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St. Elmo's fire light
 一番良い光は、火の明かり。
 女と火と技術。




 マンションの一階下に住まう老人からの嫌がらせの巨大なモーター音のような騒音に関することなんですけど、このブログを書き始めてからだんだんと頻度が減っていって、最近ではほどんど無くなりました。そのマンション下階の部屋からは時々掃除機の音がすることがあるんですけど、コンクリートの床越しにかなり微弱な音であってこれは隣室においては別に騒音という程のこともない音です。で、掃除機の音というのは直接聞くとかなりひどい大きな音がするのであって、これを何時間も直接に聞きながら日常生活を営むことは不可能です。だからこのマンション下階のスポーツクラブ経営の老人は明らかに振動の類でコンクリートの壁越しには爆裂な騒音として感知される装置を使って嫌がらせをしていたということです。いったいどういった手段で若いころ不良のゴミであったであろうこの害虫老人がこういったものを入手したのかは私は知りませんけど、こんな嫌がらせ目的の装置なんざ秋葉原あたりへ行けばいくらでも売ってるんですね。ああいったところには盗聴器製造業者が作った盗聴器発見器とかも売っているくらいです。まあ私の視点から言わせてもらえばどれもこれも最悪です。



 もう今あまり居ないと思いますけど、前世紀には頭の悪いので試験の類をやたらと敵視するチンピラが居ましたけど、「人間関係の云々に関して答えさえ合ってればいいっていう……学校の試験みたいに……」ということをホザく人間に関しては、「では実体験でさえあれば答えが間違っていてもいいんですか?」と百回くらい問い詰めたくなります。こういうのは(バカな)男に多いですけど、愛という名のもとに暴力と区別のつかない間違えた答えを女に押し付けて被害者は泣き寝入りするまでダメージを負っているのに当人は愛の証とばかりに意気揚々としているというのが正当なものとしてまかり通っていたものである前世紀は本当にこういったバカ犯罪が多かったわけです。私はセクハラの類を行う男は即刻陰茎と睾丸切除でいいと思うんですけど。射精のし過ぎは体に害があるのであって、一般的な男性にはもちろんお勧めできませんけど、もうこういうのに限ってはネットでエロ画像でも見て適当に解消しとけという問題です。もちろん痴漢冤罪その他男性が被害に遭うケースもあるのであって、私は満員電車に乗る時は女性が接近するとカバンその他でガード壁を必ず作ります。

 若い頃チンピラの不良だったような男に居ますけど、働いているからとか稼いでいるからとか、そんなものが自分の正当性の根拠になるはずが無いんですね。平気で他者特に女に暴力を振るったりだとか第三者には極めて分かりにくいようにマッチで火を付けて放火してローマの街を火の海にして自分は安全地帯からしたり顔で笑っていたりだとかするゴミクズにおいては、いいからお前は稼ぐな、働くな、一刻も早く首を釣って死ねということなのであって、あっさりと首を釣って死なせてもらえることを許容されていることをまだ感謝すべきなんですね、こういったブタにおいては。しかも場合によっては「あれはおれがやったんだどうだすごいだろう」と自分の無力無能を立証して挙句に何を勘違いしたか威張り散らすようなピエロギツネな弱虫男におかれましては、だからテメーは嘲られて軽蔑されてバカにされてイジめられて排斥されるんだろうがいい加減悟れブタ畜生が、という問題です。まあこういったのが平気で跋扈してしまえる社会においては、これらは何処の無政府主義野蛮人国家の住人だということになるんで、どんどん排斥されて然るべきであるということです。犯罪が無いもしくは少ないというのはその当該社会が運営されるにおいて最も重要なfactorです。



 第二次大戦後の日本の大学教育のレベルの低下もそうですけど、労働者階級というよりは、労働者的発想を持った人間たちが社会の上層に入り込んでいったからおかしいことになったんですね。つまり大学のレベルが低下したのではなくて大学というものの社会における属性が変化してしまったというと妥当です。医師や弁護士や大学教授といった職に本来的に就きうる人達は、こういった労働者的発想を持った人間たちとは決定的に違います。あえて言うなら理科系の技術畑の人達はまだ労働者属性に近いものがあります。経済史ではこれをもうちょっと詳しく時代や場所に合わせて独立自営農民だとか下層貴族(ジェントリ)だとか資本家階級だとか労働者の中の有産階級だとか産業資本家だとか賃金労働者だとかその他いろいろに分類して考察します。ヒットラーはArbeiterparteiを引き連れながらもおそらくはあまり労働者属性な人間ではないです、自身も真のニヒリストたる純粋労働者の偶像たらんとしていましたし、現代でも「ヒットラーは実は最高の演出家だったのではないか」と言っている人もいますけど、ある程度はそれを自覚しておこなっていたのかもしれないということです。ご自身も著書で研究室に扉にヒットラーとムッソリーニの写真を貼られていたとおっしゃている、一見したところではこれと似たところの哲学者の中島義道さんという人は、かなり労働者属性の強い人です、逆に。仮にですけど、人間を単純に強者と弱者に分けることができるとすると、

 Ⅰ 自分より強者に対して強く、自分より弱者に対して強い、という人間

 Ⅱ 自分より強者に対して強く、自分より弱者に対して弱い、という人間

 Ⅲ 自分より強者に対して弱く、自分より弱者に対して強い、という人間

 Ⅳ 自分より強者に対して弱く、自分より弱者に対して弱い、という人間

が考えられます。Ⅰの人間はおそらくほとんど居ません。たぶんナポレオンとか前世紀まで歴史上の人物として出てきた指導者なんかによく居た類の人間です。Ⅱもあまり居なそうですけど、おそらくは善良と呼ばれうる類であって、私SSはこの類の人間です。Ⅲはマンガに出てきそうな典型的な悪党であって、クズです、上述の通り社会に禍を巻き起こす業の深い必然的に排斥されうる人間です。Ⅳは一般的な善良な市民であって、人口の大多数を占める人たちです。このうち全ての人間に対してそうであるという点で人間関係を工学化しているのはⅠとⅢです。Ⅰはほとんど存在しない上にそもそも現代社会では許容されませんけど、このⅢの類の人間というのはハンパではなくウザいのが傍目に見て即分かります。Ⅱは逆に全ての人間に対して人間関係を工学化していない人間であって、そのせいで痛い目を見ることが多々あったりします。Ⅲは一匹一匹狙撃していけば簡単に屠れますけど(一撃死が有効)、Ⅱには一定以下のダメージは無効化されて一定以上のダメージは通らないと考えると妥当です、例えばドラゴンクエストのメタルスライムやはぐれメタルのように被ダメージが0か1かしか存在しないとかもしくは攻撃者の攻撃力に合わせて0から数百数千のダメージまでをも与えうるうち10という数値のダメージしか通らないとか(0~9と11~のダメージは被ダメージとして判定されないということ)。Ⅰは主体性があってかつ人間関係を工学化している人間、Ⅱは主体性があってかつ人間関係を工学化していない人間、Ⅲは主体性が無くかつ人間関係が工学化されている人間、Ⅳは主体性が無くかつ人間関係が工学化されていない人間、です。Ⅰはある意味神的であって全ての人間がⅠの種類の人間ばかりだったらば上手くいくでしょうけど残念ながらそうではないです、言うまでもなく人種差別をするのもされるのも大好きで他者を蹴落とし災禍を巻き起こす人災の種となるのはⅢです。
 一般的には、強弱というのは程度問題として考えられます。学校の勉強の点数や偏差値でもそうですし、オリンピックみたいな結果が具体的数値となってあらわれるスポーツ競技会もそうですし、RPG等のゲームとかでもそうです。が、これを数直線上で計られうる上下の程度の問題として認知してしまうのではなくて、「弱」という属性や「強」という属性であると考えると物事分かりやすくなります。たぶん我々子供の頃ゲームはやらずに攻略本を読むのが良かったんですね。昔のファイナルファンタジーの攻略本とかゲームをやらずに読んでるとおそらく勉強になってたっぽいです。
 たしかプレイステーションのFRONT MISSION 2のゲームで、スキル付与で「20以下のダメージ無効」というのと「100以上のダメージ無効(上限ダメ100)」というのがありましたけど、これを両方付けときゃ超高頻度のザコ攻撃やdeath penaltyになりうる破壊的大ダメージは食らわないというわけです。RPGでもがむしゃらに難敵のステータスを高くしたり状態異常無効や特定の属性攻撃無効を付加したりするよりもダメージの数値に属性性を持たせて適当なダメージでないと通らないというふうにすれば倒せない嫌な敵が出来上がると思うんですけど、非レアアイテムを捨てたり売ったりせずに使わざるを得ない状況を作ったりとか操作キャラの自由自在なレベルアップダウンやステータスアップダウンをシステム化するとかいったことを補助手段として。一般的には積み重ねとして不可逆的に上昇していくスペックをツールの一つとして見なすということです。数学の偏微分みたいなものですけど、固定するパラメータを自分のものではなしに敵に置く、もしくは敵が置かれている環境を自分のパラメータとして設定してしまうということです。聞こえがよく言えば敵によって戦略を変えるということです。決して強いことが強いわけではないということなんですけど、ゲーム的には無理なんですかね?

 二次元の世界ですらオタフクのお面みたいな醜い平安時代的日本人顔より金髪お姫様の方が美しくて好まれますけど、まあ属性だと思えばまだなんとか。ちょっと苦しいですけど。私も男性なので。私はアニ絵だと金髪お姫様が好きです。



 ヒトにおいては火を使うことを知ってから文明の発展が始まりましたけど、これは西洋の文化圏でもそうですし日本でもそうですけど、どうしても女を男より弱いもの下のものであると勝手に理解する仕方を我々は植え付けられています、が、「男」という属性と「女」という属性だと考えるとたぶん上手くいきます。私が生まれるもっと以前の40年も50年もの昔は若い男女のカップルをアベック(avec、仏語)とか呼んでたらしいですけど、昔ながらに若い男女が映画館でイチャつきあったり下手をすればセックスにまでもっていく様が描かれていたのは、つまり視覚に関することです。これは文学的表現ということでも通用しますし科学的な観点からしてもそうですけど、光度の低い暗い環境で特定の一光源からのみ光が発されているという状態では人間はマザコンになりやすいということであって、一つのものだけをそれが何故か絶対真実だという風に信じ込むようになる、というか一面性によって何物かへの野蛮な攻撃性にハマりこみやすいということです。戦場で火を焚くと即敵に射殺されます。もちろん映画館は明るい状態よりも暗い状態にしておいた方が客の映画へのストーリーへのハマり込み具合がよくなって、客足が増えるわけですけど。

 服を着ながらセックスをすることはたぶんよほど性癖にバイアスの掛かった人たちの変態プレイでない限り、というかまあそれであっても邪道です。男と女がその現在において相手以外の何もいらないと裸で愛し合うのがセックスです(女性はこういう発想です)。このあいだBBCのニュースサイトでこれに関することが取り上げられてましたけど、遊びめいたセックスで男が女に対して抱いているのは結局単なるヒトの種の保存の本能に根ざした動物的な肉欲であって、これは畜生の行いです。だから余程のもの分かりのいい男でないとセックスとレイプの違いが分からないわけです。女は恋愛行動において男の行動も含めたその様たるものを象徴化して鑑みるので、物理的に卵子と精子がどうこうよりも「男と女で愛し合うとその必然として子供が出来る」という理解の仕方です。前にも書きましたけど、アニマは肉の穢れ、アニムスはニヒルです。男は女に不可算名詞であるところのアニマの幻影を求め、女は男を可算名詞の複数形であるところのアニムスの集合体たる絶対的象徴として見なしたがる、ということであって、女なんか不可算名詞で皆一緒と考えてしまうどころか一部の不健全な馬鹿においてはモノだと見なしてしまう男には分かりづらいですけど、恋愛は赤の心であってアカく、愛の結晶は赤ちゃん、だということです。ちなみにAveは「天使祝詞」とか「めでたし」とかいった意味です。夫婦で奥さんが妊娠することを日本語では「おめでた」と言ったりもします。
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