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2025.04.19 Saturday
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Gefühl eines Daseins
2012.04.02 Monday
脅迫的自由意志。
背後の一撃説。
ストーカーについても嫌がらせをしてくる近親についても一般的な人間関係においてもそうですけど、その行動理念というよりはその行動の基準となっているものについてもう大体はこのブログで書きつくしました。「右の定常点から左へとあの手この手で釣って流して引っ張ろうとする」というつまりはこれに尽きます。これだけだと抽象的過ぎて何を言っているのか分からないので、紙に図でも描いてみれば分かりやすいです。もしくはヒトの脳の機能について研究している研究者に訊ねればたぶん分かります。「精神」だとかマザコンな「妄念」だとか「志向」だとか「血」だとか「楽しみ」だとかは左です。「自らの血に溺れる」というのは左側へイっちゃうということです。連中は不安・恐怖・被害妄想を煽る・ネットにおけるなりすましや特定の行為のなすりつけや偽証・誘惑・何らかの特定の行為によるアピールその他によってひたすら一般市民に投網をかけて左へ引っ張ろうとします。ストーカー行為を私SSのような特定の被害者に対して繰り返すアカいJudeな連中でもそうですし、マスコミは言うまでもなくそうですし、精神科医もこのブログで何度も説明しているように残念ながら例外ではないです。
で、こういった連中は、そういった特定の人間を集めて作り上げた統合失調症というdie Krankheitをそれそのものだけで最世界化の理由付けとして利用し、「die Krankheitであるから、患者が病気であることであって、患者が患者たらしめることにまつわる全ての具体的事象が問題である」という逃走用具として使用します(ちなみに患者が患者であることにまつわる蓋然性というのは、これは病気です)。自分が危害を加えたところの被害者である患者に対しては「そんなもん知らん知らん、ボクには関係無い」という有様です。こんなもの背後からどんどん銃殺刑にしていかないとダメです。こうやってアカは逃げるんです。別に灼熱の人でも他者に危害を加えずに何らかの形にそれを昇華させられる大江健三郎さんみたいなノーベル賞級の偉人ならばいいんですけど、やはりマザーコンプレックスな何かの下他者に危害を加えてしまう場合がほとんどです。ちなみに、被害者もアカ化してしまっているケースがほとんどなので、かわいそうですけどもし人の情があるなら被害者も殺してあげるべきではあります。一番苦しんでいるのはアカ化している被害者ですし、またその被害者もJudeなアカを伝染させていくからです。
私は幼稚園児が豚に産ませた子です。もちろん10歳に満たない子供の頃からそれを自覚しながら生きてきました。両親ともにそうでしたけど、徹底して「自分には全く非が無い」というテーゼのもと人間関係を構築する人間でした。Zephyranthesという記事で書いた小話のSi君(仮称)みたいな極めて低知能なユダヤのブタクズもそうですけど、こういった人間は何故か自分が他者に加えた危害は全く考察の材料として採用しません。前世紀の馬鹿な若い女のセリフとしてありそうな「そんなのワタシの勝手でしょ」というものによく表されているように、こういった連中は自分が他者に加えた危害について鑑みるという発想が辞書に無いわけです。絶対的に自分は正しくて他者から非難される筋合いなどカケラも無いと思い込んでいるわけです。これは自己の不可謬化であって、先の記事で説明した通り陳腐にも「人間関係工学化」のベースとなっているところです。だから他人に躊躇も無くレッテルを貼る「タイプ判定」に及んだりしちゃう馬鹿もこういったものの中には居るというわけです。最悪なものだと自ら他者に危害を加えておいて、それについて「自己防衛していない被害者が悪い」とヌカすブタも居るんですけど、こんなもの一刻も早く殺処分すべきであるとしか言い様が無いです。
ちなみに私はこの両親を反面教師として人間関係を学習したので、「自分は非そのものである」というテーゼのもと人間関係を構築することしか知りません(でした)。私SSを個人的に知っている人間ならば「ああ、」と思うでしょうけど、ひたすら自虐ネタに走ります。穢多が非人を作ったというわけです。人間は幼少時から親の圧力が強すぎるもしくは過干渉であると、家庭以外の場所における他者に対する信用が培われず、例えば学校等で教師をあざけるようになったり、教わることを絶対とは思えないようになり、家庭以外の場所での全てのことに対して不信感を抱くようになっていきます。そして無意識的な性悪説を自分で自分に刷り込むようになってどんどん自己破壊的になり破滅的性格になっていきます。面白いことを言ったりふざけたりしなければ付き合えないような人間とはそもそも付き合うべきではないです。そんなもの友人でもなんでもないです。北野武さんが「そいつが困っている時に無償で助けてやりたいと思うようなやつが本当の友達だ」と「全思考」という本で書いてましたけど、まさにその通りです。
もうおそらく今は若者にも居なくなりましたけど、だいたいそもそも自分で帝王だかキングだとかまたはビッグだとか自称しちゃうのがもう程度低くて果てしなくイタいわけであって、おそらく小中学生くらいの子供から見ても滑稽に映ります。少なくとも私は子供の頃週間少年ジャンプとかを見て滑稽だと思いました。そのヒーローのヒーローたる滑稽さや陳腐さが面白くてマンガを読んでました。ドラえもんのマンガなんてものはむしろそのヒーローのヒーローたる滑稽さや陳腐さを売りにしてるくらいです。ガンダム(シャア)もある程度こういった滑稽さや陳腐さを売りにしてます。若い頃こういったイタいチンピラだったのももういい加減オッサンになって止めたんで、一部のイタいチンピラ芸能人みたいのを除いてもうこういったのも消えました。
週間少年ジャンプ的な、二十年くらい昔の(旧)自民党的な「傷ついたままでは終われない」とかいった痴想に基づくお言説に代表されるような、「まるで当該人物が何らかの人的(資本)なものを相手にしているが故にそういった自己防衛行動や他者への攻撃行動に移ったかのような前提のもとその当該人物の行動理由や行動理念を断定する」というユダヤ的なカルマなものが昔は多々見られたんですね。これは釣りです。前世紀はこういったものは「子供だまし」と言われてました。「面白いもの・こと・人」「楽しいもの・こと・人」というのは全て釣りです。全てJudeな釣り、Judenによる釣りです。
一昔前までの穢多というのは、そうやって必死で自分らの同族を増やそうとしてました。つまり少なくとも戦後のこの日本という国において、女を利用した釣りによる生殖だけにととまらずそういった方策によって子供を騙して釣ることによってユダヤ人は数を増やそうとしていたということです。某巨大匿名掲示板群やtwitterで会話やつぶやきを装って禍を巻き起こすような情報を垂れ流してるのも全て釣りです。何が忌まわしくまた問題であるかと言えば当然そのコミュニティーの中では引き摺り下ろしあいの殺し合いを行うからです。また部外者を巻き込んで途方も無いバトルロワイヤルな会場を敷こうとするからです。何度も言いますけど現代における新興宗教の類は全てコレです。
ユダヤ人A「アイツはさ、自分が他人にどう思われようとどうでもいいし、自分が他人をどう思おうがそれもどうでもいいし、そもそも他人のことなんか思わねーし、好きなものも嫌いなものもな~んにもねぇんだろうな。あ゛~つまんね」
というこの創作ユダヤ人の会話発言に出てくる人物はある種のキリスト的人物です、とは言っても私SSが即興で今書いただけのものですけど。この小話の文面におけるAの発想には非常~に分かりやすくユダヤ人の「特長」が出ています。カネがモノを言う世界です。「おっ母をよろこばすために他人ブッタ斬って女さらってオラの嫁っ子だって見せてやりてえ」というミクロ経済的な修羅コブリンの世界です。万物の元凶たるマザーコンプレックスそのものです。おそらく心理学者とかに聞けば分かると思いますけど、母親への愛情が人間を悪事に駆り立てる、ということです。いくつか前の記事でも書きましたけど、機動戦士ガンダムというアニメにはこれが非常によく表れてます。あのアニメに登場する主要キャラはほとんどがマザーコンプレックスに塗れてます。シャアなんて最も強度のマザコンです。面白いことは間違いないですけど非常に悪質なアニメです。ネットを見てれば分かるとおり、美少女育成ゲームとか昔から巷に溢れてます。その他言語で言い表すのもさすがに私でもはばかられるような女性をネタにしたおぞましいものものがいくらでもあります。日本人の男はこういったおぞましいものを生産するヤクザみたいのとそれにすがる宮崎勤だらけだったということです。同じロリコンでも川端康成といえば聞こえはいいですけど、そうではなくて宮崎勤です。しかしつまりは宮崎勤さん個人はターゲットにされてユダヤなマスコミのネタにされて死刑にまでもっていかれた犠牲者だということです。こういったところ(こと)にマザーコンプレックスの非常に強い日本人の国民性がよく表れてます。だから日本のマスコミの豚共はワイドショーのアーパーコメンテーターから筆頭から底辺の二等兵に至るまで自分らが今まで悪業によって稼いだ金を全て国庫におさめてさっさと首吊って一匹残らず死んでいただきたい。
中島義道さんとて「(こんなマスメディアに都合の悪いことを書いて)何故自分は潰されないのか?」とか自分の本で書いてますけど、そりゃ当然本にそれなりに面白く馬鹿なことを書いて禍を巻き起こすことに参加しているからです。「業」界人だからである、というわけです。業界人というのは読んで字の如く全てJudenです。だから日本に限って言えばマスコミというのは、自分らが社会に害毒を撒き散らしていることを自覚せずに自分らが社会に害毒を撒き散らすことを社会的責任だと思い込んでいるということです。
ちなみにこの人が書いておられる、「快・不快の哲学」は哲学たり得ないです。「快・不快」は哲学ではないからです。おそらくはヘーゲル先生に笑われます。快や不快を感じるということにおいては、イっちゃった(gehen)ままで歴史的自己がそこに成立しないからです。この中島義道さんという人の本には「悪への自由」というものがありますけど、こんなカルマなことを言っている人がよく「何故自分は潰されないのか?」とかヌケヌケとヌカすなとは思います。
抗精神病薬ジプレキサというのは若干の「左側への釣られ」が発生します。しかしこのジプレキサ分が足りなくなった時に右へ戻ります。おそらく体感としてはリスパダールとは逆であり、しかも薬を減らしていって止めた時にリスパダールとは逆なことに反動で右側で定常する傾向があってよろしいことになります。リスパダールは飲むのを止めると非常に気持ち良くなりますが、ジプレキサは飲むのを止めると実に気分が悪くなるどころかヤバい状態になります。ジプレキサをしばらく服用していて急に量を減らしたり止めたりすると最初はもちろん体感上非常にヤバい感じがしますしおそらく薬効上危険なので、急激に服用量を変化させるのは危険です。かといって藪精神科医の言う通りに抗精神病薬を服薬していたら心身ともにボロボロになります(特にリスパダールを問答無用で多量に服薬させようとする精神科医は藪医者であると見なして間違いないです)。だから自分で加減を見ながら量を調整するしかありません。
「未知の海外との間を隔てるように海に囲われながら外を志向せざるを得ないという日本人の地理的感覚」が日本人に不幸な影を落としています。
背後の一撃説。
ストーカーについても嫌がらせをしてくる近親についても一般的な人間関係においてもそうですけど、その行動理念というよりはその行動の基準となっているものについてもう大体はこのブログで書きつくしました。「右の定常点から左へとあの手この手で釣って流して引っ張ろうとする」というつまりはこれに尽きます。これだけだと抽象的過ぎて何を言っているのか分からないので、紙に図でも描いてみれば分かりやすいです。もしくはヒトの脳の機能について研究している研究者に訊ねればたぶん分かります。「精神」だとかマザコンな「妄念」だとか「志向」だとか「血」だとか「楽しみ」だとかは左です。「自らの血に溺れる」というのは左側へイっちゃうということです。連中は不安・恐怖・被害妄想を煽る・ネットにおけるなりすましや特定の行為のなすりつけや偽証・誘惑・何らかの特定の行為によるアピールその他によってひたすら一般市民に投網をかけて左へ引っ張ろうとします。ストーカー行為を私SSのような特定の被害者に対して繰り返すアカいJudeな連中でもそうですし、マスコミは言うまでもなくそうですし、精神科医もこのブログで何度も説明しているように残念ながら例外ではないです。
で、こういった連中は、そういった特定の人間を集めて作り上げた統合失調症というdie Krankheitをそれそのものだけで最世界化の理由付けとして利用し、「die Krankheitであるから、患者が病気であることであって、患者が患者たらしめることにまつわる全ての具体的事象が問題である」という逃走用具として使用します(ちなみに患者が患者であることにまつわる蓋然性というのは、これは病気です)。自分が危害を加えたところの被害者である患者に対しては「そんなもん知らん知らん、ボクには関係無い」という有様です。こんなもの背後からどんどん銃殺刑にしていかないとダメです。こうやってアカは逃げるんです。別に灼熱の人でも他者に危害を加えずに何らかの形にそれを昇華させられる大江健三郎さんみたいなノーベル賞級の偉人ならばいいんですけど、やはりマザーコンプレックスな何かの下他者に危害を加えてしまう場合がほとんどです。ちなみに、被害者もアカ化してしまっているケースがほとんどなので、かわいそうですけどもし人の情があるなら被害者も殺してあげるべきではあります。一番苦しんでいるのはアカ化している被害者ですし、またその被害者もJudeなアカを伝染させていくからです。
私は幼稚園児が豚に産ませた子です。もちろん10歳に満たない子供の頃からそれを自覚しながら生きてきました。両親ともにそうでしたけど、徹底して「自分には全く非が無い」というテーゼのもと人間関係を構築する人間でした。Zephyranthesという記事で書いた小話のSi君(仮称)みたいな極めて低知能なユダヤのブタクズもそうですけど、こういった人間は何故か自分が他者に加えた危害は全く考察の材料として採用しません。前世紀の馬鹿な若い女のセリフとしてありそうな「そんなのワタシの勝手でしょ」というものによく表されているように、こういった連中は自分が他者に加えた危害について鑑みるという発想が辞書に無いわけです。絶対的に自分は正しくて他者から非難される筋合いなどカケラも無いと思い込んでいるわけです。これは自己の不可謬化であって、先の記事で説明した通り陳腐にも「人間関係工学化」のベースとなっているところです。だから他人に躊躇も無くレッテルを貼る「タイプ判定」に及んだりしちゃう馬鹿もこういったものの中には居るというわけです。最悪なものだと自ら他者に危害を加えておいて、それについて「自己防衛していない被害者が悪い」とヌカすブタも居るんですけど、こんなもの一刻も早く殺処分すべきであるとしか言い様が無いです。
ちなみに私はこの両親を反面教師として人間関係を学習したので、「自分は非そのものである」というテーゼのもと人間関係を構築することしか知りません(でした)。私SSを個人的に知っている人間ならば「ああ、」と思うでしょうけど、ひたすら自虐ネタに走ります。穢多が非人を作ったというわけです。人間は幼少時から親の圧力が強すぎるもしくは過干渉であると、家庭以外の場所における他者に対する信用が培われず、例えば学校等で教師をあざけるようになったり、教わることを絶対とは思えないようになり、家庭以外の場所での全てのことに対して不信感を抱くようになっていきます。そして無意識的な性悪説を自分で自分に刷り込むようになってどんどん自己破壊的になり破滅的性格になっていきます。面白いことを言ったりふざけたりしなければ付き合えないような人間とはそもそも付き合うべきではないです。そんなもの友人でもなんでもないです。北野武さんが「そいつが困っている時に無償で助けてやりたいと思うようなやつが本当の友達だ」と「全思考」という本で書いてましたけど、まさにその通りです。
もうおそらく今は若者にも居なくなりましたけど、だいたいそもそも自分で帝王だかキングだとかまたはビッグだとか自称しちゃうのがもう程度低くて果てしなくイタいわけであって、おそらく小中学生くらいの子供から見ても滑稽に映ります。少なくとも私は子供の頃週間少年ジャンプとかを見て滑稽だと思いました。そのヒーローのヒーローたる滑稽さや陳腐さが面白くてマンガを読んでました。ドラえもんのマンガなんてものはむしろそのヒーローのヒーローたる滑稽さや陳腐さを売りにしてるくらいです。ガンダム(シャア)もある程度こういった滑稽さや陳腐さを売りにしてます。若い頃こういったイタいチンピラだったのももういい加減オッサンになって止めたんで、一部のイタいチンピラ芸能人みたいのを除いてもうこういったのも消えました。
週間少年ジャンプ的な、二十年くらい昔の(旧)自民党的な「傷ついたままでは終われない」とかいった痴想に基づくお言説に代表されるような、「まるで当該人物が何らかの人的(資本)なものを相手にしているが故にそういった自己防衛行動や他者への攻撃行動に移ったかのような前提のもとその当該人物の行動理由や行動理念を断定する」というユダヤ的なカルマなものが昔は多々見られたんですね。これは釣りです。前世紀はこういったものは「子供だまし」と言われてました。「面白いもの・こと・人」「楽しいもの・こと・人」というのは全て釣りです。全てJudeな釣り、Judenによる釣りです。
一昔前までの穢多というのは、そうやって必死で自分らの同族を増やそうとしてました。つまり少なくとも戦後のこの日本という国において、女を利用した釣りによる生殖だけにととまらずそういった方策によって子供を騙して釣ることによってユダヤ人は数を増やそうとしていたということです。某巨大匿名掲示板群やtwitterで会話やつぶやきを装って禍を巻き起こすような情報を垂れ流してるのも全て釣りです。何が忌まわしくまた問題であるかと言えば当然そのコミュニティーの中では引き摺り下ろしあいの殺し合いを行うからです。また部外者を巻き込んで途方も無いバトルロワイヤルな会場を敷こうとするからです。何度も言いますけど現代における新興宗教の類は全てコレです。
ユダヤ人A「アイツはさ、自分が他人にどう思われようとどうでもいいし、自分が他人をどう思おうがそれもどうでもいいし、そもそも他人のことなんか思わねーし、好きなものも嫌いなものもな~んにもねぇんだろうな。あ゛~つまんね」
というこの創作ユダヤ人の会話発言に出てくる人物はある種のキリスト的人物です、とは言っても私SSが即興で今書いただけのものですけど。この小話の文面におけるAの発想には非常~に分かりやすくユダヤ人の「特長」が出ています。カネがモノを言う世界です。「おっ母をよろこばすために他人ブッタ斬って女さらってオラの嫁っ子だって見せてやりてえ」というミクロ経済的な修羅コブリンの世界です。万物の元凶たるマザーコンプレックスそのものです。おそらく心理学者とかに聞けば分かると思いますけど、母親への愛情が人間を悪事に駆り立てる、ということです。いくつか前の記事でも書きましたけど、機動戦士ガンダムというアニメにはこれが非常によく表れてます。あのアニメに登場する主要キャラはほとんどがマザーコンプレックスに塗れてます。シャアなんて最も強度のマザコンです。面白いことは間違いないですけど非常に悪質なアニメです。ネットを見てれば分かるとおり、美少女育成ゲームとか昔から巷に溢れてます。その他言語で言い表すのもさすがに私でもはばかられるような女性をネタにしたおぞましいものものがいくらでもあります。日本人の男はこういったおぞましいものを生産するヤクザみたいのとそれにすがる宮崎勤だらけだったということです。同じロリコンでも川端康成といえば聞こえはいいですけど、そうではなくて宮崎勤です。しかしつまりは宮崎勤さん個人はターゲットにされてユダヤなマスコミのネタにされて死刑にまでもっていかれた犠牲者だということです。こういったところ(こと)にマザーコンプレックスの非常に強い日本人の国民性がよく表れてます。だから日本のマスコミの豚共はワイドショーのアーパーコメンテーターから筆頭から底辺の二等兵に至るまで自分らが今まで悪業によって稼いだ金を全て国庫におさめてさっさと首吊って一匹残らず死んでいただきたい。
中島義道さんとて「(こんなマスメディアに都合の悪いことを書いて)何故自分は潰されないのか?」とか自分の本で書いてますけど、そりゃ当然本にそれなりに面白く馬鹿なことを書いて禍を巻き起こすことに参加しているからです。「業」界人だからである、というわけです。業界人というのは読んで字の如く全てJudenです。だから日本に限って言えばマスコミというのは、自分らが社会に害毒を撒き散らしていることを自覚せずに自分らが社会に害毒を撒き散らすことを社会的責任だと思い込んでいるということです。
ちなみにこの人が書いておられる、「快・不快の哲学」は哲学たり得ないです。「快・不快」は哲学ではないからです。おそらくはヘーゲル先生に笑われます。快や不快を感じるということにおいては、イっちゃった(gehen)ままで歴史的自己がそこに成立しないからです。この中島義道さんという人の本には「悪への自由」というものがありますけど、こんなカルマなことを言っている人がよく「何故自分は潰されないのか?」とかヌケヌケとヌカすなとは思います。
抗精神病薬ジプレキサというのは若干の「左側への釣られ」が発生します。しかしこのジプレキサ分が足りなくなった時に右へ戻ります。おそらく体感としてはリスパダールとは逆であり、しかも薬を減らしていって止めた時にリスパダールとは逆なことに反動で右側で定常する傾向があってよろしいことになります。リスパダールは飲むのを止めると非常に気持ち良くなりますが、ジプレキサは飲むのを止めると実に気分が悪くなるどころかヤバい状態になります。ジプレキサをしばらく服用していて急に量を減らしたり止めたりすると最初はもちろん体感上非常にヤバい感じがしますしおそらく薬効上危険なので、急激に服用量を変化させるのは危険です。かといって藪精神科医の言う通りに抗精神病薬を服薬していたら心身ともにボロボロになります(特にリスパダールを問答無用で多量に服薬させようとする精神科医は藪医者であると見なして間違いないです)。だから自分で加減を見ながら量を調整するしかありません。
「未知の海外との間を隔てるように海に囲われながら外を志向せざるを得ないという日本人の地理的感覚」が日本人に不幸な影を落としています。
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