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Schwarz-Rot-Gold? Schwarz, Rot......Weiß.
 夢とか希望っていまいちおいしくないよね。
 黒は維持と痛み。
 黄玉は真ん中へ。




 いくつか前の記事で書いたハイネの表現をもってくるならば、シェイクスピアは理念の優勢でなかった時代にシェイクスピア語を作りました、そしてそれ自体が成功でした。これはルターも同じであり、95ヶ条の意見書でも聖書によるドイツ語統一でもまず成功としての事柄を作りました。

 基本的に社会が良くなればそれは基本的に自分にフィードバックされて帰ってくるわけであって、誰もが社会を良くしようという理念のもと行動しているのは当たり前であって、そういったことを書いている私SSが別に特別な正義漢であるわけでも何でもありません。
 私は今の50代や60代の人間を嫌いなので彼らを叩くことを書いてますけど、30代や40代にもまた彼らは彼らなりの欠点、前十年(decade)のネットの掲示板によく見られたような豚々しさがあります。私もそうでしたけど、彼らは思春期の頃からサブカルチャーに漬け込まれての犠牲になったんです。この日本という風土の国でネットを悪事にいそしむことから回避させる形で上手く社会的に浸透させインフラとして定着させるためには仕方なくサブカルとそれにもとづく特定の空気が必要だったんですね、特定の人間たちを犠牲にして。それへなびかせるアンチなものとしてテレビジョンその他低レベルなマスコミ文化ですらが必要悪でもあったという解釈もできます。サブカルチャーのものにはたまに名作・名ストーリーもありますけどその大半は失敗だらけです。分かりやすい昔ながらのマンガで言うと、大魔王を倒した支配の先の夢を探す、理念から入るからです。最初から人間関係的なものなんです。最初から愛ありきのお話しだから間違えたものになってしまうわけです。別に性愛でもないのに、最初から何故か存在することが前提になっている人間関係的なものから成功としての事柄を作り出そうとしたからその内容もそれに感銘を受けたリアルの人間たちも間違えたことになりました。つまり彼ら肥満したオタクの人たちは社会的な犠牲者になりました。
 私は自分の悪いクセとして物事をこなすにおいて「ちゃんとやらない」ということがあります。私の世代にはこういった人が多いと思うんですけど、人間関係において特定の場の空気のもと人によって対応を変えるまあ戦闘力のコントロール能力みたいなものが裏目に出て物事を為すにおいてもそれが適用されてしまうということです。空気から入るからこういう間違えたことになります。惰性で手を抜いてしまうのであって、そのうち手を抜いている状態が自分の100%の力を発揮した状態である、もうそれでいいや、とかいうことになってしまうどうしようもない悪癖です。ここまでいくと「空気を読む」ということに自らを捧げつくしてしまったところの病気です。現代の精神医学ではこれはほぼ統合失調症と診断され、これは抗精神病薬の服薬で上手く治ったりします。これもやはりサブカルというかマンガ文化の悪影響です。マンガというのはそういった手を抜いた状態で読むという行為をこなせてしまうものだからです、しかも快感を伴って。日本語圏のネット見てりゃ分かりますけど、見えない相手を下げて貶めて相対的に自分の位置を確保するというアカいJudeな所業に及ぶ連中がほとんどです、日本語圏のネット上の特にサブカルチャーで主流を占めているような連中は。見えない相手に手を抜いてコミュニケーションに及ぶとなるとこれ以外にはやり方が無いからです。個人的に単発のアニメ絵は好きなんですけどね。

 Wikipedia日本語版の記事の中二病臭は異様です。私は無理をしてでも英語版を読むようにしてるんですけど、先日チラッと日本語記事を見てしまったところでは、たいていどんな類のものでも英語で書かれた記事と日本語で書かれた記事を読みくらべてもらえば分かりますけど、英語圏のライターの人たちが書いた記事は要点が押さえられていて分かりやすく簡潔によくまとまっているのに対して日本人が書いた日本語の記事はいたるところに不必要な虚栄心の垢がベタベタ塗りたくられていてライターの自尊心が異常なまでに表面に出てしまっているというよりは門外漢を寄せ付けまいとする村意識的なものがあらわになっているものが多々あって読まされると非常に不快なんですね。残念ながら日本語を使っている人間たちはネットをこういった悪い使い方をしてしまうということです。英語圏の人たちは奇麗な理念のもとに生きているのかもしれませんけど、日本語を使っている人間達に英語発祥の理念が適用されるとこういった醜い空気になってしまうということなのかもしれないです。残念ながら日本のサブカルチャーでは名称のみにおいてドイツ語がアクセサリーとして使われるという最悪のことになってるんですけど、ドイツ語は英語に比べて何がどうなっているか構造的に実に分かりやすい言語なので、特に日本語を使っている日本人には英語よりもドイツ語はおすすめです。



 ドイツと言えば食べ物はじゃが芋ですけど、たぶん文学的解釈でいくとじゃが芋は大地の養分が結晶化された大地の恵みそのものです。つまり肥満のもとです。芋食ってると太ります。女性の食べ物です。そりゃ夜食にポテトチップスとかウマくて好まれるわけです。じゃが芋はチーズ以上に黄色い食べ物だという。インドネシアだったかタイだったかどこだったか忘れましたけど、たしか東南アジアの何処かの国で日本で言うところのピンク色みたく「黄色=エッチな色」という価値概念の国があります。なんかじゃが芋食うと病気になるとか言ってる人が過去にリアルでいたような気がするんですけど、事実のところはどうなんですかね?たしかにRudolf Steinerというオーストリアのマイナーな哲学者が、じゃが芋を食すと頭が弱くなるとは言ってます。まあ昔のじいさんばあさんの教えみたいなものであって、これはこれで文学的知恵であって役立ちます。夜間は睡眠する時間帯ですけど、睡眠中に頭が弱いとかそうとうにヤバそうです。潜在意識に何かを刷り込まれたりとか。ヤクザの人たちはサウナで汗を出しますけど、あれは強くなるということです。塩分が出るからです。身体意識的に頭にキます。塩というのはユダヤ、「ユダヤ人というのはスープに入れられた塩みたいなもの、適度には入ってないと美味くないでしょ」という文学的テーゼがあります。つまり夜寝る前にきちんと風呂へ入ってから就寝するという昔ながらの日本人のちゃんとした生活規則は、日本人の文化人類学的特質においては理に適っているということです。私は一時期二ヶ月に一回ずつくらいで血液検査を行っていたんですけど、毎日風呂の湯船にきちんと浸かって汗を出す生活をした直後の検査では肝臓に関する数値も腎臓に関する数値も尿酸値その他も確実に良い結果で出てきます。
 フランス人は黒いものであるところの海草を食べませんけど、私も食べません。しょうゆなんか絶対使いません。塩味は塩です。赤いものでもトマトはやはり健康に絶大な好影響があるそうです。黄色いじゃが芋を食べるくらいだったら、白いパンを食べた方が良いです。カロリー値に関係なく、パンなんかいくら食べても太りません、ほぼ全部が全部黒いものを吸着していったうえで下から出ていってくれます。米は豚の食い物なのでお気をつけ下さい。あしからず。

 三連続で夜テーマで書いたんですけど、夜は心の栄養が必要だとか。食品以外で。私も男なんで秋の夜長にエッチ画像に浸りのぞき見る男性の気持ちはよくわかります。これは直接に交わりたいという西洋人的な男性的な性的欲望ではなくて、東洋人的な女性的な赤と黒の混じりあった欲望です、たぶん。心というのは弱いです。「強い心」というのは強さと弱さが履き違えられているところの表現であって形容矛盾です。恋は盲目です。たぶん愛も同じく。一対一同士の男女間の愛をのぞいて。
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