忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Brahma
 善悪の彼岸。




 やはり見た目が悪い人間というのは中身まで悪いです。もうあからさまに肉体を病んでるんですね。これは先の記事で説明した通りです。女性はこういったことを非常に気にするんでちょっと言いづらいんですけど、見た目がブサイクな女というのは中身までブサイクです。見た目が気持ち悪い人間というのは自他両方向に向けて気持ち悪い思いをしているということです。オタク女を見れば一目瞭然です。美女が悪女でブサイクが善良で優しいというのはマンガやベタな安いドラマの世界だけです。間違いなく真逆です。だからオタクは絵の世界に美形キャラを描きます。そしてそれに慰めまでに悪属性を付与します。マンガやアニメというのはこの意味でも有害です。だから宮崎駿さんのアニメとかは最高にタチが悪いです。ああいった一見して健全なところでヒビを入れられてそこから人間悪化していきます。弱者共感というのは苦しんでいる弱者にうわべだけでしかない愛とやらを与えておいて、弱者をより弱くして苦しめる鬼畜の手です。こういったようなぬるま湯で弱者に一時的な快感を与えて共感とやらを買ってそして弱者を貶めて自分は都合のいい位置を確保してニヤニヤ笑っているような「優しい」鬼畜を見ると私は本当に呆れます。
 弱いだとか強いだとかなんだとか抽象的な物言いをするから分かりにくいのであって、要は病気になるということです、精神も肉体も。

 「人によって……(違う)」というのが連中のこの場合における逃げ口上です。だからこの(どの)視点においてもこういった連中は特徴ではなく「特長」と言いたがるというわけです。これもまたマザーコンプレックスそのものたる人間関係という虚構への逃避であり、問題解決を行わずに「人」へ逃げ込むことの典型的な例というわけです。「甘え」の極みです。これは個人主義でも何でもなく、日本人であって自称の個人主義者に過ぎないファシストが個人主義者を装っているだけです。非常にミクロ経済的であって、舐めてます。人間の体の構造は決まってますし、精神医学にもほとんどの精神疾患について具体的な判断基準は存在します。だから精神科医個々人の主観で「病気である」とか「病気でない」とか裁いてもらっては困るんですね。養老孟司さんという人はこういった主観的判断の「否!」さ加減、主観的判断の害悪についてひたすら訴えている人です、おそらく。つまり決まりごとというのは世界においてきちんと存在するということであり、ちなみに私はそう考えてます。精神科医の中には「人によってよかったりよくなかったりする」とかいうたわけたお戯れでのらりくらり逃げる人間が居ますけど、一体何を考えているのかまったく不明です。精神医療の場において完全にストーカーに手を貸しているどころかタグを組んでいるようなロクでもないのも居ます。精神科の診療室で患者の精神に悪影響なことをポロッポロポロッポロと平然とこぼすというハラスメントを平気で行うというロクでもないのも居ます。まあ小学生レベルの児戯をよくやるよとしか言い様が無いです。こういった人間はきちっと追及して具体的事実を明らかにしない限り患者は被害者であることからは抜け出せません。それにもかかわらず「科学的に解明・実証されていない」と言って逃げるのであればその医師はゴミクズなので、その治療を受けてはダメです。そういうどうしようもないのは、弱者共感という自分の(偽)善人性の立証にかまけてのらくらと自分は都合よくポジションを確保しながら「そうだねえ、こうだねえ」で行うべき治療やinformed concentは全くの度外視というありさまで、さあ患者がどうしようもなく再起不能になったらばこういった「甘い」人間がどういった態度を取るかというと、「起き上がれないお前はダメだ」というレッテルを貼るというご痴態なんですね。体のどこどこが悪いと言うと、何の具体的情報をも与えずにニヤニヤ笑っているという最悪な場合もあります。



 Janne Da Arcのsisterという曲がありますけど、あれは逆レイプの歌です。ストーカーによる加害行為というのはまさにこれなんですね。この曲の歌詞にはまさにそういったストーカー加害な発想が書いてあります。だから女は恐ろしいんです。

 音楽で何らかのパクリではない楽曲というのは存在しません。音楽理論はスジが決まってます。440HzのA音(ラの音)を基点(起点)として音が7音階で並んでいてそこから曲を作ります。だから「この曲なんとかの曲のパクりじゃん」というセリフ程ナンセンスなものは無いです。もちろん昔のEric Claptonみたいに本当にいい楽器を使って音で勝負する、音を聴かせるという人たちもいるでしょうけど、いくらガキ臭い低レベルなロック音楽とかでありがちなギターの断続的なコードワークがいいからといって、それも結局音(階)だからです。その誰それのミュージシャンが作っている音楽だからということではないです。Janne Da Arcの曲とかは小室哲哉さんみたいな頭の良い人が機械的に作るとああいう合理的な曲ができるんじゃねーのという分かりやすい見本です。音質どうこうよりも記号的に美しく並べられた音が心地良いんです。だからJanne Da Arcというバンドの曲はその意味で実にアンチビジュアル系であって、私は好きです。



 一つ前の記事で被害者を装うストーカーについて書きましたけど、ストーカーは自分たちが被害者には成り得ないと悟ると、今度はターゲットの被害者を無理やり何らかの加害者に仕立て上げようと試みます。

 そもそもストーカーの基本的なやり方としてあらかじめ何からの「秘密」を与えてそれを示唆することでストーキングを行っていくというものがあります。ストーカーとしてやりやすいのは、被害者に抽象的なテーゼを与えて、それを示唆していくというやり方が、最も効率的でかつ第三者・部外者には「秘密」が漏れないという加害者にとって都合の良い方法です。この場合、あまりにそれが抽象的に過ぎるので被害者はその当該の「秘密」を漏らし様が無い、被害を被害と訴え出ることができないということです。
 この「秘密」を人間関係における支配力として利用するというのは、70~80年前のドイツにおいてナチ政権下でヒムラーがSchutzstaffelの成員ををコントロールするのに積極的に用いた手段だったみたいです。「秘密」を漏らしたら殺すぞと脅して、実際殺す、というわけです。2012年時点での現代日本でこんなものが成り立つというのであれば、何故こんな何処かの強請り屋が警察に捕まらずに悪事を働けるんだという問題です。こんな有様では一般市民は健常に生きていけません。何でこんな連中が現代社会において調子に乗っていられるのか全く理解不能です。
 例えば私(被害者)の場合だと、いくつか前の記事で「昔いたギャル男(がどうこう)~」ということを書きました。そうしたら外に居て顔面が真っ黒のいかにもな感じのアレな若者(高校生?の征服を着た)が特定の子供じみた行為で私に対してアピールを行ってくるというものがあります。もちろんこのブログでの言及にあてつけたものですけど、私がこのブログを匿名性を排さずに行っている時にのみこのあてつけは被害者(私)にたいして効力を発揮します。が、残念ながら私は一つ前の記事で書いたようにこのブログを匿名でおこなっているつもりはないので、それをストーカーだと被害者(私)に見破られて終わり、というケースです。この場合は加害者側があてつけを第一義として行っているので無効で終わりということになりますけど、何度もこのブログの記事で説明しているように「被害者にそれがストーカーだと知らしめる為のストーカー行為」というのがストーカーの攻撃の基本スタンスなので(そもそもこれが「秘密」の「秘密」たるものであり)、一般的にはこういった行為も被害者がそれを認知している場合はそれだけで被害者に対する加害行為になり得てしまうということです。
 たしか小室哲哉さんのglobeの曲でこれについて歌っている曲がありました。

 「人間の性格はタイプA、タイプB、タイプC……タイプIに分類できます!」というバカな人間のたわ言の類ならば誰もそもそも相手にしないというので済みます。が、何らかの抽象的な命題を与えられるということでそれを仮に説明したくとも説明できないという状況が訪れる場合は別です。例えば、a=bであるという命題を被害者xさんは何らかの形で知った(知らしめられた)とします。そうするとストーカーは「『a=bである』という内容を何らかのダイレクトな意思伝達手段で伝えようと試みる」という形でストーキングを行うということです。さらにタチの悪いケースでは、例えば、「統合失調症の人間の特徴として、A→BでしかないものをB→Aであるとも思い込んでしまうということがあります」というテーゼを何者か(例えば精神科医)が与えるや否や「『B→Aである』という内容を何らかのダイレクトな意思伝達手段で伝えようと試みる」という形で加害者集団はストーカーを行うというものがあります。被害者は自分が統合失調症であることを医師から伝えられて知っているので、つまりそれがストーキングであると知るに至るというわけです。そもそも、この場合に「僕は→男だ」というものは成り立ちますが、「男は→僕だ」というものは成り立ちません。つまりこの命題は個々の具体的な場合に当てはめてその正当性が確認されます。が、しかし「『B→Aである』という内容を何らかのダイレクトな意思伝達手段で伝えられるべく試みられている」というとある具体的場合は「A→BでしかないものをB→Aであるとも思い込んでしまうということ」とは何の関係もなく、別の具体的な何かについて何らかの正当性が立証されるわけでも何でもありません。これは「統合失調症の人間の特徴として、A→BでしかないものをB→Aであるとも思い込んでしまう」ことを説明しているわけであって、命題の証となるものを示しているのではなく命題そのものを扱っている(ストーカーである自分らは貴様がそれを知ったことを知っているんだぞと被害者に対してアピールする)という場合です。で、精神科医は「それの認知自体が統合失調症という病気である」というテーゼをまたさらにそこで改めて構築して患者を攻撃します、そういう風に感じるのは患者が統合失調症という病気にかかっており抗精神病薬を服薬していないから、だと。ストーカーの攻撃の時点までなら別によかったわけです、知識に固有性は無く万国共通なので。ところが精神科医がそこでまたテーゼを構築するというやり方でミクロ経済的価値意識を被害者(患者)の中で再発・再燃させるんですね。あとは精神科医+ストーカーと、患者とのイタチごっこです。つまり、精神科医の中でもタチの悪い人間はストーカーとグルになって、そうやって「統合失調症というdie Krankheit」を形作っていきます。が、念のために何度も言いますけど、そもそも精神科医による患者に対するこの攻撃の第一義は患者に抗精神病薬を服薬させることにあります。精神科医の悪し良しが決まるのは患者に抗精神病薬を投薬してからその後のことなので、もし統合失調症の患者の人でこれを見る人が居たら、取りあえず薬は飲んでおいた方が良いです(さじ加減は自分で調整するしかないです)。商品名リスパダールは飲んだらダメです、商品名ジプレキサがおすすめです。

 関係ないですけど、これらストーカー被害において、a=bであるという命題云々をそれだと認識している地点ではまだ救いようがありますけど、「a=aという命題」が与えられる、aはaでしかないものをストーカーが示唆してくるとか思い始めたら重症です。つまりDinge an sichなところへイってしまっている状態です。これはストーカーによる直接的ではなくて間接的な被害です。何百回何千回とストーカー被害に遭っているうちに、a=a、つまりaをただそれだけで命題であると認識してしまう、Freund Heinという記事で書いたモノの全てが固有名詞化されるという完全に頭のおかしい状態になります。自己以外の世界の事象を認知しそしてそれが自己内化されているので予測でき(ていると思い込んでい)るようになっている状態であり、ヘーゲル的に考えれば(言えば)、結果としてその時に宗教や哲学が成立している(成立してしまっている)ということです。これは物理的関係もしくは数学的な物事の関係の人間関係化です。謂わばcommunicationizedみたいなもんです。ここから全ての負のスパイラルが始まります。最悪の状態です。これは私見ですけど、狂人や知能に障害を持った人たちで物の名前をやたらと声を張り上げて叫んでいる人たちが居ますけど、あの人たちの事象の認識世界はおそらくこういったものなのではないかと考えてます。子供の絵本とかの擬人化というのはこのあたりから来ている発想です、おそらく。事物がその事物のみで異常なまでにひたすらにゆらいでいるんですね、光(の波長)みたいに。



 「口ごたえするな」というのは、現代の日本語を使っている人間からするとどうしても単に「言い訳をするな」という意味に解釈してしまいがちですけど、これはおそらく「口(言葉)では答えずに体で答えろ」という意味っぽいです。というのは、変な意味ではなくて、肉体のバランス感覚をしっかりしろ、ということです。取りつくろいの言い訳というか、どうしても口先で説明しようとすると身体的に悪い方向へ傾くということなんですね。ヒトの胃の構造だとか、いわゆる「腑に落ちる」「腑に落ちない」という表現あたりがこういったことと関係ありそうです。極めて単純化して言えば口応えしていると病気になるということです。口先だけが達者な人間というのは実際心身弱かったりします。「病」は「気」からというか、「(悪)気は(肉体の)病から」ということであって、昔の人は広義の意味においても悪いものは肉体の不調から出るということをきちんと知っていたんではないかということです。
PR
| prev | top | next |
| 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 |
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
プロフィール
HN:
SS
性別:
男性
バーコード
ブログ内検索
P R
忍者ブログ  [PR]
  /  Design by Lenny