目的とに合致することは絶対に不可能だろう。またたとえ我々がこのような目的を人間に切実な自然的欲求、即ち我々人類に通有な欲求にまで引き下げるか、さもなければ自分の夢想している目的を達成するに必須な熟練をいっそうに上達させるか、この二途のうちいずれかをとるにしても、人間がみずから幸福と解するところのもの、また実際彼自身にとっては自然の最終の目的(自由の目的ではない)であるところのものは、ついに達成され得ないだろう。人間のうちに存する自然は、所有や享楽に関しては何処かで止まり、みずから足ることを知るようなたぐいのものではないからである。
―中略―
それだから人間は、自然と自分自身との間に或る種の目的関係――換言すれば、自然にかかわりなくそれ自身だけで事足り、従ってまた究極目的たり得るような関係を設定するすべを知り、またそうする意志を持ちはするものの、しかしかかる究極目的は自然において求められてはならないものなのである。」
ここで「我々人類に通有な欲求」というのは共時性のことであり「自分の夢想している目的」というのは通時性のことです。前者が「引き下げ(られ)る」ところと見なされているのはおそらく啓蒙思想の影響です。また日本語で「自然」という言葉が使われているのはちょっと誤解されやすいのであって、これは「世界」だというと分かりやすいです。だからそれにもかかわらず起きる・熾きる(おきる)男女関係は奇跡であってその愛の結晶として子供が生まれる、というものの見方なんですね、女性は。
これは禁書だといって大量の本を燃やしたナチスとは逆のユダヤの所業ですけど、情報の後付や捏造なんていくらでも行われます。これについて何が本当だとかいった表現はあまり適切ではなく、何が事実だったのか確かめる術はありません。だから歴史や情報を数学的に読み解いていくしかないです。これを真実だということです。間違ってなければ良いということになるんですけど、間違ってないものというのは「有名」な人のものしかないということになるんですね。有名ブランドの服や宝飾が好まれるのも同じくそういったことであって、マンガ的に「お高くてなんとなくキレイだから」とかではないです。きちんとしていて人体に合理したものだからです。が、別にアルマーニの下着なんて高いもの買わなくてもグンゼ産業の日本製の肌着が人体にピッタリしていて良かったりもします。E.H.カーという歴史学者は歴史は科学だと言ってますけど、科学的に何らかが実証されてその結果何らかの装置が作られるわけではないので、つまりこれもまたそういうことであって、歴史とはそういった風に扱われるべきものだということです。何らかの歴史的装置が作られるとしても、それはいいところ「ナポレオンはすごかった」という単なる言葉で表されるもの程度のことです。
あの左の連中のやり方というのは本当に汚いです。結局釣って甘くしてズタズタにした上でさらには虐げるというやり方でも利用し尽くした上で殺します。最悪です。「左→右→左」の連中のエゴありきの行動であっても「右→左→右」な人の「左」へイっちゃってる場合であってもそうですけど、あいつらは自分らが今まで左で積み上げたものを失ってたまるかと必死なんであって、しかもコイツらにそのように「今まで積み上げたものを失ってたまるか」と必死になられればなられるほど社会的にはロスが多くなります。文明の発達は結果として遅れます。昔に比べてやはり悪い人間はどんどん減っているということです。私が書いてるものも、このブログの初期に書いて載せてあるものや二年くらい前に書いていたもう消してしまった昔のブログに載せていたものは左というよりは右から左へ引っ張られてしまったヒトのものであって、レベルが低いわけではなくてあれはストレスが溜まった人間の出しているものなんですね。ストレスというか悪い記憶が溜まるとああなる、現象的にはああなって出てしまうんです。幼稚園児が幼稚園児だけで人間社会を構成できるわけではないんでもちろん「左」というのは必要ですしこれもまた必然であって、まあ先験哲学的といえば先験哲学的です。数学が何故数学であるかを解説するものもその能力も必要なものではあります。が、老人はそれまで生きてきたところの具体的経験だとか勉強だとかで形づくりがしっかりしているんでだから教授とかはしっかりことが言えるかつ自説を主張したりすることができるんですけど、ヒトの肉体における成長期の存在を考えてもらえばすぐ分かると思うんですけど若いうちからああなってしまっていると病んでいる人であるということになってしまっているだけに終わります。ちなみにカント先生はどちらかというと左です。
私は勝手な良い女像を頭の中で描いてそれを愛しているだけなのかもしれないです。だからやっぱりオタクっちゃオタクです。恋する若い女なんて滅茶苦茶悪いです。何度も書いている私の父親は女々しいつまり恋愛中の若い女みたいな男でしたけど、これを私は子供の頃から男像だとして描くことを余儀なくされていたんで、女特に若い女は自分の父親みたいな身勝手でクズな人間とは真逆のものだと勝手に思ってました。だから自分を暴力的に威圧してくるユダヤ人を見てそれがヤクザだと思い込んでいたということです。だから中学高校と行くに従って同年代の女に悪い人間が増えていくのを見て、どんどん自分はそれから離反していってそして自分の父親の正体を知りました。二つ前の記事でこれについて書きましたし、日本人の男がウザいとか書きましたけど、男なんて性暴力に関しては同じで結局私が勝手に頭の中で思い描いているような良い女にはそもそも暴力をふるわないのであって、悪い女だからヤられるんではないですかね。これを読んでいただける方で私の父親を知っている人は分かると思うんですけど、私SSの父親のMSはアレは女だったら確実にヤられます。息子の私にもそれは分かります。ユダヤ人です。悪いことでもなんでも許容させるどころかそっちへ持っていく、他者をいたずらに傷つけ嫌がることを行い結果として悪くすることによってのみ生きる、それを生業としている人間です。
私はこういったことを哲学的に読み解いていける能力を幸せにも持っているんでいいですけど、今の若い人たちの大半はそうとう間違えた方向へ釣られやすいどころかもう釣られてしまった後なんではないですかね。ネットなんて使うものなんで、それが上の方にくるものであろうがなんであろうがサーチエンジンの検索結果で出てくるものとかを当然と思い込む・思い込んでしまいうるコンテクストに浸されていると異常者だらけになります。キチガイさんがどうとかいう以前に、それはもう当該本人における身体の不細工さや異常さや痛みというかたちで出てくるはずなんですね。
ヒトの右脳と左脳は全く機能が違います。ヒトの脳において左右に全く同じものがひとつづつ揃っているというわけではないです。発生される頭の痛みなんかは身体の左右のバランス的に参考にはなりますけど、医師の外科手術とかは別だとしてヒトがヒトに手を加えるにおいては左へイったから右へ引っ張ればいい右へキたから左へ押せばいい(右へイったから左へ引っ張ればいい)、という単純なものではないです。だからあの唯脳論というのは(ですら)間違ってます。
頭の良さとかではなくて、また遺伝的になにがどうであるこうであるというよりは、女にモテるか否かが生まれながらにして決まっていることっぽいです。前にもHellquinという記事で書いたんですけど、女はそれがどういった男であってもその男について見定める鑑識眼みたいなものを持ってます。やはりオスから種をとって子供を産むということただその一点においてメスはメスであって、別にメスにとってオスにモテるかどうかというのは大した問題ではないんですね。女が常に美しくありたいというのは男にモテるかどうかの問題とは女において直接直結してません、あれは女にまつわる審美的感覚にまつわるものであって「美しければ世界に美しい善い影響を及ぼせる」、という。で、オスにとってはメスにモテるかどうかというのはかなり重要な問題です、が、というか、だからこそ、いくら頑張って能力を高めたり知識を得たりしてもモテない男というのは女にはモテません。昔は女にモテたくて頑張った男が「なんでだよぉ~(なんでオレじゃダメなんだよぉ~」と言って女にすがりつく偶像というのがありましたけど、まああんなもんです。女というのは性欲云々第一義で男を見るのではなくて、「この男の子供なら産んでもいいや、」ということで男を選ぶんではないですかね。女は男女関係で少なくとも自分にまつわることについては性欲ではなくてメスとしての立場を見てるんですね。
……ちなみにこれを客観的に情報として言語を使って記述している時点で私SSもまた女にモテる男ではないです。通時的です。範疇くらいには入ってるかもしれませんけど、こういう人間はいい女にはあまりモテません。女というのはそこまで見てるんです。
昨日2012/11/14日11:07分に12日ぶりに抗精神病薬ジプレキサを2.5mg錠を二錠で計5mg服薬しました。それから30分程度でこの抗精神病薬ジプレキサが切れはじめた時のつらさが消えました。それ以後16時間程度睡眠しました。それから起きてしばらく経った2012/11/15日9時頃にこの記事を書いてます。食事は2012/11/13日の16:00分前後にオレンジジュースを1リットル飲んだ後2012/11/15日の午前の4:15分にみかんを三個食べただけです。
「言う」という行為も含めてのことですけど、悪いことを行ったり言ったりすると、まわりまわってそれが自分に戻ってくるようになるってるんですね。愚かだとか馬鹿だとかいった人間にはこの単純なことが分からない、もしくはしっかりしていないのかなんなのか原因は分かりませんけど目の前の快楽に釣られてやってしまうんですね。私だって抗精神病薬の服薬その他で現象的にはそうとう苦しい思いをしてますけど、例えば幼稚園の時に親同士が仲が良かっただけの同卒生の女の子に向かってその場のノリで「大きくなったら結婚しようね」とか言ってしまったりしてます。だから私もまた(たぶん女心をもてあそぶという形で)悪いことを言ってしまっているということです。ちゃんとした親は子供が悪事を働けば怒って叱りますけど、私も小さい子供を思い出せば悪い友達に釣られて通学路を守る交通安全のおばさんに向かって悪口を言うとか小さな悪事を行ったことはあります。マンガだって殺人や暴力のあるシーンのものを見れば悪いことになるということです。こち亀の両津みたいな人間だってあんなもん現実に居たら確実に野垂れ死ぬか殺されるかするように出来てます。だからありゃマンガなんです。「マンガ」というのはそういうもんなんです。リアルでも中学や高校の同級生に多々居ましたけどあの2ちゃんねるで10年くらい前に女性と性交渉をしたことのない男のことを童貞童貞と言ってバカにしていたクズ畜生共は万死に値します。もちろん一般的な男性は自分が童貞であることについてコンプレックスなんか持っていないわけであって、マンガその他サブカルチャーやマスコミが童貞が劣等なものであるかのような社会的コンテクストを必死に捏造していたということです。悪いことはやるな、これに尽きます。
現実的な問題としてもっと言うならば、その本人が「不快である」と言っていることはやるな、これに尽きます。現代では哲学的思考は一部の分かる人間だけがその思考様式や手段をそれ以外の人たちに情報で伝えていけばいいんであって、人類全てのヒトが哲学者になったら社会が止まる、どころか現実問題として原始時代に逆戻り、下手をすればメスがオスに虐げられるだけの社会というのが現れてそれで終わりということになるだけです。だからその当人が「不快である」ということは行わずにあとは教育の効果を発揮させて現象的に悪いことをさせないかつ悪いものに触れさせなければいいだけです。たぶんそうやって浄化されていくんです。人間の社会がそうであるというよりはもう万物がそうであるとしか言い様がないんで、我々今の社会に居る人間だってその上に立ってるんです。我々現代人は全て昔の王侯貴族と同じです。
精神科医の木村敏さんが「偶然性の精神病理」という本(岩波現代文庫から出てます)でこういったことについて分かりやすく書いてるんですけど、ヒトの時間の感覚においては通時性と共時性というのがあるんですね。女性において性やセックスというのは共時性というか共時的にあるべきものなんですね、だからこれを「分かってる」男が女にモテるわけです。これが分かるオスは身体感覚的には頭にキている結果として痩せ型のヒトが多いから事態的には結果としてデブではなくて痩せている男が好まれるケースが多い、ということであって、女は男の肉体の外形それのみをとってして男を評価しているわけではないです。とあるヒトのオスにおいてそのオスがメスに好まれないということがあったとしてそのオスの肉体が肥満しているという事実が直結してメスに好まれないという事態につながっているわけではないです。
バンドの演奏で一番難しいのは演奏者全てでその一瞬だけ音を出すことを止めるブレイクと呼ばれるものだと言われてますけど、ロック音楽というのは共時性の産物です。だからギターの早弾きというのはロックにおいては本来的には邪道なんです、たぶん。ギターという楽器はあれは女体みたいなもんです。だからロックミュージシャンがあまり健全ではないが性的興奮を女に与えるという意味で(不良)女にモテるというのは道理なんですね。だからロックという音楽は覚せい剤をきめてからのライブハウスでの生演奏ありきであって、ラルクみたいなテレビで歌謡ポップスロックもどき?みたいのを歌っているのはそういった昔の本物な人たちにはウソだと言われることになるんでしょうね。が、違法薬物は絶対にやったら駄目です。だから必然的にロックという音楽もいけないものということになってしまいます。ちなみに私はギターの早弾きが好きなんですけど、たぶん女の人と直接な単なるセックスではなくて言語のコミュニケーションも含めてあんなことやこんなことをいろいろ……とか思ってる派なんでしょうね。だからレイプとか嫌いです。
たぶん音楽をやってる人はそれがロック音楽とかであっても哲学とかそんなに複雑で難しいものでなければ分かる人たちです。ヘーゲルはちょっと難しいですけど、カントとかだったらそんなに難しくないです。
まあちょっとロックじゃないかもしれないですけどあのAcid Black Cherryのジグソーという曲のPVは出来てるな~と思うんですけど、あれはヒトの腹面と背面について描いてるんですね、「オマエの背中(側)はこんなに汚いんだぞ、」と。鏡の使い方が上手いです。ヒトの体なんて腹筋か背筋しかないんだよ、程度のことです。さらにはジグソーのパズルなんてコインの表か裏の二種類しか無いんだよバカめという嫌味を感じるほどですらあります。あの歌ってる人は左から右への人ですけど、あの人はそれで右を極めることを選択してるんですね。
以下カントの「判断力批判」より。
「 幸福の概念は、人間が抽象によって本能から導来するような概念でもなければ、従ってまた人間自身の動物性から得てくるような概念でもなくて、或る種の状態の概念――換言すれば、人間が単なる経験的条件のもとで彼らの状態をそれに完全に一致させること(しかしこのことは不可能である)を欲するようにな理念にほかならない。人間はこの理念を、構想力や感覚とからみ合った悟性によって、実にさまざまな仕方で構想してみるばかりでなく、そのうえかかる悟性をしばしば変更するもので、仮に自然が人間のほしいままな意志に完全に服従しているとしても、一定不変な普遍的法則を立てて(幸福という)かかる動揺不定な概念と、従ってまた各人がそれぞれ任意に設けるところの目的とに合致することは絶対に不可能だろう。またたとえ我々がこのような目的を人間に切実な自然的欲求、即ち我々人類に通有な欲求にまで引き下げるか、さもなければ自分の夢想している目的を達成するに必須な熟練をいっそうに上達させるか、この二途のうちいずれかをとるにしても、人間がみずから幸福と解するところのもの、また実際彼自身にとっては自然の最終の目的(自由の目的ではない)であるところのものは、ついに達成され得ないだろう。人間のうちに存する自然は、所有や享楽に関しては何処かで止まり、みずから足ることを知るようなたぐいのものではないからである。
―中略―
それだから人間は、自然と自分自身との間に或る種の目的関係――換言すれば、自然にかかわりなくそれ自身だけで事足り、従ってまた究極目的たり得るような関係を設定するすべを知り、またそうする意志を持ちはするものの、しかしかかる究極目的は自然において求められてはならないものなのである。」
ここで「我々人類に通有な欲求」というのは共時性のことであり「自分の夢想している目的」というのは通時性のことです。前者が「引き下げ(られ)る」ところと見なされているのはおそらく啓蒙思想の影響です。また日本語で「自然」という言葉が使われているのはちょっと誤解されやすいのであって、これは「世界」だというと分かりやすいです。だからそれにもかかわらず起きる・熾きる(おきる)男女関係は奇跡であってその愛の結晶として子供が生まれる、というものの見方なんですね、女性は。
これは禁書だといって大量の本を燃やしたナチスとは逆のユダヤの所業ですけど、情報の後付や捏造なんていくらでも行われます。これについて何が本当だとかいった表現はあまり適切ではなく、何が事実だったのか確かめる術はありません。だから歴史や情報を数学的に読み解いていくしかないです。これを真実だということです。間違ってなければ良いということになるんですけど、間違ってないものというのは「有名」な人のものしかないということになるんですね。有名ブランドの服や宝飾が好まれるのも同じくそういったことであって、マンガ的に「お高くてなんとなくキレイだから」とかではないです。きちんとしていて人体に合理したものだからです。が、別にアルマーニの下着なんて高いもの買わなくてもグンゼ産業の日本製の肌着が人体にピッタリしていて良かったりもします。E.H.カーという歴史学者は歴史は科学だと言ってますけど、科学的に何らかが実証されてその結果何らかの装置が作られるわけではないので、つまりこれもまたそういうことであって、歴史とはそういった風に扱われるべきものだということです。何らかの歴史的装置が作られるとしても、それはいいところ「ナポレオンはすごかった」という単なる言葉で表されるもの程度のことです。
あの左の連中のやり方というのは本当に汚いです。結局釣って甘くしてズタズタにした上でさらには虐げるというやり方でも利用し尽くした上で殺します。最悪です。「左→右→左」の連中のエゴありきの行動であっても「右→左→右」な人の「左」へイっちゃってる場合であってもそうですけど、あいつらは自分らが今まで左で積み上げたものを失ってたまるかと必死なんであって、しかもコイツらにそのように「今まで積み上げたものを失ってたまるか」と必死になられればなられるほど社会的にはロスが多くなります。文明の発達は結果として遅れます。昔に比べてやはり悪い人間はどんどん減っているということです。私が書いてるものも、このブログの初期に書いて載せてあるものや二年くらい前に書いていたもう消してしまった昔のブログに載せていたものは左というよりは右から左へ引っ張られてしまったヒトのものであって、レベルが低いわけではなくてあれはストレスが溜まった人間の出しているものなんですね。ストレスというか悪い記憶が溜まるとああなる、現象的にはああなって出てしまうんです。幼稚園児が幼稚園児だけで人間社会を構成できるわけではないんでもちろん「左」というのは必要ですしこれもまた必然であって、まあ先験哲学的といえば先験哲学的です。数学が何故数学であるかを解説するものもその能力も必要なものではあります。が、老人はそれまで生きてきたところの具体的経験だとか勉強だとかで形づくりがしっかりしているんでだから教授とかはしっかりことが言えるかつ自説を主張したりすることができるんですけど、ヒトの肉体における成長期の存在を考えてもらえばすぐ分かると思うんですけど若いうちからああなってしまっていると病んでいる人であるということになってしまっているだけに終わります。ちなみにカント先生はどちらかというと左です。
私は勝手な良い女像を頭の中で描いてそれを愛しているだけなのかもしれないです。だからやっぱりオタクっちゃオタクです。恋する若い女なんて滅茶苦茶悪いです。何度も書いている私の父親は女々しいつまり恋愛中の若い女みたいな男でしたけど、これを私は子供の頃から男像だとして描くことを余儀なくされていたんで、女特に若い女は自分の父親みたいな身勝手でクズな人間とは真逆のものだと勝手に思ってました。だから自分を暴力的に威圧してくるユダヤ人を見てそれがヤクザだと思い込んでいたということです。だから中学高校と行くに従って同年代の女に悪い人間が増えていくのを見て、どんどん自分はそれから離反していってそして自分の父親の正体を知りました。二つ前の記事でこれについて書きましたし、日本人の男がウザいとか書きましたけど、男なんて性暴力に関しては同じで結局私が勝手に頭の中で思い描いているような良い女にはそもそも暴力をふるわないのであって、悪い女だからヤられるんではないですかね。これを読んでいただける方で私の父親を知っている人は分かると思うんですけど、私SSの父親のMSはアレは女だったら確実にヤられます。息子の私にもそれは分かります。ユダヤ人です。悪いことでもなんでも許容させるどころかそっちへ持っていく、他者をいたずらに傷つけ嫌がることを行い結果として悪くすることによってのみ生きる、それを生業としている人間です。
私はこういったことを哲学的に読み解いていける能力を幸せにも持っているんでいいですけど、今の若い人たちの大半はそうとう間違えた方向へ釣られやすいどころかもう釣られてしまった後なんではないですかね。ネットなんて使うものなんで、それが上の方にくるものであろうがなんであろうがサーチエンジンの検索結果で出てくるものとかを当然と思い込む・思い込んでしまいうるコンテクストに浸されていると異常者だらけになります。キチガイさんがどうとかいう以前に、それはもう当該本人における身体の不細工さや異常さや痛みというかたちで出てくるはずなんですね。
ヒトの右脳と左脳は全く機能が違います。ヒトの脳において左右に全く同じものがひとつづつ揃っているというわけではないです。発生される頭の痛みなんかは身体の左右のバランス的に参考にはなりますけど、医師の外科手術とかは別だとしてヒトがヒトに手を加えるにおいては左へイったから右へ引っ張ればいい右へキたから左へ押せばいい(右へイったから左へ引っ張ればいい)、という単純なものではないです。だからあの唯脳論というのは(ですら)間違ってます。
頭の良さとかではなくて、また遺伝的になにがどうであるこうであるというよりは、女にモテるか否かが生まれながらにして決まっていることっぽいです。前にもHellquinという記事で書いたんですけど、女はそれがどういった男であってもその男について見定める鑑識眼みたいなものを持ってます。やはりオスから種をとって子供を産むということただその一点においてメスはメスであって、別にメスにとってオスにモテるかどうかというのは大した問題ではないんですね。女が常に美しくありたいというのは男にモテるかどうかの問題とは女において直接直結してません、あれは女にまつわる審美的感覚にまつわるものであって「美しければ世界に美しい善い影響を及ぼせる」、という。で、オスにとってはメスにモテるかどうかというのはかなり重要な問題です、が、というか、だからこそ、いくら頑張って能力を高めたり知識を得たりしてもモテない男というのは女にはモテません。昔は女にモテたくて頑張った男が「なんでだよぉ~(なんでオレじゃダメなんだよぉ~」と言って女にすがりつく偶像というのがありましたけど、まああんなもんです。女というのは性欲云々第一義で男を見るのではなくて、「この男の子供なら産んでもいいや、」ということで男を選ぶんではないですかね。女は男女関係で少なくとも自分にまつわることについては性欲ではなくてメスとしての立場を見てるんですね。
……ちなみにこれを客観的に情報として言語を使って記述している時点で私SSもまた女にモテる男ではないです。通時的です。範疇くらいには入ってるかもしれませんけど、こういう人間はいい女にはあまりモテません。女というのはそこまで見てるんです。
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