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2025.04.16 Wednesday
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zodiac
2012.05.24 Thursday
王は能無し。
マンションの下階の老人が天井をつついているのか床を叩いているのか知りませんけど、いまだに突然ドガッという騒音がしたり窓が激しく閉められてパコーンと異常な騒音を聞かされたりします。ネットで老害といって老人たちを叩く連中が居ますけど、現在60代くらいの全共闘な連中の無責任と自由を履き違えた自由勝手な国に崩壊するまで借金をさせたやらかしを鑑みると、彼らを老害といって叩く連中の行いも一概には否定できないと言いたくはなります。
近頃のストーカーで、私が外を歩いていてその顔を視認するために一瞬見ると即顔をしかめてくるのが居るんですけど、私も当然外を歩いていて何処の誰だか分からない人間がどういった行動を取るか分からないというのがあるので当然自己防衛の為に視覚で確認をします、突然ナイフを持って襲い掛かってくるとも限らないので。彼らストーカーは自分らは被害者に対して絶対的に自分らが加害者であることを証明できない加害者側からも証明され得ないという強みを持っているので、被害者が直接的に何を言おうが行おうが無駄なんですね。むしろそれを待っているくらいの気があります。先の記事でも書いたように、警察でも全く対応は不可能であると私SSは告げられましたし、だから昔で言うところのそこらへんのチンピラが絡んできている程度に考えて無視するということしか被害者には対策を練ることができません。何を正当者ぶってるんだか知りませんけど、とは言いたくなります。
ストーカー行為は先にも書いたように「右の定常点から左へとあの手この手で釣って流して引っ張ろうとする」というこれに尽きるんですけど、つまりおそらくは自分をidentifyすることだけが能であるような人間を作り出してそして実際ある程度仕立て上げの後にそれを行わせて証明をとる、ということを行っているということです。どこやらの教祖サマみたいに仕立て上げるというか、先の記事で書いた逆ナチスを行ってそしてその象徴たる人間にはその人間が象徴であることすらも伝えない伝え得ないその自覚を与えないということです。頭の良い人間はこれには乗りませんけど、私SSは抗精神病薬によって乗せられてしまいました。つまり反抗させる為に反抗させているということであって、まさに赤化が赤化を巻き起こすアカの所業です。
他者を貶めて「騙される方が悪いのさ」といったセリフをホザく人間には、つまり右の定常点から左へ流されてしまっている人間のへの非難が込められているんですね。しかし現実的な問題として、おヤクザさん以外に「右」の定常点に存している(ことになっている)人間は居ませんから、やはり騙される方より騙す方の人間の方が悪いに決まってます。
英語ではVice or Virtueという表現の仕方をしますけど、左がviceで右がvirtueであるのが正しいのであって、「良悪」や「善悪」というのは語順的に正しくないです。
太宰治の小説は私小説であって、三島由紀夫の小説は詩小説です。前者はこれはこれで個々人の嗜好に適う場合が多々ありますけど、後者はあまりにも学ぶところが多いです。
私は腕力が弱くて野球のバットを振り回せないんですけど、代わりにサランラップの芯を使ってます。右手にサランラップの芯を持ちながら 右腕を腰の位置あたりまで持ってきて∞の文様を左側で右回転・右側で左回転を描くようにして手首を動かします。そうすると肘の関節を基点に上腕と下腕の間が100度くらい空いた状態でちょうどいい感じに定常します。これをひたすらやっているだけで体のバランスが良くなって肩や背中や腕の筋肉の凝りがよく取れます。
人を良くするフリをして悪くする、もしくは悪い人間に修正の処置を施す人間はストレスが溜まっている状態ではないので「悪い」という状態を知ることができず悪人を良くする処置を施しているつもりのところが実は悪くする処置を施してしまっていた、というのがパスカルの書いたものを読むあたりでのカトリックではあります(抗精神病薬リスパダールは実態としてこういった薬物です)。だから少なくとも現代のカトリック教会の神父さんたちに悪意が在るとかIgnatius de Loyoraが放火魔属性を持っているとかそういったことではなくて、「悪い」という状態を知らない人間は悪い状態がどういったものであるか理解できないので上手く対応策を施すことができないということです。女性はおそらく不快な経験を「腑に落として」しまうんで、よっぽと賢い女性でない限りは悪い行いやそれの対応策としての悪事をやらかしてしまいます。
やっぱり身体に関することというのは絶対的に決まってます、すくなくとも現時点でそう考えることには絶大なメリットがあります。マンガで出てくるような脳ミソだけでどうこうとかを含めて、石器時代の原人から現代の人間への変化のように今後ヒトの肉体の外形が大きく変化するということはないです(と考えると物事上手くいきます)。
物事を理解するにおいて蓋然性を持つようになる、つまり蓋然的に物事を鑑みるようになると、完全主義的な嗜好が生まれて精神的に病気になるだけでなく肉体的にも病んでいきます。「蓋然性」というのはそういうことです。私は何でも記憶してしまう何でも暗記する癖がある、というかそうしないとあまり物事こなせないという病的なクセみたいなものを精神的にも肉体的にも子供の頃から持っていたんですけど、精神的にどうこうの病気、怪我や露骨な内臓疾患以外で肉体的にどうこうの病気というのは、つまるところ「病気」という名で表されるdie Krankheitだと考えると分かりやすいです。自分の肉体のこと以外に情報を過度に溜め込みすぎると、ヒトにおいてそれがストレスになるということはあります。だから賢い人間はやはり勉強以外のことはあまりやらないということであって、自分の頭の良さにかまけて何でもかんでも「面白いもの」とやらに飛びついていると自分で自分の足元をすくってしまうことになります、ヤバいです。
過食症者は、食事や食物において蓋然性を「見て」しまうつまり認識してしまう為そこにあるものを全て食い切ってしまわなければいけないと半ば無意識的に思い込んでしまい過食に走る癖とでも呼びうるものがあります。先の記事で引っ張ってきたアウグスティヌスの書いたもので警告されているように、苦痛を快感であると勘違いして思い込んでしまっている病気の状態というのはヒトの肉体において大昔からあったということです。過食症と拒食症が併発することはおそらくないです。やっぱりある程度以上には頭の良いゲーマーなオタクのお兄さんたちに肥満体の人間が多いのも道理です。私も体が大分悪いんですけど、精神を病んでいる人間は肉体の外形が異常である場合が多い、というか老人的であると言うことができます。「(悪)気は(肉体の)病から」ということであって、「精神的ストレス」という表現はナンセンスでありストレスというのは肉体に溜まるものであるということです。敢えて言うなら脳にストレスが溜まっている、とか。おそらく女性に多いですけど、運動をしてもその事後に不快な出来事の記憶が喚起されてしまってストレスが再発するという人は、それを解消する手段として言語化して記述してしまうというのがあります、ということです。
地図とかでも、日本が世界の中心にあって日付変更線が中央右の太平洋の中心にあるという世界地図は良くないです。日本が右端にあり日付変更線が左右両極の位置にあるのがおそらく見て眺めて勉強するのには適ってます。地球儀が一番いいですけど。
ヒットラーの「土地だけをゲルマン化すべし」というのは当該至極であり且つ同時にナンセンスです。少なくともこの2000年間で起こった歴史上の戦争というのは「土地の、土地による、土地のための戦争」です。領土獲得によって国土が変更されればその風土に基づいてそこに起こっている文化や言語も当然変わってきます。それによって人も変わります。つまりゲルマンはゲルマンの領土においてゲルマンたりうるということであって、ヘーゲル先生もおそらくこういったことを言ってますけど、それがthe historical present(文法用語)ということであって、領土の獲得によって現在の現在たる自文化の浸透する領域を増やすというのがこれナンセンスなわけです。領土の領域が変われば、例えば「ゲルマン」なる自文化は当然変形を余儀なくされます。
何か痛いしっぺ返しを食らって「懲りる」というのはたぶん「凝りる」ということです。人間やはり情報をreadして呑み込んでしまうと、それは腑に落とすということであってつまり体が硬直します。筋肉が凝ります。homeostasis(恒常性)という言葉もありますけど、異常な状態で定常してしまうと、それが「病気」だ、ということです。
マンションの下階の老人が天井をつついているのか床を叩いているのか知りませんけど、いまだに突然ドガッという騒音がしたり窓が激しく閉められてパコーンと異常な騒音を聞かされたりします。ネットで老害といって老人たちを叩く連中が居ますけど、現在60代くらいの全共闘な連中の無責任と自由を履き違えた自由勝手な国に崩壊するまで借金をさせたやらかしを鑑みると、彼らを老害といって叩く連中の行いも一概には否定できないと言いたくはなります。
近頃のストーカーで、私が外を歩いていてその顔を視認するために一瞬見ると即顔をしかめてくるのが居るんですけど、私も当然外を歩いていて何処の誰だか分からない人間がどういった行動を取るか分からないというのがあるので当然自己防衛の為に視覚で確認をします、突然ナイフを持って襲い掛かってくるとも限らないので。彼らストーカーは自分らは被害者に対して絶対的に自分らが加害者であることを証明できない加害者側からも証明され得ないという強みを持っているので、被害者が直接的に何を言おうが行おうが無駄なんですね。むしろそれを待っているくらいの気があります。先の記事でも書いたように、警察でも全く対応は不可能であると私SSは告げられましたし、だから昔で言うところのそこらへんのチンピラが絡んできている程度に考えて無視するということしか被害者には対策を練ることができません。何を正当者ぶってるんだか知りませんけど、とは言いたくなります。
ストーカー行為は先にも書いたように「右の定常点から左へとあの手この手で釣って流して引っ張ろうとする」というこれに尽きるんですけど、つまりおそらくは自分をidentifyすることだけが能であるような人間を作り出してそして実際ある程度仕立て上げの後にそれを行わせて証明をとる、ということを行っているということです。どこやらの教祖サマみたいに仕立て上げるというか、先の記事で書いた逆ナチスを行ってそしてその象徴たる人間にはその人間が象徴であることすらも伝えない伝え得ないその自覚を与えないということです。頭の良い人間はこれには乗りませんけど、私SSは抗精神病薬によって乗せられてしまいました。つまり反抗させる為に反抗させているということであって、まさに赤化が赤化を巻き起こすアカの所業です。
他者を貶めて「騙される方が悪いのさ」といったセリフをホザく人間には、つまり右の定常点から左へ流されてしまっている人間のへの非難が込められているんですね。しかし現実的な問題として、おヤクザさん以外に「右」の定常点に存している(ことになっている)人間は居ませんから、やはり騙される方より騙す方の人間の方が悪いに決まってます。
英語ではVice or Virtueという表現の仕方をしますけど、左がviceで右がvirtueであるのが正しいのであって、「良悪」や「善悪」というのは語順的に正しくないです。
太宰治の小説は私小説であって、三島由紀夫の小説は詩小説です。前者はこれはこれで個々人の嗜好に適う場合が多々ありますけど、後者はあまりにも学ぶところが多いです。
私は腕力が弱くて野球のバットを振り回せないんですけど、代わりにサランラップの芯を使ってます。右手にサランラップの芯を持ちながら 右腕を腰の位置あたりまで持ってきて∞の文様を左側で右回転・右側で左回転を描くようにして手首を動かします。そうすると肘の関節を基点に上腕と下腕の間が100度くらい空いた状態でちょうどいい感じに定常します。これをひたすらやっているだけで体のバランスが良くなって肩や背中や腕の筋肉の凝りがよく取れます。
人を良くするフリをして悪くする、もしくは悪い人間に修正の処置を施す人間はストレスが溜まっている状態ではないので「悪い」という状態を知ることができず悪人を良くする処置を施しているつもりのところが実は悪くする処置を施してしまっていた、というのがパスカルの書いたものを読むあたりでのカトリックではあります(抗精神病薬リスパダールは実態としてこういった薬物です)。だから少なくとも現代のカトリック教会の神父さんたちに悪意が在るとかIgnatius de Loyoraが放火魔属性を持っているとかそういったことではなくて、「悪い」という状態を知らない人間は悪い状態がどういったものであるか理解できないので上手く対応策を施すことができないということです。女性はおそらく不快な経験を「腑に落として」しまうんで、よっぽと賢い女性でない限りは悪い行いやそれの対応策としての悪事をやらかしてしまいます。
やっぱり身体に関することというのは絶対的に決まってます、すくなくとも現時点でそう考えることには絶大なメリットがあります。マンガで出てくるような脳ミソだけでどうこうとかを含めて、石器時代の原人から現代の人間への変化のように今後ヒトの肉体の外形が大きく変化するということはないです(と考えると物事上手くいきます)。
物事を理解するにおいて蓋然性を持つようになる、つまり蓋然的に物事を鑑みるようになると、完全主義的な嗜好が生まれて精神的に病気になるだけでなく肉体的にも病んでいきます。「蓋然性」というのはそういうことです。私は何でも記憶してしまう何でも暗記する癖がある、というかそうしないとあまり物事こなせないという病的なクセみたいなものを精神的にも肉体的にも子供の頃から持っていたんですけど、精神的にどうこうの病気、怪我や露骨な内臓疾患以外で肉体的にどうこうの病気というのは、つまるところ「病気」という名で表されるdie Krankheitだと考えると分かりやすいです。自分の肉体のこと以外に情報を過度に溜め込みすぎると、ヒトにおいてそれがストレスになるということはあります。だから賢い人間はやはり勉強以外のことはあまりやらないということであって、自分の頭の良さにかまけて何でもかんでも「面白いもの」とやらに飛びついていると自分で自分の足元をすくってしまうことになります、ヤバいです。
過食症者は、食事や食物において蓋然性を「見て」しまうつまり認識してしまう為そこにあるものを全て食い切ってしまわなければいけないと半ば無意識的に思い込んでしまい過食に走る癖とでも呼びうるものがあります。先の記事で引っ張ってきたアウグスティヌスの書いたもので警告されているように、苦痛を快感であると勘違いして思い込んでしまっている病気の状態というのはヒトの肉体において大昔からあったということです。過食症と拒食症が併発することはおそらくないです。やっぱりある程度以上には頭の良いゲーマーなオタクのお兄さんたちに肥満体の人間が多いのも道理です。私も体が大分悪いんですけど、精神を病んでいる人間は肉体の外形が異常である場合が多い、というか老人的であると言うことができます。「(悪)気は(肉体の)病から」ということであって、「精神的ストレス」という表現はナンセンスでありストレスというのは肉体に溜まるものであるということです。敢えて言うなら脳にストレスが溜まっている、とか。おそらく女性に多いですけど、運動をしてもその事後に不快な出来事の記憶が喚起されてしまってストレスが再発するという人は、それを解消する手段として言語化して記述してしまうというのがあります、ということです。
地図とかでも、日本が世界の中心にあって日付変更線が中央右の太平洋の中心にあるという世界地図は良くないです。日本が右端にあり日付変更線が左右両極の位置にあるのがおそらく見て眺めて勉強するのには適ってます。地球儀が一番いいですけど。
ヒットラーの「土地だけをゲルマン化すべし」というのは当該至極であり且つ同時にナンセンスです。少なくともこの2000年間で起こった歴史上の戦争というのは「土地の、土地による、土地のための戦争」です。領土獲得によって国土が変更されればその風土に基づいてそこに起こっている文化や言語も当然変わってきます。それによって人も変わります。つまりゲルマンはゲルマンの領土においてゲルマンたりうるということであって、ヘーゲル先生もおそらくこういったことを言ってますけど、それがthe historical present(文法用語)ということであって、領土の獲得によって現在の現在たる自文化の浸透する領域を増やすというのがこれナンセンスなわけです。領土の領域が変われば、例えば「ゲルマン」なる自文化は当然変形を余儀なくされます。
何か痛いしっぺ返しを食らって「懲りる」というのはたぶん「凝りる」ということです。人間やはり情報をreadして呑み込んでしまうと、それは腑に落とすということであってつまり体が硬直します。筋肉が凝ります。homeostasis(恒常性)という言葉もありますけど、異常な状態で定常してしまうと、それが「病気」だ、ということです。
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