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the chancellor
 Memento Mori.




 ADSLの回線の異常で9月25日から2週間くらいネットに繋げなかったので、耳栓をしないと騒音の激しい室内から外へ出るかということで、この間久しぶりに買い物をしに二子玉川へ行ったんですけど、こういうある程度大っぴらな外出だとストーカーの皆さんは絡んでこないんですね。で、そこらへんの近所のスーパーへの買い物だと執拗にカラんでくるというイヤらしさです。
 私は今でも何ヶ月に一回か酒を買うことがあるんですけど、といっても買う銘柄は決まっていてイタリアのDISARONNO社のアマレットというやつです。たぶんマフィアのコワいおじさんたちが作っている酒です。齢31にして体の節々が痛む私には、あんずの核で出来たエキスの入っているこのアマレットという酒はよく効きます。で、これを買う時には決まってスーパーでキモいオバさんや母親になりたてな感じの中年くらいの若いオバさんが見張っていて、「ハハぁぁん、テメェそんなもん買ってんじゃねえよ」という顔でこちらを見てオマエを監視しているんだぞということをこちらに知らしめてくるんですね。文学的解釈上nichtなアニムスはエーテルみたいな媒介物質であるとか、女も子供を産んで中年を過ぎると何もかもがふっ切れてその根底にわだかまっていた実はイヤらしかったところのものが発現しはじめるという……のは男の願望混じりの解釈であって間違ってますけど、やっぱり現象的にはオスよりメスの方がヤラしい、自他両方向にヤらしい思いをしている、のではないかと。
 ちなみに耳栓をすると抗精神病薬を服薬した時と似たような感覚が脳にもたらされます。だから日中夜問わず私SSの脳は騒音でやられていたということです。おそらく私が子供の頃からひたすら騒音で攻撃されつづけていたということです。M'z a 悪意医師はひたすら「外へ出る!」と診療室にて言ってましたけど、私は自分が外へ出て取る行動ばかりに目がいって外へ出ること自体が重要であるという発想がありませんでした。

 あとやっぱり牛乳は一日あたり少量にしておけば摂取した方がいいものみたいです。あまり運動をしない私は牛乳を飲むと黄色い尿が出なくなるんですけど、運動不足の人間が多量に摂ると問題がありそうです。
 変な話ですけど、ヒトは成長期にいたずらに人を攻撃したり「ストレスを解消して」しまうと多分肉体の発育が未熟になります。病気にならない程度にということであって、私SSのようにストレスを溜めすぎて病気になったら元も子も無いですけど。やはり成長期には牛乳を飲んで健全なタメを作っておくのが良いです。今はもうネットというこれの代替物があるんで大丈夫ですけど、苦しみをサッサと解消してしまって人間として大切な何かというものを知らない人間は他人を育てたり他者に対して好意的に接するその仕方を知らないんですね。このコミュニケーション障害風の欠陥者はヒトのメスよりもオスに多いです。こういった自分はしたりメスを得て孕ませるという野蛮な原始人的発想しか抱けない人間が人の親になると確実に子供を虐待して最悪なことになります。私は父親がこういった人間でした、戦後の日本の大手マスコミ新聞関係者であったユダヤのゴキブリブタです。私はたぶんもう4歳児の幼稚園に入ったばかりの子供の時点でもうグレていたんです、おそらく幼児期からして自分の親があまりに不甲斐なくダメであることを見ていて。まあ内心を吐露するのであれば私はコノさんざんヤらかしてくれた親特に父親には未だに復習する気を満々に持ち続けています。私はもうこの擬似マスコミ権力を使ってさんざん自分を嬲り者にしてくれた畜生の如き父親のせいでまともに社会参画はできませんけど、こんなモノの息子でありながらまともに生きる・生きることが可能である気はサラサラありません。当然こんなゴキブリブタと同じにはなりたくないのであって悪事には及びません。なんか現在も某機関に所属し(?、笑)、その存在を証拠づけるために父親MSの名前は記載されていないところの私SSのMSの被扶養者であるという記載がされた健康保険証までが配布されてますけど、現在大方そこらへんにアパートかマンションでも借りて平日だけ背広を着て外出しそこに滞在し夜は不定期な時間を故意に狙って帰宅してくるという演劇を行うといったことあたりがオチの事実です。もちろん役所も精神科クリニックにも手が伸びてます、来院者の許可を取らずに来院者の家族と精神科医が接することは日本の法律で禁じられています、という前にもうN口クリニック院長であったところのN口先生は撤退させられて既に悪党の一員が精神科医として配置されてます、何故こういったものが平然と警察に捕まらずにいることができるのか理解できませんけど。私SSの場合はある意味特例として何処まで騙せるのか実験されているということであって、何度も言ってますけど調子の悪い人は精神科へ行って医師に診てもらってちゃんと医薬品を処方してもらってください。精神科というのは場所によってはそういった悪徳な違法行為も担っており、また逆に精神科医が脅されるケースもあるということです。私SSの場合は私の父親MSがあらゆる汚い手を使って典型的な「『自分はキチガイではない』と叫ぶキチガイ」を私にSSに自分自身のキャラとして演出させるということによって心理的苦痛を与えると同時に若い頃からギャーピー叫び立てる自分をキチガイ扱いした息子への復讐(自分の息子が復讐の対象になっている時点で人間性のタカが知れているが)そしてあわよくば日本のユダヤ赤熱豚マスコミ権力増長を狙って利用するくらいのことを行っていた豚畜生です。まあもう今は誰も人間の人間たる低レベル性の権化であるような新聞も読みませんしテレビも見ませんけど。つまり戦わせるために戦わせようとしているのであって、与えたツールで何処まで足掻くか特定の権力を持った人間たちが実験をしているわけです、が、残念ながら私はこのブログを読んでもらえば分かる通りユダヤからはかけ離れているのであって、私の父親のMSというユダヤのブタ男がまるで私がユダヤであるかのように私SSがMSによって被差別であるという点のみにおいて見せかけユダヤによる逆差別・ナチ狩りを行うということを必死に行っていました。戦争賛美者がユダヤ人であるというのはこういったことです。ナチスの行ったことは間違ってますけど、ヒットラーが「わが闘争」で言っていることは実に合理的です。何時の間にかこの日本という国は悪党の跋扈する無政府主義国家と化していました……ところを近年になってアメリカの人たちがネットを与えてくれたおかげでやっと良くなってきたんですね。……私の父親のこのMSという男はそういった人間です、無力無能で弱いくせにひたすら見せかけと虚構でまるで自分が有能で強いように見せかけ他人を騙し欺き陥れることによって相対的に自分の位置を上げ悪党に向かって「拾ってぇ~」とヌカすユダヤのブタ。

 日本でもおそらく他者を引きずり下ろして自分のポジションを相対的に上げて何かを得るということが行動原理となっているアカい豚があたかも正統な一般人であるかのようにはびこることはおそらく第二次大戦の前にはありませんでした。売国奴という言葉は私は嫌いな上に日本の国土には中国の人や朝鮮の人たちも住んでいるわけであってこの言葉は使いたくないんですけど、先にも書いたように、あろうことかJudeなアカい豚がナチや国粋主義者を装って本来的にそうである人たちを潰すということを行うんですね。まず差別するのが悪いナチスで差別されているのがかわいそうなユダヤ人だという単純発想を子供に対してひたすら刷り込みによって植え付けるところから始めたナチ狩りです。コレを第二次大戦後にサブカルチャーと日教組という豚畜生の集団が教員として公立小中学校で子供たち相手にひたすらおヤりになってくれました。子供は愚劣で卑劣な教師にひたすらレイプされました。ニューアカなんてものは(笑)の付属品です。こういったのは本当に"Hey Jude, Don't let me down."というセリフを他人にぶつけられうることを地でイってます。マスコミなんてものは少なくとも第二次大戦後の日本のものの場合は2ちゃんねると同じです。黄色人種で徒党を組みたがる奴らというのはああいった下劣な連中なんです。読売だろうが毎日だろうが朝日だろうがBBCのニュースサイトなんかと内容の違いを鑑みてもらえば一目瞭然です。
 不本意ながら私も先の記事で日本人が愚かとか言ってしまいましたけど、元来的に日本人が駄目なのではなくて、「日本の国土に生息しているヒトの群れのもと差別はあってはならない」という絶対的テーゼの下に皆同じ日本人という前提で「日本人は○○がダメ」「日本人は~でおかしい」と子供の頃から日教組にお鞭撻された頭の良い優等生であるがしかし馬鹿という中島義道さん的人間(私も10代の子供の頃この類の人間でした)を使って「日本人」なるカテゴリーを悪役に設定し攻撃させる悪質な連中が居る(た)ということです。まあ中島義道も大塚英志も残念ながら売国奴です。これは、日本人はもとより中国人がどうとか朝鮮人がどうとかということではなくて、どのような社会においても社会的低層に数が多い「汚いものをまるでそれを自分が好きであるかのように半ば脅迫的に思い込むことによって現象的にはそれを自分は好んでいることに設定する」という病的な連中、または日本においては第二次大戦後~前世紀の終わりまでのさばっていたところの戦前アカと見なされ戦後は主導を担っていた野蛮人たる戦闘屋やそれに引っ張り込まれた犠牲者たる悪質な人間たちです。



 先に挙げた芥川龍之介の「歯車」という小説では、もちろん主人公である芥川はそもそも在りもしない性欲もしくは潜在意識にわだかまっている性欲を(現象的に)在ることにされてそれを(現象的に)喚起せしめられようとしてますけど、まあフロイト先生の言うところのイドが人間の存在の根底にあるものであることが主人公をストーカーする人間たちの加害行動原理になってます。これは間違いではないですけど、ユダヤ人フロイト先生による被害者本人が受けた教育によって培われた倫理的意識をないがしろにして少なくとも現象的には在りもしないものを在るかのように見せかけてしかもその被害を被害者が告発すると今度は被害者が在りもしないものを在ると言い(性欲を我慢できないのだ)という解釈を被害者に対して押し付ける、ということがいかにもJudenの所業です。豚畜生です。私はナチスやホロコーストを肯定するつもりはありませんけど、Judeな人間ばかりになったら人類は滅亡どころか金満な人間たちのために善良な人間が適当に利用されるというそれ以上に最悪なことになるのであって、当時ユダヤ人と呼ばれていた人たちを殺すというよりはユダヤというものそのものを排除するために仕方なく出来上がってしまったのが七、八十年前のドイツにおけるナチスです。
 たしかこの「歯車」に出てきたセリフだったと思いましたけど、「しかし光のない暗もあるでしょう」というセリフ、光のない暗とは何かというと、「自分が光になってしまうこと」だとかそのへんがオチです。ゆらぎです、Dinge an sichです、ユダヤ化です。神気取りは盲目、聖書にもあったと思いますけど、「神は愚かさを盲目をもって罰する」とかなんとか。自分が光になってしまったら自分以外のものは全てブラックホールです。では現実問題として具体的にどうすればよいかというと、逆を考えればいいわけです、日光によく当たるとか光の強い場所で生活するとか。自分がブラックホールになってしまえばいいんです。太陽の光が最も上質、次に白熱球や蛍光灯の光、LED電球の光なんかあんなもの使っていたらまずいことになるということです。

 だから浦沢直樹作の漫画「Monster」に示されているように、少なくともこの2000年間歴史を作ってきたのはJudenであり、何度も何度もユダヤに火をつけられて勝手にキリストたらしめてこられた人たちが拷問されながら苦しめられ生かされて需要の種類を生み出す装置として犠牲になってきたという文学的解釈は真実かもしれません。ユングはフロイトのリビドーを広く精神的エネルギーとか解釈を広げましたけど、Daに胎動するエネルギーから生じ得るものやいかに?ということでもあります、よほど肯定的なキリスト教的な解釈をするのならば。Adolf Hitlerさんはこれの犠牲者の代名詞です。鬼畜の所業です。差別が起こるのは当たり前です。少なくとも第二次大戦後の日本ではマスコミがひたすらコレをヤってきたのは事実であって、行われてきたものは基本的にはナチ(の指導者)狩りです。まず学校教育やサブカルチャーその他で「ユダヤ人は差別されてきた」「差別されてきたのがユダヤ人だ」というお粗末なテーゼをなぜ差別が生じていたのかということを考えさせず実態を鑑みさせずとりあえず植え付けておきます。「差別はいけない」という上昇志向の強い子供にはめっぽう効く単純な文言で。義務教育の公立小中学校で行われる文化祭や体育祭なんてものはあんなものはマンガです。次に思考や行動においてナチの性向を持つ人間に目を付けます。そして当のユダヤ人によるマンガ的演劇やマスコミを使っての逆差別でそのターゲットに被差別感を植え付けます。被差別者たる社会的コンテクストを植え付けられたもともとは健常な一般市民であったところのナチス狩りの被害者は子供の頃からこれを繰り返され刷り込みを行われユダヤを味方であると思い込むようになります。個々人における環境や知能程度によってこの思い込みは擬似的なものであることの程度に深い浅いの差があります。そして同時にそれがターゲットにとって肯定的なものであれ否定的なものであれ工学化された人間関係を適用します。で、人間関係を工学化しそれにおける仮想的な社会主義を想定しそして「釣ったところのその人間が欲するものは」ということで需要を仮想的に生み出し生み出してきて今に至ったということなんですね。これにおける「ユダヤ」を「悪党」に置き換えても通用します。昔ながらの少年マンガであったような「仲間を集めて大魔王をやっつける」というのは悪党による被害者に対する強姦殺人をキレイにデフォルメしたものです。いわゆる悪党は当該社会内において自分らを一般市民とは違った悪党として通用させながら同時に悪党である自分らの仲間を増やそうとします。ヨハンは犠牲者であって、テンマじゃねえフザけんな糞ストーカーが、という内容のマンガです、アノ「Monster」というマンガは。非常に悪質です。
 ちょっと言い方が悪いですけど技術というのは「失敗の産物」であり「間違いの産物」なんですね。が、今時もう居ませんけどナチ党員みたいな人間だって技術の恩恵に預かっているわけですし、ナチスにだって当たり前ですけど技術者は居ました。だから私は現代の文明社会をまっさら否定する気はありません。当然常識的な考えとしては弱い人間や悪質な人間の加害行為の被害に遭っている人間を助けてくれる人たちが居るということであって、私もそう理解しています。
 つまり百何十年前からかある(ことになっている)schizopfrenieなるものとしては、自分をスキゾたらしめた連中(人間)に対する最大の復讐は自殺することです。精神分裂病者が居なくなって一番困るのは精神分裂病者を精神分裂病者たらしめている人間たちです。彼ら彼女らは王子であり同時に乞食である者が死ぬとまたあらたに生贄の子羊を自分らの中から選び出します、つまり皮肉にも浦沢直樹というマンガ家はMonsterというマンガタイトルで被害者を騙し騙しモンスターたらしめてネタたらしめ見世物にしさらにまたそこからネタを創造してカネを儲けるという自分らの犯罪構図を吐露してくれているというわけです。アカです(「左」への流し)。創価学会というのは池田大作という人がその意思によって作ってますけど、Adolf Hitlerさんは他称の独裁者でした。逆に精神分裂病者を一人でも多く消し去りたい、もしくは抗精神病薬でモノ言わぬシャブ漬けのアンドロイド人形のようなalbeiter parteiの下層部構成員に仕立て上げたい、というヤクザさながらの人間たちも居るのであって、これは男性原理者です(自称「右」の定常点)。スキゾを扱う精神科医は人によってユダヤだったりナチスだったりしますけど、だいたいのところ大きく二つに大別されます。抗精神病薬をいたずらに用いるだけということのみを行う精神科医の治療は結果としては効を奏しませんけど、やろうとしていることの原理的には殺人であってつまり「もう楽になれよ」と言ってくれているということです。しかしそこで何らかの作業療法その他何らかの生存手段を与えるものであればそれは上記のアカいJuden以上にタチの悪い最悪の強姦魔だということです。精神医学的には極論すれば抗精神病薬以外で必要な薬というのは副作用の無い覚醒剤やヒトが安楽死できる薬のみであるというのはこういったことでもあります。



 レポートを一つ。

「 2012年(平成24年)9月26日、N口クリニック本院院内南側の相談室にて自称I福T子(仮称)の診療を受ける。ごちゃごちゃ質問をしてくるI福に対して『以前N和という心理士にこのあたりのことは全て話してあるのだが』と私SSが言ったらば、『わ、わ、わたしここへ来たばっかりだから分からないから』と言った。ここで私が『自称k子curseマ(仮称)に渡した資料にも目を通しておらず、カルテの内容についても私の質問に応じていちいち現場で調べておりつまりロクに読んではいなかったということである』と解釈するのは敵サンの思うツボなわけであって、これは新任であるから(何も知らない)というフリを装って患者の警戒心を解き患者にあらぬことまでベラベラしゃべらせてそれらから自分らに都合のよいものを取り出して記録に付けるという論理実証主義者たるユダヤのブタお得意の汚いやり方だということである。仮に、これがI福T子の言うとおりであるとすると、k子curseマからしっかりと引継ぎをしていないというのはお友達同士でもなく先輩と後輩でもなく上司と部下でもなく患者と医師の関係であってしかもその間に金銭が介在しているところのものにあっては論外である。しかもさらには、カルテを私SSの真正面で記載するにおいては何やら書き手以外には読めない蛇行の如き文字で記載するにもかかわらず、私が過去k子curseマに申告済みである内容について『それはカルテに書いてあるはずである』と申告したところ患者である私SSから隠すようにカルテを机上から斜め上へと持ち上げこちらからは見えないようにして過去のページをめくって確認するということを行った。これは、『患者が言ったことは確実に記載しているということを患者にポーズとして示しはするが、同時にその記載内容が患者が申告した通りの内容であるという確認は現場にてはとらせず、そして後になって事実とは異なることをして『患者がその時そのように発言した』という事実の捏造をすら可能にする手段』であり、悪質な精神科医のこれはこういったやり方だということである。ちなみに睡眠薬の処方について、私はk子curseマに診療を受けた8回のうちこれを処方させたのは2、3回でありそれをI福T子に申告したが、I福T子は『カルテを見ると8回のうち毎回処方していると書いてある』と言った。」

こういったやり方を行ってくるわけであって、明らかに悪いのは向こうの方なんですね。私SSは危害を加えられているわけであって、如何なる状況を強いても如何なる理由後付けをしても無駄です。善行と悪行が決まっていてそれが如何様なものであるかということは、ヒトの脳で合理的に考えれば知的障害のヒトや脳に物理的に損傷を負うその他で障害を負っているヒト以外の万人には理解でき知ることができるものなのであって、何を危害を加える側の人間が怠慢や逃避や甘えであるにもかかわらず正当人ぶっているのかという問題です。こういった汚いやり方で他者に危害を加えてしかし法律には触れずに得てしたりという人間についてはもうヤクザでも警察でもどんどん頼んで殺していってもらわないと社会も個人も何もかもがどんどん悪くなっていくんですね。私も不本意ながらさんざん言ってますけど、2012年時点でユダヤがどうとかそういった単純短絡な人種差別的発想ではいそうですかと終わって済む問題ではないです。社会的上層だとか低層だとかそんなことは基本的にはどうでもいいのであって、エリートサラリーマンや残念ながら理系ではないところの大学教授にすらも論理実証主義のエゴ豚が居たりします。悪徳な人間はサッサとどんどん殺していっていただきたいということです。
 ちなみにもうここまで書いたんではっきり言ってしまいますけど、コイツらは芸名です。ハンドルネームで精神医療の現場ってます。もうギャグのネタとしても通用しません。寒過ぎて笑えません。ちなみにN口クリニック本院は11月末にて閉院するとのことです。その後現N口クリニック分院とやらが現在入っている某ビルの4階の一つ下の3階に新たに本院と分院との区別の無くなったクリニックが入ることが決定しているとのことです。N口クリニック分院なるものが私SSが2012年1月に初回の診療の予約を取った直後に出来たものであるとかであれば笑える、というか笑えませんけど。

 先の記事で「まあいずれにしても、このネットが使える時代に不特定多数の人間によるストーカーたる演技者で満ちあふれる潰れかけの精神科へ行くバカなど私以外にはもう居ません。」と書きましたけど、精神科というのはこういう場所なんです。残念ながら抗精神病薬を処方できる(している)のは精神科医だけなので私SSの場合は通うのも仕方が無いんですけど、精神科はサクラの存在のために存在するのであってつまり何か問題を抱えている老人以外はもう誰も精神科へは行きません。サクラの存在のために存在している精神科はまさに現代社会における社会的禍根の代名詞です。精神科医と精神科クリニックや精神病院全体で患者の反発を煽っているほどの有り様です。脳神経外科の医師だとか内科の医師の先生たちが抗精神病薬を処方できるようになればいいんですけどね。



 ネットの掲示板なんかでよくあります(ありました)けど、第一者に対して第二者が故意に理解しづらい説明をして当然理解不能であるが故に第一者が第二者に対してあらためて言葉で確認をするとサクラである第三者が笑いその他侮辱のposeを行う、という攻撃の仕方があります。これの亜種として第二者と第三者が同一人物であるということもあります。こういったものにおいては脆弱な立場に居る(はずの)ターゲットに自分らの口封じが通用しないとなると、今度はまるでターゲットが特権的に強い立場に居る者であるかのように巧妙に見せかけてその上で加害側である自分らが脆弱な立場に居るということを何らかの手段によってターゲットに知らしめそしてその上で「弱者である(ことになっている)自分らを攻撃しないでくれ」ということをも同時に伝えターゲットの善人性につけ込むというやり方で被害者であるターゲットの口封じを行うというやり方もあります。全ては「見せかけ」です。10年くらい前のネットでも掲示板その他でひたすら行われてましたけど、工作員としか表現しようのない連中によるそれが一般的・通常・普通であるというひたすらな「見せかけ」により被害者にそうであるという自覚を促しめることなく危害を加え被害者たらしめようという試みがひたすら行われていたんですね。そしてその何年経った後でネット掲示板と同程度に下劣悪な日本のマスコミが「二極化、二極化」と必死にやかましいことこの上ないチンドン屋をギャーピーやらかす、ということをやらかしてました。他人に危害を加えてでももしくは他人に危害を加えるために生きようとする弱者ほど悪者はありません。

 「そんなに『言う』ならね~」とか「言い訳するな」と言う人間時々居ますけど、そういった人間が言葉を使う場合その大部分は「言い訳」であるということです。つまりこういったのは他人を蹴落とす以外では生きる術を知らぬものである、というわけです。こういった連中とそうではない一般の人間たちの場合では同じ行為においてでも認上(認識上、認知上)全く違うものであるというのがオチです。こういったのには何がどうなっているか言葉を使って説明をする・されるという発想がありません。内容を鑑みる前にこういった人間にとってそれはsayでありsagenなんですね。唯名論的です。つまり契約関係という発想がありません。つまりその表象上のものとは逆説的に彼らは戦場では生きられません。だからこそ徴兵されません。戦争が内乱に転化された社会でのみ安全に他者貶めを行うという場合においてのみ彼らは生きることができます(にもかからわずこういった人間たちは「右」の定常を極めることができません、「左」から「右」へいくという形でガンバっているからです)。目の前の現実から逃避しているのであって甘えに走っているだけです。言葉で伝えられないこと(ものわかり)というものはありますけど、しかしこういった人間たちが言葉を使う際に発する言葉のその内容はと言えば全て虚構と欺瞞であって、そうではない人間たちが言葉を使う際のような何かを説明するという発想が無いんですね。こういった人間たちにとって言葉や言うという行為というのはワンオブザツールであって、「情報」という発想が無い、何がどうなっているかをそりゃ数学の問題を解くのでも何でもと同じであるところの言葉を使って説明をする・されるということ自体が認知不能なんですね。私もDaseinという単語を連発してこういった連中を擁護することを書きましたけど、残念ながら彼らは野蛮人です。こういった人間はヤクザか哲学者になれというのであって、中島義道さんがヒットラー的であるというのはたしかに道理です。アニムスな真のニヒリストはもちろんおそらくは存在しないのであってこれを志していたヒットラーはDaseinというよりは理科系の頭でかつ女性的であったパターンであり私SSもこれとよく似てます。で、彼らのようなヒトばかりであったらば人類の文明はここまで発達しませんでした。衣服も食品の99%も建物もスポーツ用器具も貨幣も法制度もその他諸々のものも現代社会に存するもののほぼ100%は存在しませんから、そこらへんの原っぱで全裸で枯木をこすって火を起こしながら川の生水を飲み性欲の衝動が起こった瞬間にオスとメスでウホウホヤってろということになります。当然直ぐに死滅します。一対一の男女関係以外の場においてこれを持ち込む彼らは「おチ○コ」「おマ○コ」の世界の住人であり、種の保存のためだけに生きているJudenです。ナチス下層構成員なんてものはJudenと何ら変わりないのであって、私はナチスを肯定する気はサラサラありません。で、実はナチ狩りというのは指導者属性狩りなんですね。いわゆる悪党が目論んでいるのは民主主義というよりは愚衆を招きたがっているところのものであるという表現が適切です。
 「民」の愚かさというのは当たり前の帰結であって、民主主義社会に問題があるというよりは、民主主義社会においてすらもそれが証明されうるということです。民主主義社会のアメリカが生み出した経済活動の構図であっても、大量生産大量消費を基本に消費者の商品の消費スタンスまでをも管理される(形になっている)という一般的アメリカ像は結果としての帰結であって、やはり誰もが安定した社会の存続を望んでいるということです。オスがメスを得るためだけの行いの原理であるべきものを甘えによって個人と個人との契約関係から逃避しそれを無視して場合によっては暴力に走り、一般的な人間関係にこれを持ち込むというおそらくは黄色人種に多々観察される特徴が残念ながら存在するということです。東アジアの国土において民主主義を適用すると残念ながら「民」の愚かさが多分に発現するということであって、黄色人種は(よほど肯定的に表現して)民度が高い、つまりは愚かであるということです。
 経済学というのは元々物事について合理的に考えた結果そうなるということを説明し、またそれを使ってどうしようこうしようというものであって、「経済学を教わる」とか「経済学を教える」という表現ほどナンセンスなものは無いです。そもそも「教える」「教わる」というのが文科系や低学歴の発想であって、例えば数学の問題を実際生徒に解かせずに「数学を教える」数学教師ほど無能で馬鹿な人間は居ません。文部省(文部科学省)の教育指導要領以外の余分なものまで自分の人間たるエゴを丸出しにして子供に押し付け「(人間はこうだと)教えよう」とするのは馬鹿な教師であり最低な教師の典型です。経済学は理科系です。亜流のものであってあまりよろしくないですけど、仮にそれを学ぶのに数学を使わなかったとしてもです。時々理科系であるにもかかわらず論理実証主義を振りかざすバカが居ますけど、論理実証主義は文科系の産物です。人文科学や社会科学において論理実証を振りかざすから論理実証「主義」なわけであって、自然科学において実験をしてデータを集めるのは数学という絶対的定式ありきの必然的行為であり必然的結果の補足です、「ホラ、こうなるでしょ」という。数学という絶対的定式が無いにもかかわらず実証データにより在りもしないまるでそれが数学であるかのような絶対的テーゼを生み出そうとするからそれは間違いであり間違えるということです。経済学は人間は如何なる時も合理的行動を選択するものであるという前提のもと人間の行動を取り扱うものですけど、そうではない文科系の学問分野で絶対的テーゼが欲しいのならば文学の詩でも勉強していろということです。また、もし自分が理科系やであることにこだわりを持っているようなお目出度く間違えたクズが居たらばソレはその人間が文科系の証です、低学歴に多いですけど。中二病臭い科学的態度や理科系であることにこだわっていること自体が自称理系の文系人間のものだからです。

 で、こういったのの中には「じゃあ(自分がやっていることを)お前がやれ」とか何とか言うブタクズが居ますけど、ブタクズにおかれましては当のブタクズ自身らが「お前らはやるな」と言われうるという問題です。自分らの悪事にベールを掛けて誤魔化すための自分らのいたずらな社会参画を前面に押し出すという逃避なんですね、コレは。人口の維持のために仕事がワザワザ作られているブザマな有様が現状なのであって、いいからお前らは何もやらなくていいからサッサとまとめて首を吊って死ねという問題です。悪事に及んだ事の成り行きを帳消しにするためにオシゴトに及ばれるゴミブタクズにおかれましては、「自分らがやってる」という建前を押し出して奴らの存在が肯定される筋など何処にも無いのであって、貴様らは貴様らのために存在しているだけであって貴様らが居なくなれば大方の社会問題は解決される上に労働需要が無駄に圧迫されることは無くなるだろうがたわけが、という問題です。ネットの掲示板で一部にはびこるグダグダグダグダ安全地帯から対象を叩きまくるチキンクズのゴキブリブタ虫共は所詮そういった属性の卑劣者であって最初から被害者には相手にされ得ないにもかかわらず輪姦を繰り返していたイジめられっ子属性の卑屈豚であったということです。
 私SSはこのブログを書き始める前のとうの昔から親の仕事関連もあって狙われてるんで、いわゆる「悪い奴」らにひたすらまとわりつかれてあろうことか場合によっては正義ヅラをされることすらあります。というかそもそも私の場合は近親、両親や犬糞bitchの典型のような母方の伯母や先に書いたように父方の叔母あたりがこの「悪い奴」とやらの典型なのでどうしようもないです。もし仮に私が外を歩くだけで金銭を稼いで得ているというのであれば私が外出するだけでストーキング行為に及んでくる不特定多数の人間たちの行いもまだ百歩譲って理解できますけど、私はこのブログ用の文章を書きネットにupすることも含めた日常生活のすべての面においてそれによって金銭を得ているわけではないです。まあ哲学的に考えるのならば、だから結果として現象を見るならば不特定多数によるストーカー行為を行う連中やそれに派生した連中が働かされるという意識のもとに不本意に働かされるという連中にとっては不本意なDaが結果として現れてしまっているということです。因果応報。

 まあ村上春樹の吐しゃ物のような小説でもエヴァンゲリオンだかのブサイクなしゃくれアゴアニメでも画像修正ツルツルピカピカの下品なユダヤのエビルとかの女芸能人でも、こういったのは自分らJudeな不良チンピラはこうやって必死に生きてる(きた)ということを実態感として教え込みたい・知らしめたいんというものもあるんでしょうね。残念ながら実態としてはもうネットもアメリカの人たちが与えてくれた上に昔とは何もかもが違うんですね。たしかに彼らの感慨は言語化や映像化された「情報」では理解できません、だからネット上の実体感を伴わない「情報」では分からないというのもあります、が、彼らにはちょっと可哀相ですけどそもそもそんなもの残す必要があるのかということです。おそらく地球上の何処に生きる人であっても、現代の社会に生きるにおいて、中世やそれ以前の人をやたらめったら襲っていた夜盗・野盗の感慨なんざ分かりませんし分かる必要もありません。三浦健太郎の漫画とかあんなもの畜生です。同じく前世紀までの戦争なんてものは愚かな人間の愚かな人間による愚かな人間のための野蛮人の所業であって、そういう風に解釈して、データとして残されていれば充分過ぎるということです。戦争なんざあんなもの何も産みません。敢えて言うならユダヤの金貸し屋が儲かるだけです、戦争は最も儲かる事業であるということを言う経済学の研究者も居るくらいです。
 結局、前世紀に威張り散らかしていた正々堂々と勝負するだかなんだかを正面に持ってきて偉丈夫を気取っていた自称本物のワルもたどりついたところはネットの巨大掲示板群その他であって、結局連中がエサにしていたようなチョロチョロ逃げるのと同じかそれ以下の程度の行いをしていたということです。サブカルチャーすらもがこれに利用されてましたけど、結局は自分らの暴力をどうにかして場合によっては美化してまで肯定させることにいそしんでいたということです。私はワルだったわけではないのでそういった世界の人たちのことはよく知りませんけど、ああいった人たちだって自分は本物のワルだぶっている若いチンピラをたぶん下から拾ってくるんですね。その上で「ものわかり」を教えてたぶん後継を育てるという一般的な勤め人と変わらないやり方なんでしょうけど、オタクですらそんなことやらないようなというよりは自称本物ワルだからこそやるような矮小な卑劣行為でターゲットを貶めるあのネットの自称ワル共の子豚虫みたいな所業を見ていると素人目にもああいった人たちの後継になりうるような人間というのは居ないんではないかと思ったりもします。結局ああいった連中も百害あって一利も無いところの女が女を引きずり下ろす女のイジめみたいなものをやるんです、特にこの日本という国土に生きるヒトの場合は。
 「男が戦って女を守る」という時代は前世紀で終わりました。発想的に野蛮人というか下手をすると古代ギリシアまで遡ります。「戦う男がかっけえ(笑)わけねーだろ?」というわけであって、戦う男なんてのはブザマです。私は不本意ながら戦いのために戦わされてますけど、戦う男なんてものは単なるブザマな野蛮人です。というか私は私を戦わせようと強いてくる男に対して戦って他人を押しのけ引きずり下ろし殺してまで生きようとする人間の愚劣さをこれでもかと知らしめるのが大好きなんで、コレは日本人の男に多いんですけどヤクザになる覚悟も無いクセにヒトでありながらサルやゴリラのような野蛮人に野蛮人が社会不適応者たる野蛮人であることを知らしめまた私がこういった野蛮人とは違うということを野蛮人に知らしめることほど楽しいことはないです。悪党に対して自己防衛して後は我関せずという態度を保持することは悪党の存在を悪党として認めることになるんですね。悪党に居場所を与えると悪党はそこで悪党として生き延びようとしてしまいます。逆に私は、現代であっても一人で生きていける強い女の人を見ると尊敬と畏怖の念を抱きます、ちょっと恐いです。St. Elmo's fire lightという記事で人間を弱者と強者に分けることができた場合のカテゴリー分けをして「Ⅲ 自分より強者に対して弱く、自分より弱者に対して強い、という人間」というのを考えましたけど、Ⅲは少なくとも文献の類を読むかぎりでは歴史上の全てのユダヤ人です。タビデの星をひん曲げてそこに強引にヒトをつっ込んだエニアグラムのタイプ1もタイプ2もタイプ3もタイプ4もタイプ5もタイプ6もタイプ7もタイプ8もタイプ9もすべてこのカテゴリーⅢです。こういったのが何故そうやって貶めるべき他者を設定するかというと、当然叩く対象としての第三者の存在がJudenにとっては加害か被害の対象でしかない第二者からのシールドや回避器具の役割を果たしてくれるからです。また、「主体性が無くかつ人間関係が工学化されている」からです。

 当然こういったチンピラというか悪党に働かれると労働需要が減るという点においてもそういった不良人間が所得を得てしまうことによるその使い道による治安の悪化という点その他でも非常な社会的損益が生まれます。健常な一般市民の職と生活がこういった不良チンピラのクズによって奪われるんですね。しかも不良チンピラのクズが所得を得られてしまうことによって何を勘違いしたか「じゃあ自分らの代わりにお前が『やれ』」とホザく始末です。お前ら不良チンピラのクズは「やるな」、一刻も早く首を吊って死ね、ということであって、労働需要が増えて社会不安が減ればそれだけ健常な一般市民が職に就きうるということです。何故こんな単純なことが分からないんですかね?それとも不良チンピラのクズは甘えで自分らの存在が許されると思ってるんですかね?他人を押しのけ危害を加えてでも生きようとする人間に生きられることほど迷惑で有害なことは無いんですね。ちなみにこういったチンピラ男の言う「いい奴」「悪い奴」なんてものは、そういった連中にとって都合がいいか都合が悪いかでしかないわけであって、自分らに都合よく体のいい利用の仕方が出来るか出来ないかでしかないです。現に連中自身よく喧嘩や殺し合いをします。



 ヘーゲルは、自己が外化されてそこから世界としての自己を見るようになる(全て知る)、そしてその後世界化された自己(の肉体、骨)に自己意識が還ると、自己は世界化された自己という世界の中に納められ、そして外界に自己内にある世界を見ることになる、この時宗教や芸術が成立する、みたいなことを言ってます。世界内にある自己が、自己内にある世界を見るということです。

「精神的-有機的な存在は、同時に静止的な存立的な定住という側面を、当然もっている。前者すなわち精神的側面は、自立(対自)存在という極として引きさがり、後者すなわち定住を、他方の極としてそれに対立させねばならない。それから、この他方の極は、精神が原因としてはたらきかける対象である。そこで脳髄と脊髄とは、精神が、いま言ったように、身体的に自立したもの(自覚、対自存在)だとすれば、頭蓋と脊柱が、この自覚(自立、対自)存在から分離された、もう一つの極としてさらにつけ加わり、つまり固定し静止した物としてつけ加わってくることになる。―中略―だから、脊柱は当然捨てられるのだと、言いたければ言ってもよい。頭蓋だけが、精神の諸々の器官を含むものではないという説は、その他多くの自然哲学上の教説と同じように、虚構されたものなのである。というのも、このことは、精神-身体関係という概念からは、すでに除外されてお、そのため、頭蓋が精神の定住する側面だと、されてしまっているからである。言いかえれば、事柄の概念を想い起してはならないというのならば、経験でさえも、器官としての眼が見るのと同じ形で、頭蓋が人殺しをしたり、盗みをしたり、詩をつくったりするのではない、ということを教えてくれる。だから、これからまだ問題となる、頭蓋の意味に対しては、器官という言い方はさしひかえねばならない。なぜならば、理性的な人は、言葉ではなく事柄を問題にする、と普通言われるけれども、だからといって、事柄を事柄にふさわしくない言葉で言い表してもよいとは、考えられないからである。というのは、こういうやり方は、下手なやり方であると同時に、いつわりであるからである。つまり、ただ正しい言葉をもっていないだけだと思いこみ、またそう見せかけるだけであるならば、その概念には正しい言葉もあるだろう。――だからさしあたりここで定められることは、脳髄が生きた頭であるように、頭蓋は死んだ頭であるということだけである。」

これはヘーゲルの「精神現象学」からの引用です。私が先に書いた「悪気は肉体の病から」というのは唯脳論的見地に基づいているのであり、これは唯脳論とともにおそらく間違ってます。唯一在るのは脳ではなくてDaということです。日本語で「神」という文字を使う表現はちょっと誤解を招くのであまり良ろしくないです。ヘーゲルはこれを脳髄とか脊髄とかであると言ってますけど、これも「(生きた頭である限りにおいて)間違って」ます。ヘーゲルの言説内での正解は頭蓋です、精神が定住しないからです。Totenkopfはヘーゲルに拠れば世界だということです。……ということは逆にヒトの肉体の機能を司るものが脳であるという科学的見地によれば精神の存在を事実であると考えてもよいということかもしれません。



 私は時々エロマンガを見るんですけど、男性には元来的に女性を性的にどうにかしてしまいたいという性的欲望があります。だからオスはネットでエロ画像を見るのも万事ありき、という発想のもとそのような行動に及びます。「ああ、ああ、コレコレ、これがオレらの中に内在しているモノさ」という感触です。逆に女性は汚いものを見ると汚くなるつまり悪い情報を取り入れると悪くなるという発想です。だからメスはエロ画像を見るオスや男性器に対して「きゃあ汚い!」という感触を持ちます。元来的には女性には男性に性的にどうにかされてしまいたい・男性を性的にどうにかしてしまいたいという欲望は無いからです。というかもしこの文章を読んでくれる若い女の人が居たら男のペニスに対して汚いという感慨を持って下さい、「えぇ~チ○コじゃん」とかいう適当なノリが一番ヤバいです。で、どちらが合っていて正しいかというとメスの方なんですね。やはり情報はそれがいかなる種類のものであれ潜在意識・無意識下に溜まる、「腑に落ち」ます。情報を腑に落としてもペニスが大きくなるわけではないです、むしろ私みたいに体調が悪くなったり病んだりして萎縮します。男性器が肉の穢れたるアニマで女性器がニヒルなアニムスであると考えるとまたこれはこれで分かりやすかったりします。私は昔知人に「セックスなんざヤっても『アレ?こんなもんなの?』ってなモンよ」と言われたことがあるんですけど、おマ○コなんか見ても「アレれ、中になんも無いじゃん」というところがたぶんオチです。

 このブログもここまで書いてどうやら私SSは女好きなのではなくて男嫌いであることが分かりました。これは自分の父親に端を発してます。第二次大戦後の日本における穢多畜生所業であるユダヤマスコミ新聞業に携わっていたという点においてもそうですし、もちろん論外ではありますけど渡辺恒雄くらいのアレならばともかくチキンクズのザコ虫であるにもかかわらず幼児的演技により強い男ぶりエディプスたらんとするそのカンチガイぶりがウザいの一言では到底形容不可能である程に激烈不快であることもそうです。だから私は、ヤーさんは恐いですけど、いわゆる右翼に親近感を感じます、強い男を体現して強いということがどういうことか教えてくれるからです、高校も右の私立高校を選んで行きました。悪い人間は殺してくれとしか言い様がありません。だから私は遠距離攻撃でひたすら自分らの卑屈さと無能力さをアピールするためにヤらかしてくるそこらへんの一般的ジャップのオスひいては黄色人種のオスが大嫌いであったのだということを最近知りました。とてもあの卑屈な一般的ジャップのオス共を仲間だとは思えませんし考えられません。別に私から彼らに危害を加えようとかどうこうしようとかは思いませんし賃金労働への欲求はありますけどとてもではないがコレらと一緒に働こうという気にはなりません。

 男が女を辱しめるからすぐに女は精神を病みます。分裂症を発症します。明治や大正の昔は産褥熱といって産後の女性が精神的ストレスで病んでその流れで精神分裂病・分裂症発症とか多々ありました。それ以前の江戸時代より昔はたいそう悲惨だったでしょう。

 助けてくれるのも女、危害を加えてくるのも女。男など最初から居なかったのかもしれません。
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