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Zephyranthes
 IQ100。
 イデアの影。




 近年大分減りましたけど、日本人は何故なんでもかんでも略すんですかね?「笑っていいとも」を「いいとも」と略すことすらウザいどころかあまりに不快感満面ではばかられるんですけど、あの昔あった当時の10代や20代が連発するイタい略語の群れ、酷い例だとドイツ語を「ドイゴ」と言ったり中国語を「チャイゴ」と言ったりするのが少なくとも私が学生の時はあったんですね。アレはドイツ人や中国人に失礼だと思わないんですかね?日本人においてこういったイタい略語を嗜好する傾向とコンテクストのreadの能力の低さは正の相関を示してます。要するにギャグや洒落が全く通じない……だけならまだしも、こういった人たちはそういった日常的な会話でバカにされることを恐れてギャグや冗談で言っているのではない相手の発言までもをそれであると勘違いして思い込んでしまうという傾向があります。これはその個人のバカにされてきたという経験が認知を誤らせるというコンテクストの誤認です。空気を読まなければいけないという強迫観念に押されてイっちゃってはいるが、その「イき」を的確な言語で表現する能力は無い、というパターンです。だからこういった人間は面白いギャグを見て万人が笑っているのに自分だけがそれを理解できないとなると怒りを感じ場合によっては妬みに走ります。

 例えば、中学かなんかの文集の作文かなにかで「普通でない人生を送りたい」という一見したところではこの上なくイタい内容を書いた子供がいたとして、それの実態はそんなくだらない文集なんかを作らせる馬鹿な教師に対するあてつけに過ぎないというかあてつけと皮肉以外のものではないのに、それをどっかのバカな若い女みたいに本音で書いていると勝手に解釈してその人物に対する攻撃の材料とする、という極めてイナカ者的なアレをやらかすカスみたいなのも居るんですね。要するにテクストは読めるがコンテクストは読めないという頭の悪い人間の為せる業です。

 小話を一つ。

「 Siは超女性的人間。差別心が強く、しかしそういった人間にしては異常なまでに言葉足らず。国語の教科書とかまともに読めない。性格が非常に単純。単純過ぎてギャグにはされるがギャグは通じない。同級生の悪童に「へちゃけ」「単純王」など仕草・発音・言動・行動の奇特さその他を露骨にバカにされる。運動神経がイカれてるのか知らないが歩き方が昔のガニ股おっさんみたいで滑稽。またいわゆる「フザけんな」だとか「ざけんな」だとかいう言葉を発するとき、Siの場合は「ふっ・じゃっ・けっ」(しかもここで終わる)という発音になるのでそれを悪童が猛烈にネタにして笑う。おそらくは「ふっ・じゃっ・けっ」で止めることによってSiは自分の怒りを表しているのであろうが、その怒りの表し方が昔の小学生が読んでいたマンガレベルの如き低レベルのものであり、そのSiの頭の悪さが実によく表れているその場のコンテクストを悪童は0コンマ何秒かの一瞬に読み取ってネタにして笑っているということである。また「マジでウゼぇ」と言う場合に「ま・ま・まっ・じま・っじ」とかいった発音になり、しかもその上口がパクパクしているだけで発音できていないどころか最後まで発音できないという有様なのでまたさらに悪童にはバカにされる。なんかイナカのヤンキーと痩せた朝潮龍足して二で割った感じ。ものすごく頭悪そうな感じがする。で話してみるともっと頭悪いのがわかる。奇妙にプライドが高くて他人に嫉妬しちゃってるのが小学生的なまでに単純に分かるのでさらに他人にバカにされる。自分を男前だと思いこんでいるので、というか救い難いのはその自分を男前だとの勘違いぶりを小学生的に幼稚に出す(出しちゃう)から最高に救い難くて同級生の悪童のイジめっ子のターゲットにされる。まともではないが一見一般人めいた正義感を持っているように見えて実はクズというこういったのが実は最もタチが悪いかもしれない。知識は必要外のものに関してはほぼゼロ、教養等は皆無に等しい。人とのコミュニケーションは異様なまでに下手。だから雑談をしても相手が気を使うばかりで相手にとっては全然面白くない。このレベルの低い知能程度の持ち主として頻繁に見られるようにアメリカを非常に嫌悪する。場の空気を全く読めない。だからドンデモ発言をリアル会話で真顔で言っちゃったりするのであろう。悪童達はまたこういったことを露骨にネタにして笑う。目の前のものには飛びつくが、先々のことを考えてそういったことを行うという発想や能力は全く無い。「オ、オ、オ、オレ税金払いたくないからよぉ~」とSiは言った。税金の使途を決めるのは官僚や政治家。それを取り決めたいというのであれば、子供の頃から勉強してレベルの高い大学に入り国家公務員Ⅰ種試験を受験して官僚機構に入っておくべきであったろう。関係無いがSiにその能力は皆無に等しい。だから文句を言うのは勝手だが、それを取り決める権限はSiには無い。赤子から老人まで誰でもこの日本という国においては何らかの形で税金を徴収される制度の下に生きており、また財・サービスを消費し経済活動に携わるにおいて何らかの形で税金を払っている。Siのような税金の存在を否定する人間は皆で協力して自分たちの生活を豊かにするという発想が無いのであろうか?小学生でも分かることである。基本的に自分のことしか考えていない人間。「自分のことしか考えていない」、自分の利のみを露骨に追求していることが露骨に分かる。あまりにその様が露骨である為、悪童がこれをまた露骨にネタにして笑う。これについては悪童だけではなくあらゆる人間の目に滑稽に映る。あまりに欲望に忠実すぎることがあからさまであり動物的というかサル的であり滑稽だからである。かといって非理性的というわけではない。だからこそさらにますます滑稽に見える。動物的なサル的な自己中心さが露骨であり同時にヒト的に理性的なので非常に滑稽に見えるということ。「オ、オ、オ、オレ税金払いたくないからよぉ~」と真顔で真面目に堂々と言うところからもそれは見て取れる。「何で君はそんなに自分のことばかり考えてるの?」というセリフを投げかけたくなる。あと全てに対して即自分の(金銭的)利得に結び付けて考え、しかも何故か必死。もう見た目露骨に頭が悪~いのが分かる。もうこりゃイジめられるわっていう雰囲気出してる。何もかもに余裕が無くてその結果として自分のことばっかり考えちゃってる感じ。大抵の人間は他人の行動なんてその表面のところの上辺しか見てないんで(何よりもSi自身がそういった物事の上辺しか見ない人間である)、そういった大抵の人間には「自分のことばかり考えてる悪人」みたいなレッテルを貼られちゃって、それでイジめの対象になったりするのかもしれない。しかしSi自身も自分の利の為なら自覚的に他人なんざいくらでも踏みつけて、そのくせ「オ、オ、オ、オレ知らねーからよぉ」というセリフを実際に吐くというセルフィッシュの塊のような人間。『中学の時にシンショー(身障)ウゼーからぶん殴ったら(自分の)母親泣いてたからよぉ~』と高校生の時に笑いながら同級生に言っていたことがある。最悪である。
 ……ユダヤ人である。低教育で教養ゼロでカネが儲かって性欲満たせりゃみたいな。こういった表現は非常に人種差別的なので使いたくないのだが、おそらくあの時代、このような人間がユダヤ人の典型であって、おそらくヒットラーはこれを最も嫌悪したのだろう。まあユダヤ人もまたユダヤ人の中で収容所作って気に入らない「同胞」をそこへ送り込むということである。ユダヤ人というのは強姦魔なのだろうか?いや、そうやってただひたすらに生きてきた人々なのだろう。」

 このSi君(仮称)は典型的なイジめられっ子なんですけど、かといってSi自身がバカにされることを理不尽であると認識するに値するような褒められた人物であるかというとそうではなくて中学生の時に知的障害者の人の顔を拳で殴って「中学の時シンショーウゼーからブン殴ったら(自分の)母親泣いてたからよぉ~」とか言ってそれを自慢しているような救い難いゴミクズなんですね。このSi君というのは典型的なコンテクストを読む能力が低い人間です。田舎社会にはこういった人間が多いです。主に都会の人間や教育レベルの高い人間に多いですけど、社会的コンテクストを含めてコンテクスト一般を読む能力が高い人間は弱いものをイジめるようなこういったことはまずやりません。そういったことが自分も含めて全ての人間にとって損益となるということを知っているというのもありますし、そもそもそういったことが道徳的によろしくない、許されないことだと知っているということもあります。褒められた人格の人間というのはそんなことは行いません。まあ私SSがここに小話として書いたものの中に登場するこのSi君が実在するとするとこれは典型的なクズであり同時にカスであるという人物です。

 これとはまた別口で、マスコミの垂れ流す情報がレベルが低くてその低俗さや俗悪さよりもそのレベルの低さに万人がイラつく、というのがあります。これは、意図的に秘密を作る、つまりナチスでヒムラーがSSの構成員に対して行ったような方法、もっと分かりやすく言うとヤクザ的な手法というわけではなくて、この場合においてはマザーコンプレックスの強い人間というのは無意識的なレベルダウンを行ってしまうということです。つまり先の記事のRPGの弊害で説明したような溜めるということを行ってしまっているということです。だから今のオッサン世代で多々居る人間のように幼い頃からゲームのRPGとかに浸されきっていると自分の中のマザーコンプレックスをどんどん増長させていってしまいます。それが自分が体験した(させられた)具体的な悪い個々の経験とあいまって劣等感や被害者意識・加害者意識がどんどん自分の中で膨れ上がってしかもそれを自分の中に溜め込んでしまうこともあるんですね。

 ネットでは社会的低層、一昔前のマスメディアでは下流と言われてましたけど、例えばアルバイターの人たちは「労働の意義」を持ってません。というのは当然単純労働なんかでは自分が所属する特定の組織に対する貢献の実感が労働の内容上ほとんど湧かないからです。よって彼らにおいてはほとんどの場合で仕事というものにおいて得る報酬が第一義になってしまってます。つまり感覚としては何でも屋であって、土地所有その他いかがわしい行為を法律で禁止されたならば金貸し業を営むしかないユダヤ人のものと同じ感覚です。そこで彼らはいつの間にか流浪民意識というかユダヤ人感覚を刷り込まれ、その劣等感が無意識的な他者への攻撃意識や加害意識に転化されます。ネットだと叩きだとか某動画サイトのように人ですらないものを露骨に馬鹿にするといった行動へと走ります。それに特定の人間や特定の一個人ですらないものに対する私怨が絡む場合もあります。分かりやすい例としては、全てがbotの為せる技だとかいうことであれば笑えますけど、(おそらく)そうではなくて、グズグズと他人を叩いているどうしようもない人間の行い、つまり小学生のケンカの際に発せられるような低レベルな言葉でののしり合いをしている(ように見せかけている)というものがあります。某巨大匿名掲示板群が特に幼児的なものとして非常に分かりやすい例です。どんどん負の感情のスパイラルにハマりこんでいく最悪なものがそこにできあがっています。



 仮にストーキングの被害者xさんに対して、ストーカーが「言うだけなら何とでも言える」かもしくはそれに近似する意味のセリフを吐いたとします。ストーカーに至っては、「(それがその行動の前提になっているような既の言に基づいた)行動」の前提となっている「言動」にすら辿りついていません。ストーキングは言など必要としない程に他者に対する純粋な加害行為だからです。xさんをストーキングするにあたっては、ストーキングの次になってやっと「xさんに直接コンタクトをとる、つまり言葉で直接話しかけるなりダイレクトにx宛てに言語で伝える」という「言うだけ」の段階が存在します。物事を知るという場合と違って、意思疎通においては言語を使用せずに詳細な意味内容を伝達することは不可能だからです。順番を間違えているどころか勘違いもはなはだしいです。その次にその直接の意思疎通に基づく肯定なりアンチなりもしくは何らかの(建設的な)行動なりという段階がやっとのことで初めて存在するということであり、これはストーキングではありません。ちなみにこのケースにおけるストーカーが女子高生だったりしちゃったりした場合は、笑えるとか陳腐であるとかを通り越して日本の将来が危ぶまれます。
 人間において、賢さは自然適応性(社会適応性)に現れますけど、頭の良さは言語使用性・言語能力に表れます。



 悪者と弱者は被ってますけど、稀に弱者だが悪人ではない人間というのが居るんですね。アインシュタインやヘッセのような偉人です。こういった人たちは能力の高低というよりはその悪行の行わなさ具合によって必然的に守られるようにできてます。

 悪い方向へ傾きつつも、その悪徳な方向の力で何か建設的なことを成し遂げた人間に、賞与のような証を与えることでその人物の現状を創り出すに携わった悪徳な人間(関係)をも肯定することができてしまいます。日本人によく観察される「みなさんのおかげです」というセリフはこういった意味合いを持っています。これは中島義道さんがおっしゃるように単にこのセリフが胡散臭いだとかそういった問題ではなく、悪いモノ(人間関係)をも現状を含めて肯定できてしまう最悪のやり口です。云わばcommunicationaized、陳腐どころか有害にも「人間関係工学化」です。こういった「みなさんのおかげです」の類の言葉を吐く人たちは、全てのモノ(人間関係)がよろしい方向のよろしい結果を導き出すことに役立った、という事実というよりは真実めいたものとしてそれを表明しているということであり非常に忌まわしいものです。
 そしてまたこれを批判・非難する人間の動機を嫉妬であると解釈してしまうのは早計です。批判ならば言葉を使って行われるのでよく内容を吟味してそれが間違っているか正しいか判断することができますけど、あまり頭の良くない人たちで非難や悪口しか言えない場合があるので、他者を故意に貶めて満足しようという余程のクズでない限りは、そういった人たちは誤解されやすいということです。これは嫉妬その他負のエネルギーに基づいているものではなくて、その何らかの形で肯定された人間の現状を現状たらしめる悪い要素(人間関係)を肯定することになることに対して「否」と言っているということです。ネットの掲示板での叩きや一見して悪口(あっこう)めいたブックレビューにはこういった悪徳ではないエネルギーによるものも見られます。ネットの場合は、某巨大匿名掲示板群での叩き等特殊な(幼児的な)場合を除いて、嫉妬や貶めで行われた場合は即叩かれて何がどういうことだか思い知らされるので。

 新聞とかは学生や勤め人が読む一般新聞とオバチャンが読むかわいそうな人の報道新聞を分ければいいんですね。障害者の人たちはそもそもそうですし、誰にとっても利益とならないような理不尽な不幸な目に合う人というのは居るので、そういった人たちに関する報道を行うことは必要です。



 私も不本意ながら「ネットで~」どうこうという表現を使ってしまってますけど、この「ネットで(何かをする)」という感覚に日本人の愚かさがよく表れてるんですね。ネットというのは現実世界におけるツールです。強いて言うなら何かをupするところです。またこの日本のマスコミが大好きな「ネット」と「現実」というものを互いにversusな位置を占めるものとして持ってくるところがさらにまた愚かな日本人的感覚の現れだったりします。ネットに関してもそうですけど、何らかの対象に様々な形でハマりこんでしまうオタクという人々は、必然的に興味や関心が向くはずの社会に意識が向かずにオタクになるべくしてオタクになってしまった逃避的な日本人の本質をよく現しているのかもしれません。

 オタクの人たちというのは素晴らしく現実的です。オタクが非現実的であるというのは単細胞なマスメディア周りの阿呆共による馬鹿解釈です。オタクというのは現実しか見えない物理的なものしか見えない人間のことです。現実におけるアニメを見て、現実におけるガンダムのプラモデルを何個も何個も作るということです。だからつまりハマりこんでいる対象はアニメでもガンプラでもなくて、現実世界におけるPCやテレビのモニターを使ってのアニメ鑑賞であり、現実におけるプラスチックモデルの製作だということです。「萌え」だって現実におけるアニメ鑑賞ということでなければ発生しません。単なるアニメそのものからは「萌え」の心理は立ちのぼってきません。つまり何らかの悪い外圧に因って他者依存・他物依存の性癖を仕込まれてしまったオタクの人たちというのは、悪質な日本のマスメディアの印象操作とそのオタク趣味にハマる自分を客観視するということにハマり込んでしまって「はぁ、オタクな自分はダメだなあ」という感慨を強迫的に抱かされて、ダメになってしまうというよりは現実における自己像を見て自己意識強迫的にダメにさせられてしまうということです。実際オタクの人たちにはその趣味において鑑みてみれば分かるように仕事能力が高い人間が多いです。いわゆる「アカ」な人間がこういった悪質な外圧を他者に対して加えます。危害を加える側危害を加えられる側共にユダヤ人化であって、これは70~80年前のドイツにおけるヒットラーとユダヤ人の関係そのものです。つまりはオタクなんてカテゴリーは存在せず真面目で能力の高い人間がオタク趣味へ逃げることへ追い詰められているという事実がそこに在るだけ、ということです。
 つまりは某巨大匿名掲示板等で10何年も前からいたずらな他者に対する叩きを行っていたブタ共の中にオタクはほとんど居ないということです。やっていたのは無知無能なチンピラや内田樹さんみたいなJudeな人間です。「特定のターゲットのなりすましを行い、現実のそのターゲットからは微妙にズラして演技を行いそしてこれを叩かせる」というブタ演劇をネットでクズ共が行うのは、つまりマスメディア周りの単細胞共と同じく単細胞な発想が連中の中に存在するからです。つまりそういった攻撃それそのものにはターゲットにとってそもそも攻撃効果は無いのにもかかわらず、それを行って攻撃効果があると単細胞共が思い込んでいるということの内側には、これが連中がオタクとは違って一つの構成体としてのアニメなりなんなりという非現実世界を生きてしまえる(認識してしまえる)という事実に基づいているということがあります。つまり連中が叩くところのオタクというのは連中自身のことです。主にオタクであるターゲットがこれに不快感を感じるとすれば、それは現実における実感として風景としてのワザとらしさにまつわるこの上無いウザさ、ということについてです。

 ちなみに私は具体的な何らかのオタク趣味を持たないオタクでした。



 ちょっと再び抽象的で分かりにくくて申し訳ないんですが、右か左かの二者択一ということで、「右」が定常点であって「左」に流されやすいのが人間であるとします。ストーキングについてもそういったことが言えますけど、他人を引き摺り下ろそうとする悪質なクズというのは、ターゲットにおいて一箇所外部的な定常点を作るということから攻撃を始めてきます。そこから被害者の具体的行動にまつわる心理や意識の流れを捏造、最悪な場合は人格までをも捏造して、それを被害者に押し付けるということまで行います。これは大塚英志さんが狙われやすいオタクの人たちのために「敵はこういった攻撃をしてくるんだぞ」ということを漫画で描いて教えてくれてました。これが友情だとか愛情だとかいった言葉で表されることもあります。あの恋愛アーちゃんパーちゃんと言っている女流だかの小説家なんかにコレを美化する豚が多いです。あんなブタ臭い子供騙しもおそらくう誰も見ませんけど。

 某巨大匿名掲示板等で何らかのキャラを捏造してまで叩きを行っている連中が何故現実検討能力の無さをこれでもかというくらいに顕わにしその幼児性を丸出しにしているかというと、つまり彼らは不良少年少女のように棄民されることに対する不安を常に抱えているということです。例えば「常に健常であること」という目的を達成するにあたって、現実問題としては、その時点で溜まっている様々の種類のストレスを吐き出してそこからストレスの溜まらない環境や肉体を作り上げそれからは事あるごとにその都度解消していく、というのが現実的です。ちなみにネットというのはこれに関して実に優れたツールです。ところが掲示板で叩きを行っているような頭の悪い不良人間というのは自分たちが社会制度上見捨てられた民になることに非常な不安を抱えています。つまり彼ら彼女らはどんな些細なことにでも悪徳である自分たちが見捨てられてしまっている実社会の縮図を(具体的にでもなく抽象的にでもなく)象徴的に見てしまっているということです。彼ら彼女らは典型的なユダヤ人です。そのユダヤ人である彼らが何を行うかというと、社会的なガンである悪徳な自分たちが制裁の対象からは外れるためにつまり無知無能だけならばまだしも悪徳なクズでありカスである自分たちが助かるためにあらたな被差別民族を作り出そうとするんですね。インドのカーストでもヴァイシャの下にチャンダーラやアチュータと呼ばれる被差別民族の人たちが居ました。つまり穢多が非人を作り出すということです。最悪です。だから他者を自分の下としての他者として作り出そうとするようなそういった悪徳なゴミ共には働いてしかも金を稼いでもらったら困るんですね。ホームレスのおじさんたちだって空き缶集めをやってくれてます、悪徳なクズ共よりはるかにいいです。クズというのは伝染し、クズはクズを呼びます、というか健全な人間がクズにされてしまいます。女性は社会的弱者としてというよりは生体的に要因からしてこういったあらゆる意味での差別の元凶となってしまうことが多いです。だから私は女性には近寄りません。また現代の精神医療において抗精神病薬を乱用・過剰投与しようとする精神科医もこれに該当します。私は自分の父親がこういったヒットラー的異常者の典型でした。社会的適応性が皆無な分際で社会的適応性があるかのように見せかけ、そしてその実態は人様を脅し蹴落とし悪質なやり方で社会でのし上がった「若い女」のような「アカ」です。(この男、人によっても状況によってもコロコロコロコロ態度を変えるので悪質な女性的人間の典型例として非常に分かりやすいんですね。前の記事でも言ったように多くの人様の恨みを買ってます。今でも家にはわけの分からない電話が掛かってきますし、私が中学か高校の頃に同じ人間であると特定されいるにもかかわらずその人から三年間にわたって嫌がらせの電話が深夜に掛かり続けてきたことがあります。昔私が学生で家の近くのアパートに住んでいた時、「お父さんは何をやっているのかな?」とヤクザの身なりをした男が新聞の勧誘を装って来たこともありました(新聞の勧誘がヤクザを装っていたのかもしれません)。関係無いですけど、この私の父親というのは、私が幼児の4歳か5歳かの子供の時からずっと行っている、被害者(私)に被コントロール感を植えつけるという加害行為をいまだに行ってくるんですね。例えば、先の記事でも書いたように、抗精神病薬を服薬した時は睡眠が長くなるその他の原因で家族にはそのことが認知されるんでしょうけど、薬を飲んだ時に限って「薬を飲め」とわざわざご丁寧にも睡眠中の私の部屋のドアを開けて言うというご苦労さんな行いを私がこのブログにおいてもを含めて指摘しているにもかかわらず何度も何度もサブリミナルを掛ける如く行ってきます。これは先の記事でも説明したように、被害者xさんが特定の行動Aを取った時に限って「行動Aを取れ」と加害者がxさんに命令することを繰り返すことによってxさんは加害者に対する妄想的な被害感と被コントロール感を煽られ、そのうちに加害者にコントロールされるようになっていく、という悪質な手法です。ナチスでヒムラーが行ったのは「秘密」、ストーカーの場合は(主に)「言動」、私の父親の場合は「精神的外傷を残す」、という外部に定常点を作って被害者を悪い方向へ引っ張るというやり方です。これについては睡眠中というのがポイントです。被害者が睡眠中に行うことによって、ほとんど眠りの中にあって覚醒していない被害者は簡単に加害者の暗示にかかってしまいます。というかもはやこれはヤクザのやり方です。私の父親はヤクザではありませんけど、ヤクザ並に悪質であり精神の構造的にはそこらへんのゴロツキと同じカスです。親族中でも当然のことながら昔から凄まじく嫌われてます。)

 心理学でMBTIというものがありますけど、あれで最初の項目にintuition(直観)かsence(感覚)かというものがありますけど、おそらくこれで直観型と出る人間が左方向に傾きやすいです。私は学生の時にMBTIを受けたら四つのうち最初の項目は直観型のIと出ました。今はおそらく感覚型のSと出ます。アメリカ人の場合だと、人口の1/3が直観型で2/3が感覚型だそうです。



 現行の精神科医が診断を下すところの統合失調症というのは、オカルトペテン性格判断と同じくマザーコンプレックスの具現体です。別に全ての精神科医が悪質なマザコン人間だと言っているわけではありません。現代日本の精神医学がカルト性格判断宗教に比べて救い様があるのは、そういったミクロ経済的価値意識に浸されたマザーコンプレクッスに汚染された人間を集めて具体的な診断基準というふるいにかけて「統合失調症患者」を設定し、その社会的(生活環境的)に設定された統合失調症患者(における全ての行動)というデータから統合失調症というdie Krankheitをまたあらためて作ってゆき、そしてそれを投薬や精神分析その他の療法によって治療して救っていこうそしてまた社会を良くしていこうという点にあります。しかしつまるところ、極端に言うと、統合失調症と診断された人間の行動は全て統合失調症の症状であると特定の個々の人間であるに過ぎない精神科医によって断定することが可能であってしまうということが現代精神医学の負の側面であり、マザーコンプレックスの表れです。実のところ精神科医でここまで悪質なことを行う人間はそんなに多く無いです、が、ちなみにマザコン人間である私の父親は精神科医でもない分際でこれを私に対して行いました。また、抗精神病薬の副作用(とされているもの)によって引き起こされたものを統合失調症の症状であるとし自分たちの診断の確証性を高めるためにそれを形作られたdie Krankheitに含めるということをも行う悪質な精神科医も居ます。誤解の無いように言っておきますけど、ヒトの脳における分泌物質その他を調べてその機能周りが異常であることが判断されたところの病気、つまり統合失調症という病気は存在します。だから、何でもかんでもただ薬を飲めばいいというのは大幅に間違ってますけど、治療において服薬は間違いなく必要です。それに+αで精神を病んでいる患者に対してナメた加害行為を行う悪質な精神科医が居るということです。中には、統合失調症と診断された患者に対して、その人間が投薬による治療を素直に受けていると、その人間が自分を統合失調症ではないと思っているかのように印象操作や言動によって釣ってくるという精神科医が居ます。これはストーカーが被害者に対して行う思い込ませの攻撃と同質のものでありまた同時に先の記事で説明したようなミクロ経済的価値意識を再発・再燃させようとする極めて悪質な行為です。というのは、この場合では、精神科医の間で「自分が統合失調症ではないかと自ら精神科医に申告してくる人間に統合失調症患者は居ない」ということが定説になっているようなんですけど、普通に治療を受けている患者に「自分は統合失調症ではない!」と言動なり態度を表明させることによってその精神科医自身の診断の正当性と過剰投薬を含めた投薬の為の正当性を確保するという目的があるんですね。精神科医のこの行いはもちろんレイプです。最悪です。
 オカルトペテン性格判断は、女性にとって都合の良い一見して具現化されたところのマザーコンプレックス(女性「原理」は形容矛盾)がある程度まで推進されたところで、そこで人間にまつわって仮初めの社会制度(社会環境)を作り出しさらにそこを定常点として被害者を留めておこう、という原理的に女性たるものをこじつけようとその社会化を狙ったものです。だからオカルトペテン性格判断はアマゾネスのような謂わば女性(原理)的軍国主義であって非常に悪質です。まさに人食い共産ユダヤ人の為せるアレです。結果女性がレイプされる環境が出来上がってしまうわけです、まさに女性の手によって。

 私は幼稚園・小学校・中学校・高校・大学と一部の賢い女性を除いて老婆から若い女から餓鬼まで母親を含めて女という女に嫌な思いをさせられ酷い目に合わされ続けてきました。これはヒトのメスというカテゴリーだけにとどまらず女性的な人間一般全てについてです。だから女には近寄りませんでしたし、これからも絶対に女には近寄りません。私がそもそも女性に嫌われるのでこれについては問題がないです。私は男性の肉体を見て性的欲望を感じることは無いのでホモセクシャルではありませんけど、女は死ぬほど嫌いです。特に若いケバケバしい女とか。

 私の母親は相変わらず今でも私が外出その他で自分の部屋を出た隙に部屋に長い髪の毛を一本落としておくという嫌がらせをしてくるんですけど、これもまた外部に基点を作ってターゲットに心理的に被害者意識の火種を作って堕落させるという攻撃の一なんですね。ちなみに被害者が統合失調症であるという診断を精神科医から受けた場合であると、加害者が悪質な場合は、これにかまけて何でも加害者側が行ってしまえるという最悪な犯罪行為がそこに出来上がってしまうケースも多々あります。私はこれをやられました。

 これらは全てマザーコンプレックスという妄念の為せるワザです。身体的に男性に比べてハンディキャップを負っている女性としては、「(無根拠にも)男性が人間としての女性を求めている」ことにしないと社会環境上都合が悪いわけです。
 つまり今の日本の社会というのは、67年間かけて男がマザーコンプレックスの具現体たる女性(原理)に逆レイプされて出来上がった側面をも持つということです。もちろん当然そこに生きる者としての体感で感じられる上では社会は良くはなってます。これは例えばストレス解消が容易になったとかそういったミクロな観点からのみ言えるものではなくて、ネットの登場によって社会全体のtemporaryなmemoryの許容量が上昇したということです。

 ユダヤ人というのは自殺の民です。時々、「死の観念が具象化された」というような表現があてはまるような、想像しやすくビジュアルで言うところのスケルトンみたいな人が居ますけど、こういった人はJudenではなく、その真逆です。「生の象徴でありながら死を志向する」からこそJudenであり、醜い肉塊なわけです。Judenと真逆の人は「やすらかな死の為に生を志向している」という形容が適切です。女性が男性を愛する場合はどうだか知りませんけど、男性が女性を愛するにおいては、「良くないものを無理矢理良いと思い込もうとする心理」というものが働いています。だからつまり文化人類学的な側面から考えても日本人には男の子女の子キャッキャウフフなそういったアベラールみたいな馬鹿が多いということです。要するにこの「良くないものを無理矢理良いと思い込もうとする心理」というのは、納豆だとかクサヤだとか異臭を放つものやゲテものを「、だがそれがいい」といって好む(異常な)心理そのものです。これは私個人の女性を差別する心理とかではなくて、人間というのはそういうものである、ということです。

 念のために言っておきますけど、軍国主義なんてものは最悪です。戦争は悲惨であり最悪です。が、戦争さえ無ければ何をやってもいいという発想がまさにユダヤ人のものなんですね。たしか左翼を自称している島田雅彦さんという人が、「ああである、こうである、しかしそれでは戦争になってしまう」という、(戦争を避けるためには)こういった結果何をやってもいいという状態になることを肯定せざるを得ないという内容のことを新聞で書いてました。ああいう人たちは何が何でも戦争に"Non,"を突き付けるというところから思考を出発させてます。戦争というのは人類史上種々の要素を鑑みた結果最悪の行いであるということであって、無根拠に戦争を否定するのであっては何故戦争が起こるのかといった教訓を得られずにまた同じ悲惨な戦争という愚行の繰り返しという頸(くびき)から逃れられません。そして今現在結果どうなっているかというと、この日本という国は莫大な借金を抱えてクズみたいな人間とそれを養うための社会に害毒撒き散らすような有害な職業が乱発生させられ人々は互いに憎みあっているという、戦争が内乱に転化されているという共産主義的もしくはユダヤ的な最悪の状態です。これが日本という国の内部において技術革新にプラスに働いているかマイナスに働いているかというとおそらく後者です、ヒトという生き物の生態的に。



 ネットではナチス的な空気をひたすら広げてます。正確に言うとこれは空気ではありません。というのはもちろん特定のゴミ共がまるでそれが大多数の人間のそれであるかのように見せかける為に特定の意志やカネの力のもとそれを行っている、ということです。例えば私もこのブログで書きましたけど、「日本製の製品を買おう」といったようなものはいいですけど、「覚醒剤はすぐれた薬物!」とか言っている某巨大匿名掲示板群の馬鹿共が表象している様に、これは右翼がどうこうといったようなものではなくて、一部のArbeiterpartieな無知無能なチンピラのゴミが自分らに都合の良い一見してシステマティクであるところのニヒリズムをギャーギャー騒いでわめき立てているだけです。こんなチンピラに右翼的な何かを自称されると右翼主義者の人たちも迷惑するんですね。工業高校の生徒だって真面目な人間は真面目ですし、工員さんだって立派な人たちは立派です、そうでなければ彼らだって仕事になりませんから。

 広告にもマンガ的な宣伝の仕方が使われていて非常にウザいです。広告の宣伝文句もビジュアルも全てネットで言うところの中二病な発想のもと作られていてそれが随所に現れていて視界に入るだけで不快になるんですね。アレは自社の製品やサービスに対するネガティブキャンペーンを行ってるんですかね?まあ全く興味を持たれないことが売り手にとっては最大の脅威なわけであって、ウザがられてでもいいから認知されたいというのがああいった宣伝屋共の狙いです。ストーカーと同じです。だからマスコミや広告宣伝屋だとかの賎業は全国民に対するブロードバンドなストーカーだというわけです。

 頭は良いが馬鹿な人間、というのがいらない技術を作りまくるんですね。つまり社会制度的に人権は当然としても女性の自由みたいなものが保障されているここ数十年のこの国の社会においては、大方の男性たちにとって自分から頭を突っ込んで馬鹿になって無知な女性たちにとって都合の良い社会を作り上げることに貢献することが女を得るための条件になってしまっていたということです。一見してもの分かりのいい人間を演じているような内田樹さんのような人間が分かりやすい例です。私はそんなものに加担するなら死んだ方がマシであると10代の頃からずっと考えていたので、女には絶対に近寄りませんでした。
 ちなみに内田樹さんはマンガを「映像と文学(物語)のハイブリッド(?)」とか言ってるんですけど、武術を研究している人間にもかかわらずいったい何を考えてるんですかね?あの漫画を読むという行為は、頭を使ってのその内容の吟味云々は別問題だとして、身体の使い方としては最悪なんですけど。うつ伏せに寝転がった状態で肘をついてマンガを読んでいると売春婦コースまっしぐらです。東京大学出版会から「知の技法」という本が出てますけど、ああいう左からめくって右で終わるという横書きの本が内容とは関係なく身体の使い方としてはバランス的に良いです。
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