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2025.04.19 Saturday
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Der Mensch denkt, Gott lenkt.
2012.09.08 Saturday
蛋白質は予想回路持ち、コロッケはナチ党員の食事。
前にも書いた通り最近では抗精神病薬を服薬しても体感的に数年前に比べて飲んでいない時とあまり変わりがなくなりました。これは薬を服薬して意識上に出てきた妄想やそれとは別に普段から抱いている想念や考えている事を言語化して記述するということを始めてからのことです、つまり良くなりました。抗精神病薬ジプレキサの場合は、服薬してから数時間~半日程度して明確に薬効が意識されるようになります、だからそれ以上に間をいくらか空けた上で日頃私はこれを飲むんですけど、以前は5mg錠を一つ飲んだだけで脳がグワングワン揺らされて何も考えられず首から下の体も力が入らずに上手く動かせないという状態になっていたんですけど今はそんなことは無いです。抗精神病薬リスパダールは煉獄です、全身の筋肉がガチガチに凝りその痛みと事象の認知の異常さで発狂しそうになります、そのストレスで私は一時期前髪が抜けてました。おそらく今これを服薬しても、合わないは合わないでしょうけど、以前ほどには違和感を実感することはないです。
私は想念でも妄想でも何でも言語化して記述してしまうことをお勧めしてますけど、今のオジサン世代というのはネットが無かったんで飲み屋で仲間と酒を飲みながら雑談や猥談をすることでなんとか溜まったものを解消していたんですね。たぶん戦後でテレビジョンで見せられていたどこかしら自由な空気のものと現実に上の世代から押し付けられるものとのギャップに彼らも苦しんでいたっぽいです。だから彼らは大学へ入っても勉強は二の次にして喫茶店や飲み屋とそれに掛かる費用を調達するためのアルバイトに走っていたというわけです。そうすると教育のレベルは落ちて上から崩壊してその質が変化して属性が変わっていきます。必要は発明の母というわけであって、実学への需要が高まります。理科系の枠の競争率が高まって、昔は「理系にあらずんば人にあらず」とかいうことも言われてたみたいです。
まあいずれにしても、このネットが使える時代に不特定多数の人間によるストーカーたる演技者で満ちあふれる潰れかけの精神科へ行くバカなど私以外にはもう居ません。潰れかけの精神科なのではなくて、精神科が潰れかけなわけです。何年か前に国立精神・神経センター病院にて一度M'z a 悪意(仮称)医師が診療時に診療室内でそれらしきことをほのめかしたことがあったんですけど、その時に、この演劇人たちはターゲット(この場合だと私SS)が演劇をされてたぶらかされていることを認識せずに騙せていると思い込んでやっているんだろうなと考えていた私は「ハハァ、コイツらこちらに無視されたりバカにされたりといった意識は無かったんだ。コイツらはコイツらでこちらを攻撃するつまりはこちらがそれがベタベタの演技であることを知ったことを知った上でこちらに不快感を与えるためにやっていたんだ。」と知って、その時には衝撃を受けました。……抗精神病薬は使ってみる価値はある薬ではあるんですけどね。あと吐き出せるものはすべて吐き出してから初めて作業療法も音楽療法も効果をあらわし得ます。
Adolf Hitlerさんは顔だけ見ても正常であってそこまで異様な風体はしてませんけど、少なくともwikipediaで見たところのアドルフの父親のAlois Hitlerは露骨な多虐性嗜好の異常者の風貌であって強欲なユダヤの血が異常に濃く出てます。「これがユダヤだ」というような顔であって、分かりやすくは目蓋です。ヒットラーにユダヤの血が1/4混ざっているかそうではないかというのはずっと長らく研究者の間で論争のテーマになっているみたいですけど、あんなもの父親の顔を見れば一発で分かります。確実なまでにAlois HitlerはJudenです。で、このキチガイブタの父親にAdolf Hitlerさんは凄まじい虐待を受けて少年期を過ごしたんですね。
逆に絵に描いたような殺し屋の顔をしているのがナチのErnst Kaltenbrunnerです。こちらは目ではなくて口元に特徴があります。
前者は犯し屋、後者は殺し屋。
私の父親は私が子供の頃から私に対して必死に二元論な単純なものの見方を植え付けようと試みました。ところがどう鑑みても私は私の父親より頭が良いことが子供のころからして分かってました(そう理解してました、悪人であることが露骨だったので)、だからどうみてもそんなに物事単純ではないそんな善悪のそれに代表される単純な二元論でカタがつくものではない、女と男でも東西冷戦でもアップクォークとダウンクォークでもそれはそれでそれそれぞれの問題である、と思い考えるクセがついてました。だから私は蓋然的な事象の認識や丸暗記に走ったのかもしれません。そしてこれは地雷でした。実のところ単なる父親による嫌がらせと自身のご都合主義による息子の利用だったわけです、自分を意識して欲しいのかなんなのか知りませんけど余程肯定的に解釈して人間とはそういうものであると教えようとしたものであるというところの。言語で記述された知識のみがそうでないというところの。たしかに人間にとって人間というのはどのような肯定的な人間関係であっても男女間のセックス以外は害毒であるということは理解はできますけど、子供のうちは具体的な何らかの二項対立から入っていくものの学び方考え方ということも大切なものとしてあるんですね。もう何度もこのブログ記事で書きましたけど、私の父親は本当に弱い人間でした。貴様はエディプスコンプレックスの対象足りえぬわ愚か者が、というわけであって、Judenというよりは日本人として分かりやすくはアカです。関係ないですけど、どういった汚いやり方をしたらこんな弱く小狡い人間が生きていられるのかと私は子供の頃からずっと日本の社会に不信を抱いていました。
で、頭の単純な人間はここで「人間(関係)においても男と女しか居ない!これが究極の真理だ!ヤッター!」と全てが工学化された神気取りなアレになってしまって、下品な言い方で申し訳ないですけど女とヤりたいというよりはおマ○コとヤりたいつまり女なら誰でも皆一緒ということになって馬鹿な男だと風俗店通いを始めたりもするわけです。もちろん特定の異性が好きだとかそういうことにはなりません。おそらく私の父親は私をグレさせてワルにしたかった・赤化させたかったんでしょうけど、私は私の父親よりは頭が良かった(そう理解していた)のでそうはなりませんでした。
浦沢直樹作のMonsterというマンガがありますけど、アレは如何にも日本人が西洋人を偶像化しただけの日本人による日本人のマンガです。発想が人間関係まで含めた全てを工学化したそのまま日本人のものです、ポジション的には(天皇制を)否定してますけど。「終わりの風景」ってアンタそれただ原我を描写しただけじゃん、という。蓋然的な漫画のコマ割りに帰納的に結論ありきでご苦労さん、という問題です。しかもこれは逆ナチスで金の鳴る木としてネタにした被害者を加害者扱いするということが基本的スタンスになっているネタのネタ性をネタにしたカオスで悪質なマンガです。日本人がユダヤ人と間違えられます。Adolfさんみたいないけにえは必要ありません。どこかしらの神の国たるシオンの丘へでも行けというんですね。現代のイスラエルの人達だってこんなに馬鹿ではありません。
私だって女に嫌な目にそれなりにあわされてます。小学校五年の時に同級生の気の強い女子児童と陰湿な女子児童にイジめられましたし、前にも書いたとおり中学二、三年の時のクラスの女子生徒はポルノ女優であるかという環境で学校へ通わされましたし、中学三年の時に不良じみた派手目の茶髪の女子に初対面で「死ねよバーカ」と言われたこともあります。高校生になってから以降はほとんど女と会話をしたことがありません。そもそも近寄りません、危険なので。大学の時に公然と人前で悪口を吐かれたり馬鹿にされたこともあります。まあそりゃ私も女の人を見て性欲の対象としてではなしにいいと思うこともありますしカテゴリー的に女性が嫌いというわけではないですけど、決していわゆる女好きではないです。
が、女が男に踏みにじられる社会というのは確実に悪い社会なんですね。肉を持つ人間の身でありながら神の国なんてものは何処にも無いというか、崩壊の途中なんです、それは。Amishみたいな人達が(性的な問題について)どう生きているのか私はよく知らないですけど、女性の人権が大切にされるアメリカの人達の人権意識は明らかに間違ってません。
ナチスの強制収容所内で行われた数百万人もの人々が虐殺されたHolocaustは少なくとも史上で最悪の行いであり歴史上の汚点ですけど、奇跡的なのはこのConcentration Camp内では女性と男性は分けられて男性の性的欲望を満たすだけの無意味なレイプはおそらくほとんど行われなかったということです。つまり「維持」はしようとしていたのであろう、と。ヒムラーが何を考えていたのかは知る術もありませんけど、この人物常に仏法僧のような無表情な能面であって人と話す時にも何かを読み取られないように視線をある一点に固定しておくという癖があったようです。いずれにしてもこんな虐殺が狂った人間たちによる悪質な行いであることに間違いは無いですけど。どうでもいいですけど、私の父親はAlois Hitlerを整形して柔和にしたものにAdolfを足した感じの顔を黄色人種化したもの、私の顔はHeinrich Himmlerに多少似てます。
フセインは夜な夜な女性を強姦していた人間ですし、スターリンは売春宿を経営していたマフィアです。こういったものらとは違ってヒットラーは全てこれらを否定していた人間です。悪人ゲッベルスですらエロ本を焼き払いました。ナチスだけは派手な欲望の単純な独裁者による政権とは決定的に違います、また歴史上でナチスだけが殺人工場まで作って意図的に組織的な大量虐殺を行ったとして記録が残っています……残っている個々の具体的記録だけから定説を作り出すという論理実証主義者ご鞭撻の愚行に及んでいると間違えます。記録に事実として残されていないものもあります。
ナチスにもちゃんと技術者(技術開発者)は居ました。だから隔離されたヒットラーが叫んでいた政治的イデオロギーの究極のところにナチス党の行いが合致していたわけではないです。虐殺が狂った悪党による悪質な行為であることには間違いはありません。後に残ったのは他称独裁者が死んだ後の廃墟たるガレキの山でした。現実問題としてcapitalismに蹂躙されることは私も耐えられませんし、誰もがそうであるように殺したい人間も山ほど居はしますけど。いたずらに諦念的なことは言いたくないですけど、この日本という国はいまだにそういう国です。
「最終的解決(独:die Endlösung der Judenfrage, 英:the final solution to the Jewish question)」というのは、社会的な問題を解決するための最終的手段としていい加減あの強欲なユダヤの豚共を殺すしかないという意味合い以外に、Judenのdie Frageを発する態度への解決として「ヒトも生き物であるところの殺し合うこの結末」という意味合いをも持たせようとしていたのかなと。日本語だと変な語弊があるんですがね。実際ユダヤ人というのは酷いです、ナチスが極道ならユダヤは非道・外道です。「何故こんなことをするのか?それはヒトであるところのヒトは他の個体たるヒトを押しのけようとするものであるから」、と。「生きようとしなければお前も生きられないのだ」、と。……残念ながらこれは野蛮人の考えであることに間違いがないです。女性がモノ化されていることが前提になっているからです。だからこれを一対一の男女関係以外には持ち込むなと。
私の最終的解決はAdolfさんがそうであったようにパンと菜食です。最も良質な動物性蛋白質源は牛乳ですけど、私はもうあまり乳製品も摂取しません。
私はギリシャのヒオス島というところへ行ったことがあるんですけど、そこで宿泊したペンションの老人が"She's Mother, She's Mother."と言って猫の群れに餌をやるのを見せてくれた風景が記憶に残っています。猫を育てていた、「みんなで育てていた」、「みんなで生きている」ということです。
前にも書いた通り最近では抗精神病薬を服薬しても体感的に数年前に比べて飲んでいない時とあまり変わりがなくなりました。これは薬を服薬して意識上に出てきた妄想やそれとは別に普段から抱いている想念や考えている事を言語化して記述するということを始めてからのことです、つまり良くなりました。抗精神病薬ジプレキサの場合は、服薬してから数時間~半日程度して明確に薬効が意識されるようになります、だからそれ以上に間をいくらか空けた上で日頃私はこれを飲むんですけど、以前は5mg錠を一つ飲んだだけで脳がグワングワン揺らされて何も考えられず首から下の体も力が入らずに上手く動かせないという状態になっていたんですけど今はそんなことは無いです。抗精神病薬リスパダールは煉獄です、全身の筋肉がガチガチに凝りその痛みと事象の認知の異常さで発狂しそうになります、そのストレスで私は一時期前髪が抜けてました。おそらく今これを服薬しても、合わないは合わないでしょうけど、以前ほどには違和感を実感することはないです。
私は想念でも妄想でも何でも言語化して記述してしまうことをお勧めしてますけど、今のオジサン世代というのはネットが無かったんで飲み屋で仲間と酒を飲みながら雑談や猥談をすることでなんとか溜まったものを解消していたんですね。たぶん戦後でテレビジョンで見せられていたどこかしら自由な空気のものと現実に上の世代から押し付けられるものとのギャップに彼らも苦しんでいたっぽいです。だから彼らは大学へ入っても勉強は二の次にして喫茶店や飲み屋とそれに掛かる費用を調達するためのアルバイトに走っていたというわけです。そうすると教育のレベルは落ちて上から崩壊してその質が変化して属性が変わっていきます。必要は発明の母というわけであって、実学への需要が高まります。理科系の枠の競争率が高まって、昔は「理系にあらずんば人にあらず」とかいうことも言われてたみたいです。
まあいずれにしても、このネットが使える時代に不特定多数の人間によるストーカーたる演技者で満ちあふれる潰れかけの精神科へ行くバカなど私以外にはもう居ません。潰れかけの精神科なのではなくて、精神科が潰れかけなわけです。何年か前に国立精神・神経センター病院にて一度M'z a 悪意(仮称)医師が診療時に診療室内でそれらしきことをほのめかしたことがあったんですけど、その時に、この演劇人たちはターゲット(この場合だと私SS)が演劇をされてたぶらかされていることを認識せずに騙せていると思い込んでやっているんだろうなと考えていた私は「ハハァ、コイツらこちらに無視されたりバカにされたりといった意識は無かったんだ。コイツらはコイツらでこちらを攻撃するつまりはこちらがそれがベタベタの演技であることを知ったことを知った上でこちらに不快感を与えるためにやっていたんだ。」と知って、その時には衝撃を受けました。……抗精神病薬は使ってみる価値はある薬ではあるんですけどね。あと吐き出せるものはすべて吐き出してから初めて作業療法も音楽療法も効果をあらわし得ます。
Adolf Hitlerさんは顔だけ見ても正常であってそこまで異様な風体はしてませんけど、少なくともwikipediaで見たところのアドルフの父親のAlois Hitlerは露骨な多虐性嗜好の異常者の風貌であって強欲なユダヤの血が異常に濃く出てます。「これがユダヤだ」というような顔であって、分かりやすくは目蓋です。ヒットラーにユダヤの血が1/4混ざっているかそうではないかというのはずっと長らく研究者の間で論争のテーマになっているみたいですけど、あんなもの父親の顔を見れば一発で分かります。確実なまでにAlois HitlerはJudenです。で、このキチガイブタの父親にAdolf Hitlerさんは凄まじい虐待を受けて少年期を過ごしたんですね。
逆に絵に描いたような殺し屋の顔をしているのがナチのErnst Kaltenbrunnerです。こちらは目ではなくて口元に特徴があります。
前者は犯し屋、後者は殺し屋。
私の父親は私が子供の頃から私に対して必死に二元論な単純なものの見方を植え付けようと試みました。ところがどう鑑みても私は私の父親より頭が良いことが子供のころからして分かってました(そう理解してました、悪人であることが露骨だったので)、だからどうみてもそんなに物事単純ではないそんな善悪のそれに代表される単純な二元論でカタがつくものではない、女と男でも東西冷戦でもアップクォークとダウンクォークでもそれはそれでそれそれぞれの問題である、と思い考えるクセがついてました。だから私は蓋然的な事象の認識や丸暗記に走ったのかもしれません。そしてこれは地雷でした。実のところ単なる父親による嫌がらせと自身のご都合主義による息子の利用だったわけです、自分を意識して欲しいのかなんなのか知りませんけど余程肯定的に解釈して人間とはそういうものであると教えようとしたものであるというところの。言語で記述された知識のみがそうでないというところの。たしかに人間にとって人間というのはどのような肯定的な人間関係であっても男女間のセックス以外は害毒であるということは理解はできますけど、子供のうちは具体的な何らかの二項対立から入っていくものの学び方考え方ということも大切なものとしてあるんですね。もう何度もこのブログ記事で書きましたけど、私の父親は本当に弱い人間でした。貴様はエディプスコンプレックスの対象足りえぬわ愚か者が、というわけであって、Judenというよりは日本人として分かりやすくはアカです。関係ないですけど、どういった汚いやり方をしたらこんな弱く小狡い人間が生きていられるのかと私は子供の頃からずっと日本の社会に不信を抱いていました。
で、頭の単純な人間はここで「人間(関係)においても男と女しか居ない!これが究極の真理だ!ヤッター!」と全てが工学化された神気取りなアレになってしまって、下品な言い方で申し訳ないですけど女とヤりたいというよりはおマ○コとヤりたいつまり女なら誰でも皆一緒ということになって馬鹿な男だと風俗店通いを始めたりもするわけです。もちろん特定の異性が好きだとかそういうことにはなりません。おそらく私の父親は私をグレさせてワルにしたかった・赤化させたかったんでしょうけど、私は私の父親よりは頭が良かった(そう理解していた)のでそうはなりませんでした。
浦沢直樹作のMonsterというマンガがありますけど、アレは如何にも日本人が西洋人を偶像化しただけの日本人による日本人のマンガです。発想が人間関係まで含めた全てを工学化したそのまま日本人のものです、ポジション的には(天皇制を)否定してますけど。「終わりの風景」ってアンタそれただ原我を描写しただけじゃん、という。蓋然的な漫画のコマ割りに帰納的に結論ありきでご苦労さん、という問題です。しかもこれは逆ナチスで金の鳴る木としてネタにした被害者を加害者扱いするということが基本的スタンスになっているネタのネタ性をネタにしたカオスで悪質なマンガです。日本人がユダヤ人と間違えられます。Adolfさんみたいないけにえは必要ありません。どこかしらの神の国たるシオンの丘へでも行けというんですね。現代のイスラエルの人達だってこんなに馬鹿ではありません。
私だって女に嫌な目にそれなりにあわされてます。小学校五年の時に同級生の気の強い女子児童と陰湿な女子児童にイジめられましたし、前にも書いたとおり中学二、三年の時のクラスの女子生徒はポルノ女優であるかという環境で学校へ通わされましたし、中学三年の時に不良じみた派手目の茶髪の女子に初対面で「死ねよバーカ」と言われたこともあります。高校生になってから以降はほとんど女と会話をしたことがありません。そもそも近寄りません、危険なので。大学の時に公然と人前で悪口を吐かれたり馬鹿にされたこともあります。まあそりゃ私も女の人を見て性欲の対象としてではなしにいいと思うこともありますしカテゴリー的に女性が嫌いというわけではないですけど、決していわゆる女好きではないです。
が、女が男に踏みにじられる社会というのは確実に悪い社会なんですね。肉を持つ人間の身でありながら神の国なんてものは何処にも無いというか、崩壊の途中なんです、それは。Amishみたいな人達が(性的な問題について)どう生きているのか私はよく知らないですけど、女性の人権が大切にされるアメリカの人達の人権意識は明らかに間違ってません。
ナチスの強制収容所内で行われた数百万人もの人々が虐殺されたHolocaustは少なくとも史上で最悪の行いであり歴史上の汚点ですけど、奇跡的なのはこのConcentration Camp内では女性と男性は分けられて男性の性的欲望を満たすだけの無意味なレイプはおそらくほとんど行われなかったということです。つまり「維持」はしようとしていたのであろう、と。ヒムラーが何を考えていたのかは知る術もありませんけど、この人物常に仏法僧のような無表情な能面であって人と話す時にも何かを読み取られないように視線をある一点に固定しておくという癖があったようです。いずれにしてもこんな虐殺が狂った人間たちによる悪質な行いであることに間違いは無いですけど。どうでもいいですけど、私の父親はAlois Hitlerを整形して柔和にしたものにAdolfを足した感じの顔を黄色人種化したもの、私の顔はHeinrich Himmlerに多少似てます。
フセインは夜な夜な女性を強姦していた人間ですし、スターリンは売春宿を経営していたマフィアです。こういったものらとは違ってヒットラーは全てこれらを否定していた人間です。悪人ゲッベルスですらエロ本を焼き払いました。ナチスだけは派手な欲望の単純な独裁者による政権とは決定的に違います、また歴史上でナチスだけが殺人工場まで作って意図的に組織的な大量虐殺を行ったとして記録が残っています……残っている個々の具体的記録だけから定説を作り出すという論理実証主義者ご鞭撻の愚行に及んでいると間違えます。記録に事実として残されていないものもあります。
ナチスにもちゃんと技術者(技術開発者)は居ました。だから隔離されたヒットラーが叫んでいた政治的イデオロギーの究極のところにナチス党の行いが合致していたわけではないです。虐殺が狂った悪党による悪質な行為であることには間違いはありません。後に残ったのは他称独裁者が死んだ後の廃墟たるガレキの山でした。現実問題としてcapitalismに蹂躙されることは私も耐えられませんし、誰もがそうであるように殺したい人間も山ほど居はしますけど。いたずらに諦念的なことは言いたくないですけど、この日本という国はいまだにそういう国です。
「最終的解決(独:die Endlösung der Judenfrage, 英:the final solution to the Jewish question)」というのは、社会的な問題を解決するための最終的手段としていい加減あの強欲なユダヤの豚共を殺すしかないという意味合い以外に、Judenのdie Frageを発する態度への解決として「ヒトも生き物であるところの殺し合うこの結末」という意味合いをも持たせようとしていたのかなと。日本語だと変な語弊があるんですがね。実際ユダヤ人というのは酷いです、ナチスが極道ならユダヤは非道・外道です。「何故こんなことをするのか?それはヒトであるところのヒトは他の個体たるヒトを押しのけようとするものであるから」、と。「生きようとしなければお前も生きられないのだ」、と。……残念ながらこれは野蛮人の考えであることに間違いがないです。女性がモノ化されていることが前提になっているからです。だからこれを一対一の男女関係以外には持ち込むなと。
私の最終的解決はAdolfさんがそうであったようにパンと菜食です。最も良質な動物性蛋白質源は牛乳ですけど、私はもうあまり乳製品も摂取しません。
私はギリシャのヒオス島というところへ行ったことがあるんですけど、そこで宿泊したペンションの老人が"She's Mother, She's Mother."と言って猫の群れに餌をやるのを見せてくれた風景が記憶に残っています。猫を育てていた、「みんなで育てていた」、「みんなで生きている」ということです。
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