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CHELSEA GIRL
 腐らない理性の扉。




 自分の育ちの悪さや下俗さを棚に上げて「世の中」だとか「世間」がどうとかバカな中年男が汚い飲み屋でグダグダホザいてそうなグチをまるで世界に対する正当な数学的な解釈であるかのようにのたまう大バカがまるでマンガの世界のように社会の構成員の大半を占めるというのならば、少なくとも私は子供たちにそんな社会に適応しろとは口が避けても言えません。そういう「世の中」なるものがあった方が自分らだけは甘い蜜をすすりサークル外の人間は奴隷にできるという業界豚がこれを必死に喧伝してました。もちろんこういったものを「御免である」と認識することは数学的なわけであって社会的生産性を最大に持っていくべく個々の経済主体が持つべき当然の価値意識なわけですけど、それとは真逆のマザーコンプレックスな(笑)を付けうるような「世の中属性」に「大人」という言葉のアヤとそれによって呼び起こされたトリッキーな感情によって物事の数学的な認識が「大人ではない子供」のものであるかのように見せかけることができるんですね。日本のマスコミの豚共は必死にコレをやってます。まるで「『世の中そううまくはいかない』という頭の悪い俳優が織り成すベタな三文ドラマで見られるような『子供』の価値意識が、ドラマやマンガの枠を飛び越えて現実世界においても『大人』のそれとして通用するかのように見せかける」ことが通用するとある種の自慰的なナルシズムとでも呼びうる方向性にてお幸せなことに思い込んでいる「子供」のように。

 私SSが被害に遭った自称竜頭万里子の究極のエニアグラムもうそうですけど、新興宗教の類というのはまず被害者の口封じと既存の人間関係の切断に持っていきます。それは当然ハッキング天国にてということでもそうですし、大切な人との関係を工学化してしまうということにおいてもそうです。例えば自称竜頭万里子の場合だと、「(能動的な差別カテゴリーとして)タイプ2w1」でも「(受動的な被差別カテゴリーとして)末っ子で無政府主義者であるタイプ4」でもそうですけど、社会的に好ましくない被差別部落民のようなカテゴリーやもしくは当該被害者の価値意識における好ましくないカテゴリーを作っておいて、被害者が自己防衛を行おうとするとそれは当該被差別ガテゴリーの証(たる「タイプ2w1」や「タイプ4」)であるという「判定」を下しどんどん被害者の口を封じていくということ行います。しかも自称竜頭万里子の場合は金を取り、その金を取るという形骸が存在しそこでまるでそれが被害者にとって価値のあるものだと錯覚させるというやり方なのであって、教祖たる自称竜頭万里子にとっては被害者をレイプして金まで取れるというダブルでおいしいやり方なわけです。新興宗教のお布施です。オウム真理教とかの類もおそらくこうやって信者を増やしてました。で、教祖にとっては都合の悪いことに理詰めで論駁されてそれが間違いでないことが分かると、「この人はタイプ5だ」と今度は逆に肯定的に「特殊な」被差別カテゴリーのレッテルを貼るということによって逃避に走りそしてそれと同時に「しかしそうではないタイプ2やタイプ4の人もいる」という分かりやすい逃避行動に及ぶと同時に被差別カテゴリーの存在は相対的にキープし続けるという行為に及ぶわけです。当然口では自称竜頭万里子は「すべてのタイプは平等です」という「判定」を行う自分の行動とは真逆の大嘘をホザきます。ちなみに、自称竜頭万里子の場合だと「当該被害者の価値意識における好ましくないカテゴリー」はイコールで「自称竜頭万里子が『判定』したところの当該被害者における性格タイプ」であって、全ての人間に対して不快感を煽りあわよくば全ての人間に対するレイプを行うというコレはやり方だということです。私がこのブログを書き始めるまでの数年間はしかもあろうことか日本のマスコミの豚共がこれを利用して悪乗りをしてました。もちろん大手マスコミ新聞関係者であった私の父親もこれに関わっていた犯罪者です。このマスコミの豚共の所業は、自称竜頭万里子さんが実在するとして自称竜頭万里子さんの本意ではないかもしれません、私の知りうるところではありませんけど。フリーライダーの場合は私SSについては私に損害が及ばない限りにおいていくらでもやってもらって構いませんけど、一般的に悪いと言われるこれとは比べ物にならない程こういった新興宗教の類は悪質です。オカルトペテン教祖が「人間を」分かった気になって文字通り図に乗るなというんですね。「教授系でタイプ7やタイプ5を多く見ます」とか、教授は教授であって「教授系(の人間)」なんてものは存在しません。(笑)を付けるのもはばかられます。自称「判定者」でも教祖でもそうですけど、自分を自分における偶像化したら人間は終わりです。あちらを勃てればこちらを叩き、こちらを叩けばあちらを勃てる、というまあユダヤ的と言えばユダヤ的なものではあります、が、エニアグラム図を悪質な利用の仕方をして実態は当のユダヤの人たち・現代のイスラエル人に対する冒涜です。

 学校という場で子供にものを教える教師というものや年上の人間やいわゆる目上の人間というものがどういうものか分かっていれば、いかに対象が馬鹿であっても、そこから何かを学びこそすれ、その教師や目上の人間に逆らおうなどという気は賢い子供には起きないんですね。私は子供の頃教師に逆らいはせずとも嘲っている馬鹿な人間でした。ひたすら教師や目上の人間をバカにして、逆らう価値すら無いと思っている子供でした。が、中には子供の中のそういった負の感情を誘発してしまう馬鹿な人間が教師をやっている場合もあるんですね。たまに何十年も昔の不良少年バリに痛々しくカラんでくるバカな中年教師やキチガイさんも居たりしました。
 子供の頃に遭遇した男教師で、生存していればおそらく50代半ばであろうロリコンの変態中年男が居ました。「女の子も小学校高学年になると魅力的になりますからねぇ~」と教壇の上からしたり顔で言ってみたり、男子児童にナイフの所持を勧めたり、小学校の教室に戦時中の刃渡り90cm程度の軍刀を持ちこんでそれをクラスで嫌われ者の問題児に抜き身で構えさせるという銃刀法違反どころか下手をすればその問題児が殺人にまで及んでしまうのではないかという程の最悪に馬鹿な行いに及ぶ、ということをやらかしたりしていました。倫理的に考えて許されない云々というより常識的に考えて異常です。そういえば宮崎勤元死刑囚も生きていれば2012年時点で60歳代半ばです。
 また、大学の時外国語の教師が嫌味ったらしく「企業でも教えてるんだよねぇ~、現地ですぐ使うからってことでねぇ~」と言っていたのを覚えているんですけど、常識的に考えて、企業経営者の側は外国における社員の派遣先でドイツ語の運用能力が必要であるというのであればそもそもドイツ語を専門に学んだかもしくはドイツ語の運用に熟練しているという人間を最初から社員として雇うかもしくは通訳としてその当該ビジネスにおけるドイツ語の必要運用能力を満たす人間を臨時的に雇いますね。そもそもドイツにおいてもビジネスにおいてドイツ語を使わなければならない必要性は何処にも無いわけであって、問題は意思の疎通なわけであってほとんどの場合ヨーロッパ語なら英語で使えますね。何処のチンピラ企業ですか?実在するんですか?ソレは、というお話です。これが嘘でなくてこの外国語教師が本意で言っていたとするならば頭悪過ぎますけど、こんな低レベルでオチンケな嘘が経済学部生に通じると思ってるんですかね?ということであって、まあこんなこと大学生でなくても中学生くらいでも分かりますという問題です。バカなんですかね?まあ教師としての質はともかくとしてこの先生個人的に嫌いではありませんでしたけど。



 ヴェーバーが言及してますけど、カルヴァン派に端を発するプロテスタンティズムの「天職」概念は、つまるところ噛み砕いて分かりやすく言うと現代におけるご都合主義的芸能的金儲けまたは自分は都合の良いポジションに居て人間同士が互いに見下し合うというマザーコンプレックスにまみれたミクロ経済的な人間集団の構図の捏造に一役買っているということなんですね。現代日本で分かりやすいところだとおそらくは旧自民党的な。まあたぶん前世紀に日本のメディアがお宣伝していたところの資本主義っちゃ資本主義です。ちなみにMartin Luther自身もルター派もカルヴァン派やピューリタン等々の限りではなく、実は価値意識的には伝統主義的というかカトリックに近いものなんですね。ちょっとうろ覚えですけどルターはイタリアを訪れた時にゴテゴテしたバロック様式の建築美術には意のカケラもくれず音楽だけ(?)に興味を及ぼした、とか。ジェズイットはそれこそ自由意志説の具現体というかカトリックであるがプロテスタントにおけるルターの逆パターンみたいなものであって、「反」宗教改革という形でルター派をカルヴァン派と同一視してプロテスタントに対するアンチを行うということによって自己の立ち位置を示していたということんなんですね。だから軽くナチ的なものではあります。

 もしかしたら東大生の人とかはこういうことをよく分かってるのかもしれないですけど、地方出身者で太宰治みたいなのに露骨な中二病者が居たりするとか。太宰治は中二病のさきがけですけど、あの村上春樹さんとは逆パターンの都会人でありながら田舎者志向の内田樹さんという人もかなりの中二病者です。内田樹さんは著書で「どの人間もが互いに(誇りやプライドを持って?)見下しあうのが理想的」とか言ってますけど、この人重度の中二病です。極めて強度のプロテスタントな発想です。

 しかし残念ながらいわゆる右翼にまつわるイメージというのも馬鹿だとか危険だとかです。一昔前のだと、戦争万歳だとか、中国にやたらとバカみたいな敵対心を向けるだとか。で、本質的にこういったことを考えている本質的なバカだというのではなくて、大切なものを守っていくために右翼の人たちはバカを演じざるをえないということです。
 例えば「勉強する」ということにおいて、朝に日が昇り夜に日が沈む生活サイクルにおいて食事や通勤通学等の前後の行動をさしはさんでどの時間帯にどれだけの時間勉強という行動に及ぶか、ということが本質的な問題なのであって、こういった健康第一というか肉体本意や生活本意なことから脱して「これをやるまでは寝れない!」とかもっと高じると「あいつをブチ殺すまでは死ねない!」とかいった女性的な目的達成偏重な価値意識に陥ると人間悪くなるということなんですね。「人間悪くなる」というのは、肉体的にも悪くなる上にそれに従って精神的・人格的にも悪徳な人間になるということです。つまり生活態度の悪い人間はダメだということなのであって、精神科医も精神を病んでいる人間に対してまずそこから改善させようとします。だから学校の勉強の場合で言うと、変にひねった問題を課す私立高校や私立大学は頭の良し悪しにかかわらずあまり良くないということになるわけです、実態は馬鹿な教師が個人の趣味に合わせて凄まじく偏った成績の付け方をして理不尽に蹴落とされた人間を犯罪者予備軍として捏造していただけですけど(これはマンガ的形容表現ではなくて戦後にもナチス第三帝国を日本で作ろうとしていたということです)。ヤクザの人たちというのはおそらくこういったものの考え方、これはイシュタシスというかdas Drittes Reichな発想です。第三帝国というのは文学的に表現すると太陽の国です。Hakenkreuzは古代インダス文明の太陽と豊穣を象徴する紋章です。ユダヤ人というのは日の当たらないジメジメしたところで生きてきた人たち、もしくはそれを余儀なくされていた人たちです。文学的に言うと夜の生活の吸血鬼、物理的に考えると日光に当たらずにまあ病気になってしまった人たちです。ちなみに上智大学(カトリックのジェズイット、上から三つ目)とか名古屋(加藤さん多し、人口第三位の政令指定都市)とか第三帝国ですけど。実際名古屋は高等学校は公立がよろしくて、そこまで頭はよろしくないですけど一番質の良い私学として南山大学というカトリックの大学があります。イエズス会に限って考えるならばこれはおそらく名古屋人には評判悪いです、外出志向なので。前にも書きましたけど、名古屋人は非常な田舎者気質です。で、おそらく戦前の日本ではきちんとこういった何がどうなっているかということを学校で教員が子供に教えていたんですね。こういった大切なもの・大切なこと、「ものわかり」を教えなくなってヤバいということで右翼の人たちは取り敢えず戦後なものをぶっ壊さないとどうしようもないのでああいった一見してはバカなことを言ったりやったりしていたというわけです。私は中産家庭のしかも異常者が作った囲いの中の育ちで公立小中学校へ通ってこういったことは教わりませんでしたけど、現在の日本でもよほどいいお家のお育ちの人はたぶんこういったことを教わっているでしょう。私学でも慶應義塾とかはこういった教育をやっていて、だからあそこに通う男子学生は男っぽいということで「慶應ボーイ」とか呼ばれるわけです。……私は女をオモチャにしてチャラチャラ遊んでそうな慶應少年はあまり好きではないんですけど。ナチス政権下で女性の売春婦(Ishtar)にされ具合は半端ではありませんでした。これは歴史上の事実として記録が残ってます。アドルフ・ヒットラーさんただ一人がおそらくキレイだったに過ぎないです。下手をすればヒットラーも売春夫として政治的プロパガンダをやらされていた気があります。ヒムラーはおそらくかなり汚い人間でした。何度もこのブログ内で書いているように、私の父親は典型的なレイプ魔なんですけど、これは人格的な形容表現だけでは済まずに、おそらくこの男過去女性を何人も強姦してます。放火魔属性を持つまあ典型的な悪党のクズであって、こんなのが大マスコミに居た日にゃおかしいことになるという問題です。個人的なアレな話で申し訳ないんですけど、こういった穢多がのうのうと正当人ぶってる日には陰茎切り落として肛門にブチ込んで見世物にしたろかくらいに思ってます。法律に違反しなけりゃ何やってもいいというスタンスで悪事をやらかす日の光の下の住人を装ったユダヤのブタクズがタダで済むと思ってんの?という問題。しかもこの私の父親に関しては気に入らない相手に危害を加えるためであれば法律違反ですら平気でやるというクズです。こういう業の深い人間には禍が回り回って自分に帰ってくるということが分からないんですね。焼きが回るとか。もうちょっと学術的な風味の説明の仕方をすれば、エゴに因った悪事で超自我が傷ついてイドの破壊欲求が自己に向くということなんですね。潜在意識に溜まるということです。だから悪いことをすると悪くなる、そうなる(sein)ということです。だからこういった性的欲望の為に人間関係を利用する悪徳な男性は、皮肉にも当の男を性的対象として見ている女性に「男って馬鹿よね~」と言われてしまうというわけです。

 余談な私事ですけど、私は中学一年の終わりに転校しました。転校する前の中学では不良少年少女も居ませんでしたし、私は優等生だったので下ネタも全く知りませんでしたし、下ネタというものの存在自体も知りませんでしたし、そもそも年頃の男子にありがちな女子生徒を性的対象として見るという発想がありませんでした。で、転校した先の中学では露骨な不良こそ居ませんでしたけど、男子生徒は朝っぱらから下ネタのオンパレードで女子生徒は露骨に太ももが見えるミニスカートでボディラインを見ろといわんばかりのワザとサイズの小さいパッツンパッツンのジャージを穿いてるわけです。同級生の悪友は「やあ!今日もおはよう!チ○コ!マ○コ!」とかそういうことを言うわけです。これがまだ「Helloってエッチエロだよな」とかそういう中学生並みには知的な下ネタだったらばよかったんですけど、私は「マ○コ」という言葉さえ知らずに、女子生徒を見るたびに強制的にエロ本を観覧させられている気分にさせられました。まあ今の中学生はネットがあるんで解消されてるものは解消されてるでしょうけど、当時はエロ本とかを見るなら見るでこっそり一人でとか男友達とニヤニヤ見るのが楽しかったわけで、毎日顔を合わせることになる女子生徒を見るたびにあんなもん見せられる気分にさせられた日にゃ吐き気がするほど気持ちが悪くなります。毎日強姦されに学校へ通っているようなものであって最悪です。しかも、私は中学生の時には一度もマスターベーションをしたことがなかったんですけど、仲のよかった悪友が毎日のように「オナニーしろよ、オナニーしろよ」と勧めてくるわけであって、転校してからの中学校の二年間は非常に苦痛でした。名前を呼び合うのも「~君」「~さん」付けではなく呼び捨てでしたし、教師が生徒を呼ぶのまでもが。何故チンピラが小中学校の教師になれてしまうのかまったくいまだに理解不能ですけど。

 失礼な言い方ですけど、私は自分が女性だったら発狂してます。私がこういった状態で発狂せずにいるのはおそらく私がヒトのオスだからです。身体の問題からして四六時中男性にプレッシャーをかけられ、挙句の果てはその災禍の源である男に寄って体を犯されまた自分と同じ悲劇の火種を産むしかない、そしてその子供が悪徳に走ったならば私が女で母親だったらおそらくそのあまりの無意味さと自分の呪われた性で気が狂います。それでも笑う女性の笑顔を可愛いとは思っても私は健気だとか美しいだとかとはとても言えません、痛々しいです。そりゃ女は理想的な男を求めに走るだろうな、ということであって、無理して笑顔つくらなくても気持ちの悪いものウザいものを全部吐き出してしまった方がいいです。女の人がよく泣くのは、あれはたぶんそういうストレス解消な問題です。



 このあいだ外を歩いていて夜の8時や9時頃に10歳くらいの女の子が白いドレス(?)みたいなものを着て一人でウロウロしてるのを見たんですけど、あーあーこりゃあぶないんちゃうのと思ってチラっとだけ見るんですけど、親は何を考えてるんですかね?

 昔はおそらく暴走族が子供とかさらってました、が、現代日本ではそんなことはできないので、「攫えないんだったら、じゃあ囲っていくか」ということで悪質な連中が王子と乞食のKönigsbergをなんとか頑張って作っているという実情がこの日本という国においてもまだあったりします。わけのわからんところのマスコミとか。
 しかしたしかにマスコミも悪いことばかりを行っているようではないようです。反戦に関するイベントだとか。朝日新聞社や毎日新聞社の後援でこの夏の季節になると原爆の悲惨さを伝えるイベントだとか多々行ってます。こういったものの用途としてフリーライディングしてもらうのならそれはいくらでもおおいにけっこう、ということであって、これは私だけでなくほとんどの人がそうです。人々が互いを利用しあって残していかなればならない事実記録なので。

 私はもう体があまり固形物を受け付けないので、パンと液体だけ摂取してるんですけど、近日固形物を多少摂取したらば黄色い尿が出なくなって体調が途端に悪くなりました。
 勤め人の人たちや若い人でもメガネをかけたオタクのお兄さんの偶像に代表されるように、おそらく低視力者と肥満者の割合は正の相関を示してますけど、目が悪くなるとやはり身体感覚が狂うというか、視力が低下しているということが身体感覚が狂っている証だと考えると妥当です。(視覚)情報ため込み過ぎて腹に(意識が)キちゃってるとか、「読み」は「黄泉(の国)」だとか。というのは私は最近ストレスが解消されて視力が良くなってるんですね。以前と同じメガネでぼやけることなく遠くまでキレイに見えます。断食をすると悪いものは出て良くなるものは良くなるっぽい、身体意識的に頭にクるんですけど、けっこうオススメです。黒いものが出る、腹黒さが改善されるとか。牛乳とかは栄養がありますけどけっこうタマるので成長期を過ぎた成人が飲み過ぎると要注意です。牛乳を飲む罪悪感とか。



 信仰というのは不安定です。工学化されていない健全な人間関係そのものであって、男女のものに走られて人口が増えて世の中乱れることになる前に昔の知恵者たちは仏像でもナザレのイエスさんの偶像でもiconを設定しておいたんですね。絶対神アッラーもマホメットさんが設定した一種の像です。女性はたぶんほとんどの人がそうでしょうし、男性でも少なくとも私はそうですけど、信じた相手にしか身をまかせられないのではないのというはちょっと悲しいのであって、婚前性交とか普通に恐ろしいです。

 川端康成の「月」という短編小説に、童貞の青年がおもくるしくなった自分のぶらさげものを、月よ、お前にこの感情を上げよう、と告白するというのがありますけど、何も無いところただひとつ空に浮かぶ月にはうさぎさんが住んでいるそうで。

 お腹はおだいじに。
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