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Kußecht
 白い色は、色落ちしない。




 人間から全ての不快な記憶を無くしたら、おそらく性欲と食欲を失います。男性の場合は肉体内部に精液がたまるのでなんとも言いがたいですけど、少なくとも私は今精液が溜まってますけどあまり性欲は感じません。

 たぶん、意識の表面上、女は男への復讐心により、子を産み育てなんとかしようとします。この子だけは、と。それでは男がその意識上ガラにもなく異性への復讐を誓ったらどうなるかというと、おそらく女性は皆尻軽になって、そして同時に子孫は残されず人口は減る、という事態が招かれるだけです。これは実は男女関係においてアニムスを持つ女性の本質的に望むところと合致するっぽいです。私みたいに心身病んでてあまり見た目のよろしくない男はその限りではありませんけど、ベタベタしないほとんど女を求めない黙っててもイイ男を大方の女性は良ろしいものと考えるとか。



 私は今希望があります。「絶望という名の希望」とかいうとちょっと中二病クサいですし、ヘンな話ですけど、生きる気力に溢れてます。苦しく死にたいと思ったことも子供の頃から何度もありましたけど、私は今は死にたいとは思いません。おそらく4歳の頃幼稚園に入ってからこの二十数年間で初めて生きたいと思ってます。自信を持って自分の父親を犯罪者だかヤクザだか分からないような悪質なクズ人間であると言えますし、自信を持って自分の母親を嫉妬に狂った汚らわしい豚であると言えます。悪いものを無理矢理良いと思うことを強制されてきた(これはレイプです)この二十数年間は本当に地獄であったと今になってよく分かります。身共に悪いものが出始めていて、あまり余分なものいらないものを求めなくなりました、これが「生きる」ということ、少なくとも「生」を望む意思だと。そりゃこれだけ喜びみたいなものを恒常的に味わっていれば健常な人たちは生きたくもなる、ガンガン物事をこなそうとか思うだろうな、というお話です。食事も粗末なもので簡単に満足しますし、ストレスで過食に走ることなんか有り得ません。肉や魚を食べたいと思うことなんざ皆無です。女性やオタクのお兄さんに多い過食症者は皆そうですけど、食欲なんてものは単なる憎しみに因る世界に対する反発心の産物です。例えば若い女の人でこのブログにupされている私が書いたものを読んでムカつく人が居たら、それはそれで正当な感情です。性的対象として女を見る時にやはり男は「よろしい女はいちいちムカついたりせず汚い言葉を吐いたりしないおしとやか」という空気を設定します。この空気は現象面だけを男から見たもののうち都合が良いものということで設定されているだけで、男のご都合主義で出来上がってしまってます。一般的に男はご都合主義的ではないですけど、女を性的対象として見る時、もっと突き詰めて考えるのならば射精の瞬間においてのみ(それのために)ご都合主義的になります。で、女の人がこの空気に無理矢理合わせようとして、中に不快なものが溜まっているのに現象面だけはとりつくろおうと溜めたままでいい女を装っているとどんどん見た目も中身も何もかもが悪い女になっていくんですね。どんどんムカつきまくって暴言を吐きまくって悪いものを出しまくってキレイになると考えるのが妥当です。

 最近心身ともに健康になってきたせいか女の人に興味が出るんでここのところこういったことをつらつら書いてるんですけど、絡みつくチンピラの男を女性が嫌うのは、彼らが女性を狙うにおいては彼ら男における唯一のエゴを剥き出すからであって、それは特に狙われた女性からすれば「悪いもの」であることがあからさまだからなんですね。どの人間関係においてもソレ(性欲を求めに走っていること)を剥き出しにしてしまう男は恒常的に特定の異性への依存心が強く女と同じものを常に出しているという様に見做されつまり「女々しい男である」ということになって、そんな男に接近される女は「都合のいい時だけ女に甘えるな!」ということをそういった男に対するものとして考えるわけです。たぶん女はあらゆる場面において心で感じることが多いので、射精の瞬間までは自分のエゴをとっておいてそれのために体で自分を女に覚えさせようとする男は性的なものとしては最悪に写るんですね。前世紀にはそこらへんによく居た昔の頭の悪いチンピラ体罰教師とかに高頻度で観察されますけど、ああいうのは体で覚えさせようとします。神話のオーディンみたいに自分の体を傷つけているだけであればまだ世話の余地も少ないんですけど、他人に対して肉体の痛みを強いるということによってです。ワルいクセが教育の場においてすら抜けてないというか、人間関係がどういうものか分かってないということであって、目の前の現実が見えてないということです。それはヤーさんでもないかぎり性的な場面においてだけ出すべきものなのに、孤独感から全ての人間関係どころか全ての場対応全ての現実問題対処においてまでこれを出してしまうということであって、これは女性的であり極論すれば甘えているということです。まともで健全な人たちはああいったチンピラとは付き合いたがりません。現実問題としての一般的な人間関係においてまで他の男を殺して目的の女を得るという行動原理であれば、社会的に他者から排斥されるのは至極当然の事です。ヤーさんはヤーさんでペン的に剣をやる人たちであって殺し屋なのであって、ヒトが言語を使用して説明をするその内容やそれにまつわる現実問題をnichtとして扱っている人たちです。現実の人間関係においてそういった工学化されたものの極致であることを適用して問題を解決するというのならば、それはそれこそサムライみたいに悪を誅する殺し屋になってくださいということであり、私にはそれしか言えないです。

 私は思春期の頃チンピラ不良少年たちをバカにして嘲ってましたし、また彼らも私を嘲っていることを知っていましたけど、私は男なので彼らと多少の縁を持って付き合うこともありました。今になってよく分かるんですけど、彼らは子供の頃からワルとして邪険に扱われて私のように精神的に成熟してからではなくて未成熟な子供のうちから周りの大人によって社会的な不安をひたすら与えられるんですね。だから男の悪ガキの場合は、安寧の場である男女関係を求めて外ヅラとしては女子が好きだと見えるということであって、若い頃から女性関係に積極的になるというわけです、他の男を押しのけ、出し抜き、殺して。彼らは「信じるために我知らん」であって唯名論的です。何らかの原因で不幸だったり自分が悪徳であったりするが故に身に振りかかった理不尽さ故に不良少年も不良少女も公益のことを考える余裕は無くなってしまって保身に走るわけです、何とか自分は幸せになって生き残ってやる、と。だから、まるで普通の少年が不良少年に軽蔑の目を向けるのと同じように、彼らは女をいたずらには求めない男に対して敵意を抱きます。つまり先の記事でも書いたように「他人を求めさせてやる」と言わんばかりにこういった連中は自分らと同じではない「孤独を知らない」人間に対して危害を加えてくるというわけです。私SSは不特定多数の人間によるストーカー行為という形でこれをやられましたけど、これが最悪の形をとったものがちょっと派手めに闊歩している女性を輪姦するとかです(やる側もやられる側も英語の"stalker"です)。私は31歳になるこの年まで、彼らが10代の若い頃に抱いたであろう「何も確実なものは無い、誰も確実な人間は居ない、だが今俺が目の前のお前を愛していることだけは真実だ」という不安に基づく異性愛というのは知りませんでしたし、今でも厳密には知りません。で、10代やそれ以前の子供のころから不良少年少女たちが味合わされているこの孤独というのはかなり程度の凄いものです。尾崎豊とかいつか書いたこのブログ内の記事でバカにしましたけど、今になってはあはあなるほどという感慨は抱きます。デカルトだってそうです。デカルトは異性愛に走らずに我が思わなければ我なんざ無いのだよというところにたどり着いた生粋のキリスト教徒に見えますけど、実はヤることはヤって39歳の時にヘレナさんという召し使いの女の人との間に女の子を一人もうけてるんですね。で、そういった不良生徒に真面目な生徒が寄り添っても「(真面目な)おめーには分かんねーよ!」と言ってつっぱねるその原因も分かります、というのは評価を下す大人である教師が凄まじく彼ら彼女らに対して理不尽な扱いをし最悪なまでに不当な評価を下すからということであって、そういった扱いをされたことが生まれてから一度も無い真面目な優等生にはこれが全く理解できません(私の場合は小学校に入る前の子供の時点で自分の親の馬鹿さをよく悟ってましたし、そもそも私の親は自分の子供に対してひたすら言動を圧迫し行動を阻害し「生きるな」というプログラミングをかけようとする人間でした。自分の親の存在によって「死ななければならない」と強制的に思わされていた、というと正確です)。そして彼ら彼女らは生存の手段としてグレに走ります。彼ら彼女らはああやってものすごく生きようとしてるんだな、ということが今はけっこうよく分かります。先のことを考えすぎてストレス溜め過ぎて肉体病んだら元も子も無いということなんですね。私は「生き」を自分の親によってそもそも潰されていたので、この歳の今になってやっと「ああ、これが生きるエネルギー生きようとするエネルギーだな」ということが分かりるようになりました。現代日本では特に首都圏では公立高校が頭悪過ぎてそして同時にまともに頭の良い子供が集まる私立高校がたくさんあるので、彼ら彼女らもグレることはないでしょうけど、たぶん20年や30年やそれ以上の昔はそうとうに酷いものだったっぽいです。
 で、こういう経験や性質を持った男が女とくっついて子供ができるとたぶん女の子が生まれる場合が多いんですね。こういう類の人間は女を育てるのに適しているとか、まあそういう方面から考えることもできます。若い頃自分のモノを振り乱して遊んでいた男に対して、女の大切さを教えるべく自戒的な意味合いを持たせるものであるとか。悪いことをやると悪いことになるということであって、悪事は働かないに越したことは無いです。



 性的な場面におけるものを全ての現実的対応において適用してしまう愚かな人間ばかりであった場合、男性たちは互いに殺し合い、女性は互いに我関せずであり接点を持とうせず「待ってるだけ」、ということになるっぽいです。何らかの理由で性別や生殖に関心を持たない無性的な人間たちやキリスト教徒的人間は進んで助け合おうとするでしょうけど、おそらく分に合わないことはいさめようとします、合理的に。最後に残るのは、キリストとそれを伝える優等生と月うさぎと人と人にまつわる医療技術・科学技術、キリストが死んだ場合はただ見ている月うさぎと医者のみ。
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