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2025.04.16 Wednesday
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Johannistrieb
2012.06.21 Thursday
老いらく(の恋)、厄除け。
日本近海の海の水というのは日本海側の一部その他を除いて何処も非常に汚れているんですけど、そういった海で獲れた魚介類というのは食用のものとして大丈夫なんですかね?凄まじく毒素含んでそうなんですけど。寿司や魚の刺身を食すなんてのはどう考えても自殺行為にしか見えないんですけど。寿司は肉体労働者のおっちゃんたちの食い物です。体を動かして汗を流すこととは無縁の環境に生きている人間が寿司や魚の刺身なんか食べるとヤバいです。最近は鯖とかでもスーパーで非常に安価で良さげなものが売ってますけど、味的にも物質的にも鯖なんて人間の食い物だとは思えないんですけど。腐りやすいとか。塩サバ好きな女の人とか小っ恥ずかしくて想像しただけで気マズくなります。
Stoa School(ストア学派)というのがありますけど、少なくとも中世以降のキリスト教徒からすると古代異教徒のものとされてます。自己や魂や徳を扱いそれ以外はどうでもよいとかなってますけど、おそらくただのエゴイズムです。デカルトはこれを砂と泥との上に建てられたにすぎないきわめて豪奢な壮麗な宮殿にたとえ(られ)ると言ってますけど、馬鹿なネロに自殺を強要されたらばあっさりと死んだかの有名な哲学者セネカも言行不一致その他で評判は良くなかったんですね。晩年は田舎で葡萄栽培にいそしんでいたセネカもひょっとしたら毒を盛られていたりだとか。
その場における無知を克服する手段の一として「ネットで調べればすぐ」だとかなんとか言ってる人も居ますけど、ネットの情報なんざアテにならないというか、ただの悪ノリです。「調べて書く」派(?)の人たちと言うとちょっと皮肉なあてつけ気味で形容としてあまりよろしくないですけど、「調べた」モノはWikipediaであれ何であれ正しいというのはちょっと盲目過ぎます。
「一個の精神がどれほどの真理に堪え、どれほどの真理をあえて試みるかといこと、これが私にはますます真の価値標準と思われてきた。誤謬(――理想の信仰――)は盲目ではない、誤謬は臆病なのだ……。認識におけるあらゆる成果、あらゆる前進は、勇気によって生ずる……。自己に対する苛酷、自己に対する清潔さから生ずる……。私は理想を反駁しない、ただこれに対して手袋をはめる……。『われらは禁じられたる事物を求む』。この標語のもとに私の哲学はいつか勝利をおさめるであろう、なぜなら、原則的にこれまで世人は真理にかぎって、これを禁じてきたからだ。」
これはニーチェの「Ecce Homo(この人を見よ~いかにして人は自己自身となるか)」という著作の冒頭の文章から持ってきたものですけど、ニーチェ先生ここで珍走し過ぎて腐ったサバみたいなこと言ってますが、誤謬が盲目の産物ではなく臆病(のそれ)であるとはよくヌカしたなというお話です。試みるまでもなく、試みうる術すらなく、真(理)・真実というのはただそこにあるDaseinなのであって、世人が真(理)・真実に限ってこれを禁じてきたのではなくて禁じ得ない禁じる術すらそもそも無いものであるということです。目の前にはパソコンのモニターが在るだけです。
精神病の患者が自閉的になる場合は、「引きこもり」という表現は的確ではなく、「押し出すことによって押し切って(空気読み過ぎちゃって)引きこもり」になるという自閉のパターンであり、「引きこもり」ではなく「自己による自己の押し潰し」という表現が適切です。Oscar Wildeのような芸術のための芸術を標榜できる脳天気な幸せな人ならばいいんですけど、やっぱりネットでも叩きとか病的なことに走っちゃう人が多さげです。
Youtubeかなんかで「ヘリコプターを嫌がらせだと思い込む」というタイトルで空を飛ぶヘリコプターをその騒音と共に撮影しているという映像を見ました。これはおそらく精神科へかかると統合失調症であると診断される典型的な精神異常者が撮影したものとしてネットにupされているわけですが、普通こんなこと誰もやりません、というか精神異常者というのはこういった類のことは行いません。普通に考えてもらえば分かると思うんですけど、仮に空を飛ぶヘリコプターをそれが自分への騒音その他による嫌がらせであると考えた人物が居たとして、それを撮影しネットにupしたところでそれが自分への嫌がらせであることの証明にはならないと考えるのが一般的でありまたこの点については精神分裂病(統合失調症)患者も一般の人間と同じです。こういった行為を本意で行う人間が居たとしたら、それは非常に高い確率で知的障害と呼ばれる部類の人たちです。統合失調症患者というのは知的減弱については一切観察されません。で、ここからが本題なんですけど、「『ヘリコプターを嫌がらせだと思い込む』というタイトルで空を飛ぶヘリコプターをその騒音と共に撮影した映像をネットでも前世紀であったらばテレビでも使って垂れ流しターゲットに対して見せ付ける」という行為によって、そもそも精神科にて統合失調症であると診断され「ヘリコプターを嫌がらせだと思い込む」こともまた統合失調症の主症状である妄想の一環であるとの認識を与えられたことが前提になっている人間(ターゲット)に対してそれを加害行為として成立させることができます。これは漫画家の冨樫義博さんがHUNTER×HUNTERの10巻あたりで旅団のアジトへ連れて行かれるゴンとキルアの場面でキルアの「今調べられるとヤバい、何故なら(鎖野郎が鎖野郎であると)連想してしまっているから(だから今調べられると鎖野郎が自分の知っているアイツであると分かられてしまう」という脳内の連想でこれと同じことを描いてます。平たく分かりやすく例え話で言うと、「『ヘリコプターを嫌がらせだと思い込む』というタイトルで空を飛ぶヘリコプターをその騒音と共に撮影した映像」を見た次の瞬間に爆騒音を立てながらその当該のターゲットが居る場所の上空をマスコミのヘリコプターやセスナ機が通過したりするわけです。それ以後部屋で音楽を聴く度にヘリコプターやセスナ機のとは言わないまでも暴走バイクの爆音が垂れ流され、とか。嫌がらせを行う側の人間はまず嫌がらせが嫌がらせであることをターゲットに認識させなければ自分の行為を嫌がらせだと関知してもらえないわけです。ネットがある今ではこういった一種の「知らしめ」を行うことも技術的にいくらでも可能であり……というよりは、ネットの場合は逆にネットがあるからこそこういった悪質な連中の悪質な手口が客観的に分かったりもするというわけです。前世紀のネットが無くてテレビだけがあった時代というのはおそらく最悪でした。どれだけ犠牲者が居たか分かりません。これが先の記事で書いた、「晴れの天気である」という事象において、特定のxさんが行動Aをとった時はxさんは「晴れの天気である」ことには気付かずxさんが行動Bをとった時にはxさんは「晴れの天気である」ことに気付く場合において行動Bを繰り返していると、xさんは「自分が行動Bをとったから→晴れの天気である」という誤った認識にいつの間にか取り憑かれていく、とかいったことであると間違いである可能性がほぼ100%ですけど、日本のマスコミは平気でこういったことを行います、連中は事件が欲しくて欲しくて仕方がないので。古くはFriedrich Wilhelm NietzscheやAdolf HitlerやVirginia Woolf、これに近い人間として富野由悠季という人だとかラルクの歌ってる人だとか、そしておそらくは大阪の国立小学校に乱入して児童を多数殺傷して死刑になった宅間守という人や、秋葉原通り魔の加藤智大さんや、たぶん村上春樹さんが書いてますけど下手をすれば麻原彰光という人物までもがこれの犠牲者です。
家の周辺に事あるごとに現れる暴走バイクの立てる騒音とかは非常に迷惑ですけど、こういったものを除いて、私はこれについては私の「病気」の治療の一環であると今は理解している上にこのブログでもこれについては書き尽くしたので、あまりもうこれについてガタガタ言う気はありません。隠し事をしない、隠し事などそもそも存在しない在り得ないということであって、そこから一つ一つの知的営みを出発させていこうね、ということです。抗精神病薬については、使い方や種目によって毒にもなりますし薬にもなります。抗精神病薬リスパダールは飲んでいる期間中は健康を害し、服薬を止めると肥満します。抗精神病薬ジプレキサは飲んでいる期間中は肥満し、服薬を止めると痩せます(健康は害さない、冷や汗をかく程度)。それが五感のどれを通してでも、悪い情報を蓄えてしまうと、人間歪んで心身悪くなるよ、と。罪の痛み。現実世界では上で書いたマンガのような事は無いです、やったこともやらないことも悪事も善事もバレるようになってるので。恥意識よりも罪の方が余程重く痛みをもたらします。
日本近海の海の水というのは日本海側の一部その他を除いて何処も非常に汚れているんですけど、そういった海で獲れた魚介類というのは食用のものとして大丈夫なんですかね?凄まじく毒素含んでそうなんですけど。寿司や魚の刺身を食すなんてのはどう考えても自殺行為にしか見えないんですけど。寿司は肉体労働者のおっちゃんたちの食い物です。体を動かして汗を流すこととは無縁の環境に生きている人間が寿司や魚の刺身なんか食べるとヤバいです。最近は鯖とかでもスーパーで非常に安価で良さげなものが売ってますけど、味的にも物質的にも鯖なんて人間の食い物だとは思えないんですけど。腐りやすいとか。塩サバ好きな女の人とか小っ恥ずかしくて想像しただけで気マズくなります。
Stoa School(ストア学派)というのがありますけど、少なくとも中世以降のキリスト教徒からすると古代異教徒のものとされてます。自己や魂や徳を扱いそれ以外はどうでもよいとかなってますけど、おそらくただのエゴイズムです。デカルトはこれを砂と泥との上に建てられたにすぎないきわめて豪奢な壮麗な宮殿にたとえ(られ)ると言ってますけど、馬鹿なネロに自殺を強要されたらばあっさりと死んだかの有名な哲学者セネカも言行不一致その他で評判は良くなかったんですね。晩年は田舎で葡萄栽培にいそしんでいたセネカもひょっとしたら毒を盛られていたりだとか。
その場における無知を克服する手段の一として「ネットで調べればすぐ」だとかなんとか言ってる人も居ますけど、ネットの情報なんざアテにならないというか、ただの悪ノリです。「調べて書く」派(?)の人たちと言うとちょっと皮肉なあてつけ気味で形容としてあまりよろしくないですけど、「調べた」モノはWikipediaであれ何であれ正しいというのはちょっと盲目過ぎます。
「一個の精神がどれほどの真理に堪え、どれほどの真理をあえて試みるかといこと、これが私にはますます真の価値標準と思われてきた。誤謬(――理想の信仰――)は盲目ではない、誤謬は臆病なのだ……。認識におけるあらゆる成果、あらゆる前進は、勇気によって生ずる……。自己に対する苛酷、自己に対する清潔さから生ずる……。私は理想を反駁しない、ただこれに対して手袋をはめる……。『われらは禁じられたる事物を求む』。この標語のもとに私の哲学はいつか勝利をおさめるであろう、なぜなら、原則的にこれまで世人は真理にかぎって、これを禁じてきたからだ。」
これはニーチェの「Ecce Homo(この人を見よ~いかにして人は自己自身となるか)」という著作の冒頭の文章から持ってきたものですけど、ニーチェ先生ここで珍走し過ぎて腐ったサバみたいなこと言ってますが、誤謬が盲目の産物ではなく臆病(のそれ)であるとはよくヌカしたなというお話です。試みるまでもなく、試みうる術すらなく、真(理)・真実というのはただそこにあるDaseinなのであって、世人が真(理)・真実に限ってこれを禁じてきたのではなくて禁じ得ない禁じる術すらそもそも無いものであるということです。目の前にはパソコンのモニターが在るだけです。
精神病の患者が自閉的になる場合は、「引きこもり」という表現は的確ではなく、「押し出すことによって押し切って(空気読み過ぎちゃって)引きこもり」になるという自閉のパターンであり、「引きこもり」ではなく「自己による自己の押し潰し」という表現が適切です。Oscar Wildeのような芸術のための芸術を標榜できる脳天気な幸せな人ならばいいんですけど、やっぱりネットでも叩きとか病的なことに走っちゃう人が多さげです。
Youtubeかなんかで「ヘリコプターを嫌がらせだと思い込む」というタイトルで空を飛ぶヘリコプターをその騒音と共に撮影しているという映像を見ました。これはおそらく精神科へかかると統合失調症であると診断される典型的な精神異常者が撮影したものとしてネットにupされているわけですが、普通こんなこと誰もやりません、というか精神異常者というのはこういった類のことは行いません。普通に考えてもらえば分かると思うんですけど、仮に空を飛ぶヘリコプターをそれが自分への騒音その他による嫌がらせであると考えた人物が居たとして、それを撮影しネットにupしたところでそれが自分への嫌がらせであることの証明にはならないと考えるのが一般的でありまたこの点については精神分裂病(統合失調症)患者も一般の人間と同じです。こういった行為を本意で行う人間が居たとしたら、それは非常に高い確率で知的障害と呼ばれる部類の人たちです。統合失調症患者というのは知的減弱については一切観察されません。で、ここからが本題なんですけど、「『ヘリコプターを嫌がらせだと思い込む』というタイトルで空を飛ぶヘリコプターをその騒音と共に撮影した映像をネットでも前世紀であったらばテレビでも使って垂れ流しターゲットに対して見せ付ける」という行為によって、そもそも精神科にて統合失調症であると診断され「ヘリコプターを嫌がらせだと思い込む」こともまた統合失調症の主症状である妄想の一環であるとの認識を与えられたことが前提になっている人間(ターゲット)に対してそれを加害行為として成立させることができます。これは漫画家の冨樫義博さんがHUNTER×HUNTERの10巻あたりで旅団のアジトへ連れて行かれるゴンとキルアの場面でキルアの「今調べられるとヤバい、何故なら(鎖野郎が鎖野郎であると)連想してしまっているから(だから今調べられると鎖野郎が自分の知っているアイツであると分かられてしまう」という脳内の連想でこれと同じことを描いてます。平たく分かりやすく例え話で言うと、「『ヘリコプターを嫌がらせだと思い込む』というタイトルで空を飛ぶヘリコプターをその騒音と共に撮影した映像」を見た次の瞬間に爆騒音を立てながらその当該のターゲットが居る場所の上空をマスコミのヘリコプターやセスナ機が通過したりするわけです。それ以後部屋で音楽を聴く度にヘリコプターやセスナ機のとは言わないまでも暴走バイクの爆音が垂れ流され、とか。嫌がらせを行う側の人間はまず嫌がらせが嫌がらせであることをターゲットに認識させなければ自分の行為を嫌がらせだと関知してもらえないわけです。ネットがある今ではこういった一種の「知らしめ」を行うことも技術的にいくらでも可能であり……というよりは、ネットの場合は逆にネットがあるからこそこういった悪質な連中の悪質な手口が客観的に分かったりもするというわけです。前世紀のネットが無くてテレビだけがあった時代というのはおそらく最悪でした。どれだけ犠牲者が居たか分かりません。これが先の記事で書いた、「晴れの天気である」という事象において、特定のxさんが行動Aをとった時はxさんは「晴れの天気である」ことには気付かずxさんが行動Bをとった時にはxさんは「晴れの天気である」ことに気付く場合において行動Bを繰り返していると、xさんは「自分が行動Bをとったから→晴れの天気である」という誤った認識にいつの間にか取り憑かれていく、とかいったことであると間違いである可能性がほぼ100%ですけど、日本のマスコミは平気でこういったことを行います、連中は事件が欲しくて欲しくて仕方がないので。古くはFriedrich Wilhelm NietzscheやAdolf HitlerやVirginia Woolf、これに近い人間として富野由悠季という人だとかラルクの歌ってる人だとか、そしておそらくは大阪の国立小学校に乱入して児童を多数殺傷して死刑になった宅間守という人や、秋葉原通り魔の加藤智大さんや、たぶん村上春樹さんが書いてますけど下手をすれば麻原彰光という人物までもがこれの犠牲者です。
家の周辺に事あるごとに現れる暴走バイクの立てる騒音とかは非常に迷惑ですけど、こういったものを除いて、私はこれについては私の「病気」の治療の一環であると今は理解している上にこのブログでもこれについては書き尽くしたので、あまりもうこれについてガタガタ言う気はありません。隠し事をしない、隠し事などそもそも存在しない在り得ないということであって、そこから一つ一つの知的営みを出発させていこうね、ということです。抗精神病薬については、使い方や種目によって毒にもなりますし薬にもなります。抗精神病薬リスパダールは飲んでいる期間中は健康を害し、服薬を止めると肥満します。抗精神病薬ジプレキサは飲んでいる期間中は肥満し、服薬を止めると痩せます(健康は害さない、冷や汗をかく程度)。それが五感のどれを通してでも、悪い情報を蓄えてしまうと、人間歪んで心身悪くなるよ、と。罪の痛み。現実世界では上で書いたマンガのような事は無いです、やったこともやらないことも悪事も善事もバレるようになってるので。恥意識よりも罪の方が余程重く痛みをもたらします。
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