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Apollo
 ガブリエルの身軽さ。
 白いロシアを愛してる。




 昔の記事で抗精神病薬は服薬してからしばらくのその状態で定常たらしめる薬効のあるものとか書いたんですけど、どうやらそうではなくてヒトの肉体にまつわる本来的な定常状態たらしめるものというのが正しいです。というのは、どの抗精神病薬も飲んで寝ると必ず悪夢を見るというのもありますけど、どんどん腑に落としたものが出てくるんですね、記憶の欠片として。おそらくヒトの能力において忘却なんてものは無いのであって、記憶は潜在意識に溜まっているということです。何より最近私はこの統合失調症という病気から実に良くなってるんですけど、あまり以前ほど抗精神病薬が効かない、飲んでもあまり状態的に変わりません。おそらく服薬しているだけでも薬効がある間に時間は経過していきますから、意識上に浮かび上がらせてまた再び腑に落とすという形で同軸別形骸化して記憶を更新するのであっても統合失調症の治療としては効果があるんですね。私はその脳裏に焼きついた(妬きついた)ものが意識上に浮かんだ瞬間に言語化して記録して体外へ出してしまうことをお勧めしますけど。だからやはり精神科医が統合失調症患者に対してひたすら抗精神病薬を投薬しようとするのは理には適ってます、適切とは言い難いですけど(特に抗精神病薬リスパダールの場合は。私のお勧めは抗精神病薬ジプレキサです)。何故ならば精神科医は患者に対してその治療の理念や具体的方針やどのようにして病気が治療されどのような具体的経過を辿っていくのか全く教えないからです。informed consentが聞いて呆れます、まあそれを教えたら真の治療にはならないということなのかもしれないですけど。



 先ほど現地時間お昼12時前後のロンドンオリンピックの男子マラソンの中継を見てたんですけど、優勝したウガンダの選手は特にゴールインの瞬間見ていてとても気持ちがいいものでした。
 そのNHKの実況をしていた二人のレポーターの人のうち、お決まりの通り事実を淡々と言っていく人と、もう一人の関西弁の弱く混じり気のある鼻に少しかかったうっとおしいしゃべり方で実況をする人の声を聞いて「あ、」と思ったんですけど、ここで客観的に事態を感知しようとして不快感に頭を占領されると物事見失うということなんですね。もちろんこれは「事実の報道ともう片っぽはコレだぞ」というアピールです。「右」で定常していると左とはどういったもので右とはどういったものであるということが分かる、「左」で客観的に事態を判断しようとしていると「挑発的なしゃべり文句である」という事実から発生する人間として避けようのない不快感に呑まれて何もかもをも見失う、ということです。それはパスカルが言うところの「審判の不確定」であり、迷いと否定の区別がついていない地獄(煉獄)の状態だということです。デカルトの「われ思う、故にわれあり。」は肉体の背後に精神が在るというcogitoに絶対的にはたどり着けない悲愴な精神の二重性(多重性)を説いているのであって、音楽的であり、キリスト教的な煉獄がそこにありと言われているということなのかもしれません。音楽はやはりドイツというかドイツ語の産物ですけど、Thomas Mannは悲愴というか悲劇的という表現を安易に自国民(wir Deutsche)に適用するなと警告したそうです。

 女子の新体操も見ましたけど、ロシアとかベラルーシとかウクライナの女の人はものすごく奇麗ですねー。球技やレスリングの類はあまり個人的に好きではないというのもあるんですけど、陸上競技だとか演技種目はやっぱり自分との勝負なんであろうということでこれらに興味があります。アトランタやシドニーを見てた年頃はセクシー姉ちゃんくらいの感じで見てただけだったんですけど、今は彼女らの凄さが良く分かります。

 で、一年といくらかぶりにテレビを見ての感想なんですけど、何をどう考えてもテレビを見ないというのが賢い選択です。皇室の雅子様は家庭内にテレビが無い環境で育ったそうです。



 完全な文学作品を作ろうとしたらば地球に丸すっぽりと表紙を付けるしかないとかなんとか言ったのは坂口安吾ですけど、単純に概念化された二項対立を前世紀のアメリカとソ連の東西冷戦に置き換えて考えるのはアプローチしやすくはありますけど取っ付き方としてあまりよろしいものではないです。この日本という国では前世紀はこういったことを学校で教えられてましたけど、現実問題としてそりゃ皆が仲良くした方が良いに決まってるわけで。どうしても具体的なモノとして概念とそれを置き換えたいというのならば自分の左脳と右脳というところが究極のところっぽいです。

 男はターゲットにおいて先に労働を引き出しておいてそれを確認してから権利(と報酬)を与える、女はターゲットにおいて労働を与えるより先に喜びを提供して「じゃあ、がんばってね」、というやり方です。昔話の「北風と太陽」みたいなものであって、現代社会においてはやはり男原理は暴力と見なされ旅人は余計に服を着込んでしまいます。実は前者が性善説で後者が性悪説なんですけど。まあ男は女を見るだけで喜びを与えられてます、それをカワイイ女の子がイヤらしいといって嫌がるのだとしても。「居てくれるだけでいいから」という女性のための言葉もあったりします。
 
 右は右、左は左、これが本来のものではあります。ただ肉を持つ時点で人間が完全たることはできないのであって、これは67年前に失敗に終わって日本は原子爆弾を二つも落とされて大勢の人が犠牲になるという最悪の結果に終わりました。
 「左」までイききって、そこで止めて皆で我慢しよう、ということでここまで来てやっとよろしいことで。「左」へイききってしまっているが故に無害な(?)神の民ユダヤ人。有害なのは「左」を志向している(帰納的な)蓋然的自己から放れられず自己同一性と主張の内容が同一化されてしまったようなそれを主張してぶつけ合う利己心の強い人間達であろう、という。
 あまり書きたくないですし関係ないですけどOscar Wildeとかは太宰治と同じく重度の中二病患者です。ドリアン・グレイだの退廃だの堕落へのノスタルジーだの、すべて(笑)を付けうる中二のアレです、(笑)を付けるのもはばかられるという程には病的なかわいそうさは無いというところはポイントではありますけど。不特定多数の人間によるストーカーによる私SSの個人的な被害関連で言うと、例えば、スーパーの納豆売り場前で夜の22時前にもかかわらず異様な黒服でベビーカーを一人で押した茶髪の昔のサラリーマンの七三分けの髪型をした20歳代の男が現れる、とか。表情もワザと納豆置き場から逸らす方向へとベタなマンガやドラマの三文芝居的に視線を作ってるんで、見た瞬間に「あっ、アレだ」と思うわけなんですけど、見せ付けとしてアレというかベタ過ぎてツッコむ気にもならないわけであって、まあ具体的詳細を省いて記録するのならば要するにその小学生の学芸会じみたベタベタな見せ付けのアレを解釈によって読了しなければ気になることも無いのだよ、というありがたくも教えを授けるための演劇なのであろうということです。……がしかし、この(ベタベタであり低レベルな)個別の事象からそれを積み上げてそこから新たに低レベルな妄念的解釈(コンテクスト)を生み出しそれに合わさせようとするというのならば、この小学生並のものを行う大根演技者は即刻叩き斬られるべきではあります……と思ってしまったら負けだということのようです。



 人がどうやって独裁者たらしめられていくのか、ということにもまた人間関係の本質が在ったりします。ヒットラーは真面目な人間を評価し尊重しそして当人も真面目過ぎるが故に悪質な連中にほとんど利用されたかわいそうな人でした。スターリンやフセインといった独裁者たちはこの限りではないです。ヒットラーがどういった様にこれら独裁者と違うかということを知りたければ、「わが闘争」をお読みになることをお勧めします。今はネットでも読めるんじゃないですかね。

―前略―
クレメンス「彼は動物の中で死んだ。そして僕らはさまざまな象徴のなかに溶けこむ、と、そう君は考えているんだね。」
ガブリエル「もちろんさ。それらの象徴が僕らを魅惑する力を持っている限りはね。」
クレメンス「だが、何処からその力がそれらの象徴に生ずるのだい?いかにしてあの男は動物とともに死ぬことができたのかね?」
ガブリエル「それは僕らと世界とが決して別々のものではないということからさ。」
クレメンス「君のその考えのうちには何か異常なものがあるな。何か不安な感じを起させるものが。」
ガブリエル「反対に、限りなく安らかなものがあるのさ。自分の重苦しさの一部を振りはなすことができるのは、たとえそれが息を一つ吐く神秘な短い間だけだとしても、唯一の快適なことなのだ。僕らの肉体のなかにはあらゆるものが鬱陶しく圧縮されている。その恐るべき重圧から幾重にも解放されることは、どんなに嬉しいことだろう。」
―後略―

というHugo von Hofmannsthalの"Das Gespräch über Gedichte"(「詩についての対話」)という作品の中で語られているガブリエルには、ホーフマンスタールさんのアニマがあらわれているかのような。文学者の古井由吉さんという人の解説を読むと、「なにか確かな原典を前において知性と感性をかえって自由に透明にはたらかせているといった趣き」と書いてありましたけど、おそらくその通りです。ちなみにこのホーフマンスタールさんはJohnny Depp似の紳士的な美しい顔をしてます。

 私はJポップだと小室哲哉さんの曲とか浜崎あゆみさんの歌とかJanne Da Arcの曲とかが好きなんですけど、特にJanne Da Arcの曲はちょっとJポップ音楽とは思えないほどに出来が良いんで、私は実に好きなんですけど、GUILTY PAINとか歌詞も教訓が含まれていて良いです。ARBEIT MACHT FREIはただの殺人行為であり間違ってますけど、鉄は血と命(の何たるか)を教えるということであって、日の光に当たっときゃ夜も眠くなるのに、ソドムで退廃を極め過ぎると天の火で焼かれます。LED電球の光なんて光とは見做され得ないわけであって、あんなもの鬼畜の技術作品です。



 西洋人は基本的に言語による契約の取り交わしによってコミュニケーションを成り立たせます。だから日本人の言うところの「お友達」なんてのは西洋人的な価値観においては「同じ園での戯れ相手」ということであって、別に友達でも何でもないんですね。だから彼らの間ではHelen Kellerのような人は特別扱いされます。実際現代においても欧米諸国は福祉政策が充実してます。ヘレン・ケラーさんはその身体的な特質からして事象の認知において「ものわかり」から入っていった人です。私はヘレン・ケラーとは逆パターンであって、ものわかり云々というよりは事象の認知において蓋然的に全て記憶するという方法しか知らずに、それを自我意識にまで適用どころか適評してしまって蓋然的な自己を持ち過ぎているという精神の病気でした。
 で、別にこれはこれで文化的にそれぞれ成り立っていくのならばいいんですけど、そうではなくて、外資さんどんどん入って日本の土壌を焼き払って根こそぎ持っていってくださいね、というのが現実なんですね。資本主義が自壊したとか言っている人も居ますけど、ちょっと私はそういった妄言についてはよく知りません。で、だからこそ協力できるところは協力していかなければならないのに、場を離れたらハイ関係は解消で後はネットで適当に連絡取り合って都合に合わせて利用しあってくっついたりはなれたり、ということであってはそりゃ日本の社会も上手くいかないわな、ということです。全共闘とかに走ると失敗するでしょうけど。やはりそこにベースとしてあるのは肉体を持つヒトの限界として東洋の神秘でも何でもなくてただのエゴです。ここのところの記事で何回も書いて説明しているんですけど、特定の異性との男女関係以外にこのエゴを持ち込むなというんですね。いまだに学生の人とかにあるのかどうか知りませんけど、この我一人女を得て他は蹴落とすというこの弱者のエゴイズムが災いの元凶です。あとはエゴと勘違いされただけの正義だとか(実はイエズス会というのは歴史上こういったところがありました)。権利というのをこれに含めてしまうのはちょっと言い過ぎ・現実を見て無さ過ぎですけど、前にも書いた通り正義というのは数学的であるということです。他にあるのは夏目漱石のようなエゴと勘違いされただけの自称のうわべだけの個人主義を振りかざしたりだとか。
 漫画家の三浦健太郎さんが分かりやすい死神とそれに脅かされる人間たちの絵を描いてますけど、Freund Heinという記事で書いたように死というのは共同体への所属であり、「(わざわざ)生み出して、殺す」ということをやらかすのがメタファー上の死神です。ただ単に生きている者に肉体の死をもたらすのは死神ではなくて救世主です。「死」という現象を作り出すからこその(アカい)死神だということです。私は小中学校でそういった教育を受けましたけど、自分にやがては訪れる肉体の死をやたらめったら恐ろしいものであると恐怖感から先に子供たちに教えるのは間違ってます。



 小説でもアニメでもありますけど、社会の裏側というか仮想的な社会主義の象徴としてのメタなピラミッドというものが、創作をする人たちの一連のテーゼになっているのではないかと。「エジプト嫌い、ピラミッド嫌い。仮想上、メタ上のピラミッドを歴史上のそれへタイムスリップして現実に見て、石室に人身御供として押し込められて、そこで愛を確かめあうしかなくなった男女二人の物語。」というような内容の藤子不二雄のどちらかの人の作のアニメを子供の頃に見たのが個人的に印象に残っているんですけど。
 妄想というのは、亡き女を思うこと、亡き女の相の心と書くんですね。ガブリエルは女性的、というか他の天使が男性か両性であるのに対して智天使ガブリエルは女性であるという見なし方もあるそうです。

 私はアメリカも大好きです。アメリカの人たちが開発してくれたおかげで私もネットを使えるので。
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