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Hellequin
 夜の風の見えない親切さ。




 ひとつ手だと思うんですけど、今の10代の前半くらいの人たちは、勉強したくない人たち皆で大学へ行くのをやめりゃいいんじゃないですかね?ネット使って。そうすれば通っても価値の無いいわゆるFランク大学や低層の大学の文系学部は消えて無くなり、そして高層のMARCHレベル以上の私立大学の文系学部のレベルが元に戻るというか高くなります。そうすると法学部や経済学部以外にもまともな学生が集まるようになって文学部が文学部として生き残れます。そして社会的低層としての労働力が余剰しますから今の30代や40代の大人たちはその労働力を生かすためまたは人を人として生かすための何らかの対策を採ります。パートタイマーでストレスの溜まらない仕事で月十数万も稼げれば御の字という人達があちこちに居るわけであって、彼らのために仕事が作られます。バイト君を大量に生み出すわけにはいきませんから、ノンキャリアの特定雇用枠かなにかがあちこちに出来るんです。金を稼ぐという発想のもと労働が行われるという形態の社会ではなくて、社会全体で都合のいいように金を動かせばいいんです。勉強をしたくなかったり学びたいことの無い人達が就職のためにわざわざ大学へ行かなくても、普通につつましやかに暮らすためのお金は楽に稼げるようになります。余分な業界へ流れる人間も減ります。悪事は大分減ります。今の若い人たちはネットのおかげで昔と違って大分頭が良いんでいたずらに生殖に走ることもないです。犯罪も今よりさらに大分減ります。もう昔のようにいたずらに被差別カーストが生まれることもありません。経済学というのはこういったことを考えるための学問で、経済学者という人たちはこういったことを考えている人たちです。彼らは数学を使ってこれらを解析したり説明したりする術も持ってます。慶應や中央に総合政策という学部がありましたけど、そういったところへ行くくらいだったら経済学部へ行くことをおすすめします。
 ちなみにFランクでなくともEランクあたりの私立大学(神奈川大学とか中京大学とか、日東駒専未満)だと理系学部であっても就職先は文系サラリーマンが大多数を占める普通の小企業です。



 自分より下であったり劣っている人間に危害を加えて、後で手痛いしっぺ返しを食らって嘆いている人間が居たとして、「じゃあお前は自分より下の人間であったらもしくは被害が自分に及ばないのであれば他者に危害を加えてもよいのか?」という問題がそもそも根底にあります。そういう小学生のイジめみたいな発想でそういう甘えた行為が通用すると思っているからダメなんですね。こんな人間ばかりであったら社会は崩壊します。これはユダヤです。

 私事ですけど、私は父親を求めているところがあります。弱いくせに悪事に及べば強いと思ってもらえると思って必死に悪事に及ぶ自分の父親があまりに幼児的であり父親としてあまりに情けないので、自分を指導してくれる人間を探しているところがあります。だから学校の先生やなんかには好きや嫌いの感情をその個々人に対して思い切り丸出しにします。これはファザーコンプレックスではないです、いつかの記事で書いたと思いますけどファザコンというものは形容矛盾であって存在しません。そして私はマザコンではないです。コンプレックスを持っているとしたらそれは自分を指導する人間に対してです。だから私は教育に関して興味がありますし、子供のころ一時期学校の先生になりたいと思っていたこともあります。大学の時も教授の話を研究室によく聞きに行きました。

 大手マスコミ新聞関係者であった自分の父親でも独立行政法人国立精神・神経センター病院の精神科医であったM'z a 悪意(仮称)医師でもそうですけど、Judeな論理実証主義者なんてものは帰納的であって最初から目的ありきなものでご都合主義に合わせていくらでもありもしないテーゼを作りだしたり既存の何らかを自分にとって都合のいいように利用したりするんですね。だから気に入らない相手を攻撃するために法律をいくらでも使いますしまた自己保身のためにいくらでも法の目の網をすり抜けて悪事に及びます。ユダヤ人が非道・外道であるというのはこういったことです。私SSは仮に非道や外道と極道のどちらかを選べと言われたらば極道の方を選びます。そんなに何らかの定式が欲しいというのであれば子供のやる数学の勉強でもやっていればいいわけです。まあM'z a 悪意医師はお若い先生だったので診察室で敵役を演じて私を挑発して何かをやらせようとしていてくれたということなのかもしれませんけど。



 仮に人間関係を工学化・人間の関係の「関係」たるものを工学化するとすると、例えば仮にそれがactiveなものであれpassiveなものであれ唯脳論的にでもなんでも何らかの手法で二者択一で世界(da)の有り様を取り決め・設定している人間が居るとして、禍を巻き起こすのであっても禍を消すのであってもその人物が何かを行った瞬間に世界に対する凄まじい影響が発生します、それがどのような経緯をたどったものであっても。つまりこれを考えるにおいて権力や社会的地位は関係無いです。女性というのは男性と違ってその当該人物がどうであるかについて、このあたりのものを見抜く目があるんですね。「いい男」がどうとか。これを論理実証主義的に解明するためには、遠い将来スーパーコンピュータがとある瞬間に世界(Da)に起こった全ての事象を演算して導き出すなりsearch(search forではない。「探す」における対象が目的語にならない。しかしこのsearchは他動詞。つまりこの動詞の目的語になるのは?という意味)するなりしてその結果を何らかの形の言語を用いて記録するということが可能にでもならない限り無理です。それをダビデの星をひん曲げたエニアグラム図にあてはめても、間違った結果が導かれて、お前はたわけか馬鹿の教祖かということになるだけです。
 ……たぶん悪事を働かなかった人間がそういう役割を負うことになるんですね、「いい男」は良い男ひいては善い男だということです。

 前世紀の日本の不良娘たちがよく言っていたところの「いい男」というのが現実に人間が形成する社会において健全な具体的社会的役割を果たすかどうかというと、ちょっと微妙です。しかし彼女ら不良娘というのは人を見る目はあるということであって、変な言い方ですけど健全な不良娘なんですね、他者を貶めるようなことをやる陰湿な論理実証主義者に比べれば。私は知としてはその「いい男」性は知ってます、分かりますけど、客観的にそれを分かっている時点でその「いい男」ではないです、つまり私は男でありながら女性的です(Jesuit的、論理実証主義者とは似て非なるもの。手段を手段として知っているのみ)。で、やはりその「いい男」というのは一歩踏み外せばただの不良チンピラ少年男になってしまうんですね。彼らも肉体のくびきからは逃れられないからです。……女を最後まで守ってくれるとは限らないですよ?それとも逆に肉体のくびきがあるからこそ、最後まで特定一人の女を守ったりとか、ね。精神から肉体の、ではなく、肉体から発生する精神の相思相愛とか。
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