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2025.04.16 Wednesday
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Virginie
2011.11.16 Wednesday
Nicht nach Licht.
やっぱり人間最も大事なのは生殖器ではなくて脳なんですね。子供の頃よく時代劇とか見たんですけど、たしか大岡越前のドラマに江戸の小石川の医師役で出演していた竹脇無我さんという俳優さんがいますけど、我を無くすとかいうのは古代中国の聖人でも多分無理なんで、やっぱりその意味でもデカルトという人は天才です。水木しげるさんの漫画で、戦時中に極限状態に追い詰められた兵隊が食欲をとるか性欲をとるかということをテーマに会話してるものがありましたけど、その場合間違い無く人間食欲を取ります。生殖能力がダメになっても生存能力は残る上に生存能力が皆無になったら生殖能力も共に消えるというのもありますし、そもそもどう考えたって思椎能力を失ったら生存のための行動を取ることが不可能になるからです。
昔は穢多・非人と呼ばれる人たちが居ました。この事実を著作の中で堂々と書いておられるのは私が知っているところでは哲学者の中島義道さんだけです。今はどうなっているか知らないですけど、私が子供の頃は教科書に載せることすらはばかられてました。
穢多と非人というのは全く違います。非人というのは人間扱いされていない人のことで、何百年も千年も昔に人身売買とかで奴隷だとかにされていた人たちのことです。で、この非人を非人たらしめていたのが穢多です。人外外道のことです。最も有名で分かりやすいのは山椒大夫です。あとは昔話に出てくる山姥とかです。
百年に満たないような昔でも、貧しい家庭では保身のために子供を犠牲にしてました。というのは、そんな時代に人身売買が行われてどうこうというのではなくて、エゴイスティックな保身のために多産を行っていたということです。ロクに教育を与えずに単純労働力として利用したり、自分の面倒を見させるため等、犬猫のように子を孕む孕ませるような人間が考えているのはそんなところです。現代でもテレビで時々やってますけど、貧しい子沢山の家庭とかあります。
「苦しみに寄り添う」だとか、「弱さに共感する」だとか、そりゃ寄り添って共感してもらったはいいが、何の問題の解決にもならずにそのまま自分も相手も苦しんでいるだけだったウゼえだけだからどっか行けよナメてんのか消えろという話です。で、先の記事でも書きましたけど、そういった弱者共感(を装っている)人間が終いにどういった態度を取るのかと言えば相手を嬲り殺しにするようなことをやるだけなんですね。要するにそういった連中は他者を自分の慰み者にする為に他者を慰めているだけです。現代におけるこれの権化がノーベル賞作家大江健三郎さんの文学であり精神医学です。
もう現代においては精神医学というのは医学界における被差別部落のようなものです。ちなみに精神科医の中には救世主的な人間も居ます。この救世主を閉鎖村落からなじりものにして追い出すようなことを書いているのが大江健三郎さんです。何が問題かというと、そのまま村落が何事も無く消えて無くなってくれればいいんですけど、しぶとく残り続けて(社会学的観点からしても)村落の外への負のspilloverを起こすんですね。で、私は違法薬物を使用したことはないのでいわゆるoverdoseがどういったものか分からないですけど、おそらく抗精神病薬というものは覚せい剤等のoverdoseでもたらされるものに似た状態に患者を至らしめるものではないかと長期の服薬に渡る経験から考えてます。抗精神病薬を飲んでいる期間中は、眠ることも起き上がって覚醒することも不可能になります。だからこそ服薬量をだんだんと減らしていって、薬を飲まない状態でも夜きちんと眠れるようになって朝きちんと起き上がって昼間は活動してまた夜眠るという生活パターンが取り戻されて、完治、ということです。おそらく覚せい剤とか全般的に麻薬というのは抗精神病薬とは逆に睡眠しながら同時に覚醒しているような状態を味わうことになる薬物なのではないかということです。だから気持ちよくなって異様にハイになって場合によってはCarl Gustav Jungにおける曼陀羅のような世界の真理とかを「そこ(da)」に観察してしまうとかそういったことになることになるのではないかということです。そして後で覚醒も睡眠も不可能という地獄のoverdoseです。統合失調症は全般的に脳が萎縮したりするケースが多いと言われてますけど、こういった様に考えればそれも納得のいくことです。つまり覚せい剤等の違法薬物を使用したり今はもう居ないと思いますけどバカな不良中学生みたいにシンナー吸ったりしていると後で最悪なことになるということです。学校の先生たちは文化祭がどうとかチンケで陳腐でレベルの低いたわけたことを生徒に押し付けている余裕があったら薬物の恐ろしさをしっかりと子供に教え込んで欲しいということです。
面倒見の良い人間というのは言っちゃ悪いですけど基本的にダメな人間が多いです。当人もダメな場合が多いですし、他人をダメにしてしまうケースが多いです。いわゆる下げマンです。上げマンというのは形容矛盾です。
私は中学生の時初見の女子に「死ねよバーカ」と言われたことがあるんですけど、その当時はなんだコイツくらいにしか思わなかったんですけど、今になって彼女にはものすごく感謝してます。というのは女の本音を言ってくれたのは彼女だけだからです。あの女という生き物の美辞麗句やそういった態度は全部ウソであって、本人達がそれを嘘だと自覚してない、そもそも自覚する能力が無いだけです。
強姦事件なんか多分10年くらい前にネットが普及しだしてから減ってると思うんですけど、レイプされた女性の断末魔たるや「きゃー」とかではなく「ちきしょう!ちきしょう!呪い殺してやる」という感じです、たぶん。やる側もやられる側も非常におっかないので絶対にそういったことはやったらダメです。むしろ逆に言えば女という生き物はそういった生き物だということです。あの変なビデオだとかアニメだとかいかがわしいゲームだとかのは、アレは男からみて理想的な娘が演じられたり描かれたりしているだけであって、現実の女というのはあんなに甘くはないのでナメてると陰茎切り落とされるくらいの勢いです。
京都なんて本当にグロテスクな街なんで、ロッテコアラのマーチみたいなチンドン屋たる知恵遅れのビジュアル系の子豚が生産されるわけであるとしか言い様が無いです。最近知ったんですけど、どうやら中には怖がってもらえると思ってやってる知恵遅れが居るみたいなんですね?ということです。そりゃもうビジュアル系で恐がってもらえると思い込んでいるカッペというか、オノボリの馬鹿としか表現しようがないです。基本的にナメているというよりは未成熟な幼児的人間としか言い様が無いです。そんなにギャーギャーチンチンドンドン自分のアタマの足りなさをアピールするんだったら、京都タワーぶっ潰して平成の京極殿でも立てりゃいいんですね。ちなみに藤原道長なんてのは悪辣の塊です。
結局我欲どころかもっとタチの悪いことに利己そのものを追い求めるということになってしまえば、実力主義的な(無秩序+無政府)主義の社会になってしまいます。自分だけが都合のいい場所で利己に基づいた社会の対象外ということにはなりません。
源氏物語なんてのはロリコン変態中年男の生娘もてあそび記でしかないです。あんな舐め腐ったいかがわしいものを学校の国語の教科書に載せるとかいうのは、一体教科書を作っている人間にどういった馬鹿が混じっているのかと疑念を抱かざるを得ません。
京都というのはあまりよろしくない意味合いで日本の象徴です。日本の象徴は天皇陛下が一人東京の皇居にいらっしゃれば万事可です。
中国の人たちはあれはああいった文化なんですね。象形文字の漢字というのはそれの具現体であり権化です。日本人だって漢字を使ってます。漢字が無くて平仮名や片仮名だらけだったら現代日本語何言ってるのか分かりません。だから中国の人たちは人間の感情だとか思椎だとかいったものにたぶん非常に敏感だということです。憎しみも喜びも感じやすいんですね。李白や杜甫の詩を読めばすぐに分かります。どちらも非常に感慨深いです。ドイツの詩みたいに日本人に感覚的に分かりにくいとかそういうことはあまりないです。つまり中国の人たちはコミュニケーション能力が高すぎるということです。私は中国の人とは過去一人しかしゃべったことがないですけど、たぶん空気を読むのとか上手いです。たぶん英語とかも日本人より中国人の方がよく出来ます。ドイツ語は中国の人たちは全く苦手みたいです。韓国の人たちはどうなんだかよく知りません。
特徴的な外形を持つ人間を別のやり方で二度出してくるというストーカーのやり方がある、というか私は最近このやり方でストーカーをやられまくってるんですけど、これはその直前に起こった特定の事象にマイナスの意味を付加してそれを絶対の価値意識+その事実である(sein)という風に認知させるための洗脳行為なんですね。これを何十万何百万回とやり続けるわけです。これはユダヤと言うよりは「馬鹿な」人間達の大得意なやり方です、これは後で説明します。
昔ドラゴンクエストのダイの大冒険というクソがつく程ブサイクな有害マンガがあったんですけど、こういうもので昔はどんどん子供を洗脳してたんですね。ドラゴンボールとか冨樫義博のマンガとかはまあ色んな意味で笑えるというかおもろいんでストレス解消になるというかまだその存在意義的に救い様があるんですけど、本当に有害なマンガが昔は子供たちの間で跋扈してたんですね。最悪な場合それを読まないと会話についていけないとか。本当にあの公立小中学校の「みんな一緒」という共同幻想的マザコン馬鹿マンガ教育とこういう社会的に有害なモノがコラボってたんで、昔に比べればその意味ではやはり今は良い社会になってるとは思います。
10年くらい前にしきりに言われてたネットが不道徳でどうこうというのは、ネットにそれが昇華されて表れた(現れた)というだけの話です。俗文化的に言えば、穢土時代は1945年に始まって12年前にネット上における某巨大掲示板群と某ビジュアル系豚ロックバンドのボーカルという最高純度の穢れた形をとって露骨に現れ、極端に言えばやっと近日あたりマシになってきたということです。
ストーカーの連中のやり口なんですけど、ただ静かに生活したいだけの人間に、攻撃する為の口実を作るために、「『その人間が不必要・無意味に他人を求めている』ことにする」、「『その人間が不必要・無意味に他人を求めている』ことを絶対普遍の前提としてその他人に接触する」ということからヒビを入れていくというやり方をします。これはレイプです。だからマザーコンプレックスの女性的人間、特にマザコンの男性というのはレイプ大好きです。光源氏じゃないですけどロリコン変態中年男とか分かりやすいです。あとは、もう今はこういったイタいことをやる若者もほとんど居ないと思いますけど、ナンパとか大好きです。こういったことは昔潰れて無くなった週刊誌フライデー的なものであり非常に左翼的です。最悪にタチが悪いです。これは先の記事で説明したファシズミックな善意に基づく(一見)不良少年達の一発カマしたろか的なものとは対極のものです。
そもそもストーカーという攻撃の仕方がユダヤ人のやり方であり、ヒットラーはこれにハマったということです。連中は共同幻想に基づいた封神演技を行うわけです。自分ら人間の集合体が神だと思っている連中だからです。非常にミクロ的です。ネットの掲示板が最も分かりやすいです。ヒットラーは馬鹿で愚かだったことも間違いではないですけど、その1930年代当時のドイツの英雄もしくは救世主であったことも間違いではないです。
キリスト教は男性的な宗教です。男性が最初の人間だというのは、実に汎神論的発想というか汎世界的です。アラブ圏の人たちというかイスラム教もそうです。前者は理知的で穏健に過ぎるので一見女性的に見えるだけであり、後者は自然に従じ過ぎるが故に若干粗暴的だという先入観が我々日本人の中にあるだけです。ユダヤ教というのが女の宗教であって、まさに「女が女を縛り付ける為の宗教」であり、破滅的に自己破壊的です。逆にキリスト教というのは「救いを求める女に崇拝される男の宗教」だということです。どちらも現象的には女性が主体を為していますが根本的には真逆だということです。ユダヤの人たちは破壊衝動が自己に向いているということです。現代のイスラエルの人たちがどういった生活環境を作っているのか私は知らないのであまり突っ込んだことは言えないんですけど、実際真性のユダヤ教徒の人たちは律法でガチガチに縛り付けられてというか自己を縛りつけてるんですね。だからユダヤ教というのは根本的に性悪説の宗教であり、プロテスタンティズムともおおいに連関してます。ウェーバーの発想はおそらく的を得てます。大塚英志さんの著作で「捨て子の民俗学」というものがありますけど、読んだことがないんで正確なことは分からないですけど、基本的に女というのはそういうものだということです。
で、何でもかんでもユダヤ教徒のせいにするというのがヨーロッパの歴史を鑑みると慣例の様になってるんですけど、昔はそうではなくてもう人外というか外道というかゴブリンとかトロールみたいな原始人みたいのがのさばってました。おそらく敬虔なユダヤ教徒というのはそういった子豚みたいなどうしようもないのとは本質は同じだが現象的には真逆だということです。ちなみにこれは日本も同じであって、分かりやすいのは応仁の乱とかの時期の治安の乱れ方をみればよく分かります。天智天皇の頃の争いにまつわる社会体制の乱れみたいなものに関する記録というのはおそらく残ってません。
原始人がどうとかの見た目関連で言うと、髪の毛がハゲるというのはこれは病気のサインです。それは育毛剤でカバーすればいいとかそういった問題ではなくて、肉体の調子が悪くなっているシグナルだと考えて健康に気を使って生活習慣を改めるべく受け取るものだということです。だからストレスなんか溜め込んだらダメです。他人に危害を加えない限りでどんどん解消していかないとマズいです。その意味ではゲームとか結構いいと思うんですけど、ストレスの溜まるゲームは絶対止めた方がいいです。RPGとかもレベル上げまくって俺ツエーするのが一見して快感にも思えますけど、アレはやっぱり全般的にストレス溜まるんであんまりよろしくないです。タバコとかもあんまり妙にストレス溜め込むんだったら吸わないよりはいいかもしれないです。こういうリスク(の管理についてのこと)を具体的にそれらの事々にまつわる価格額で算出してくれるミクロ経済学者とかいるといいとか勝手に思ってるんですけど、無理ですかね?つい今日か昨日かBBCのニュースで医師連がたしか自動車を運転中の喫煙を禁止するよう要請とかそんな記事が出てましたけど、あれはさすがに医者の先生達がおっしゃることだけあって理に適ってます。
女性は女性ホルモンの影響で髪は禿げにくくなってますけど、多分それはハゲるという現象では肉体的な不調が表れにくくなっているというだけであって、禿げないからOKとかそういった単純なことではなさげです。逆に女性で髪の毛が禿げている人というのは身体的に絶不調にあるということじゃないですかね。女性ホルモンが若返りホルモンでいいとかどうとか昔テレビとかで言ってましたけど、病気を病気と感じさせなくするだけであればあまりいいものではなさげです。納豆とか豆腐とか大豆加工食品に含まれるイソフラボンが体内で女性ホルモンと同じ働きをするとかも言われてましたけど、「腐った」もん食ってられるかという話です。逆に男性ホルモンは老化ホルモンとか言われてましたけど、顔その他がオッサン臭くたって病識が無い状態よりはるかにマシです。
名古屋という街がありますけど、あそこは日本で人口の多さが三番目の政令指定都市ですけど、田舎です。ものすごく田舎です。というのは、地理的というか場所的にはけっこういい所なんですけど、人間的に田舎者気質な人間が非常に多いんですね。だから異端排斥とかイジメとか多いですし、調べたことないんで正確なことは分かりませんけど、下手をすると強姦犯罪とか多いんじゃないですかね。名古屋城の頂に居座っている金の鯱とかもう他人を食ってるナメた人間の象徴みたいなもんです。織田信長は幼少時は尾張のうつけとか呼ばれてましたけど、多分あの信長公も幼少時はイジめられてたんじゃないですかね。大学も国立名古屋大学がありますけど、あんまりいい大学かどうかちょっと微妙な感じです。
関係無いですけど、大学受験では偏差値のみをアテにしているとあまりよろしくないですけど、中学受験や高校受験では逆に偏差値のみをアテにした方がいいくらいです。偏差値50を切る高校へ進学しようとしている子供たち、つまり知力や学力で言うところの人口の下半分の子供たちは、そもそもまともな大学進学など考えていないのでむしろ偏差値よりもその学校が如何なるところかを考えて進学先を決めた方がいいですけど、ある程度以上に勉強のできる子供たちはちゃんとまともな大学へ行くことを前提に高校へ進学するんで、中高受験で偏差値というのは最も大事なものと考えた方がいいです。
大学は自分のために勉強するところなんで、偏差値で進学先を決めるのは止めた方がいいです。私は高校を学校で決めて大学を偏差値で選んだので思いっきりブサイクなことになりました。高等学校は校風は合ってましたが周りの人間的に下等なのが多くてあまり恵まれずかなりの損益を被り、大学はある程度の選好を混じえながらも模擬試験の偏差値とかで選んじゃったんですね。しかしまあ大学はいろいろな面で自己責任気風ということでそれなりに合ってました(だから別に一人で授業出て勉強してたって特に問題なしということです)。
中学生の人でもこの記事を見る人がいるかもしれないんで言っておきたいんですけど、あまり小学校や中学の同級生程度の友達とは過度に仲良くならない方が良いです。高校もちょっと疑問符が湧くくらいです。というのはやはり学力が合わない人間というのは話も合わない上に、少なくとも現行の日本人の人間関係の構築の仕方だとほとんどのケースで低レベルな人間の方が高レベルの人間の方を引きずり下ろすという形が出来上がります。だから休み時間のギャグネタで一緒に笑う程度の付き合いにして、あまり過度に馬鹿や頭の悪い人間とは関わらない方がいいです。
大学はちゃんと友人をたくさん作った方がいいです。私は大学の時に学外の酒飲みの相手と関わるだけで学内に友人を一人も作らなかったのでかなり不必要な苦労をしました。
頭は良いが馬鹿な人間はネットを見れば分かる通り多数居るということを前の記事で書いたんですけど、頭は悪いが馬鹿ではない人間というのも居るんですね。こういった人間というのは、もう今あんまり居なそうですけど、昔のヤンキー少年少女とかにチラホラ居たりします。
「賢い」「愚か・馬鹿」また「頭が良い」「頭が悪い」というのはx軸とy軸によって表されるxy平面を想像してみれば分かりやすいです。「賢い」のがx軸の正の方向であり「愚か・馬鹿」はその逆、「頭が良い」のはy軸の正の方向であり「頭が悪い」のはその逆、ということです。前者は未知数xな事柄についての対し方、後者は演算能力の高さとでも考えればさらに分かりやすいです。賢い人間は知的好奇心が高かったり未知のものに対してぞんざいさが無かったり、頭が良い人間は問題解決において素晴らしく応用が利いたりといったところです。
このxy平面上の何処かの点に自分でも架空の一個人でも想定してみればいいんですね。IQが高い人なんかは第一象限とか第二象限とかに多いんではないですかね。馬鹿な人は第二象限とか第三象限とかに多いとか。指示されたことは大抵できるが想定外のことに対応できない人は第四象限あたりとか。ユダヤ人は第二象限で、欧米人一般は第一と第四に多いとか。原点(0,0)からのベクトルで考えても分かりやすいです。また逆に(0,0)からのベクトルでも分かりやすいです。こういったことは絵画の鑑賞や漢字の象形を解析することなんかにも生かせると思うんですけど、絵画論みたいなものというのはないんですかね?
やっぱり人間嫌なことがあると目的意識とかを失いやすいです。特に対人関係でウザいことがあったりすると知的好奇心や勤勉さを失ったりします。それのストレス解消にゲームとかやってるとまたどんどんそれがストレスの源になるどころか、アルコールとかでもそうですけどそれに対する依存心が生まれて、そこで逃避する心理が生まれて最悪の場合分別が無くなってストレス解消の為の具体的対応策からすらも逃げるようになってどんどんドツボに嵌って悲惨なことになっていきます。だからやっぱりいわゆる「心のよりどころ」でもアルコールでも嫁さんでも、それに対する依存心を喚起せしめるようなものに最初から心を傾けると非常にマズいです。
日本語における「民主主義」というものは残念なことに結局ユダヤ教のベールに過ぎないんですね。「資本主義」というのはそもそも元来的にそうです。どんどん才覚ある人間を自称democracyの「民主主義」が食い潰していったということです。これはどこの国ににも見られることではなく、この文化人類学的というか民俗学的というか女性的な黄色人種の国家である日本という国において特に見られることです。アメリカは真に民主主義を為すための土壌・地盤がしっかりしていたということです。というよりは精神的なものだけではなく気候・風土的にもそういった土壌や地盤の基に出来上がったのがアメリカという国であり、democratsの国だということです。
そしてこれを戦後アメリカに押し付けられたとか言うのは大間違いです。それこそそんなものは他者依存の大たわけ者の馬鹿発想であって、日本人においてそれを為すことが難しいというだけの話であって、そういった馬鹿な発想をしている限りはまたアメリカの人たちに馬鹿にされてもう5、6発原爆落とされるとかリアルでそういう話になってきます。
田舎者気質な人間というのはアベラールが大好きでアウグスティヌスが大嫌いです。恋愛とか男の子女の子キャッキャウフフが大好き、いしいひさいちさんの漫画にすらその価値意識に根ざしたものが多々見られんですね。だから実に固有名詞が大好きであり、賢いか愚か・馬鹿かとは関係なく頭が悪い人間が多くて、工学的と言えば聞こえは良いが実態はそうではなく言っちゃ悪いが工業高校的に頭が悪くて閉鎖村落的です。やっぱり高校も大学も東京とそれ以外の地域ではレベルが違いすぎます。やっぱりなんだかんだ言って東京はレベルが非常に高いです。もちろん日本社会でも時代が進むとともにこのイナカ者的傾向は減ってきており、現代ではほとんど見られません。ちなみにPierre Abelardは手を出したエロイーズの身内の人間にキレられて去勢されてるんですね。
私は今30歳なんですけど、今より若い時は馬鹿でも頭が悪いよりはマシとかそれこそバカなことを思ってたんですけど、明らかにそれよりも頭が悪くても馬鹿ではない方がマシです。ネットの掲示板だとか動画サイトだとか見てれば分かる通り、馬鹿というのは頭が良かろうが悪かろうが最悪です。馬鹿ではない人というのはちゃんと時間を掛けて説明すれば理解する、少なくとも理解しようとはするのであまりそんなに問題であるということはないです。
ユダヤ人というのは過去への憧憬に生きている人たちであり、また恋に恋している人たちです。オタク少女が最も分かりやすく、ヒットラーもこの気が強いです。
少し前に名古屋大学の物理学の先生が光よりも早い速度で運動している粒子を発見したというのが話題になってましたけど、あれはデカルトみたいに神の存在証明じゃないですけど、実際のところどうなんですかね?もし存在したら間違いなく全てのものを吸収することになるんじゃないですかね?多分どっかしらにミスがあるというか測定を間違ってるんじゃないかと思うんですけど。チラッと新聞で見ただけなんでよく覚えてないんですけど、今年のノーベル賞の受賞者の説は宇宙の収縮がどうこうというものだったような気がするんですけど、その光よりも早い粒子が全宇宙自身であるというオチは無しで。
やっぱり人間最も大事なのは生殖器ではなくて脳なんですね。子供の頃よく時代劇とか見たんですけど、たしか大岡越前のドラマに江戸の小石川の医師役で出演していた竹脇無我さんという俳優さんがいますけど、我を無くすとかいうのは古代中国の聖人でも多分無理なんで、やっぱりその意味でもデカルトという人は天才です。水木しげるさんの漫画で、戦時中に極限状態に追い詰められた兵隊が食欲をとるか性欲をとるかということをテーマに会話してるものがありましたけど、その場合間違い無く人間食欲を取ります。生殖能力がダメになっても生存能力は残る上に生存能力が皆無になったら生殖能力も共に消えるというのもありますし、そもそもどう考えたって思椎能力を失ったら生存のための行動を取ることが不可能になるからです。
昔は穢多・非人と呼ばれる人たちが居ました。この事実を著作の中で堂々と書いておられるのは私が知っているところでは哲学者の中島義道さんだけです。今はどうなっているか知らないですけど、私が子供の頃は教科書に載せることすらはばかられてました。
穢多と非人というのは全く違います。非人というのは人間扱いされていない人のことで、何百年も千年も昔に人身売買とかで奴隷だとかにされていた人たちのことです。で、この非人を非人たらしめていたのが穢多です。人外外道のことです。最も有名で分かりやすいのは山椒大夫です。あとは昔話に出てくる山姥とかです。
百年に満たないような昔でも、貧しい家庭では保身のために子供を犠牲にしてました。というのは、そんな時代に人身売買が行われてどうこうというのではなくて、エゴイスティックな保身のために多産を行っていたということです。ロクに教育を与えずに単純労働力として利用したり、自分の面倒を見させるため等、犬猫のように子を孕む孕ませるような人間が考えているのはそんなところです。現代でもテレビで時々やってますけど、貧しい子沢山の家庭とかあります。
「苦しみに寄り添う」だとか、「弱さに共感する」だとか、そりゃ寄り添って共感してもらったはいいが、何の問題の解決にもならずにそのまま自分も相手も苦しんでいるだけだったウゼえだけだからどっか行けよナメてんのか消えろという話です。で、先の記事でも書きましたけど、そういった弱者共感(を装っている)人間が終いにどういった態度を取るのかと言えば相手を嬲り殺しにするようなことをやるだけなんですね。要するにそういった連中は他者を自分の慰み者にする為に他者を慰めているだけです。現代におけるこれの権化がノーベル賞作家大江健三郎さんの文学であり精神医学です。
もう現代においては精神医学というのは医学界における被差別部落のようなものです。ちなみに精神科医の中には救世主的な人間も居ます。この救世主を閉鎖村落からなじりものにして追い出すようなことを書いているのが大江健三郎さんです。何が問題かというと、そのまま村落が何事も無く消えて無くなってくれればいいんですけど、しぶとく残り続けて(社会学的観点からしても)村落の外への負のspilloverを起こすんですね。で、私は違法薬物を使用したことはないのでいわゆるoverdoseがどういったものか分からないですけど、おそらく抗精神病薬というものは覚せい剤等のoverdoseでもたらされるものに似た状態に患者を至らしめるものではないかと長期の服薬に渡る経験から考えてます。抗精神病薬を飲んでいる期間中は、眠ることも起き上がって覚醒することも不可能になります。だからこそ服薬量をだんだんと減らしていって、薬を飲まない状態でも夜きちんと眠れるようになって朝きちんと起き上がって昼間は活動してまた夜眠るという生活パターンが取り戻されて、完治、ということです。おそらく覚せい剤とか全般的に麻薬というのは抗精神病薬とは逆に睡眠しながら同時に覚醒しているような状態を味わうことになる薬物なのではないかということです。だから気持ちよくなって異様にハイになって場合によってはCarl Gustav Jungにおける曼陀羅のような世界の真理とかを「そこ(da)」に観察してしまうとかそういったことになることになるのではないかということです。そして後で覚醒も睡眠も不可能という地獄のoverdoseです。統合失調症は全般的に脳が萎縮したりするケースが多いと言われてますけど、こういった様に考えればそれも納得のいくことです。つまり覚せい剤等の違法薬物を使用したり今はもう居ないと思いますけどバカな不良中学生みたいにシンナー吸ったりしていると後で最悪なことになるということです。学校の先生たちは文化祭がどうとかチンケで陳腐でレベルの低いたわけたことを生徒に押し付けている余裕があったら薬物の恐ろしさをしっかりと子供に教え込んで欲しいということです。
面倒見の良い人間というのは言っちゃ悪いですけど基本的にダメな人間が多いです。当人もダメな場合が多いですし、他人をダメにしてしまうケースが多いです。いわゆる下げマンです。上げマンというのは形容矛盾です。
私は中学生の時初見の女子に「死ねよバーカ」と言われたことがあるんですけど、その当時はなんだコイツくらいにしか思わなかったんですけど、今になって彼女にはものすごく感謝してます。というのは女の本音を言ってくれたのは彼女だけだからです。あの女という生き物の美辞麗句やそういった態度は全部ウソであって、本人達がそれを嘘だと自覚してない、そもそも自覚する能力が無いだけです。
強姦事件なんか多分10年くらい前にネットが普及しだしてから減ってると思うんですけど、レイプされた女性の断末魔たるや「きゃー」とかではなく「ちきしょう!ちきしょう!呪い殺してやる」という感じです、たぶん。やる側もやられる側も非常におっかないので絶対にそういったことはやったらダメです。むしろ逆に言えば女という生き物はそういった生き物だということです。あの変なビデオだとかアニメだとかいかがわしいゲームだとかのは、アレは男からみて理想的な娘が演じられたり描かれたりしているだけであって、現実の女というのはあんなに甘くはないのでナメてると陰茎切り落とされるくらいの勢いです。
京都なんて本当にグロテスクな街なんで、ロッテコアラのマーチみたいなチンドン屋たる知恵遅れのビジュアル系の子豚が生産されるわけであるとしか言い様が無いです。最近知ったんですけど、どうやら中には怖がってもらえると思ってやってる知恵遅れが居るみたいなんですね?ということです。そりゃもうビジュアル系で恐がってもらえると思い込んでいるカッペというか、オノボリの馬鹿としか表現しようがないです。基本的にナメているというよりは未成熟な幼児的人間としか言い様が無いです。そんなにギャーギャーチンチンドンドン自分のアタマの足りなさをアピールするんだったら、京都タワーぶっ潰して平成の京極殿でも立てりゃいいんですね。ちなみに藤原道長なんてのは悪辣の塊です。
結局我欲どころかもっとタチの悪いことに利己そのものを追い求めるということになってしまえば、実力主義的な(無秩序+無政府)主義の社会になってしまいます。自分だけが都合のいい場所で利己に基づいた社会の対象外ということにはなりません。
源氏物語なんてのはロリコン変態中年男の生娘もてあそび記でしかないです。あんな舐め腐ったいかがわしいものを学校の国語の教科書に載せるとかいうのは、一体教科書を作っている人間にどういった馬鹿が混じっているのかと疑念を抱かざるを得ません。
京都というのはあまりよろしくない意味合いで日本の象徴です。日本の象徴は天皇陛下が一人東京の皇居にいらっしゃれば万事可です。
中国の人たちはあれはああいった文化なんですね。象形文字の漢字というのはそれの具現体であり権化です。日本人だって漢字を使ってます。漢字が無くて平仮名や片仮名だらけだったら現代日本語何言ってるのか分かりません。だから中国の人たちは人間の感情だとか思椎だとかいったものにたぶん非常に敏感だということです。憎しみも喜びも感じやすいんですね。李白や杜甫の詩を読めばすぐに分かります。どちらも非常に感慨深いです。ドイツの詩みたいに日本人に感覚的に分かりにくいとかそういうことはあまりないです。つまり中国の人たちはコミュニケーション能力が高すぎるということです。私は中国の人とは過去一人しかしゃべったことがないですけど、たぶん空気を読むのとか上手いです。たぶん英語とかも日本人より中国人の方がよく出来ます。ドイツ語は中国の人たちは全く苦手みたいです。韓国の人たちはどうなんだかよく知りません。
特徴的な外形を持つ人間を別のやり方で二度出してくるというストーカーのやり方がある、というか私は最近このやり方でストーカーをやられまくってるんですけど、これはその直前に起こった特定の事象にマイナスの意味を付加してそれを絶対の価値意識+その事実である(sein)という風に認知させるための洗脳行為なんですね。これを何十万何百万回とやり続けるわけです。これはユダヤと言うよりは「馬鹿な」人間達の大得意なやり方です、これは後で説明します。
昔ドラゴンクエストのダイの大冒険というクソがつく程ブサイクな有害マンガがあったんですけど、こういうもので昔はどんどん子供を洗脳してたんですね。ドラゴンボールとか冨樫義博のマンガとかはまあ色んな意味で笑えるというかおもろいんでストレス解消になるというかまだその存在意義的に救い様があるんですけど、本当に有害なマンガが昔は子供たちの間で跋扈してたんですね。最悪な場合それを読まないと会話についていけないとか。本当にあの公立小中学校の「みんな一緒」という共同幻想的マザコン馬鹿マンガ教育とこういう社会的に有害なモノがコラボってたんで、昔に比べればその意味ではやはり今は良い社会になってるとは思います。
10年くらい前にしきりに言われてたネットが不道徳でどうこうというのは、ネットにそれが昇華されて表れた(現れた)というだけの話です。俗文化的に言えば、穢土時代は1945年に始まって12年前にネット上における某巨大掲示板群と某ビジュアル系豚ロックバンドのボーカルという最高純度の穢れた形をとって露骨に現れ、極端に言えばやっと近日あたりマシになってきたということです。
ストーカーの連中のやり口なんですけど、ただ静かに生活したいだけの人間に、攻撃する為の口実を作るために、「『その人間が不必要・無意味に他人を求めている』ことにする」、「『その人間が不必要・無意味に他人を求めている』ことを絶対普遍の前提としてその他人に接触する」ということからヒビを入れていくというやり方をします。これはレイプです。だからマザーコンプレックスの女性的人間、特にマザコンの男性というのはレイプ大好きです。光源氏じゃないですけどロリコン変態中年男とか分かりやすいです。あとは、もう今はこういったイタいことをやる若者もほとんど居ないと思いますけど、ナンパとか大好きです。こういったことは昔潰れて無くなった週刊誌フライデー的なものであり非常に左翼的です。最悪にタチが悪いです。これは先の記事で説明したファシズミックな善意に基づく(一見)不良少年達の一発カマしたろか的なものとは対極のものです。
そもそもストーカーという攻撃の仕方がユダヤ人のやり方であり、ヒットラーはこれにハマったということです。連中は共同幻想に基づいた封神演技を行うわけです。自分ら人間の集合体が神だと思っている連中だからです。非常にミクロ的です。ネットの掲示板が最も分かりやすいです。ヒットラーは馬鹿で愚かだったことも間違いではないですけど、その1930年代当時のドイツの英雄もしくは救世主であったことも間違いではないです。
キリスト教は男性的な宗教です。男性が最初の人間だというのは、実に汎神論的発想というか汎世界的です。アラブ圏の人たちというかイスラム教もそうです。前者は理知的で穏健に過ぎるので一見女性的に見えるだけであり、後者は自然に従じ過ぎるが故に若干粗暴的だという先入観が我々日本人の中にあるだけです。ユダヤ教というのが女の宗教であって、まさに「女が女を縛り付ける為の宗教」であり、破滅的に自己破壊的です。逆にキリスト教というのは「救いを求める女に崇拝される男の宗教」だということです。どちらも現象的には女性が主体を為していますが根本的には真逆だということです。ユダヤの人たちは破壊衝動が自己に向いているということです。現代のイスラエルの人たちがどういった生活環境を作っているのか私は知らないのであまり突っ込んだことは言えないんですけど、実際真性のユダヤ教徒の人たちは律法でガチガチに縛り付けられてというか自己を縛りつけてるんですね。だからユダヤ教というのは根本的に性悪説の宗教であり、プロテスタンティズムともおおいに連関してます。ウェーバーの発想はおそらく的を得てます。大塚英志さんの著作で「捨て子の民俗学」というものがありますけど、読んだことがないんで正確なことは分からないですけど、基本的に女というのはそういうものだということです。
で、何でもかんでもユダヤ教徒のせいにするというのがヨーロッパの歴史を鑑みると慣例の様になってるんですけど、昔はそうではなくてもう人外というか外道というかゴブリンとかトロールみたいな原始人みたいのがのさばってました。おそらく敬虔なユダヤ教徒というのはそういった子豚みたいなどうしようもないのとは本質は同じだが現象的には真逆だということです。ちなみにこれは日本も同じであって、分かりやすいのは応仁の乱とかの時期の治安の乱れ方をみればよく分かります。天智天皇の頃の争いにまつわる社会体制の乱れみたいなものに関する記録というのはおそらく残ってません。
原始人がどうとかの見た目関連で言うと、髪の毛がハゲるというのはこれは病気のサインです。それは育毛剤でカバーすればいいとかそういった問題ではなくて、肉体の調子が悪くなっているシグナルだと考えて健康に気を使って生活習慣を改めるべく受け取るものだということです。だからストレスなんか溜め込んだらダメです。他人に危害を加えない限りでどんどん解消していかないとマズいです。その意味ではゲームとか結構いいと思うんですけど、ストレスの溜まるゲームは絶対止めた方がいいです。RPGとかもレベル上げまくって俺ツエーするのが一見して快感にも思えますけど、アレはやっぱり全般的にストレス溜まるんであんまりよろしくないです。タバコとかもあんまり妙にストレス溜め込むんだったら吸わないよりはいいかもしれないです。こういうリスク(の管理についてのこと)を具体的にそれらの事々にまつわる価格額で算出してくれるミクロ経済学者とかいるといいとか勝手に思ってるんですけど、無理ですかね?つい今日か昨日かBBCのニュースで医師連がたしか自動車を運転中の喫煙を禁止するよう要請とかそんな記事が出てましたけど、あれはさすがに医者の先生達がおっしゃることだけあって理に適ってます。
女性は女性ホルモンの影響で髪は禿げにくくなってますけど、多分それはハゲるという現象では肉体的な不調が表れにくくなっているというだけであって、禿げないからOKとかそういった単純なことではなさげです。逆に女性で髪の毛が禿げている人というのは身体的に絶不調にあるということじゃないですかね。女性ホルモンが若返りホルモンでいいとかどうとか昔テレビとかで言ってましたけど、病気を病気と感じさせなくするだけであればあまりいいものではなさげです。納豆とか豆腐とか大豆加工食品に含まれるイソフラボンが体内で女性ホルモンと同じ働きをするとかも言われてましたけど、「腐った」もん食ってられるかという話です。逆に男性ホルモンは老化ホルモンとか言われてましたけど、顔その他がオッサン臭くたって病識が無い状態よりはるかにマシです。
名古屋という街がありますけど、あそこは日本で人口の多さが三番目の政令指定都市ですけど、田舎です。ものすごく田舎です。というのは、地理的というか場所的にはけっこういい所なんですけど、人間的に田舎者気質な人間が非常に多いんですね。だから異端排斥とかイジメとか多いですし、調べたことないんで正確なことは分かりませんけど、下手をすると強姦犯罪とか多いんじゃないですかね。名古屋城の頂に居座っている金の鯱とかもう他人を食ってるナメた人間の象徴みたいなもんです。織田信長は幼少時は尾張のうつけとか呼ばれてましたけど、多分あの信長公も幼少時はイジめられてたんじゃないですかね。大学も国立名古屋大学がありますけど、あんまりいい大学かどうかちょっと微妙な感じです。
関係無いですけど、大学受験では偏差値のみをアテにしているとあまりよろしくないですけど、中学受験や高校受験では逆に偏差値のみをアテにした方がいいくらいです。偏差値50を切る高校へ進学しようとしている子供たち、つまり知力や学力で言うところの人口の下半分の子供たちは、そもそもまともな大学進学など考えていないのでむしろ偏差値よりもその学校が如何なるところかを考えて進学先を決めた方がいいですけど、ある程度以上に勉強のできる子供たちはちゃんとまともな大学へ行くことを前提に高校へ進学するんで、中高受験で偏差値というのは最も大事なものと考えた方がいいです。
大学は自分のために勉強するところなんで、偏差値で進学先を決めるのは止めた方がいいです。私は高校を学校で決めて大学を偏差値で選んだので思いっきりブサイクなことになりました。高等学校は校風は合ってましたが周りの人間的に下等なのが多くてあまり恵まれずかなりの損益を被り、大学はある程度の選好を混じえながらも模擬試験の偏差値とかで選んじゃったんですね。しかしまあ大学はいろいろな面で自己責任気風ということでそれなりに合ってました(だから別に一人で授業出て勉強してたって特に問題なしということです)。
中学生の人でもこの記事を見る人がいるかもしれないんで言っておきたいんですけど、あまり小学校や中学の同級生程度の友達とは過度に仲良くならない方が良いです。高校もちょっと疑問符が湧くくらいです。というのはやはり学力が合わない人間というのは話も合わない上に、少なくとも現行の日本人の人間関係の構築の仕方だとほとんどのケースで低レベルな人間の方が高レベルの人間の方を引きずり下ろすという形が出来上がります。だから休み時間のギャグネタで一緒に笑う程度の付き合いにして、あまり過度に馬鹿や頭の悪い人間とは関わらない方がいいです。
大学はちゃんと友人をたくさん作った方がいいです。私は大学の時に学外の酒飲みの相手と関わるだけで学内に友人を一人も作らなかったのでかなり不必要な苦労をしました。
頭は良いが馬鹿な人間はネットを見れば分かる通り多数居るということを前の記事で書いたんですけど、頭は悪いが馬鹿ではない人間というのも居るんですね。こういった人間というのは、もう今あんまり居なそうですけど、昔のヤンキー少年少女とかにチラホラ居たりします。
「賢い」「愚か・馬鹿」また「頭が良い」「頭が悪い」というのはx軸とy軸によって表されるxy平面を想像してみれば分かりやすいです。「賢い」のがx軸の正の方向であり「愚か・馬鹿」はその逆、「頭が良い」のはy軸の正の方向であり「頭が悪い」のはその逆、ということです。前者は未知数xな事柄についての対し方、後者は演算能力の高さとでも考えればさらに分かりやすいです。賢い人間は知的好奇心が高かったり未知のものに対してぞんざいさが無かったり、頭が良い人間は問題解決において素晴らしく応用が利いたりといったところです。
このxy平面上の何処かの点に自分でも架空の一個人でも想定してみればいいんですね。IQが高い人なんかは第一象限とか第二象限とかに多いんではないですかね。馬鹿な人は第二象限とか第三象限とかに多いとか。指示されたことは大抵できるが想定外のことに対応できない人は第四象限あたりとか。ユダヤ人は第二象限で、欧米人一般は第一と第四に多いとか。原点(0,0)からのベクトルで考えても分かりやすいです。また逆に(0,0)からのベクトルでも分かりやすいです。こういったことは絵画の鑑賞や漢字の象形を解析することなんかにも生かせると思うんですけど、絵画論みたいなものというのはないんですかね?
やっぱり人間嫌なことがあると目的意識とかを失いやすいです。特に対人関係でウザいことがあったりすると知的好奇心や勤勉さを失ったりします。それのストレス解消にゲームとかやってるとまたどんどんそれがストレスの源になるどころか、アルコールとかでもそうですけどそれに対する依存心が生まれて、そこで逃避する心理が生まれて最悪の場合分別が無くなってストレス解消の為の具体的対応策からすらも逃げるようになってどんどんドツボに嵌って悲惨なことになっていきます。だからやっぱりいわゆる「心のよりどころ」でもアルコールでも嫁さんでも、それに対する依存心を喚起せしめるようなものに最初から心を傾けると非常にマズいです。
日本語における「民主主義」というものは残念なことに結局ユダヤ教のベールに過ぎないんですね。「資本主義」というのはそもそも元来的にそうです。どんどん才覚ある人間を自称democracyの「民主主義」が食い潰していったということです。これはどこの国ににも見られることではなく、この文化人類学的というか民俗学的というか女性的な黄色人種の国家である日本という国において特に見られることです。アメリカは真に民主主義を為すための土壌・地盤がしっかりしていたということです。というよりは精神的なものだけではなく気候・風土的にもそういった土壌や地盤の基に出来上がったのがアメリカという国であり、democratsの国だということです。
そしてこれを戦後アメリカに押し付けられたとか言うのは大間違いです。それこそそんなものは他者依存の大たわけ者の馬鹿発想であって、日本人においてそれを為すことが難しいというだけの話であって、そういった馬鹿な発想をしている限りはまたアメリカの人たちに馬鹿にされてもう5、6発原爆落とされるとかリアルでそういう話になってきます。
田舎者気質な人間というのはアベラールが大好きでアウグスティヌスが大嫌いです。恋愛とか男の子女の子キャッキャウフフが大好き、いしいひさいちさんの漫画にすらその価値意識に根ざしたものが多々見られんですね。だから実に固有名詞が大好きであり、賢いか愚か・馬鹿かとは関係なく頭が悪い人間が多くて、工学的と言えば聞こえは良いが実態はそうではなく言っちゃ悪いが工業高校的に頭が悪くて閉鎖村落的です。やっぱり高校も大学も東京とそれ以外の地域ではレベルが違いすぎます。やっぱりなんだかんだ言って東京はレベルが非常に高いです。もちろん日本社会でも時代が進むとともにこのイナカ者的傾向は減ってきており、現代ではほとんど見られません。ちなみにPierre Abelardは手を出したエロイーズの身内の人間にキレられて去勢されてるんですね。
私は今30歳なんですけど、今より若い時は馬鹿でも頭が悪いよりはマシとかそれこそバカなことを思ってたんですけど、明らかにそれよりも頭が悪くても馬鹿ではない方がマシです。ネットの掲示板だとか動画サイトだとか見てれば分かる通り、馬鹿というのは頭が良かろうが悪かろうが最悪です。馬鹿ではない人というのはちゃんと時間を掛けて説明すれば理解する、少なくとも理解しようとはするのであまりそんなに問題であるということはないです。
ユダヤ人というのは過去への憧憬に生きている人たちであり、また恋に恋している人たちです。オタク少女が最も分かりやすく、ヒットラーもこの気が強いです。
少し前に名古屋大学の物理学の先生が光よりも早い速度で運動している粒子を発見したというのが話題になってましたけど、あれはデカルトみたいに神の存在証明じゃないですけど、実際のところどうなんですかね?もし存在したら間違いなく全てのものを吸収することになるんじゃないですかね?多分どっかしらにミスがあるというか測定を間違ってるんじゃないかと思うんですけど。チラッと新聞で見ただけなんでよく覚えてないんですけど、今年のノーベル賞の受賞者の説は宇宙の収縮がどうこうというものだったような気がするんですけど、その光よりも早い粒子が全宇宙自身であるというオチは無しで。
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