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fuzz
 悪意は何処にも無い、血の色は赤い。




 日本語のカタカナ語で言うところの「ストーカー」という言葉は英語のstalkerをただ単にカタカナに直したものです。先日私は警察署を訪れて窓口でストーカー被害のことを訴えたらば生活安全課というところへ行けと案内されそこで私に説明をした人間のことなんですけど、日本語を使う(おそらく)日本人でも言語が不自由な人間が居るんですね。日本の法律上ストーカーを規制する法律等で「ストーカー」という言葉が使われていて、その法律の定義上「ストーカー」という言葉に与えられた固有の意味があります、が、普通に日本語で文で書いたり対話で使用したりする時の「ストーカー」という言葉には「特定の人間をターゲットにウロウロ付けまわす人」という意味があります。ちなみに英語のstalkerには「気取って大またに闊歩する」という意味もありますけど、通常日本語で「ストーカー」という場合にはこの意味では使いません。私にこの説明をしに出てきた中年男性は始めからギャーギャー怒鳴り散らし、声の大きさで自分を誤魔化して私にstalkerという言葉の意味を説明をするいとまを与えようとしませんでした。非常な悪意の篭った演技であって、まあ筆舌尽くし難い暴虐というか、どこの野蛮な原始人かという問題です。まあストーカー連中は少なくとも私SSに「見せ付けること自体を見せ付ける」という形でストーキングを行うと私はこのブログで書きましたけど、どうやら言語の意味を一義化させるということを知らしめようとしていたのかな、下手をすれば教えようとしていたのか、くらいには思います。で、この警察で出てきた二人の人間に、「『ストーカー』というのは、既知同士である特定の人間と特定の人間との間の愛情のもつれだとか何だとかいったものが原因となって、特定の人間が特定の人間を付けまわしているような場合に、付けまわされている人間の側が『ストーカーの被害に合っている』と言いうるものである」という説明を受けました。つまりは「ターゲットである人間を集団で付けまわす人間のことは、日本の法律上『ストーカー』とは呼ばない」とも説明を受けました。つまり私に警察署内でこの説明をした二人の人間によると、この悪質な行為は仮にそれが実際行われたところで日本の法律では犯罪とは見做されない、ということです。太宰治が「『ラジオの電波に殺される』と言う人」と形容したところの人やVirginia Woolfが自殺にまで及ぶ原因を作った、おそらく百何十年の昔からこういったことを行っていた連中の行いは少なくともこの国では犯罪とは見做されないということです。つまりその程度のことというよりはその類・そういった属性の行為では犯罪とは見做されない、ということのようです。ストーカーよりも私の父親が私が幼児の頃から私も含めた自分以外の全ての人間にこれを行っていたんですけど、このいたずらに対象の人間の不快感を煽る行為のどこが犯罪でないのか私には全く理解不能です。Adolf Hitlerさんはこれのせいで発狂して、そのおかげで何百万人ものそれとは無関係な罪の無い人間が殺されました。「人間が人間を(強制的に)求めていることにする」というレイプであって、ヒットラーはこれを「民主主義を是とする者共の陰謀だ!」といって狂気に走らされました、が、実態は真逆です。アメリカ人はおそらくこういったもの(こと)を嫌います、というかロシアでも何処でも社会統治上当然こういったことは非・否とされます。ヒットラーは異常者ですけど、別にこの点いおいてヒットラーが異常であるわけではありません。もしこの点においてヒットラーが異常者ならば全人口の九割以上の女性(ヒトのメス)は全て異常者です。女性はそもそも自分がヒトのメスの肉体を持つというだけで凄まじい生物学的ハンデを負ってます、能力を落とされているということです。特にムキムキマッチョだったり男性的な男性にはおそらくこれは理解できません。だからせめて衣服で自分の肌を隠して防衛しなさいというのに、残念ながらこれに関しては肌を露出する馬鹿な女が居るから一発カマしたろかという男も出てくるということです。私はちょっと全面的に女性の味方であるとは偉そうに自分のことを言えませんけど、ヒットラーという人物は限りなく女性の味方です。ナチスは最悪です、念のため。
 私に上記の説明をしたこの二人の人間は警察署の建物の内部にて来訪者である私に対応する人間として出現しましたが、本当に警察官であるかどうかちょっと疑いたくなります。

 知と知の繋がりが、言葉というものにおいては音韻や文字の形象の問題であると言いましたけど、それを現実で使われる言語例えば日本人が日常で使っている日本語というものに適用するとなると、それはFreund Heinという記事で書いたようにそれぞれの単語が品詞性を失った単なる文字の羅列になるんですね。これは物自体であってユダヤ語です。物は物であって現存在(Dasein)なわけであって、言葉はそれで表される物とは違いますから、つまり言葉がそれそのものになってしまうということは有り得ない、不可能であるということです。当のユダヤ教徒の人たちですらYHWHという文字によって表される言葉を「みだりにその名を唱えるなかれ」と戒めているように、国境を越えたユダヤ語なんてものは世界中何処を探しても存在しません。英語でもフランス語でもドイツ語でもアラビア語でも日本語でも中国語でもその他の言語でもそれぞれの言語における品詞性が失われることが音韻や文字の形象の問題として取り扱われ論じられるということでなければ、DaseinならぬDinge an sichな実在しないjüdisch(ユダヤ語)になるだけであって、そんなものでコミュニケーションを取ろうとしたところで不可能なので無駄です。
 パスカルは家庭で教育されて、学校へは通いませんでした。だから極端に言えば数学の問題は解けても物を論じることができない、つまり数学がデカルトのように「出来る」というわけではない、というよりは何がどうなっているかを言葉で説明するという発想がありません。パスカルは非常にユダヤ人的です。しかしパスカルの書いたもの特に「パンセ」というのは、もちろん存在しないjüdischを使って書かれているわけではないですけど、文学的テクストとしては実に価値があります。詩的であって、読んでいてためになる上に面白いです。やはり不必要なコミュニケーションに晒されないと知を重んじるようになるというか知しかないという健全なことになります。だから2ちゃんねるのような場所はやはり最悪です。

 2ちゃんねるごときで頭の悪い人間たちがいくら必死でユダヤ語を使ったところでそんなものを現実の人間と人間との会話や対話で通用させることはできません。しかし何かを学びたいというのであれば、お下劣な下ネタでありながらも(であるからこそ)jüdischめいたものを語ってくれている場所はあります。

 ユダヤ教徒の人たちとて悪い方向へ流されやすいそういった自分の悪い性質をきちんと知っていたからこそ、YHWHの名を「みだりに唱えてはならない」のであって、偶像崇拝を禁止し、音楽へののめりこみ易さからそれへの依存を避けるため禁止したのであって、律法も単なる性悪説に基づくものということではなくて、そうでもしないと何でもやってしまう自分たちの民族の愚かさを大昔のユダヤの指導者の人たちはきちんと知っていたということなのかもしれないです。
 中国の指導者の人たちが行っていた「一人っ子政策」というのはこの上無い賢策です。ユダヤの指導者たちがYHWHの名を「みだりに唱えるなかれ」としたように、中国の指導者たちの人たちも自国民の愚かな特質や自国の文化の悪い点をしっかりと認識し知っていたということです。



 柔道に背負い投げという技がありますけど、あれはあまり良い技ではないです、やる側にとってもやられる側にとっても。野球もボールのオーバースローは良くないです。サイドスローやアンダースローが良いです。女子のソフトボールでピッチャーはアンダースローですけど、オーバースローは腹にキてヤバいということです。イチロー選手は左打ちで、かつ右腕での遠投能力が非常に強い人ですけど、唇の分厚い顔でおそらく身体感覚的に胃や腹に意識が向いている人です。この人が朝カレーを食べるというのもけっこう有名です。ちなみに少なくとも私はカレーを食べると満腹感その他で眠くなるんですけど、どうなんですかね?

 北斗の拳という悪質なマンガがありましたけど、人間は人間の脳を100%使っているわけであって、まるで一般に健常な人間が脳の一部しか使っていないように見せかけている、つまり子供に身体的に何かを我慢した状態で硬直させようとしている、ということです。人間はもう10歳前の子供の時分にて誰でもマンガのヒーローになれるわけではないという社会的コンテクストを認識します、よってマンガを読むにあたって子供は「自分はマンガの主人公ではない」という学習を行います。これが罠であり落とし穴なわけです。ヒトの体は成長期に運動をすれば筋肉がつくその他で体が大きくなるように出来てますし場合によって姿勢を変えたり肉体を緊張させたり弛緩させたりすることもできるのであって、誰もが孫悟空であってケンシロウであることは当然なのに、それをマンガの主人公の行いという陳腐なコンテクストによって否定的に学習させることで子供をだけでなく下手をすれば子供のまま大人になってしまったオタクな大人をも悪くできてしまうということです。ガンダムだって同じ事で、ニュータイプ的な直観なんて誰もが持っているものであって他人のことや他人が考えていることなんか健常で心身ともに健康な人間にはなんとなく分かるというだけのことなのに、それを特定の選ばれた人間の特殊能力であるかのように演出しているという構図がもう異常なんですね。
 これに関してはおそらくは鳥山明さんだとか武論尊さんだとかいった人たちが悪意を持ってマンガを描いていたというよりは、あの年代の人たちが10歳前後の子供だった時分の子供よりも二十年くらい前私がその年頃の子供だった時の子供たちは精神的にも肉体的にも老成していたということであり、また2012年現在の10歳前後の子供たちは二十年くらい前のその年頃の子供と比べてさらに精神的にも肉体的にも老成しているということです。これは前の記事で書いた昔の日本人に比べて現代の日本人は顔面の形相が不細工であるということと直結してます。



 先の記事でも書いたように女性的な男性で一発カマしたろか的な発想とは別で母親に甘えるノリでレイプとかをやらかすタチの悪いのが居ます。私の父親も若い女のような男だと書きましたけど、Adolf Hitlerさんとは違って嫌がらせや女性的に人の不幸を好むこの上なくウザい性格であることに間違いはないですが露骨に証拠が残る程には人を影で貶めるようなことはおそらくやりません、しかしよって最悪にタチが悪いということです。そしてまた男性的な女性というのがタチが悪いわけです。いくら男性的であっても結局は女性(霊長目ヒト科の哺乳類のメス)だからであって、男性的な思考で女性としての悪事を働くからとでも言えば分かりやすいです。売春婦がこの典型例です。こういった男性的なホイホイと抵抗も無く簡単に男に対して股を開くような女は尻軽女という言葉で言い表されます。最悪です。ちなみにヒットラーはこの売春婦的な女を毛嫌いしました。私も個人的にこの売春婦的な女というのは非常に嫌いです。



 疑うということとただ単に否定するということは全く違います。このあいだ久しぶりにWikipediaを見たんですけど、「ああやっぱWikiは駄目かな~」とは思いました。たしか紂や妲己の項目を見ていて、「中国では(記載された)過去の歴史を疑うということがなんたらかんたら~」とか出ていて、その記述の内容もまるでマンガやアニメのキャラ設定の如く好色で滅茶苦茶なものでした。
 デカルトの書いたもの、特に「方法序説」というのに書いてありますけど、ただ単に物事を否定しているのではない、万事において疑うことと否定することは全く違います。

 「××っていうのは、○○だ」というセリフを使って、当然私SSもそれを知ってますし誰でも知っているようなことをその場において一義化された定義としての何らかの情報としてまるで自分は知っていて相手はそれを知らないという絶対的な前提条件の下に物理的な大声で場のコンテクストを誤魔化しながら相手を押し潰すという人間が居るんですけど(例えば上記の警察官として出てきた中年男)、小学生並の単純発想であるかどうかは別問題であるとして、これは先の記事で書いた「現代日本において誰も知らないような固有表現を持ってきてその他人が知らないことを自分は知っている具合に悦に入っているイタい人間」と同じであって、これはマザーコンプレックスに基づくナルシズムの表れであり自慰です。こういった人間というのは、議論によって何が正当でありまた合理的であるかを相手と互いに確認し合意するためではなくて、自分のエゴを相手に押し付けてそれが正当であるかのように見せかけ他者を自分に屈服させることを第一義・第一の目的として議論やその場を道具として使っているだけであって、エゴイストの豚です。竜頭万里子を自称し究極のエニアグラムなるサイトで人間の性格とやらを「判定」することにいそしんでいた一人の人間かもしくは人間集団は、「~行うのは・~考えるのは、その人間がその性格だからである」と人間の行動どころか思考に定義を与えることで人間がコミュニケーションにおいて使用する言語というものの意味を破壊し自己防衛能力や物と物との繋がりを考える能力をあろうことか負の方向へ落とし込んで(腑へ落として)失わせようとしたものであり、同時に悪徳な人間の他者に対する加害行為に「性格」という判定者ご当人にとっては新興宗教の教祖の如き自身の不可謬性とともに絶対的テーゼである一見したところではそれが正当であるかのような根拠付けを稚拙に試みていたということです。そうやって教育によって培われた人間の人格や思考能力を破壊して誰が得をするかというと、人を利用しようとする悪徳な人間や拝金主義者たちです。私SSは詐欺や当該サイトでの質問コーナーか何かでのなりすましその他で被害に合いました。

 消費税は、累進課税制度として例えば「一万円以下の財・サービスには適用されない」といった取り決めにすれば所得が低い人たちも困らずに済みます。その具体的課金基準はもっと事細かに設定してもいいし、それも場合によっては三次関数のグラフみたくしてもいいし、適当に工夫すりゃいいんですね。そもそも所得税等に対する逆進税的なものとして発足したのが消費税であるということにこだわって、国会で議論を長引かせる必要なんか無いわけですね。こんな発想は別に経済学者ではなくても誰でも出てきますけど、何故行わないんですかね?ちなみに私個人は消費税率upには賛成です、そうでないと国庫がどうしようもないので。



 昔の古い人間だったりとか現代でも田舎社会に生きる人間はそうですけど、基本的に日本人は単純思考で「法」と「経済」を対立させたがったりしますけど、現実問題として法律を知っている人間も経済学を勉強した人間も当然のことながら協力して知識や知恵を分け合って何をどうすれば社会が上手くいくかを共に考えて社会を形成していくというのが基本的に健常な人間の発想であり、欧米人特にアメリカ人の発想です。日本人は真逆であって、法律家と経済学者を分類したがり対立させたがり、挙句の果てには対立しだします。これは本当に馬鹿丸出しであって、数学的思考のコンピュータのような人間の群れのもとそういった現象が起こるということではなくて、他者より抜きん出たいというマザーコンプレックスに基づく悪質な欲求によりひたすら自分とは属性の違う他者を貶めようとしている人間が居るということです。つまり夏目漱石みたいに個人主義とエゴを履き違えて勘違いした何かの思い込みによる赤化であったり、または個人主義と産業における分業との悪質な履き違えやおそらくは意図的な混同によって実績をうち立てさせまい・偽善で真に善良な人間を釣って実績を残すとは如何なることかという発想をそもそも奪い人を貶めるようなことをやる悪質な人間が居るということです。下手をすれば義務教育を担う公立小中学校の教師にすらです。小学校の先生なんて大学教授よりはるかにその職務上重要な任務ですけど、何故あんなに就職上のハードルが低くて薄給なんですかね?第二次大戦以前ドイツではユダヤ人はユダヤ人学校へ入れられていましたが、少なくとも二十年前の私が小中学生の時は日本の公立小中学校はユダヤ人学校化していましたけど、今はどうなんですかね?
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