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Er stand da, wie Gott ihn geschaffen hat.
 真族。




 はじめユダヤ人ロンギヌスが槍でイエスを刺し貫き殺しました。「総統が歴史から姿を消せると思っているのか」、つまり人間の歴史はこうやって作られてきました。時々まるで自分らが人間でないかのような口ぶりで「しかしこの大惨事は人間の手によるものだったということだ、それが驚きだ」とか言う人が居ますけど、彼らはこの場合で言うと、人間の歴史の作られ方だとか、物事の理みたいなものを分かっていてその上で歴史に参加している人たちであって、決して人間ではないわけではないということですけけど、例えば解釈としてはAdolf Hitlerただ一人が人間であってナチス自体は悪魔の集団であったと。前にも書きましたけど、ナチスは日の丸の中心のアカい総統を見て「じゃあこういったのを殺していくか」といって人間を殺していった殺人集団であったと。これを日本の漫画家とかは彼らを「魔族」だとか「神族」だとか別路線のところでは「男の世界」だとか描いたりするわけですけど、漫画家の人達の表現が間違っているわけではないですがあまりにその現在まで教育や家族環境や友人との付き合いで培ってきた人間関係を絶対視し過ぎかつそれが問題行動に直結しているとなると悪魔でも神でもないところの「人間」扱いされた上で馬鹿であるということになったり医師に病気だという判定を下されたりします。ちなみに私は過度の行動の異常でもない限りこれを病気だとか間違っているだとかと判定を下すのは間違っていると思ってます。これは何度もこのブログ内でよろしくないと書いている「空気を読む」ということの一種ですけど、善良であることへの意識が問題視されてしまうようであれば一般的にはそれはその人間が所属する社会の方に問題があります。悪質な人間が家族の一員であったりすると圧力で悪徳を志向させられたり善と悪を履き違えさせられたりすることもあるので危険です、無闇な家族信仰は。
 主に記録が残りはじめてからのものはユダヤ人がその人間の歴史を形づくってきたものであるという説すらもありえます。最も単純化されて分かりやすいのは「君と僕」です。こういった類の説というのは文学的なものの見方から発しているわけであって、詩の世界を脱して現実の人間の関係において適用して鑑みると間違えます。唯名的というと大げさですけど、こういったものは子供が友達に名付けるあだ名や「やーい、やーい、○○」とかいったものにとどめておくべきです。他にはキリスト教のバックにあるのはユダヤ教だとか。イスラエルの人たちは、支配階級のアシュケナジームと被支配階級のセファルディームだとかダティーム(宗教派)とヒローニーム(世俗派)だとかいろいろ分かれてますけど、例えばダティームの人達は宗教規定に厳格でポルノの類を排したりします。ユダヤの人たちはユダヤの人たちで全てが家父長制的家族信仰で下ネタ的であったとかいうわけではないです。現代日本にあるような一部の新興宗教を参考にしてしまうと彼らのことを誤解して簡単に悪のレッテルを貼ってしまえるので危険です。下手をすれば反ユダヤな人間が反ユダヤを煽るために露骨に単純な家父長制度的家族信仰を装っている場合すらあり得ます、某エニアグラムのように。日本だと戦後のマスコミであるとか、右翼左翼関係無く何処の社会にもクズが居るんですね。

 キリスト教徒がヒトのオスとメスというところを超えて何らかの排斥を始めたからそれ以後のユダヤ人が誕生したのか、ユダヤ人がその宗教的特徴によって自ら非キリスト教徒であることを選んだのか、タマゴが先かニワトリが先か、おそらくどちらもです。ユダヤ人の特徴としてユダヤ人がユダヤ人であることに対する嫌悪感・自己嫌悪というのがその一つとしてあるそうですけど、詩人Heinrich Heineにもこの気がよくあらわれているというのが文学者の見解だそうです。

「メッテルニヒの夢――メッテルニヒは、赤いジャコバン党員の帽子のついた棺のなかにいる自分を見る。
ロスチャイルドの夢――ロスチャイルドは100000フランを貧乏人にやった夢を見る。そして、そのために病気になる。」

―着想と警句― より

またこんなものもあります。

「ユダヤ人は、ヨーロッパがキリスト教に帰したとき、信仰の自由を主張した唯一のものであった。」

―着想と警句― より

 Anti-Semitismというのもあります。文科系のインテリであったナチスのJoseph Goebbels宣伝大臣がおそらくそれを象徴するような人物でしたけど、目の前の現実的な諸事情を無視してユダヤ人がユダヤ人であることを理由にして排斥するというケースも多々ありました。まあ詩人が政治に携わった場合の所業です。
 ちなみに第二次世界大戦後はナチ狩りというものがあります。日本でも義務教育の現場で「平等だ、平等だ、皆平等だ」と子供に無理矢理やたらめったら押し付けたせいで、ユダヤ(アカ)が主流を作ってそこから皆に合わせない人間を問い詰めて圧力をかけて自分らと同じ行動をさせるというレイプまがいの学校行事や逆にユダヤ排斥のイジめ(赤狩り)があったりもします。私SSはユダヤかナチスかと言われればナチスであると書きましたけど、子供の頃から20歳あたりまでひたすらなナチ狩りのレイプまがいのものの被害にと後は近年では精神科医も含めた不特定多数の人間によるストーカーの被害に遭ってきました。

 ユダヤの人たちは、キリスト的定常点というと語弊がありますけどキリストたるイエスさんを信じるということによって肉を持つ現世の穢れが祓われるということがどういったことなのだか分からないということで、排斥や迫害を受けてきましたけど、偶像崇拝禁止つまりイエスを偶像として崇拝することの意味と他のものを偶像として崇拝することの違いが分からないということはキリスト教徒足り得るということです。パウロもそうですけど、実際キリスト教徒にはユダヤ教から改宗したJudenchristという人たちが居ました。私はこのブログ記事で何故なのかを言葉で説明してますけど、この人たちは何故そうであるのかを納得するまで言葉をつくして説明されないと何もかもが無理なんですね、だから言葉で必死に説明してあげるしかないということであって、つまりユダヤ人はその特徴的に本来的には詩人足り得ないということです。ハイネもユダヤ人でユダヤ教から改宗したキリスト教徒ですけど、この人はそれのせいでユダヤ人から逆差別と排斥を受けました。
 つまり本人たちが自覚しないそれからの乖離したところがゆえのユダヤ人であることだとか、ロスチャイルド家とかの金融資本でもそうですけど、この人たちが持っているのは「選民」(の思想)ではなくて「自分たちはこんな方法で平和に暮らしていてこんな問題もこういった知識や技術があれば解決しつつ上手くやっていけますよ」という「発想」なんですね。ユダヤ人による世界支配の陰謀がどうとかバカバカしいにも程があるのであって、そりゃユダヤ人の中にも金を稼ぐため金を稼ぐ手段のために目的を選ぶような気の狂った拝金主義者も居るのかもしれませんけど、技術開発やinnovationには金が要ります。中国の故事でも女媧という人物・人名が出てきますけど、どこの国や社会でもヒトの行動原理は同じであると言えば同じです。嫁かわいさに「ホラ、お前にこんなに楽をさせてやれるぞ、」という。これは嫁をモノとして扱っていることには違いが無いんですけどね。ちょっとまた下品な表現で申し訳ないですけど、だから彼らが「おチ○コ」「おマ○コ」の下ネタに走りたがるのも分からないわけではないです。



 E.H.カーという歴史学者が言ってますけど、歴史は科学である、と。たぶんヘーゲルの言うところの宗教や芸術と同じく歴史が成立するということですけど、それを個々の出来事に因った・拠ったイベント単位で鑑みると間違えるということなんですね。イベント単位で、というのはマンガ的・RPG的であるということです。歴史は科学ではないという我々現代日本人には当たり前過ぎるこの歴史の解釈は英語特有の問題だそうですけど、つまりこの(歴史を)間違える現象は英語に端を発しているということっぽいです。日本人になじみ深いところだと、フランス語よりもドイツ語を少し勉強してみるとよく分かるんですけど、たしかに事象を説明するのに英語的解釈は通じないというか、違います。イギリスにもそうでないところの・そうでないところにプライドを持っているニュートンという人が居ましたけどね。再びHeinrich Heineの言葉。

「シェイクスピアの課題は、たんに文学であるばかりでなく、また歴史であった。」

―シェイクスピアの女性たち― より

「シェイクスピアは、われわれに、歴史における人間の性質と外的状況の相互作用だけを示す――第三者としての理念は、シェイクスピアの悲劇には決してあらわれない。したがって、シェイクスピアの展開する世界には、きわめて明瞭な人間の姿、永遠で不変なものがある。人間的なものは、つねにどんな時代にも変わることがないからである。ホメーロスの場合も同様である。両作家の作品は不滅である。けれども、両作家が理念の優勢だった時代、たとえばキリスト教台頭の初期とか宗教改革の時代とか、革命の時代とかいう時代を表現しようとしたら、あのように成功したとは思えない。」

―着想と警句― より

理念が現れないから人間関係が固定されてしまって悲劇の結末を迎えるということになるんですけどね。愛だとかの理念があればハッピーエンドですらも描かれてます。英語は理念の言語だとか?
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