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You may take my life.
 ダビデの星を盗んだ男。




 普通の健常なヒトは、右へ力を入れれば右へ傾いて左へ力を入れれば左へ傾きます。例えば右手にペンや鉛筆を持ち紙面に筆記をすることを考えれば体感的によく分かります。で、時々逆になるヒトというのが居るんですね。私がそうです。右手に力を入れると頭蓋の左半分が意識されて首から上が左へ傾きます。……首を切られているわけです、身体論的に言うと。小学校なんかでよく読書感想文とかで右(上)から左(下)へと向かう作文用紙に字を書かされましたけど、あれは非常に良くないです。普通に大学ノートか何かに横書きで書くのが良いです。

 昔の週間少年マンガの主人公のマンガ内での神秘がかった陳腐な行いとしてヒトの正統な肉体の使い方を子供たちに否定的に学習させそこから反面させてしまうのもそうですけど、エニアグラム図にヒトの性格とやらを設定して場の形象的に偏った一点に意識その他を膠着させることほど有害なことは無いんですね。これは自称竜頭万里子さんだけではなくて、おそらく何処の高等教育機関付属の図書館にも心理学コーナーにエニアグラムに関する鈴木なんとかという人やなんとかリソという人の書いた本が一冊くらいはありますけど、ヒトの性格をそのSolomon's Seal図内の一定位置にあてはめている時点で健全なものではないです。エニアグラム図そのものから学ぶことは多いですけど。あれは円内の各位置からのベクトルの向け方に学ぶところがあります、頭の使い方だと考えると分かりやすいです。一般的に「頭を使う」というと、マンガ的解釈によって「能力を発揮する」という意味だと捉えてしまいがちですけど、そうではなくてこれは「頭蓋を意識している状態」であり身体感覚的に頭にキている状態ということです。糖分もそうですけど、塩分の摂取量を落とすと身体感覚的に頭にキます。あまりものを食べない痩せ型の体系の人に勉強が出来る人たちが多いのはこういったことです。オタクのお兄さんたちだって大抵の場合はストレスで過食に走っているだけであって本来的にはヤセ型、本来的にヤセ型であるからこそ肉が付くと筋肉質ではなく肥満体型、ということです。痩身が筋肉ムキムキマッチョになることは非常に難しいです。頭を使うということがどういうことだか分からないヒトたちは、頭を使うべき場面においてまで胃や腹を使ってしまっているんですね。つまり腑に落として暗記することしかできない、ものわかりという発想がそもそも無い、ということです。これは病気です。だから昔の少年マンガもRPGとかでよくあった能力一拠点偏重上昇のゲームも動物占いの類も性格判断もすべて悪質なんですね。特にエニアグラム性格判断で一固定点にヒトを定常させるなんてものは上記の通り場の形象的に一点に意識を傾けるものであって最悪です。
 風水とかも場の形象についての知識体系ですけど、Yi-Fu Tuanという中国系アメリカ人の地理学者が「トポフィリア」という書籍で場のコスモロジー的な捉え方について論じてます。ちくま学芸文庫から文庫本で出てます。TOPOPHILIAというのは日本語に訳出すると「場所愛」です。

 絵というのはおそらく良いです、見るのも描くのも。鉛筆で絵を描くのとかいいんじゃないですかね。自分で何枚か描いてみた絵を眺めてそこから場の形象に関する何らかのコスモロジーを見ることができれば、自分がどういった状態なのか分かるための資料になるかもしれません。



 図柄とか場の形象といえば、IQテストで計られる知能指数というものがありますけど、だいたいその知能指数の上下の程度によってものの考え方が似通ってくるんですね。たしかアインシュタインはIQ175でニュートンはIQ125と計算されてます。IQ125はだいたい50人に1人くらい、小中学校の1クラスに1人くらいは居る計算であって世界中に1億数千万人は居ます。IQ175は数億人に1人とか10億人に1人とかであって、世界中のヒトのうち両手で数えられるか数えられないかくらいしか居ません。ニュートンという人は私の言い方で言うと絶対的に右に定常していること・知的であることに自信とプライドを持っていた人ですけど、おそらくIQ125あたりに壁があるんです、いくらそっちでいっても限界があるよという。キャリア官僚とノンキャリア官僚の違いみたいなものだと考えてもらえば分かりやすいです。
 ちなみにニュートンはあまり良い顔はしていません。アインシュタインは非常にユダヤ人離れした温和で知的な顔付きをしてます。人種もそうですけど、知能によっても顔つきが変わってきます。



 このあいだ昼間に近所の小学校の近くで先生が付き添って課外授業か何かの子供たちが歩いているのを見たんですけど、結構ラフにバラバラに歩いていて、一組1対1で手をつないで歩いている男の子と女の子を見たんですね。「ああ、こりゃ日本も少し変わったな、」と思いました。こういうことに関してはたぶん大分良くなるっぽいです、これから。
 おそらく黄色人種は、ユングの言う精神的エネルギーだと考えると理解しやすいですけど、フロイトの言うリビドーのような性的エネルギーみたいなものが強くて、それを無闇に抑圧するからちょっと高尚な「精神的エネルギー」の方ではなくて悪い俗文化の方へ流れちゃうんですね(まあユングの言う精神的エネルギーというのは解釈です)。最悪の場合風俗店通いだとかエロゲーとかへ流れついてしまいます。黄色人種はやはり女性的なんです。場の形象に絵柄を見てコスモロジー的解釈を得るということがユングの表現を借りるならば精神的エネルギーの強さの表れです。中国の人たちの生み出した漢字は黄色人種の誇るべき文化の極致です、が、やはり対人関係でイき過ぎるところがあるんですね。私はそういった人たちと仲良くなることは子供のころからあまりありませんでしたけど、実は黄色人種の日本人の中でもそうではない人たちがスポーツマンの中に大いに居ることは私も知ってます。脳までもが健康ひいては精神的に健康であるヒトたちというのは顔面の表情どころか形に至るまで健康です。形が健康でも表情に悪意が滲み出ているビジュアル系みたいなヒトたちも居ますけど、これは健康ではないです。……私も健康な人たちと仲良くしていた方がより健康であったでしょうけど、残念ながら私は非常に不健全な家庭に育ちました。



 ヘーゲルの「精神現象学」の頭蓋論より再び引用。

「精神の発達が、器官を大きくまたは小さくするか、それとも不恰好で厚ぼったいもの、または上品なものにするかも定まらないであろう。原因がどういう性質のものかは、不定のままなのだから、頭蓋に対する影響がどういうふうに起るか、つまり拡げることになるのか、それとも縮めて、そして両者を一つにすることになるのかも、不定のままである。(――すべてこういう見解に対しては、あれこれともっともらしい理由をもち出すことができよう。というのは、どの場合にも同じように関与している有機的関係は、あれやこれやの理由をどれも不問に付してしまい、そういうすべての悟性に対し無関心だからである。)」

「滅びる」ということは残虐になるということです。moriはmortalityの意で、イコールでMoritatです。頭のてっぺん、頭頂部に百会(ひゃくえ)というツボがあるんですけど、ここは絶対に押さない方が良いです。普通の状態だとちょっと触ってもへこんでいることなんか分かりません。だから、ちょっと押して「ああ、ちょっとへこんでてツボがあるのが分かるな」という時点でもうあまりよろしくないです。ところで百合(ゆり)の花で最も有名なのは鬼百合という名の植物ですけど、いわゆる鬼のツノが生える状態というのはこの百会(ひゃくえ)というツボを押すと側頭部斜め上あたりが意識されてそこがちょうど鬼のツノが生える場所なんですね。究極のサディストは放置を旨とするとか。鬼百合は見てるだけ、見てるだけの鬼百合。
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