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Air
 教徒大学。




 夜チラホラ歩いている中学生や小学生ですらを見ることがあるんですけど大人が子供を使ってるんですね。住宅街であるにもかからわらず高頻度でそれが見られるということで確実に昔の不良少年(を演じている)というアレです。で、もうストーカー云々は語りつくした感があるので、以下子供を使って反社会的人間へと育成しようとしているゴミクズな大人について書きます。
 現状では、自分から進んで反社会的人間を志向するクズは論外ですけど、くだらない受験競争等もそうですし何らかの貶めや差別のようなもので社会から排斥された人たちが居ます。だから、そういう今生きている人たちが年を取って普通に亡くなってだんだんと数を減らしていくということを念頭においた上でそういった人たちの面倒を見てくれる人たちが居てくれるというのは至極当然ではあります。が、それがやらせの演技であれその他どういった形であれそういった他者に危害を加えるような犯罪行為に子供を加担させるということは論外なのは言うまでもないです。それに加担させられる子供が、どっかから小遣いでももらってのバイト感覚で行っていたところで、彼らは犯罪者コースを歩むことになるんですね。



 他人にウザがられる人間の典型として、コミュニケーションにおいて「他者がこういう対応をしてきた場合はこういう対応をする」というように、コミュニケーションつまり人間関係を工学化してとり行う馬鹿が居ますけど、絶対的にこれは失敗します。そういうことを行っても失敗するように出来てます。このネットが普及した時代にはこういった人間は減っているでしょうけど、この類の人間の対人関係における場対応というのはコミュニケーションの相手である他人からは見ていて非常に不快であり、ウザいです。
 村上春樹さんの小説というのは基本的に読んでいて反吐が出そうになるくらいにイタいんですけど、この小説家はおそらくは人にウザがられる人間の典型です。アベラール的というか、ブサイクだとか卑屈だとかを通り越して、「何なのお前は?」というお話です。
 自分にとって耐え難い事実や経験をなるべく簡潔な形でそれに遭遇する度に音声言語化して口頭で発するという一見した時点で非常にウザい人間が居ますけど、コレは行う度に自他に悪い影響があるのであって、何より他人に対して激烈な不快感を煽ることこの上無く人間関係を自分から破壊しているのと同じです。酒を飲むことと似たようなものであって、おそらく対人関係だけではなく物事の識別能力が阻害されるというかそれをコントロールするための人格というものが崩壊していきます。村上春樹さんの小説というのはこの人間の行動のなんたるかにおいて音声言語化されたモノを文字化して羅列したようなものであって、読んでいて不快どころかこの人の書いたものの場合は何故かそれにまつわってネットで言うところの中二病臭い感じが異様なまでに漂ってきます。この小説家は明らかにつまはじきにされているのが見てとれますけど、こういったアベラール的人間はどこへ行ってもウザがられるんですね。もう今は騙される若者も居ませんけど、こういうのを一匹置いておいて釣れる奴は釣っとくか、こういうので釣られてしまう奴にはそれこそこういうの(ごとき)での釣られ役としての社会的ポジションを与えておくか、ということでセッティングされていただけです。私の父親はこの類の人間の典型なんですけど、この男二、三年前に亡くなった祖母(この男の実母)の葬式の時目が赤く腫れて泣いて血走っているように他人に見せるためのカラーコンタクトを入れていたんですね。前に出て本泣きしている叔父の後ろでまるで幼児のようにこの男は「はやくおわんないかなぁ~」という文字を顔面に貼り付けてモジモジソワソワしてるんですね。これが「他者がこういう対応をしてきた場合はこういう対応をする」の極みです。もう道化であってどうこうというよりは、最悪のクズであり同時にカスであるという以外には形容不可能です。

 人種差別の一ということで黒人差別がどうこうという問題がありますけど、黒人は実際接してみるとウザいです。フランスとか行くと分かりますけど、白人さんはどの人も大抵どの人も親切ですけど、黒人さんは残念ながら排斥心も被排斥心も共に強く非常にウザいです。私はアメリカへ行ったことがないのでアメリカの黒人さんがどうかとは何も言えないんですけど、おそらくネットの動画で見れるような(自由を謳歌する)雰囲気を醸し出しているものと真逆だと考えるのが正解です、おそらく。

 私は子供の頃、場対応能力が最善に物を言うバスケットボールが全く出来なくて、ピアノを弾くとき即興で弾けなくて音符を丸暗記して弾いてたんですけど、同時に他者とのコミュニケーションはあまり得意ではありませんでした。しかしそれを自覚的に理解はしていたのでそもそも活発に自分から進んで他者とコミュニケーションを取るということは行いませんでした。ウザがられる子供の典型というのは、コミュニケーション能力が低いのにもかかわらず何故か人気者になりたがって無理をする行動に典型的に表れてますけど、大人になってもこの間違えたところの欲求から抜け出せない人間がたまに居るんですね。こういった人格障害者というのは、その行動面においてつまるところ他者に嫌がらせをするという形でしか他者のコミュニケーションを取ることができません。つまりこういった異常者は他者に嫌がらせ等危害を加えるという行為でしか他者と関係を取り結ぶことができないということです。だから最悪の場合レイプとかに走ったりもします。レイプというのは工学化された人間関係の最たるものです。最悪です。

 書かずと言ってまた書いてしまいますけど、ストーカーはこういったアベラール的不良人間が織り成しているものです。



 精神科医の書く診断書の類というのは、「精神科医の診断書」であり、つまり人間の避けられない必然として「精神科医の(歪んだ)人となりが表れる議事記録」です。つまるところこの点からしても精神医学と文学は切り離せないということです。いくら精神科医が小学生の書くお友達感想文のような内容の文面を診断書に記述したからといってそれに乗せられるのではなく、それには手を付けずリトマス試験紙になってそのままお役所なり別のクリニックなりへと提出するのが最も賢いやり方です。

 前世紀に日本でも日本のマスコミが宣伝していた通りに、普通冷戦というと米ソ両大国間とまたその傘下にある勢力をも含めての二大勢力の対立を指します。が、いわゆる東側と呼ばれる旧ソ連では冷戦というのはアメリカの政策を指していました。ちなみにロシア語では肯定の返事を(ローマ字のアルファベットで書くと)"Da."と言って返します、英語の"Yes."です。

 漢字や日本語やそれに類する東アジア的なものを失わずに生きてゆきたいがしかし鎖国することはできない、というのであれば、さっさと英語を国語にすればよかったんです。これをやらないから「我々のシステムを壊すあいつらは『鬼畜米英』だ」という風に映ったということであって、そもそも富国強兵を謳って人口増やしながらシステムなんざ確立すらされていない分際でよくホザいたなという問題です。150年くらい前の明治の開国期に英語を国語にしろと言っていたのは二葉亭四迷ですけど、戦争なんか無い方がいいに決まってるんで、戦争という現象に有無を言わさず"Non,"を突き付けるのではなくて何故戦争が起こるのかというところから考えていくらでももっと賢いやり方があったはずなんですね。



 特に理科系で多いんですけど、特に勉強する気もやりたい価値ある研究も無いのに自分に経歴としての箔を付けるために大学院へ行く人間が居て、そういったのは研究を指導する側の人間にとっては迷惑なんですね。研究内容にもよりますけど、少なくとも2012年現在で日本でそこへ行って価値があるような大学院というのは、私立大学のごく一部や国立旧帝一期校とかそういった最上層の大学のそのまたごく一部だけです。67年前に戦後日本が始まってから、延々と教育レベルは落ち続けているんで、クズみたいな内容の論文を書いたって何の役にも立たずまたどうしようもないんですね。理系とてそれは同じです。クズみたいな研究を大学院へ行ってやってクズみたいな論文を書いたところで、それがその研究者の間で役に立つでも何でもなく、しかもそれを書いた当人は研究者にな(れ)るわけでもなく、研究とは何の関係もない内容の仕事に就くだけであるのがオチというケースがほとんどです。単に経験として身に付けるにおいては大学院で受けられる教育というのは費用対効果や時間対効果が低過ぎるんですね。私の場合だと高校生であった時分に「今の時代、大学院なんかへ行けば行くほど就職は無くなるだけだぞ」忠告してくれた先生が居ましたけど、つまりは東大や東工大以外の中途半端な大学の大学院なんか行ったところで研究者になれるわけでもなく何の得にもならないぞ、ということなんですね。もし勉強したいだけならば、勉強なんて教授とコミュニケーションを取れる場があってあとは図書館が使えればいいんで、ワザと留年して籍だけ置いて図書館へ通って幅広い勉強をするというのもありです。何か最近はいろんな大学に教養学部の類が出来たみたいで(?)、実によろしいことだと私個人は勝手に思ってます。勉強は行うに越したことはないですけど、別に研究者になるでもないのに特定の学問を究極的に修めたところで何の役にも立たないからです。だから勉強するなら勉強するでその中身としてはそれぞれの人間がそれぞれにとって役立つと思われることを学んだ方がいいです、それが金銭的利得には直接結びつかないように一見したところでは思われる教養という胡散臭い言葉で表されるものとかであっても。
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