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Xanadu
 東方の楽園。非人間的なのが実情であるとするのは間違っているのであって、物事の理に適っている街、また物事の理をわきまえた人々がただ生活する場所。




 学問というのは一つのモデルでありシステマティックなものです。機械というのもそれと同じであって、一つの完成されたシステムです。仮に「機械が神だなんて僕は信じない」というセリフを吐いた人間が居たとして、そのセリフも人間もナンセンスの極みでしかないです。機械も人体も一つのシステムです。つまりはこの発言をした人間は「機械が神ではないことを信じている」というわけです。そもそも現行の人類の技術でコンピュータにとある一瞬に起こる全ての事象を(計算させて)認知させて何らかの形で記録することは不可能であり、そもそもこのテーマ自体が「何言ってんの?」というお話です。

 IT関連のサービスの大部分はセキュリティソフトウェアその他のものを除いてほとんどが粗悪な財・サービスの代名詞です。一目瞭然過ぎるんでいまさら言うべくも無いことなんですけど、犯罪者に都合のいい社会を作るのにそういったサービスを提供する企業は一役も二役も買ってます。そういった類の人間に収益を上げられることがGDPでは計れない大きな国家的損益となっています。経済学はあまりに人間個々人の性向を無視し過ぎているが故に過ちに陥り明確な答えを出せずにいます。ミクロ経済学なんかを参考にするのであれば、まだ心理学をマクロ経済的考察の余韻とした方がマシです。最近心理経済学(?)だか行動経済学だかの分野もあるみたいですけど、そもそも経済学というのは人間の行動を分析するものなので心理経済学は陳腐に過ぎるとして行動経済学というネーミングが形容的にダブっているものであって実に間違えてます。ちなみに「幸福度」がどうこうとかいった指標は何の問題解決にもならないお戯れです。こういったところに自分たちが馬鹿なことを行っているということに対する自覚が無いマスメディアの人間たちの認識がよく表れています。

 マスコミは就職活動を必死に取りざたしてアピールしてますけど、就職なんて大学の事務の就職課へ行って後は企業見学でも企業説明会にでも行って情報を集めればいいんで、ああいったマスコミが提示する「就職活動の一般的イメージ」に踊らされると非常にマズいことになります。そもそもまともに就職なんかしてもらっては困るような不真面目な若者たちがウジャウジャそこらじゅうに居るわけです。無い方が良い職業というのも現在の日本の社会には多々あります。新聞を始めとしたマスコミ業がその筆頭であり、そもそも明治期には新聞社は穢多の賤業とされてました。そういったものが社会に禍を巻き起こすだけであると賢い昔の人々はしっかりと知っていたということであり、人がすぐ死んでしまうような時代にはマクロ経済的認識を必然のものとして人間は知っていたということです。
 だから歴史上ユダヤ人は嫌われてイジめられるどころか殺されるようなことにまでなるということです。こういったことには多々しっかりした理由があるんですね。頭悪過ぎる珍走族も芸能人もどれだけ社会に禍を巻き起こせば気が済むのかということです。最近やっとああいった連中を誰も相手にしなくなりました。少なくともこの10年前後にマスコミが言っていたことは反面教師として総ざらいされうる価値があります。

 

 自分が他人に危害を加えられることは全力で否定するくせに自分は他人に危害を加えても許されると思っている分際の、一昔前のネットで言うところのいわゆるDQNですね、こういったのは共産主義者に多いです。有名なところではドラえもんのマンガのジャイアンというのは露骨な共産主義のメタファーです。共産主義というのは枠を囲って無政府主義やろうよの人間の集いあって、その実態内部では暴力の跋扈する単なるサル山です。要するに暴力的人間が自分の暴力が肯定されうる唯一の場所として自分をお山の大将にしてくれるものを求めて虚構を作り上げたのが共産主義です。そして外部に対してはひたすら被害者を装って右翼が左翼をイジめるから助けてーというキャンペーンを行い、(偽)善人を装いその構図をひたすら子供に植え付けるということが私が子供の頃は行われてました。あのジャイアンというのは見れば分かる通り強姦魔の象徴です。アレは小学生の子供時代としてアニメで描かれているのでまだイジメという形で済んでますけど、ジャイアンは中学生になって性に目覚め始めるや否や間違いなくしずかちゃんを襲います。ちなみにその時出来杉君ならば守れますけどのび太では守れません。本当にあのドラえもんというマンガ・アニメは有害なものの代名詞でした。

 低教育な人間にはあらゆる意味での強姦魔が溢れてます。低い教育レベルこそがどう考えても社会の敵です。最後の連中の逃げ口はマザーコンプレックスそのものたる人間関係という虚構であり、「無根拠にターゲットが『他人を求めている』ことにする」というのが穢多のやり方であり自分らの暴力を肯定させる為の幼稚な理由付けなわけです。

 マスコミが必死に「家族」「愛」「つながり」をアピるのは、そういった形で社会的な死荷重を増やすと賤業たるマスコミは儲かると同時に穢多たる自分たちの正当性を証明できる(気分になる)からだということです。

 母親的に口うるさいのと嫌がらせで口うるさく言ってくるというのとは全く違います。そういったゴミ共の低劣悪さ具合というものは下劣な表現を用いると、「ちょっとぐらいいいじゃねえかよぉ~」といったところです。自分の男性器を受け入れてくれて甘えさせてくれるお母ちゃんを求めてさまよう旅人がユダヤそのものであり共産主義者です。自身もマザーコンプレックスに漬されたマザーズ、強姦魔の群れがイコール「ユダヤ」というものです。こういった連中はは他者への甘えを存在の基調としており、非常に低劣悪で下俗です。子供の頃何でも言うことを聞いてくれる母親に甘やかされて育つとこういった欠陥人間が出来上がります。戦後になって穢多がのさばりだしていわゆる左翼がこういった教育を行ってこの国は滅茶苦茶になりました。最近少し良くなりました。



 食品で言うと清涼飲料水あたりが粗悪な財の代表格です。デザートに少しくらいいいかなとは思ったりもしますけど、やはり甘いものは体にも脳にも悪いです。
 野菜は本当に社会的価値の高い食物なんで、食べ過ぎるくらいにどんどん食べた方が良いです。キャベツとか本当に値段を倍にしてもいくらでも売れるんではないかというくらいに優れた食べ物です。本当に清涼飲料水なんかマイナスの価格が付いてもおかしくないくらいのもんですけど、野菜は値段が二、三倍になってもいくらでも売れるんでどんどん農家の人に作ってもらいたいくらいの良質な財です。
 財の質を価格のみで計っている時点でミクロ経済学の間違えっぷりは誰の目にも明らかです。



 弱者共感というのは最も弱者を苦しめる有益な手段です。というかそのことを理解せずに自らの行為に無自覚なままやたら弱者に共感して偽善心にひたって、つまり弱者を蹴落としつつ満足に浸っているという悪質な穢多があまりに多過ぎます。例えば「クマさん」がどうとかとか、熊という動物を擬人化して利用して子供を釣って騙しているだけです。そのような言動・行動に及ぶ者たち自体、自分たちが子供たちに対する釣りを行っているのだということに気付いていません。熊という種類の動物を冒涜して侮辱してます。そもそも去年の冬あたりだったと思いますけど熊が餌のドングリその他が足りなくて山から人里に下りて来ても、「わーくまさんかわいそう」程度で終わらすどころか罠を仕掛けたりあろうことか猟友会が銃で撃ち殺す始末です。ヘリでドングリを空から撒く人たちも居ましたけど、環境省の職員の人たちが指摘する通りそんなことを行ったところで樹木の堆肥になるだけであって無駄です。新聞記事もまた左の方へめくっていくに従って大嘘垂れ流しの有害な弱者共感が多々現れてきます。
 人間の孤独を歌う歌とかいったものも分かりやすいほどの弱者共感を装った弱者踏み躙りです。特にこのマザーコンプレックスの強い女性的人間が多数を占める(占めていた)日本という国では、一人で居て、ええじゃないか運動に参加しない者は何故かただそれだけで攻撃されます。これはイナカ的社会を覗けば覗くほどこの傾向が強くなります。で、そういった一人で居る人間にとってはわけのわからんええじゃないか的な他者から攻撃されることが当面の最大の問題なわけです、が、何故かここでええじゃないか運動の馬鹿共はその人間が一人であることが問題であり悲しいと言って陳腐に「孤独だー」と歌に歌ったりするわけです。そしてこれは穢多に典型的なそれをそれと自覚しないどころか偽善心に基づいている凄まじいほどの弱者踏み躙りです。一般市民にとっては、孤独であることが問題である時には進んで他者とかかわろうと試みていくのであって、そうではなくてわけのわからん連中にわけもわからず攻撃されることが問題なわけです。どこのスラム国家だという話です。そこを巧妙に問題を逆転させて自分達の加害行為を正当化しようとする穢多による稚拙で幼稚な内容の試みがこういった弱者共感の自慰行為だというわけです。これは俗悪なゲームやマンガにもよく表れています。つまり一種共産主義的な遅れた社会においては陳腐にも弱者と強者が逆転しているということです。だから当然の如く社会を上手く運営することは出来ません。原爆落とされて戦争にも負けた上に、全共闘がどうだとかブサイクなことをやった挙句に、この10年振り返っても巨大掲示板や動画サイト等を見れば分かる通りまたネットで同じようなバカなことをやりました。

 釣りということで言えば、私はここ何年か近所のスーパーでよく見るんですけど、わざと一般の客の前で「『こんなまずいことがありました』的なことを店員に告げている場面を見せつける」という稚拙なやり方で不安を煽るというものがあります。もちろんそういった人間の見た目はいかにも穢多っぽくブサイクな子供っぽいもので特徴的に見せつけてきます。もう今の時代、監視のシステム等はばっちりしたものでしかも万人がそれを理解していますし、あまりにそういった人間のアレが小学生レベルでわざとらし過ぎるので一発で分かるということであり、そんなくだらないことを行う人間は不安を故意に煽られない限り発生しないということです。しかも実のところその見せつけ会話の内容が万引きではなくて同じような連中が行っている「中て」についてだったりしたら笑えます。
 ちなみにそれが小学生レベルであるものということで言うと、古物回収だとか廃品回収業も小学生レベルの嫌がらせです。というのは、誰もあんな廃品回収の軽トラックなんかに自分のゴミを渡さないということです。当然廃品回収業者側もそんなことは周知のこととして理解しています。その証拠に強い雨の日でも何故か裸のトラックで騒音スピーカーを垂れ流しながら回ってきます。もう回されちゃってんですね。つまり、連中は廃品回収によってダイレクトに収益をあげているというわけでは決してなく、騒音を垂れ流す業務を何者かから負っていると考えるのが自然だということになってきます。「おーきなものやぁーおもたいものなどぉーなんでもかいしゅういたしまあす」「わからないことがありましたらぁーおきがるにぃーごそうだんくださぁーい」というこのひらがなしか読めないような低知能のゴミ騒音からまさに象徴的に日本社会における死荷重が始まっていると言っても過言ではないです。
 ビジュアル系とかでも陳腐にそれが表れてるんで分かりやすいですけど、不安を煽るというやり方が穢多のやり口なんですね。私は最近某アニメーション監督が「憎しみでもいいから人を思ってくれよぉー」とホザいている夢を見たんですけど、夢を見ながらその陳腐さに眠りながら笑いが止まらずに呼吸困難に陥りそうになりました。ちなみに他人を思う憎しみが止まらないのは精神分裂病(統合失調症)の主症状である被害妄想です。

 以前のストーカーは、それがストーカーであるとは分からないように微妙にストーカーを行っていたんですけど、最近はとうとう露骨にそれであると分かる様なストーカーを行ってくるようになって節操が無くなり始めました。

 前から居ましたけど露骨にバイクや自動車を使うのが居ます。雨曇りの天気の日の夕方にブサイクな日本人がサングラスをかけてオープンカーで爆音立てながら暴走していくんですね。高校の時にスボンずり下げたりチャラチャラした格好でチョロチョロしているのを「貴様みたいのが居るから日本がダメになるんだ!」とかやたらうるさく注意する先生居ましたけど、ああいう先生の気持ちも言っている事も今はよく理解できます。本当にあのバイクや自動車で騒音を立てて走る子豚共は社会的公害の代名詞なんで警察の人になんとかしてもらいたいとお願いしたいところです。
 新聞配達のカブとかも露骨に騒音が五月蝿いんですけど、アレは普通に運転してれば騒音なんか立てずに走行できるのにワザとローギアでエンジン回して騒音立てて走るんですね。後はブレーキの利きを悪くしてキーッという騒音が立ちやすい様に故意にやるんですね。しかも夜中の2時3時にブイブイ鳴らすんですね。こういった「誰の利益にもならない上に損益になるどころか自らにとっても利益とならない上に損益となる行動」を取る穢多が少なくとも現代のこの日本社会には存在する様です。
 他には当て屋というのが居ます。これは昔ありがちだったような安いマンガとかに出てきそうなベタな路線的な自動車を走行させている最中にというものではなくて、歩行中や施設内でぶつけてくるというものがあります。例えばダンボールの大きな荷物を持って体をひねらせたところを狙ってぶつけてくるのが居るんですね。私が個人的に経験した最悪のケースでは、気持ちの悪い陰惨な親子連れで、親が10歳くらいの子供をそのダンボールに頭をぶつける様に上手く中ててきたというのがあります。他には人が一人しか通れないようなスペースで故意にゆっくり歩くというものがあったりします。私が住んでいるのは首都圏ですけど、ここ何年かで急激に現れてきたので、田舎から頑張って出張ってきてるんじゃないの、ということです。私は田舎が好きですし、そういった土地柄には親切な人が多々いるのも知っているんですけど、いわゆる「田舎者」にはそういったベタな不良人間が多々いるのでどうしてもそこらへんの偏見を持ってしまいます。本当に共産主義的な気持ちの悪いアレ物による治安の悪化はここ近年凄まじいものでした。
 ああいった不良少年をはじめとする不良人間の行動原理というものを鑑みるに、彼らは見捨てられることに対する恐怖感からあの行動に駆り立てられているということです。社会に対する恐怖・不安・不信から彼らはあらゆる形での非行に走ります。ネットでは掲示板あたりを見ればそれが言語化されて載っているので非常に分かりやすいです。そして彼らは若い女がそうであるように共感してくれる仲間を増やそうとひたすら他者の不安を煽ります。若い女にアイドルタレントやロックミュージシャンの追っかけが多かったのは、そういった「不安を煽り煽られしかしそこに他人がいる仮初めの安心感」を安逸に求める単純な心理(真理)からです。



 マザコン馬鹿教育関連で言うと、「人のいいところに着目する」なんてものは絶対にダメです。特にそんなものを意識させようと無理強いしても、子供の目は正直なので大いに逆効果です。特に子供にはどんどん他人の欠点を自覚させてそれを教師打ち明けるかたちで指摘させていって、よっぽとまともな人間とだけ付き合うように仕向けるとおそらく効果的です。ちなみに人の悪いところに着目して当人に対してその欠点をいちいちダイレクトに指摘するなんてものは最悪の行いなので絶対にやらせたらダメです。例えば図書館等の公の機関で「お客様」という呼びかけを来館者に対して行う人間が居るんですけど、これは他者に対する悪点指摘と同じことをヤってしまってるパターンです。公共の図書館を利用する人間はその機関の客ではありません。こういったTPOをわきまえられない人間が日本人にはあまりに多すぎるということです。こういったところにもマザコン教育の悪影響が多々現れてます。



 人間集団のうち半分はサクラだと考えると物事が合理的に運んでいきます。つまりは人間のうち半分は他者を貶めることをその存在の第一義としているような穢多です。ちなみにこれを学校の勉強の偏差値と勘違いするとバカなことになります。近年の新聞なんか見れば分かりますけど、最初の3面くらいまでを除いてもう犯罪者やイナカの悪人御用達の内容です。おそらく今世紀に入ってからですけど、ああいうロクでもないのが必死に頑張りだして、ネットとかでもそうですけど、叩き合いながら(叩き合いに見えながら)コラボってるんですね。

 歴史を鑑みるに、比較というものはドイツの必然です。ドイツの文学作品を読むとなんとなーくですがそういったものが分かりやすかったりします。その分裂と後進性は、日本の現代の馬鹿社会にも当てはまります。近代におけるドイツの工業化とその下地の存在は、対照的に20世紀後半の戦後の日本のいわゆる「廃墟から立ち上がる」的な、マザーコンプレックスを一見して為し得る状況に酷似しています。が、当然のことながら前者はほぼ成功し後者は失敗しました。原因は簡単であり、前者は唯物的で現実に根ざしたものであり、後者はあやしげな宗教の教義の様に実体が無くあやふやな幻覚に過ぎないからです。皮肉にもさらにそのことが分かりやすいのは、同時代の日本では比べるまでもなく江戸(穢土)が崩壊しかかっていたという事実です。
 ちなみにマルサスは史上最大の単細胞です。「人間は性欲が湧き起こるや否や即女とヤる」と言っているのがマルサスです。凄まじくアンチクライストな上に馬鹿さを極めてます。よくこんなバカが歴史上に残ったものだと思います。男が相手だとかそういった特異な趣味を持つ人は除いて、10代や20代の若い男性でこれを読む人がいたら是非とも言っておきたいことがあるんですけど、セックスさえしなければ大丈夫です。レイプなんてのはもっての他ですけど、とにかく女と性交さえしなければ安全です。童貞で何の問題も無い、それどころか童貞だったらば大丈夫です。童貞差別なんてのはマスコミの穢多豚畜生共が作り出した釣りのための幻想です。学校の同級生だろうがそこらへんの女だろうが、女と拘るだけで脅しに使われます。これは用心し過ぎでもなんでもなくてタチの悪い連中というのはそういったもんなんで、しゃべって馴れ合うのも止めた方がいいです。私の場合は自分が女嫌いだというのもありますけど、酒の付き合いで店でとか以外で高校・大学と通して女としゃべったのは20分に満たないです。私は同性愛者ではないですけれど、これについてはけっこう誇りに思ってます。

 今の日本では選挙における地域間格差による一票の比重の格差というものがありますけど、時々新聞でそれの是正についての胡散臭さ丸出しの馬鹿宣伝が載ってますけどあんなもの無くしたら犯罪者にとって都合が良くなるだけです。本当にナメてます。資本主義というものはどう頑張っても結局犯罪に結びかざるを得ないということを必死に説明してんのかこのバカ共は、という話です。まさに愚かしい単細胞なミクロ経済的女性原理を地でイってます。

 ミクロ経済学に象徴される様に、イジメられっ子というのは大人になってから絶対に何らかの他者をイジめることに走ります。私はそういった子供滲みた大人を何人も見ました。
 そういった意味でも女性にはイジメ好きが多いです。女の笑顔ほど嘘に満ちているものは無いです。
 他人に自分の言うことを聞かせることに快感を感じそれを行動原理の第一義とする下等な人間つまり穢多が特に1945年以後の日本社会で民主主義の名の下にそれを利用して自由と無責任を(故意に)履き違えてのさばり始めたということです。

 私も精神科医による扱いを受けてからよく分かったんですけど、社会的に弱い人たちというのは本当になぶりものにされるんですね。特に封建主義的な田舎に居住しているような弱い人たちは本当に気が弱くて何も言えない、それほどの遅れたイナカがまだ日本にあるということを知りました。私も抗精神病薬(主に抗精神病薬リスパダール)による口封じをカマされてからそういったことをよく理解しました。そりゃこんなもん我関せずで見過ごしてたら洒落にならないどころか最悪だということなんで、特に警察の人たちや弁護士の人たちには絶対にそういった人たちをなんとか助けてもらえるようお願いしないと、本当にどうしようもないという国になっていきます。治安がどうなっているんだという話です。こういった流れでいくとこの国はスラムにされます。



 よく出来た文学作品というのは非常にシステマティックなものであり工学的です。だから自然科学と人文科学というのは実に近いところにあります。経済学は自然科学寄りの社会科学です。で、人文科学寄りの社会科学、つまり社会学あたりがアナです。地雷です。女流の社会学の本なんて読むとバカ丸出しなことが多々書いてあります。文学部社会学科なんて一番行ってはいけないところです。逆に文化人類学や経済史や地理学や考古学というのは人文科学であって結構いいところ押さえてます。限界生産力逓減により少なくともこの2011年時点でギリギリまで成長した先進国では、次に文化人類学的なものがモノを言い出します。ドイツ文学やフランス文学やその他の英文日文なんかもそういったシステマティックな観点から考え論じるのであれば大いに価値のあるものっぽいです。だから大塚英志さんの物語論あたりは非常に価値ある面白いものだと思います。
 太宰治の小説は文学でも何でもなくただの穢多日記です。偽善性を取り繕って表面的には良さげに見えるだけです。川端康成の「雪国」には駒子という名で日本人のブザマさが小気味よいくらいにありありと描かれています。「さよならだけが本当だ」というのは馬鹿者の言葉です。
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