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Modus
 論式。
 筋縄。




 行動によってストレスを解消するという発想が無いヒトが居ます。というかネットを見る限りこちらの方が多いです、しかもおそらくは老化していく度にヒトはこうなっていきます。意味内容の世界に生きているというよりは、何らかの原因で意味内容に浸らざるをえないような環境で生きることを強制された挙句にそうなってしまうということです。意味自体が行動化する、挙句に目の前のコミュニケーションに怒り自己との矛盾の怒りを感じ出す、精神分裂ということかもしれない、というかその一種です。仮にそれが周りの人間たちが子供の頃から私に施した洗脳まがいの「教育」による赤化であれもしくは元来的な私の性向であれ私SSは30歳までそうでしたし、Adolf Hitlerさんもそうでした。前にネットのどこかで見ただけの情報なんで事実かどうか分かりませんけど、ヒットラーは周りの人間に「私のスポーツは演説だ」と言っていたとかなんとか。精神科医による抗精神病薬を使用した(だけの)治療でもそうですけど、行為によってストレスを解消するという発想の無い人間に「行為しろ、行為しろ、どんな形でも意思を表明するな」といくら圧迫を掛けても行っていることの方向性的に無駄なのであって、失敗するのは当たり前です。無効果どころか逆効果です。性的な話で申し訳ないですけど、私の場合だとマスターベーションをしてすらもストレス解消にはなりません。やってしまった行為の事実の後悔の観念とそれによる自分の人体へ及ばされるであろう悪影響の恐怖にさいなまれるだけです。筋力が弱いというのも原因の一つとしてありますけど運動やゲームなんかを行ってもその行為による疲労等のストレスが行為とそれにまつわる苦痛として記憶されるだけです。私はゲームはオンラインのはやりませんしFFもⅧでやめましたしVagrant Storyとかこれはこれでおもろいなーとか感慨を抱きつつプレステ1の中期くらいのものでもうやらなくなったんですけど、自分の少なくとも今現在より病んでいた時の性向を思い出すに、だから私は最新のゲーム機器のものではなくてネットに置いてある単純な仕組みのフリーゲームなんかに手を出していたのかなとか思います。
 行動がストレス解消になってしまう、というかその発想の下生きている人間というのはそりゃ他人に危害を加えずには生きていけないわけです。野蛮人・原始人というよりは幼児のまま大人になったサルです。私だってこういう侮蔑的な言い方はしたくないですけど、戦後こういった労働者属性な人間たちが医師や弁護士や大学教授やその他社会の上層に入ってきたからおかしいことになったんですね。アメリカの人たちがネットを与えてくれなかったらば、今世紀に入ってからも大層悲惨なことになってました。野球のバットで素振りだけやっていられれば問題無いんですけど、彼らはそれがどういった形であれ他者への暴力という運動を止めることができないんですね。確かに他人一般をウザいと思うのは私も同じですけど。



 前に「本来的に人間の織り成すコミュニティーは無政府主義的なものでありそれにおいてどう他者を貶め違法行為を行わせて嵌める為に法律を使うかという悪質な発想を行う人間も居る」と書いたんですけど、Judeお得意のこのワザが通じないとなるとJudenというのは仮に法律で他者を貶められないとなるとAnotherなStoryをまるでそれが真実であるかのように見せかけて敷いておくというやり方をするんですね。ヘーゲルは「思想」と「現実」という哲学のての字も無い単純な二元論がユダヤのものであると言ってますけど(Daseinは「現存在」であって日本語で「現実」というと間違えます)、まるで二筋縄な真実がそこにあって「俺らは被排斥者たるこちら側だ」と主張するもしくは他者にこの意識をそれがどんな手段であっても植え付けるというのがJudenです。そこに意識を向けさせて、あわよくば「そうであることにする」んです。ご都合主義者の所業です。どうしても外部に規定点を作りたがります、自己がそれであるだけでは飽き足らずに。これを解決しようと試みたのが物体の運動の速度について考えたアインシュタインの言っていることっぽいですけど、物理学のことについて私にはちょっと断言はできないです。基本的にヒトは誰だって自分に関わりのある人間に誤解されるのは災禍のもとになるということでヒトの生態的に必然的に不快感を感じるようになってるんですけど、これに逆らうんですね。限られた事実に基づいては真実というのは見出せないように出来てます。あえて言うなら、事実を全て無くした時に真実が見出せるようになってるのであって、少なくとも男女関係ひいては人間関係についてヒトの中にイドを見出したフロイトは的を得てます。全部捨てて最後の最後で残っているもの。嫁さんと一緒だったら何処でも良いよ、という。これは「悪」ではなくて、現象としては亜の心が肯定的にあらわれるというか、「愛」だということです。

 ヒトは他人を言語化したがります。というのも文章化したがるのと記号化したがるものとあります。前者はそれが言語でもボディでもコミュニケーション能力を持っている健常なヒトです。後者はJudenであって他者を文字的に定式化してしまえば楽になるという逃避の行為をその対人スタンスとしているヒト、言語を使うということがsagenという行為の一種として認識されているヒトです。前者が後者から身を守るためには、説明のために言葉を道具として使う必要があります。何のためにヒトがサルとは違った言葉を使う能力を持っているのかという問題がそもそも根本にあります。前者は何度かこのブログ内の記事で書いた蓋然的人間ですけど、こちらには自分の事象の認識における蓋然性がありません。後者も蓋然的な何かを作り出しはしますけど、こちらは自覚的にそれを行っているわけで、悪意のもとの確信犯だということです。前者は右から左へイってまた右へ戻って定常するヒト、後者は左から右へキてまた左へ戻るというヒトです。これはもちろん抽象的なお話だけではなくて、前に書いた頭の使い方つまり人体の頭部・頭蓋の使い方という問題でもあります。右利きのヒトで鉛筆やペンを右手に持って紙に何かを書くことを考えてもらえれば分かりやすいです。たぶん内容のある文章を書こうとする時は頭部が左へ傾きます、メモのようなものをとる・何かを単純に記録するだけの時は頭部が右へ傾きます。ちなみに私の場合は先にも書いたように右手に筆記具を持って(右に)力を入れると基本的に頭部が左へ傾くんですけど、整体師や整形外科医の先生に言わせると首の骨が後ろへ出ていると言われます、実際首の第七頚椎がとくに後ろへ出っ張ってその上部に痛みを発します。いくつか前の記事で書いた説明のものだと、前者は左翼的右翼、後者は右翼的左翼です。私は前者であって、安静時は右で定常してますけど、大人になってからの私SSを個人的に知っている人はああアレねと思うと思うんですけどオーディンのように左目がひどく下に下がる斜視であって右目が非常に痛みストレスというか情報が溜まると左でまるで定常したかのようにそれを維持してしまう非常に悪質なクセがあります。このブログへのリンクの貼ってあるfacebookのページにupした私の坊主頭の顔写真を見てもらってもそれはよく分かってもらえると思います。ちなみに理系というのは、「理」、つまりツクリが「里」でありヘンが「王」だということです、たぶん。平常時は右に定常していて事象の認識や行動においては左へ流れるというヒトのことです。この「左っている」時というのは頭ではなくて胃や腹を使ってしまっている状態です。私に限って言えば、もちろんヒトとして基本は身体ですけど、認識を情報化するクセがあるつまり何でも文章化・映像化して情報として蓄えてしまうクセがあるので、これは女性的だといえばそうです。だから何でも言語化して記述するという形で吐いてしまうことをオススメもしてます。悪いものを吐いてしまえば誰しも健康になったりするんですけどね。
 で、他人が居ないというのは実に楽です。現代においてこれをやるとなると、健全に野生化するということなのかもしれません。生命力というよりは生命力を回復するための自己治癒力が上がって、たぶん病気はどんどん良くなって健康になります。私も最近どんどん回復してます。ヒトのオスにとって嫁さん以外のヒトは居なけりゃいいというのが理想であるところのものか、もしくはその最たる楽な方法として状況や他者の存在そのものについて言語化するつまりレッテルを貼るという行為があります。後者の極致は唯名論というか全てが名詞化される世界かもしれません。ヒトの幼児に観察されるものでもよく指をさして一言なにか言葉を発するだけというのがあります。もちろん性格判断のレッテル貼りはこれであって、こういったものは判定者が判定者のために行っていることです。つまりそこでもう一つのStoryを、それが事実に根ざしているからこそまるで正当であるかのように見せかけた真実・もしくはあわよくば事実そのものという形で作り出して提示しておく(意図された蓋然性)、というのがJudenのやり方です。ユダヤ人がユダヤ人だけで存在することは不可能であることを何よりユダヤ人自身が知っているにもかかわらず。だからこそJudenは自己の外部に規定点を求めます。安寧の泥沼ありきでそれのために数え切れない種を蒔いて「そこを目指せ」と言わんばかりに(左→右→左)。法律をいたずらに他者を攻撃する道具として使う場合なんてものはなんやかんや言う以前の問題としてもちろん論外ですけど、通常の対人関係においてまでコレを行ってくるので極めてウザいんですね。因縁付けというよりは、一種の口封じです。

 私は中学校の時に教師にこのセリフを吐かれたんですけど、「そんな奴何処へ行ったって居るよ」というセリフ、まあこれは悪党というよりは悪質な人間の存在を許容させる第二次大戦後の日本の悪質な教育の具現体です。社会制度的に自己防衛だけしてあとは放置、というまあJudeな発想です。この他者を貶す悪質な人間がまともな人間をヤクザ扱いして「暴力団」の唯命のもとそのマンガ的キャラクター性をターゲットになすりつけて自分らの暴力はひた隠しにして汚いものを被害者に押し付けた挙句自分らはよろしい位置に居すわる、ということを行うんですね。また男性が女性に対してだとか年長者が年少者に対して何を行ってもいいというスタンスを保持しているものとしてこれがあらわれることもあります。家父長制度的というか、上になれば何を行っても自由だとか思い込んでいる下俗悪な馬鹿だということです。

 前にHellequinという記事で女性の鑑識眼について書いたんですけど、だから犠牲者を十字架に掛けてキリストたらしめ需要を作ってきたJudenたちは、女性的であるというよりは、自分らが鑑識眼を持つ者であらんがためという目的ありきでキリスト的犠牲者を犠牲者たらしめている(たらしめてきた)ということであり、これらが行っていることはひたすらな理由後付けに尽きるということです。まあそりゃ女性とか男性とかいう以前にヒト扱いされないわけです。もちろんユダヤの部外者には通用しません。だからユダヤという既得権益集団を、作ろうとするのか、作ったから排斥されたのか、二千年前や三千年前にタマゴが先だったのかニワトリが先だったのかは私は知りませんけど。
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