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against the blood
 実用価値のある体言止め。
 きれいなのは心。




 私SSが相変わらず外を歩くと不特定多数の人間がストーカーとして絡んできますし、マンション階下の住人からの騒音ということでもそうですけど、こういった「保身に走り、何とか自分は幸せになって生き残ってやる」(ということをターゲットに教え込みたい)派の人間たちは、ターゲットが自己防衛(正当防衛)の為に彼らを攻撃することを書くとストーキングや騒音その他で危害を加えるという行動に出て一種の合図を送り「正当に正そう」としてきます。私は彼らがストーキングその他で危害を加えるという行動に出ると自己防衛の為に彼らを攻撃し「正当に正す」内容のことを言ったり書いたりします。で、どちらが社会においてその存在が不都合であるかというとそれは火を見るより明らかであって、私のように言う人間ではなくて彼らのように行動に出る人間たちです。彼らは他者に対して実害を加えるからです。こんなことは小学校に入る前の幼稚園児でも分かることなんですけど。簡単に警察に捕まるのも彼らの方です。私は我慢できずに書いているところがありますけど、我慢できずに他者に危害を加えるという行為に及んでしまうというのであればそれは欠陥人間のレッテルを貼られることを受け入れないわけにはいかないかなり苦しい状況だろうなとは予想します。
 ちなみに、現在のロクでもない大人たちが必死に布陣したマンガ的コンテクストのおかげで昔ながらの不良少年の格好ではバカにされるということになっているので、最近の不良少年・不良少女は真面目な子供の格好をしている場合も多々ありきということになってます。

 前の記事で書いた工学化された人間関係の一である人真似もそうですけど、特定の人物がその人物以外の人間と関係を持つその一瞬間前に当該人物の意図があらかじめ何からのものとして決定されているという前提のもとに関係を構築し返すという悪質な攻撃のやり方があります。オカルトペテン教祖による性格とやらの「タイプ判定」もそうですけど、それ以外のもっとも分かりやすい一般的一例として、不特定多数の人間よるストーカー被害に合っている被害者が当然場対応としては敵であると認知するところの屋外で擦れ違った人の顔を視覚により確認した時のその瞬間にそれがあまりにも昔のマンガ的にベタなものであるポーズとしてのニヤつき始めるということであれば加害者側は被害者側を何らかの手段により確認しているということはほぼ明白なので被害者はそもそも「見られている」ということになるということがあります、これが一度の外出で何十回も繰り返されそれが毎度の外出においてということであると。もちろん「ほぼ」であって証拠は残りません、よって加害者側は行ってくるわけですけど。おそらく被害者における人間関係を消そうと躍起になっているのでしょうけど、人間関係をnichtとして認知できる人間は世界中何処を探しても居ません。
 私SSの場合であると、以前は道で他者と擦れ違う場合は他者の姿を一回視覚で確認してから目を逸らすということを行っていたんですけど、そんなに問題なんですかね?ここは平和な日本であって戦場ではないのだから不躾な真似は止めろというのであれば止めますけど。自分存在や他者の存在というものがどういったものなのかということを知る契機にはなりました。まあ見なきゃいいということであって、ヒトにおいて情報がストレスになるということはあります。

 とある事象について「(内容は)~こうである」とそれを言語化して説明し、相手にそれをyesかnoかで答えさせるということによってのみ対話を成立させるという人間が居たとします。この人物にとっては分かっていることというのはそれを言語化して説明できるということなのであって分かりきってます。が、やはりその場の現実における場対応としては感知しないものは全く感知しようとせず自分を相手に押し付けるということにひたすら勤しむだけの人間だと相手の人間に受け取られることを避けられません。だから弁論には長けてるわけなのでnegotiatorとしては役に立ちますけど、事務処理上の情報交換において必要以上にこれを出してしまうのは病的であると言わざるを得ません。相手を丸め込むかさもなくば(ペン的な剣でして撃ち殺して)黙らせるということに帰着するからであって、必要な情報の的確な受け渡しにおいて間違えてしまうことが多いということです。実際見てみても、事務処理の系統の仕事というのは資格なんかを見ても女性のものが多いです。逆に言うと男性の方がやはり仕事は出来るということです、ニーチェみたいに珍妙に走り過ぎて穢れた能力でなければいいんですけど。大学とかでも法学部に比べて経済学部には女子の数が少ないです。蓋然性というのはこういうことですけど、先にも書いたように自分が自分であることについて蓋然的を持つというのは病気であって人間において自分が自分であることが無根拠に優れているわけではないです。「自分が自分であることには根拠が無い、つまりそれが真理だ」というのが人間であって、これは17世紀のフランスにおいて天才デカルトが見抜いたことです。
 ファイナルファンタジーⅦの召喚獣のオーディンがエフェクトのビジュアルも含めて分かりやすいものとしていいんですけど、斬鉄剣の代替技のグングニルの場合は対象一体に対して外れたり3000~4000のダメージが通ったりdeathの判定が出て一撃で相手を死に至らしめたりということであって、相手の中に一体でも一撃死を無効とする対象が居た場合はこのグングニルが出て敵全体に一撃死をもたらす斬鉄剣は出ませんね。蓋然性というのはこういうことであって、そもそも関知しない関知し得ない関知できない事象は存在しないものであるということであり、また自分に不可能であることは最初から行わないということです。こういったオーディンな人間というのは他者を必要としないどころか他者が居ない方がいいくらいであって、まあお自慰さん(おじいさん)です。特に女性から見ての恋愛対象としては嫌われそうです。能力は高く仕事量は多いでしょうけど。私SSは特にOdinさんではないです、女の人を見て好きになることあります。

 女芸能人で鯛を必死に釣ろうとするユダヤのエビルだかなんだかというのもいましたけど、整形や画像のデジタル加工技術によってツルツルのCGと何が違うのか分からないような顔面を晒して、もう居ないことを祈ってますけどこういったのに釣られて犠牲になる10代の少女とかがたぶんまだごくわずかには居るんですね。自分の外に規定点を作り求めてああいうものにあこがれるというのがもう心身の不美人の第一歩であってここから崩れが始まります、ヤバいです。まあサーチエンジンの画像検索で年齢の概念を失うまでに造りこまれた血まみれのキレイな顔で股開いた画像を載せててくれれば精力を持て余している若い男子たちの役にも立ってくれますけど、いい加減その肉体の見てくれだけを不要な技術によって工学化した不衛生な似非偶像っぷりがうっとおしいんでサッサと居なくならねーかなという問題です。アレは性欲ではなくて食欲で釣ってんですかね?

 パスカルは「ユダヤ人の教え」と「ユダヤ人の律法の教え」とを区別してますけど、「(彼らの律法の教えは)ひとりの神のみを拝しかつ愛せよ」というものであるとのことでキリスト教的であるということで、前にも書きましたけどやはりユダヤの指導者の人たちは自分らの民族特有の愚かさを知っていて律法を重視したものです、おそらく。欲望は恥意識の産物とか。一人の神とかいうから分かりにくいのであって、生涯に一人の女性だけを愛せよというのだったらおそらく分かりやすいです。イデアの影ならぬアニマの影を求めて、とか。

 男性は一つのアニマしか持たないのに対し女性は複数のアニムスを持つそうですけど、アニマは不可算名詞でありアニムスは可算名詞の複数形であると考えるとたぶん正解です。男はやはり不忠討ち殺すべしというところに帰着します。ヒトの脳には左脳の皮質と右脳の皮質を繋ぐ脳梁と呼ばれる繊維の束がありますけど、この器官はヒトのオスに比べてヒトのメスの方が発達しているそうです。知的営みは女性の方が優れてます。男性は左か右かといったことやdead or aliveのような二者択一の世界に生きていると考えると分かりやすいです。先の記事で、剣的にペンをやるのは唯名論者とか書きましたけど、実際に鉄砲で撃ち殺す殺し屋に限ってはやはり実在論者です。そういった人たちは少なくとも日本では昔からヤクザと呼ばれて存在を肯定されていたんですね、切捨て御免な江戸時代の武士もそうですけど。ちょっと分かりにくい表現で申し訳ないですけど、知のポイントを乱打するような人間というのが唯名論者です。いわゆる論理実証主義者もそうですし、存在しもしない他者の性格タイプ「判定」に及んでしまう人間が実在するとするとこれですけど、唯名論者は物事のつながりや関係を理解できないのであって非数学的です。こういう時はコレを出すああいう時はコレを出すというように、性的な場面における場合だけでなく一般的な人間関係においてまでこういった工学化されたモノにおける場対応をするので、他者にとっては非常に迷惑かつ不快なものであり嫌われるどころか恨みを買います。コチラがダメだったらアチラを勃起させアチラがダメだったらコチラを勃起させる、という相対的な逃げに走るからです。自分にとって都合が悪いことを他者から指摘されると、その内容を鑑みずにそれが相手を暴力で踏みつけることであれ逆に相手に手をこすり合わせながらご機嫌取りをして媚びへつらうことであれ、その場における彼らが勝手に工学化して設定した人間関係へ逃避するということを行います。正常人が「右」の定常状態から人間関係のコミュニケーションを楽しむという形で「左」へ流しつつまた「右」の定常状態へ戻るというパターンなのに対して、こういった禍根を招く唯名論者というのは「左」の不安定な状態から「右」の工学化された形で設定された(設定した)人間関係を利用して「左」の不安定さが仮初めの安定を得る性愛の状態を自分以外の誰も彼もに求める、ということです。前者が事単位で鑑みているのに対して、後者は人単位で鑑みてしまっています。子供の時分の嫌われ者とか思い出すとよく分かりますけど、こういった人間は人間関係のコミュニケーションの妙味が分からずにというよりはその概念がそもそも無いのであって例外無くうっとおしがられて嫌われてイジめられるというのもよくある問題です。弱い子を狙って自分の道具にしようとするイジめっ子というのは例外なく排斥されて逆にイジめの対象になります。こういった人間の対人コミュニケーションというのは半端ではない自己中心性と快楽主義と目立ちたがりその他が織り交ざったようなモノであって他者からすれば下手をすると殺意を覚えるほどに不快だからです。彼らには反省するという概念がおそらく無いので何度でも同じ間違いや悪事に走ってしまう、まあ現実問題としては典型的な犯罪者性向の持ち主たちです。もう今の日本ではこういったのも減りましたけど、レイプだとかお山の大将になりたがりだとかすべてこういったことです。彼らは逃避が行動原理になっていて、昔はアカと呼ばれてました。実は軍国主義を嫌うのにはこういった類の人間が多いんですね、たぶん生粋の軍国主義者にも多いでしょうけど。いわゆる「左翼」と呼ばれる表現でこれが表されうるものなのかどうか私は知りませんし、当然軍国主義に賛成はしない上に戦争万歳とかたわけたことを言うつもりもありませんけど、残念ながらこれは事実です。おそらくヒトの生態学上こういうのが戦争・飢餓・疫病の無い平和時には増えてしまうということであって、文科系の人口学の研究者とかでこういったことについて何か書いている人が居るかもしれません。文学的に言うとこういったのはゴキブリと呼ばれるわけであって、女の人にゴキブリをやたら嫌う人が多いわけですけど、形容の元ネタになっている昆虫のゴキブリさんはともかくとしてこういった人間はまあ男から見ても反吐が出るほどウザいのは同じです。知識を得るということにおいてならば問題は無いんですけど、人間関係において人間のしかも他者の行動だけを取り出してそれを自分に都合の良い度量衡によって測定するもしくは何らかのidealとして判定するという形で鑑みているから、こういった「自分がこんなにしてやったのにあいつは恩に思ってない」という勝手極まる自己流解釈も可能であるということになって、まるで「こんな男につくして損した」と嘆く恋する乙女の如くであってこいつオカマ野郎かということになってしまいます。また法律に違反しなければ何をやってもいいとかいったものや如何にして法律を使って他者を貶めるかという発想も同じようにしてこういった女性的な唯名論者には付きものだということです。「こんなにしてやった」ことの事実内容を当該人物に知らせてあげれば大抵のケースで問題は大きく解決に向かうはずですけど。



 歪みが掛かってある程度それに拍車が掛かっている子供や不幸な目にあって良ろしくない人間になってしまってその状態からどうしようもないという人間に対して外圧的に修正するような扱いをするというのならば、その大人は責任を持って対象を殺してやれということなんですね。そういった外圧的なやり方で修正されうるほど人間は単純には出来ていません。人間と人間との関係を工学化する人間は例外なくヤクザになれといったことや、精神医学的には極論すれば抗精神病薬以外で必要な薬というのは副作用の無い覚醒剤やヒトが安楽死できる薬のみであるといったことには、そういったことも含意されています。殺す能力も権限も無いのだったら、問題解決における何らかの具体的手段を教えるなり提供するなりしろということなんですね。溜まっている悪いものを吐き出せ、私がオススメするのは言語化して記述していくというやり方です。精神を病んでいる人は妄想をひたすら自分の気のゆくまで書きつづっても良いし、夢とかでもフロイトみたく分析しなくとも見てから目が覚めてまだ覚えている時はまた腑に落として牛みたく反芻して熟成させることになってしまう前にその内容をサーッと記述してしまうのがいいです。……もちろん不必要に他者の顔面を視認しないというのもまた一つの教えであり方法です。

 私は切り傷をよくするんですけど、最近の血の色は朱色をしていてものすごくきれいです。体の表面によく生えてくる毛とか剃ってますけど。
 
 近年ネットの負の側面のせいで増えてしまったであろう無知な馬鹿な女でない限り、女性はおそらく自分の「血」を交わった相手にあげるという発想です、たぶん。だから「愛した」男が死んだりその他よろしくないことになれば私はダメだったのねということで悲しむし、「血」を分けた子供を相手の男のアニマに対する復讐として大切にします。おそらくヒトのメスとしての生態上女性は自分を大切にしているというか、エゴイスティックと言えばエゴイスティックですけど。

 存在しない、「心無い」女はおそらく完全なまでに美しい顔をしてます、白痴か全知かのどちらかで。その両方であることを装ったカワイイ女の人は居るかもしれませんけど。
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