[PR]
2025.04.16 Wednesday
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
Hydra
2011.11.04 Friday
切り捨て教の敵。
切っても切っても生えてくる。
マンガというのが何故悪いかというと、具体的知識や情報を空気で読んでそれが絶対の事実だと思い込むようになるんですね。例えば酒飲み会の席で場の空気を読むとかそういったことはすごく大事なことなんですけど、子供の頃からマンガにおいて場の空気を読むことに慣れてしまうと、マンガ的な滅茶苦茶な価値意識が現実にまで浸透していくんですね。子供のゴッコ遊びで済んでいるうちは問題無いですけど、間違えても間違いだと気付かないどころか、間違えても自分が正当・被害に合わされた自分は悪くない・危害を加えた自分が悪い、むしろ間違えてもそれが自分、とか大馬鹿丸出しな自己認識というか自己認識自体が大馬鹿丸出しなことになるんですね。
微分積分はグラフを使うと理解しやすいですけど、マンガを読み慣れても現実的な問題に対する適応能力や対応能力が増すわけではないです。
「~みたいなイメージ」という表現がそもそもマンガ教育の体現たるそのものです。もうマザーコンプレックスという社会的妄念が全ての元凶なんで、本当にやめてもらいたいことというのはあります。結果としてマザコン人間もそもそもの「マザー」性を失わなければいけないような痛い目を見ているし見ることになるようなことというのは現代の日本の社会でも多々残ってます。
cartoonは良いがcomicは良くない、漫画絵は良いがマンガは良くないです。
結果としてどういうことが起こっているかというと、(若い)女にいい大人の男が媚びる・媚びざるを得ない形を社会的に作り上げているということです。マザーコンプレックスの男性がこれに大きな役割を買ってます。66年前に原爆を落とされて戦争に負けてから、そういった教育が少なくとも私が知る限り自分が成人する10年前まではひたすら行われてきたということです。これはアメリカという国が悪いとかそういったことではなくて、古来日本からの気候・風土を保ちながらきた66年前の日本という国にGHQが敷いた占領政策の一環が混じり合って成し得た悪疫だということです。ここのところ日教組がどうとか叩かれてますけど、私はこの日教組という組織がどういったものなのか知らないのでこれについて何も言えないんですが、おそらくはそういうことです。中には「私立学校は企業だ!」とかいう内容のことを言うコイツ極左の馬鹿かと思わせるようなことを言う人間も居ます。
マンガ的な美形の色男やビジュアル系(どちらもマザコン)というのはコレの具現体です。ポイントは女全般にとって好ましい男ではなく、自分と同質なものを求める若い女から鑑みてコミュニケーションの相手として理想的な男である、ということです。ちなみに、だからオタクは美形を描く、特にオタクの女性は美形を描き好むということです。
もう今となっては戦前に事実どういった教育が行われていたのか知る術はありませんけど、おそらく教えることはしっかりと具体的情報として言葉で教えられてたと思います。私は右翼主義者ではないですけれど、「右翼=戦争讃美者」みたいなイメージで刷り込まれすぎてるんですね。戦争というのはある程度必然的に起こるものであって、国家という組織を運営できなくなったら天変地異や疫病でも起こってくれない限りはそうなるということを歴史を鑑みれば誰でも理解できます。150年くらい前から、技術革新によって農作業等の本来的な労働において必要とされる労働力がどんどん減っていって、それと合いまった人口過多により、社会的損失をもたらす無い方が良い職業とそれに携わる人間というのが跋扈しているわけです。これは別に私が単に原始人的に近代化を否定しているとかそういったわけではなくて、現代日本で騒音撒き散らしたり色々な意味で公害になる職業に携わるくらいであれば死んだ方が良いが、しかしまたそれを自覚しつつもそれによって生きている人々が多々存在しているということです。ちなみに2011年現在これ以後に戦争となると核ミサイルの飛ばしっこです。
(被害)妄想の強い人間のほとんどはやかましく騒々しいです。例外がオタクの人たちです。
マザーコンプレックスの女性が母親になると何故マズいかということですけど、例えばオタクの根暗少女を例にとって見てみればいいんですね。猫とか犬とかをかまうところを観察してみればいいんですけど、彼女らは対象に好意を抱いているにもかかわらず非常に扱いが下手です。グニャグニャグニャグニャかまって猫や犬が嫌がっているのにそれを喜んでるとか思いこんで滅茶苦茶に扱うんですね。小学生の子供とかでも理科の授業等で植物なんかを育てさせてみればおそらくよく分かります。強制されるとやる気が無い場合が多々あるので、仮そめの点数か何か基準を作ってそれを結果として教えることをあらかじめ知らせておくという形でやらせてみればいいんです。おそらく全般的に彼女らは上手く育てられません。だからやはり社会的に弱い立場の人もそれが愛であれ憎であれ何らかの形では何らかの対象を抑圧するということです。
マスコミは自分達の放火魔性を自覚してません。「こんな悪いことがありました!」と言うから、はあそうなのかと諦めが起こり、犯罪の増加を助長させていくということです。なぜそういったことが起こるかといえば、共同幻想的な妄念を煽るバカな公立小学・公立中学の「みんな仲良く」「みんな一緒」教育とマスコミのタッグがそこに発生しているということです。これはおそらく全世界中で日本にしか起こらないことです。
基本的に抗精神病薬は、覚醒もできず睡眠もできなくなるという、具体的記憶にまつわる妄念の想起と同時に行動不能言動不能を患者にもたらす口封じ薬の役割を果たします。一見睡眠中はぐっすり眠れているように見えてひたすら悪夢を連発的に見ますし、脳は全く眠れていない状態が訪れます。この効能は精神科医の投薬方法や薬物としての抗精神病薬に問題があるというのではなくて、統合失調症の患者は具体的記憶にまつわる妄念ばかりを人にしゃべったりそれをひたすら自分の中で膨らましていったりするので、まず不快な具体的記憶の除去もしくは消化を精神科医は試みるということです。つまり治療の過程で主に精神科医にどんどん言いたいことを言うその他で溜まっているものを吐き出していって、投薬量を順番に減らしていって、投薬が終わった時点で初めて、朝覚醒して夜睡眠するという健全な生活パターンが取り戻されて完治、ということになります。だからリスパダールも服薬量を減らしていって飲むことをやめてはじめてJansenismということです。ちなみにこのリスパダールという薬は非常な居ても立ってもいられないような地獄の不快感を飲む者に与える薬なので、皆ほとんどの被治療者は耐えられずに途中で自らの意思で服薬を止めてしまう薬です。バカな例示でアレなんですけどドラゴンボールの漫画の超神水のようにリスパダールを飲めばジャンセニズムを身に付けられたりBlaise Pascalの様に頭が良くなったり禁欲主義に走ったりするわけでは決してないです。中には作業療法の一環その他としてではなしに患者を治療中に他者と関わらせようとするフザけた医者が居るんですけど、ああいった集まりの中には精神病患者ではないそういった特定の役割を負った人間がウジャウジャ居ます。だからそういったのに釣られて不用意に薬を飲まされたり最悪の場合悪事に加担させられたりすることも多々有り得ます。ちなみに私はこの間とある大学病院へ行って医師に「7年前にはじめは集団ストーカーの認知がまさに統合失調症の症状だといって投薬を開始されたんですけど、どうみても違いますね?」と言ったら、その医師はもう決まりの悪そうに顔を卑屈に歪めて斜め下を向いて否定さえしませんでした。もうそういったのは精神的に弱っている人間やそもそもからして精神的に弱い人達を食い物にしている以外の何物でもないんで、特に抗精神病薬を服薬中に見知らぬ人たちと関わるだとかは止めた方が良いです。昔の記事でも書いたように、全ての抗精神病薬は服薬者の短期記憶をひたすら壊していくので、余計に危険です(学生のうちにこの薬を飲むと服薬期間中は勉強は全くできなくなります)。空気をひたすら読めなくなるのでその意味でも危険です。そして一番やってはいけないのは、服薬中に折り合いの悪いマザーコンプレックスの人間と関わるということです。なぜならば、その状態でネチネチネチネチした嫌がらせを受けると、妄念ばかりが膨らんで頭が憎しみで破裂しそうになり、下手をすると通り魔事件の加害者のような最悪なことになるからです。だから抗精神病薬を服薬しながらネットを見る、特にネットの掲示板を見るだとかは、絶対にやってはいけないことです。ましてやネットを介した会話等でも何処の誰だか分からない人間と関わるだとかは論外です。薬と悪い対人関係のコンボで具体的記憶にまつわって憎悪を過剰に想起するというプログラミングがどんどん為されていきます。それを経験した当時は何とも思わなかったようなとるに足らないとある具体的記憶について、それにまつわる憎悪を想起するように刷り込まれて植え付けられていきます。これは精神医療における治療の負の外部性が起こりうるということ、皮肉にも一種の再世界化が起こるということです。つまり、精神科医は「悪くなっていくのは原因不明で、そもそも原因不明の病気」とかたわけたことを言っていますが、善悪の区別のつかない人間がそこで悪いものに接するといくらでも洗脳されうるということです。そもそも「不明なもの」が原因ということで原因不明なのは当たり前です。これはドイツ語的に考えると一発で理解できます。それはNichtseinであり、|∞|/0の相関関係そのもの、現代におけるわけのわからん新興宗教の教祖その他、つまりは「マザーコンプレックス」ということです。ところが先の記事でも書いた様に、こういった人たち、こういった状態にある人間というのは非常に自虐的になっています。「やるべきでないことだからこそやらなければいけない」とかそういう念慮から抜け出せなくなってます。おそらく女性に関する性的なものといえばこういった感慨なんだと予想します(だから失礼ですけど私は女性には同情します)。アルコールをはじめとする依存症というのはこういったものです。売春婦は居ても売春夫はほとんど居ません。アル中その他の中毒と統合失調症というのは非常に近いところにあります。「妄念ばかりが膨らんで頭が憎しみで破裂しそうになり」というのはそういったことです。どんどん人格が荒廃していきます。まさに愚劣なヒットラーになるわけです。どう頑張ってもパスカルにはなりません。その意味で入院というのは最高の措置です。だから、集団ストーカーを行ったり被害者を貶めることに火をつけたり油を注いだりするチンピラ集団や危害を加えるような犯罪者はどんどん警察の人たちにお願いして取り締まってもらわないとダメです。ちなみにこのストーカー行為や嫌がらせを行うことを好むのは女性です。というかもう精神科医がこれの片棒をかついでいるような有様です。ちなみにネットなんてものは対象のコンピュータをいくらでもhackして情報を盗み取られます。ハッキングツールがそこらへんに落ちてたりいくらでも流れてたりします、絶対にそんな何処の誰が作ったんだか分からないようなツールを使ったりしたらダメです。つい最近も参院議員の公務用PCがやられてましたけど、メール等で自分のことも含めて個人のことをグダグダ書くだとかは絶対に行ったらダメです。
他人に危害を加えるだとか嫌がらせだとかそういった関連のことだと、もともとやかましかった暴走族の騒音がやたらこの半年くらい五月蝿いんですけど、豚みたいな音を立てるあのバイクという乗り物は警察官の白バイの乗車を除いて公道を走ることを法律でサッサと禁止してもらたいんですけど、そりゃもう珍走とか珍走族とか露骨にバカにされるわけですとしか言い様が無い。尾崎豊なんてあんなのただの子豚です。だいたいI love youがどうとか歌ってる時点でオカマみたいな男がどうとかいうレベルではなくて身体(論)的にオカマ野郎です。例えば私は邦楽ではビジュアル系のJanne Da Arcというバンドの曲だけものすごく大好きなんですけど、この人たちの曲には尾崎豊みたいな女性器臭のただようクサい歌はあからさまに狙ったギャグソング以外ほとんどありません。だいたいそもそも人口の99%は尾崎の歌なんかに興味は無いわけで、尾崎に共感する若者がいなくなったとかなんとかそんなもん元々ほとんどいねーよバカという話です。今になってそれがいなくなったというのは、「尾崎に共感する若者がこんなにいます!」とか喧伝していた低レベルなマスコミが一般市民を騙せなくなったのでわざわざそういったことを言っているだけか、もしくはマスコミという日本社会から隔離された自分らが社会の中心に居ると勘違いした東京ローカルなイナカ者の閉鎖村落内だけで尾崎豊がもてはやされていただけで別に一般市民は誰も相手にしていなかったとかそんなところがオチです。
今生きている人の悪口をあまり言いたくはないんですけど、村上春樹さんと尾崎豊はすごく被ります。村上春樹さんの小説はちょっとナニな男がすごく背伸びして無理している感じがしてあまり好きになれないんですけど、尾崎豊もこういった感じがします。というか村上春樹さんの小説は非常にマンガ的です。冨樫義博さんみたいな気持ち悪いマンガを描いている人間が、シコシコと小説というジャンルでやってますという感じを受けます。
しばらく前の記事で演歌だとかなんか書いたと思うんですけど、Janne Da Arcの曲は歌詞だけではなくて音の使い方や曲の構成も含めて物語的なんで、学ぶものも多々ありますし、非常に良いです。この人たちは大阪の人たちですけど、なんか大阪の人たちというのは芸人魂というかあらゆるところでどんな場面においてもどんな社会的状況においても気が利いてる感じがします。ちなみに私は京都はクソがつくほど嫌いです、祇園や八坂に象徴される愚かでしかも頭も悪い勘違いした全てを間違えたブサイク売春婦みたいな。そういえば任天堂とか京都の会社です。今思うと本当にファミコンとかブサイクな玩具でした。アレはどれだけの社会的損失生み出してた(る)んでしょうね。
意図的に作り上げられたアニメの産物であるのび太や出来杉君の社会的イメージを今の日本の社会から消し去ることは不可能です。ああいったマンガやアニメのせいでどれだけの真面目な少年たちや青年たちが被害にあったかということであり、どれだけ人間を貶めれば気が済むのかという話です。逆も然りであり、昔あった不良中高生が主人公のケンカ暴力マンガも、不良人間が実は良い奴とか絶対に有り得ないんで、あれも非常に社会的な損失を産み出してます。あれに比べればアニオタの人たち御用達の二次元美少女アニメやゲームの方がまだマシです。学ぶ点と言えばのび太は射撃が百発百中でジャイアンは暴力魔ということくらいです。
切っても切っても生えてくる。
マンガというのが何故悪いかというと、具体的知識や情報を空気で読んでそれが絶対の事実だと思い込むようになるんですね。例えば酒飲み会の席で場の空気を読むとかそういったことはすごく大事なことなんですけど、子供の頃からマンガにおいて場の空気を読むことに慣れてしまうと、マンガ的な滅茶苦茶な価値意識が現実にまで浸透していくんですね。子供のゴッコ遊びで済んでいるうちは問題無いですけど、間違えても間違いだと気付かないどころか、間違えても自分が正当・被害に合わされた自分は悪くない・危害を加えた自分が悪い、むしろ間違えてもそれが自分、とか大馬鹿丸出しな自己認識というか自己認識自体が大馬鹿丸出しなことになるんですね。
微分積分はグラフを使うと理解しやすいですけど、マンガを読み慣れても現実的な問題に対する適応能力や対応能力が増すわけではないです。
「~みたいなイメージ」という表現がそもそもマンガ教育の体現たるそのものです。もうマザーコンプレックスという社会的妄念が全ての元凶なんで、本当にやめてもらいたいことというのはあります。結果としてマザコン人間もそもそもの「マザー」性を失わなければいけないような痛い目を見ているし見ることになるようなことというのは現代の日本の社会でも多々残ってます。
cartoonは良いがcomicは良くない、漫画絵は良いがマンガは良くないです。
結果としてどういうことが起こっているかというと、(若い)女にいい大人の男が媚びる・媚びざるを得ない形を社会的に作り上げているということです。マザーコンプレックスの男性がこれに大きな役割を買ってます。66年前に原爆を落とされて戦争に負けてから、そういった教育が少なくとも私が知る限り自分が成人する10年前まではひたすら行われてきたということです。これはアメリカという国が悪いとかそういったことではなくて、古来日本からの気候・風土を保ちながらきた66年前の日本という国にGHQが敷いた占領政策の一環が混じり合って成し得た悪疫だということです。ここのところ日教組がどうとか叩かれてますけど、私はこの日教組という組織がどういったものなのか知らないのでこれについて何も言えないんですが、おそらくはそういうことです。中には「私立学校は企業だ!」とかいう内容のことを言うコイツ極左の馬鹿かと思わせるようなことを言う人間も居ます。
マンガ的な美形の色男やビジュアル系(どちらもマザコン)というのはコレの具現体です。ポイントは女全般にとって好ましい男ではなく、自分と同質なものを求める若い女から鑑みてコミュニケーションの相手として理想的な男である、ということです。ちなみに、だからオタクは美形を描く、特にオタクの女性は美形を描き好むということです。
もう今となっては戦前に事実どういった教育が行われていたのか知る術はありませんけど、おそらく教えることはしっかりと具体的情報として言葉で教えられてたと思います。私は右翼主義者ではないですけれど、「右翼=戦争讃美者」みたいなイメージで刷り込まれすぎてるんですね。戦争というのはある程度必然的に起こるものであって、国家という組織を運営できなくなったら天変地異や疫病でも起こってくれない限りはそうなるということを歴史を鑑みれば誰でも理解できます。150年くらい前から、技術革新によって農作業等の本来的な労働において必要とされる労働力がどんどん減っていって、それと合いまった人口過多により、社会的損失をもたらす無い方が良い職業とそれに携わる人間というのが跋扈しているわけです。これは別に私が単に原始人的に近代化を否定しているとかそういったわけではなくて、現代日本で騒音撒き散らしたり色々な意味で公害になる職業に携わるくらいであれば死んだ方が良いが、しかしまたそれを自覚しつつもそれによって生きている人々が多々存在しているということです。ちなみに2011年現在これ以後に戦争となると核ミサイルの飛ばしっこです。
(被害)妄想の強い人間のほとんどはやかましく騒々しいです。例外がオタクの人たちです。
マザーコンプレックスの女性が母親になると何故マズいかということですけど、例えばオタクの根暗少女を例にとって見てみればいいんですね。猫とか犬とかをかまうところを観察してみればいいんですけど、彼女らは対象に好意を抱いているにもかかわらず非常に扱いが下手です。グニャグニャグニャグニャかまって猫や犬が嫌がっているのにそれを喜んでるとか思いこんで滅茶苦茶に扱うんですね。小学生の子供とかでも理科の授業等で植物なんかを育てさせてみればおそらくよく分かります。強制されるとやる気が無い場合が多々あるので、仮そめの点数か何か基準を作ってそれを結果として教えることをあらかじめ知らせておくという形でやらせてみればいいんです。おそらく全般的に彼女らは上手く育てられません。だからやはり社会的に弱い立場の人もそれが愛であれ憎であれ何らかの形では何らかの対象を抑圧するということです。
マスコミは自分達の放火魔性を自覚してません。「こんな悪いことがありました!」と言うから、はあそうなのかと諦めが起こり、犯罪の増加を助長させていくということです。なぜそういったことが起こるかといえば、共同幻想的な妄念を煽るバカな公立小学・公立中学の「みんな仲良く」「みんな一緒」教育とマスコミのタッグがそこに発生しているということです。これはおそらく全世界中で日本にしか起こらないことです。
基本的に抗精神病薬は、覚醒もできず睡眠もできなくなるという、具体的記憶にまつわる妄念の想起と同時に行動不能言動不能を患者にもたらす口封じ薬の役割を果たします。一見睡眠中はぐっすり眠れているように見えてひたすら悪夢を連発的に見ますし、脳は全く眠れていない状態が訪れます。この効能は精神科医の投薬方法や薬物としての抗精神病薬に問題があるというのではなくて、統合失調症の患者は具体的記憶にまつわる妄念ばかりを人にしゃべったりそれをひたすら自分の中で膨らましていったりするので、まず不快な具体的記憶の除去もしくは消化を精神科医は試みるということです。つまり治療の過程で主に精神科医にどんどん言いたいことを言うその他で溜まっているものを吐き出していって、投薬量を順番に減らしていって、投薬が終わった時点で初めて、朝覚醒して夜睡眠するという健全な生活パターンが取り戻されて完治、ということになります。だからリスパダールも服薬量を減らしていって飲むことをやめてはじめてJansenismということです。ちなみにこのリスパダールという薬は非常な居ても立ってもいられないような地獄の不快感を飲む者に与える薬なので、皆ほとんどの被治療者は耐えられずに途中で自らの意思で服薬を止めてしまう薬です。バカな例示でアレなんですけどドラゴンボールの漫画の超神水のようにリスパダールを飲めばジャンセニズムを身に付けられたりBlaise Pascalの様に頭が良くなったり禁欲主義に走ったりするわけでは決してないです。中には作業療法の一環その他としてではなしに患者を治療中に他者と関わらせようとするフザけた医者が居るんですけど、ああいった集まりの中には精神病患者ではないそういった特定の役割を負った人間がウジャウジャ居ます。だからそういったのに釣られて不用意に薬を飲まされたり最悪の場合悪事に加担させられたりすることも多々有り得ます。ちなみに私はこの間とある大学病院へ行って医師に「7年前にはじめは集団ストーカーの認知がまさに統合失調症の症状だといって投薬を開始されたんですけど、どうみても違いますね?」と言ったら、その医師はもう決まりの悪そうに顔を卑屈に歪めて斜め下を向いて否定さえしませんでした。もうそういったのは精神的に弱っている人間やそもそもからして精神的に弱い人達を食い物にしている以外の何物でもないんで、特に抗精神病薬を服薬中に見知らぬ人たちと関わるだとかは止めた方が良いです。昔の記事でも書いたように、全ての抗精神病薬は服薬者の短期記憶をひたすら壊していくので、余計に危険です(学生のうちにこの薬を飲むと服薬期間中は勉強は全くできなくなります)。空気をひたすら読めなくなるのでその意味でも危険です。そして一番やってはいけないのは、服薬中に折り合いの悪いマザーコンプレックスの人間と関わるということです。なぜならば、その状態でネチネチネチネチした嫌がらせを受けると、妄念ばかりが膨らんで頭が憎しみで破裂しそうになり、下手をすると通り魔事件の加害者のような最悪なことになるからです。だから抗精神病薬を服薬しながらネットを見る、特にネットの掲示板を見るだとかは、絶対にやってはいけないことです。ましてやネットを介した会話等でも何処の誰だか分からない人間と関わるだとかは論外です。薬と悪い対人関係のコンボで具体的記憶にまつわって憎悪を過剰に想起するというプログラミングがどんどん為されていきます。それを経験した当時は何とも思わなかったようなとるに足らないとある具体的記憶について、それにまつわる憎悪を想起するように刷り込まれて植え付けられていきます。これは精神医療における治療の負の外部性が起こりうるということ、皮肉にも一種の再世界化が起こるということです。つまり、精神科医は「悪くなっていくのは原因不明で、そもそも原因不明の病気」とかたわけたことを言っていますが、善悪の区別のつかない人間がそこで悪いものに接するといくらでも洗脳されうるということです。そもそも「不明なもの」が原因ということで原因不明なのは当たり前です。これはドイツ語的に考えると一発で理解できます。それはNichtseinであり、|∞|/0の相関関係そのもの、現代におけるわけのわからん新興宗教の教祖その他、つまりは「マザーコンプレックス」ということです。ところが先の記事でも書いた様に、こういった人たち、こういった状態にある人間というのは非常に自虐的になっています。「やるべきでないことだからこそやらなければいけない」とかそういう念慮から抜け出せなくなってます。おそらく女性に関する性的なものといえばこういった感慨なんだと予想します(だから失礼ですけど私は女性には同情します)。アルコールをはじめとする依存症というのはこういったものです。売春婦は居ても売春夫はほとんど居ません。アル中その他の中毒と統合失調症というのは非常に近いところにあります。「妄念ばかりが膨らんで頭が憎しみで破裂しそうになり」というのはそういったことです。どんどん人格が荒廃していきます。まさに愚劣なヒットラーになるわけです。どう頑張ってもパスカルにはなりません。その意味で入院というのは最高の措置です。だから、集団ストーカーを行ったり被害者を貶めることに火をつけたり油を注いだりするチンピラ集団や危害を加えるような犯罪者はどんどん警察の人たちにお願いして取り締まってもらわないとダメです。ちなみにこのストーカー行為や嫌がらせを行うことを好むのは女性です。というかもう精神科医がこれの片棒をかついでいるような有様です。ちなみにネットなんてものは対象のコンピュータをいくらでもhackして情報を盗み取られます。ハッキングツールがそこらへんに落ちてたりいくらでも流れてたりします、絶対にそんな何処の誰が作ったんだか分からないようなツールを使ったりしたらダメです。つい最近も参院議員の公務用PCがやられてましたけど、メール等で自分のことも含めて個人のことをグダグダ書くだとかは絶対に行ったらダメです。
他人に危害を加えるだとか嫌がらせだとかそういった関連のことだと、もともとやかましかった暴走族の騒音がやたらこの半年くらい五月蝿いんですけど、豚みたいな音を立てるあのバイクという乗り物は警察官の白バイの乗車を除いて公道を走ることを法律でサッサと禁止してもらたいんですけど、そりゃもう珍走とか珍走族とか露骨にバカにされるわけですとしか言い様が無い。尾崎豊なんてあんなのただの子豚です。だいたいI love youがどうとか歌ってる時点でオカマみたいな男がどうとかいうレベルではなくて身体(論)的にオカマ野郎です。例えば私は邦楽ではビジュアル系のJanne Da Arcというバンドの曲だけものすごく大好きなんですけど、この人たちの曲には尾崎豊みたいな女性器臭のただようクサい歌はあからさまに狙ったギャグソング以外ほとんどありません。だいたいそもそも人口の99%は尾崎の歌なんかに興味は無いわけで、尾崎に共感する若者がいなくなったとかなんとかそんなもん元々ほとんどいねーよバカという話です。今になってそれがいなくなったというのは、「尾崎に共感する若者がこんなにいます!」とか喧伝していた低レベルなマスコミが一般市民を騙せなくなったのでわざわざそういったことを言っているだけか、もしくはマスコミという日本社会から隔離された自分らが社会の中心に居ると勘違いした東京ローカルなイナカ者の閉鎖村落内だけで尾崎豊がもてはやされていただけで別に一般市民は誰も相手にしていなかったとかそんなところがオチです。
今生きている人の悪口をあまり言いたくはないんですけど、村上春樹さんと尾崎豊はすごく被ります。村上春樹さんの小説はちょっとナニな男がすごく背伸びして無理している感じがしてあまり好きになれないんですけど、尾崎豊もこういった感じがします。というか村上春樹さんの小説は非常にマンガ的です。冨樫義博さんみたいな気持ち悪いマンガを描いている人間が、シコシコと小説というジャンルでやってますという感じを受けます。
しばらく前の記事で演歌だとかなんか書いたと思うんですけど、Janne Da Arcの曲は歌詞だけではなくて音の使い方や曲の構成も含めて物語的なんで、学ぶものも多々ありますし、非常に良いです。この人たちは大阪の人たちですけど、なんか大阪の人たちというのは芸人魂というかあらゆるところでどんな場面においてもどんな社会的状況においても気が利いてる感じがします。ちなみに私は京都はクソがつくほど嫌いです、祇園や八坂に象徴される愚かでしかも頭も悪い勘違いした全てを間違えたブサイク売春婦みたいな。そういえば任天堂とか京都の会社です。今思うと本当にファミコンとかブサイクな玩具でした。アレはどれだけの社会的損失生み出してた(る)んでしょうね。
意図的に作り上げられたアニメの産物であるのび太や出来杉君の社会的イメージを今の日本の社会から消し去ることは不可能です。ああいったマンガやアニメのせいでどれだけの真面目な少年たちや青年たちが被害にあったかということであり、どれだけ人間を貶めれば気が済むのかという話です。逆も然りであり、昔あった不良中高生が主人公のケンカ暴力マンガも、不良人間が実は良い奴とか絶対に有り得ないんで、あれも非常に社会的な損失を産み出してます。あれに比べればアニオタの人たち御用達の二次元美少女アニメやゲームの方がまだマシです。学ぶ点と言えばのび太は射撃が百発百中でジャイアンは暴力魔ということくらいです。
PR