[PR]
2025.04.16 Wednesday
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
Jude'lei, Juden'lei nicht
2011.05.29 Sunday
恐怖心。
そしてそれに基づく理念・感覚・言動の愚かさ。
被人種差別者が最も人種差別者であり、逆も然り。彼らこそが選民思想に塗れ堕落したJudeなものに犯されつくした(ヒトのオス・メス問わず)女性的人間。
そして私は人種差別には徹底的に反対の立場を取るので。
「恐怖心を抱くことが警戒心を持つことにつながる」、つまり物事や他者を警戒しそれらが自らに危害を及ぼすことから身を守るためには、恐怖心を持つことが必要である、ということを言っている人がネット上に居た(今もいるのか知りませんけど)んですけど、これは根本的に間違っています。
基本的に恐怖心が湧き起こると警戒心を失う、というか警戒心がグラつきます。武道を経験したことのある方、特に柔道をやったことのある方にならばよくご理解いただけると思うんですが、サッと恐怖心が心を掠めた瞬間に対戦相手につっこまれて技をかけられてあわよくば一本取られて試合終了です。これが柔道だったら試合に負けたで済みますが、柔術だったら死ねます。
例えば、統合失調症(精神分裂病)用の抗精神病薬である商品名リスパダールを服薬すると、昔のブログで書いていたように「頭蓋の右斜め後ろ辺りに意識が集まり苦痛を感じイライラしてくる」という状態になります。これが究極に高じると先の記事で書いたように「森羅万象が一気に襲い掛かってくる」という最上の恐怖を味わえてしまう状態になります。で、柔道の試合の場でこの(恐怖の)感覚に一瞬でも捕らわれると、人体の筋肉の構造的に、右半身がすこし引いた状態、体の中心が少し左へ捩じれたような状態になり肉体の重心のバランスが若干崩れます。相手がある程度の手練であればその瞬間に入り込まれて左方面へとバランスを崩され大内刈りを掛けられて簡単に一本取られて一瞬で試合終了です。……というか正確に言うと、大内刈りを掛けられて左側へバランスを崩されて倒される、と言った方が正確です。この大内刈りというのは、相手の体へ入りこんでその上体を相手の腕と襟を使って上腕部を締め下腕部で瞬間的に扇を広げる様に左右にさばいて相手の左足を刈り込んで相手の体の体全体を向かってやや右側方向へ倒して背地させる、という技なんですね。で、上で言ったリスパダール状態、つまり「頭蓋の右斜め後ろ辺りに意識が集まり苦痛を感じイライラしてくる」、下で説明しますが頭部の意識そして物理的に頭部が右へ傾いた状態だと簡単にこれを掛けられてしまうわけです。
これは決して現実における武道のお話のみにとどまるというわけではなくて、メタなお話としても通用するものです。こういったことをlearn(学習)というわけであって、study(勉強)だけやっていてもこういったことは理解できません。実際に行ってみたり見て観察してみたりすることも、あくまでもstudyの補助の為のlearnという意味で、それはそれで大事だということです。……ちなみにstudyを放棄してlearnだけやっていると悪徳な人間になるのでお気を付け下さい。これは大人子供問わずそういうことになります。
こういった類のことは江戸時代の剣豪宮本武蔵の著した五輪書とか読めば多分書いてあるんじゃないかと思いますけどね。
マンガオタク・アニメオタク風な表現をとるならば、こういった技は「北斗神拳」や「シャアのアクシズ落とし」といったところでしょう。ゲームオタクチックな例えで言うのならば、「セフィロスが黒マテリアで呼んだメテオ」とかいったものでしょうし、さらにはここで私が説明していること自体が「FF5で言うと青魔法最強」みたいな表現が使われるでしょう。わざわざオタクという蔑称を使ったのは、ああいうものはただ単に適当に楽しんどきゃいいだけであって、そこまでマンガ・ゲームで読み取っちゃう必要性は無いということです。ああいうものから何か読み取っちゃう・学んじゃう、つまりは洗脳されちゃうから彼らは「ハマりこんじゃってるオタク」みたいな目で見られたりそう呼ばれたりするわけであって、先のthe worldという記事でも書いたように、それを叩く側も叩かれる側のオタクの人の側もどちらもサブカルチャーに対する抵抗力が無いオタク属性保持者だということです。オタク属性を持たない普通の人はそれがどういった楽しみ方であれ、見たり読んだり遊んだりして「ああ楽しかった気分良かった、はい終わり」というわけで、クリエイターの人には申し訳ないんですが、自分にとって必要の無い情報はサッサと忘れていきます。だから別にサブカルからこういったものをlearnする、というかしちゃう必要性はどこにも無いです。大人だったらそれはそれでも楽しめるでしょうけど、子供の場合だと教育に間違いなく害悪なんで。
ちなみに私はDQは好きですがFFはあまり好きではありません。DQだとⅠやⅡが名作ですね。FFだとⅦが名作ですね。
ちなみに恐怖心と警戒心が正の因果関係を示しているという、このことを主張していた人はネットで女性の一個人を名乗る人物でした。そしてまた「スポーツに感心が薄く……」と言っている人でした。要するに結論から言ってしまえばこれは極めて女性的な発想です。どうでもいいですけど、その人物が実在の女性である可能性は高いです。女性が外敵から身を守るためには依存心が必要である、つまり何らかの相手を恐怖というか畏怖していることが必要なわけです。つまり女性というのは何らかの他者に必要としててもらわないと生きていけないわけです。中には非常に男性的で他者に精神的に依存しない甘えという感覚を持たない女性もいらっしゃるのかもしれませんけど。アメリカ人の女性にはこういった精神的に自立的な男性的な女性が多数いらっしゃるような感がありますけど。
まあつまり、だから愛だとか恋だとか恋愛だとかを声高に彼女たちは叫ぶわけです。これは極めて共産主義的な発想であり、それが彼女たちの生存本能に基づいた生命活動維持行為なわけです。念のために言っておきますが、これは先の記事で書いた思想面における助け合いだとか隣人愛的思想だとかとは対極を為すものです。こちらは男性的な発想です。あくまで彼女たちは必要なものはカネであるということをもう意識の根底に植え付けられている、無意識的にそういう感覚を抱いてしまっているそういった生き物なわけです。そして女性にとってそのことを為すために最も都合がよいのがイデオロギーとしての共産主義なわけです。そして中で彼女たちは、「内ゲバ」、選民思想と上昇志向と自己顕示欲その他とそれらに基づいた引き摺り下ろし「愛」(合い)、そしてそれらに因る地獄を作り上げる、というわけです。
ちなみに現代日本の社会においては男女の不均衡は是正されつつあるので、大企業の総合職でバリバリ働いて稼いでいる女性の方も大勢いらっしゃるでしょう、が、しかしそれとてやはり物理的なもの(カネ)にまつわるお話というわけです。
関係ないですが、私(男性、ヒト科のオス)に関して言うのならば、「愛」というのはまだ理解可能な気(け)がありますが、「恋」というのは全く理解できません。まあ何らかの創作作品や物に対する愛着だとか、酒を酌み交わして楽しい時間を共有するだとか、そういったものはまあ「愛」の一種なのかなくらいには思います。が、「恋」というのは何なんだか私には全く理解不能です。思春期の少年の頃に女性に対して性的な欲望を抱いたことはありますが、いわゆるその「恋」とやらのステレオタイプな説明で為されているような、「その当該の相手のことが気になって気になって忘れられない」だとかそういう類のことは一度もありません、というか何を言ってんだか全く理解不能です。それと関係あるのかないのかよく分かりませんが、ちなみに私は生まれてこのかた三十年間女性にモテたことはただの一度もありません。
基本的に男性(霊長目ヒト科の哺乳類のオス)の性欲というのは、射精したら終わりです。このことは中学校の時点で保健体育の教科書で既に説明されてます。これはおそらく多分どの哺乳類のオスに関しても同じで、自然界だと、性行為の後にオスがオルガスムの状態で性的に興奮したままだと、冷静でいることができず妊娠させたメスを外敵から守ることができないからだそうです。だから、非文明的な自然界に生きる動物が子孫を残す、より高い確率で自らの遺伝子を将来より長い時間にわたって存続させてゆくためには、オスは射精したら冷めとかなきゃまずいわけです。要するに、男は「恋」にかまけているヒマなんか無い、私は「恋」とやらを経験したことがないので字面からの予測ですが、いわゆる「恋は盲目」の状態に陥ったらオスは死に至るわけです。その意味では「恋」というのは、浦沢直樹さんの漫画作品MONSTARの中で描かれている「終わりの風景」であるのかな、とも思ったりします。ミもフタも無い言い方をすれば、男は生涯の伴侶としての女を見つけてヤッたら人生終わりというわけです。
その意味では、「結婚はしないのか?」と問われ、「自分はおそらくいい父親にはならないから」と答えたアドルフ・ヒットラーという人物は、私は極めて人間的な人間、畜生道から次元を隔てられたところに存在する極めて人間らしい人間だと考えます。ドイツ語にはMenschという名詞があり、日本語で表現するならば人間という意味です。そしてこれはドイツ語の辞書には載っていない言葉ですし、現代の我々と同世代のドイツ人の若者に聞いても首を傾げられるかもしれませんが、ヒットラーという人物は言わばmenschelnという動詞によって表される行動を極めた、もしくは極められなくとも"Es ist mein Wille."と志向しDing an sichに抵抗していたおそらく史上最も人間的な人間であったと、私はヒットラーについて考えています。しかし彼は最後にはDing an sichに敗れたのかもしれません。
ちなみにナチスのやったことは最悪です、念のため。……Adolf Hitlerの意志とNationalsozialistたちの意思はあくまでも合致していなかったのではないかと私は考えています。
私は運動神経は普通でしたが、筋力が生まれつき弱かったので、体育の授業は苦手でした。しかし、ヒットラーも“Mein Kampf”(「わが闘争」)で書いてますけど、学科科目だけではなくて、体育の授業もそれなりに大事なんですね。体育の先生にはもっと体の使い方を根本的なところから言葉も実技もあらゆる手段を用いてきちんと徹底的に教えてくれるとありがたかった、と私は今になって思っています。
男性にとって、世界中の99%以上の事柄は警戒すべきことだと思いますけど、恐怖すべきことというのは一つもありません。恐怖心が湧き起こると警戒心が薄れるからです。生物学的な問題からして、警戒心を保つためにおそらく恐怖心を必要とするのは女性だけです。
つまり、「身を守る為には他者への恐怖心が必要」というこのどっかのお馬鹿さんの吐いたこの文句は、私は男性(ヒト科のオス)なので女性(ヒト科のメス)の心理というものはほとんど分かりませんが、おそらくはこれは女性にとってのみ通用する理屈であり、男性から見れば単なる屁理屈です。
……もうこの際なんではっきり言いますけど、最近マスメディアに登場する「顔写真」で左右のどちらかに傾いたり口が歪んだりしている(大部分は意図的にデジタル技術により画像修正された)もの多々ありますね?もちろん例えばスポーツ選手を競技場等でそのまま写したもので、自然体なものがそのまま撮影されてそれがそのまま掲載されているというものもあるでしょう。それらを除外して、アレで右目(見る側から向かって左側の目)が下がっていたり口角が右(見る側から向かって左側の口角)が釣り上がったりしている顔写真の人間は愚かしくも自らがJudenな女性的人間であることを顔面で主張している連中です。
「男から見れば過剰なまでの生存欲求。女は死の世界の住人であり、そしてかつそこで生きようともがいている、男から見れば凄まじく生存欲求と生存能力の高い生き物(例えば流行性感冒に対してはヒトのオスとメスではメスの方がこれに対して強い抵抗力を持つ)。つまり地獄っちゃ地獄。保身。群生体。繁殖と繁殖力。指図したがり。口うるささ、やかましさ、うっとおしさ、そうぞうしさ(オバタリアン等の偶像に象徴されるように、オバサンを想像すればたやすい)、これらを全て同時に持つということ。共時性。見た目大好き。みてくれやうわべ、これらで物事や人格を判断すること、そしてこれらを好むこと。うわべのごまかし、問題を根本的に解決しようとしないこと。妬み。怨嗟。私怨。愚かさ。逃げ、逃避。嫌なものからは目をそらす。陰湿さ。しつこさ、偏執狂。隠蔽。劣等感。恥意識。全体主義。悦楽、快楽主義、極限状態での快楽。マゾヒスティック。上昇志向、選民思想、つまりはイジメ好き、イジメられるのも大好き、嫌がらせをするのもされるのも大好き。虐待。性欲。熱狂。興奮。戯言、それによる自他の現実検討能力の喪失の促し。自己顕示、自己顕示欲。依存心、他者をはじめ「他」を求める心理。恐怖。絶望。不安定さ。狡猾、狡さ。人生とやらへの期待。(無為に)希望を抱こうと試みること。邪悪さ。性悪、性悪説。悪意。悪徳。狂気。穢れ。」
これらは全てドイツ語のJudeという言葉一つで表される、女性(的人間)の特徴なわけです。
上で説明した「……ちなみにstudyを放棄してlearnだけやっていると悪徳な人間になるのでお気を付け下さい。」というのはつまりはこういうことです。「勉強ダリー」とか言って即時的・即物的な「とりあえず目の前のモンに食い付いとけ」的learningのみ行っていると自分の中のJudeを増長させます。
このことは、まあ多かれ少なかれああいったカルトにハマるってのは女が多いじゃん?、というお話に帰着します。オウム真理教の場合だっておそらくそうでした。Xみたいな類のバンドの追っかけにしてもそうです。音楽としてのレベル云々は置いといて、それは男性とてXの音楽聴いて好きになるという当時の思春期くらいの少年だっていたでしょう。私とて中学や高校の時Xの曲聴いてhideやPATAの早弾き聞いていいと思いました。その辺からYngwie Malmsteenの早弾きを好きになっていったとかそういった経緯があるんですけど、まあ今はそれは関係ないので置いておくとして、まあかといって女の追っかけみたいに偶像崇拝信仰的に「ファン」にはならないよね、って話。
念のために言っておきますが、現時点でイスラエルやその他の地域で生活しているユダヤ人の人たちとは直接にはこれは関係ありません。私は特に反ユダヤ主義者ではありません。要するに彼らは今に至ってはユダヤ人(Juden)などという蔑称ではなくイスラエル人(Israeli)と呼ばれるべきでしょう。
もっと物理的な側面から言ってしまうのならば、昔のブログで身体論どうこうと書きましたが、これは医学的な意味での女性器と男性器との違いに由来しているわけです。男性器を持っているヒトのオスであるにもかからわず、女性器的感覚を持っている男性、つまり(女性的な)男性の場合で言うと、肛門の痔、前立腺肥大、その他だと外反母趾、背筋力の異様な強さ、そういったものが関係してくるでしょう。要するに男性で言えば、モンゴロイドに多数見られるような線の細い感じのストレスを感じやすい繊細な人、もう少し哲学チックな表現を用いるならば(哲学的意味において)「迷い」のある人、こういった人が女性的男性の典型であるというわけです。ちなみに私はこの「線が細い感じ」だとか「繊細」だとか「迷い」だとかいったものとは対極の「図太い」人間、コーカソイドやネグロイドの人たちに多く見られるような骨格・体型を持つまあ男性的人間、基本的には自分のことを善人だと考えている人間です。そして私が女性(器)的感覚を知り得たのは統合失調症(精神分裂病)用の抗精神病薬の作用に因るものです。
関係ないですが、男性でニューハーフと呼ばれる人たちが居ますね。医者に頼んで男性器を意図的に切除してしまうような人たちです。アレは絶対に止めた方が良いです。もし生物学的にヒトのオスであるのに、「自分は女よ!」みたいな信念を抱いている人たちがいるのなら、そんな取り返しのつかないことは止めて精神科へ掛かって分裂病用の抗精神病薬を投薬してもらうことを非常に強くおすすめします。これで女性がいかなる感覚で日々生きているかというものがほとんど理解できます。男性にとって大切なものである睾丸を取り去る必要性もメリットもまったく存在しません。
要するに、合法的に医療の現場で提供される抗精神病薬というものであろうが、少なくとも脳に影響を及ぼすとされている薬物というものは理性や自制心を消し去るということが多々あるので服薬しない方がよろしいということです。というか十中八九それが大方の精神科医の狙いであり、内科医や外科医や整形外科医や歯科医や神経内科医・心療内科医その他の医者の先生方はこの限りではありませんが、あの精神科医という連中(の大方)の言うことを真に受けてしまうことは私はおすすめしません。実際にとある整形外科医の先生が統合失調症用の抗精神病薬に対して「我々はそういうクスリは使わないんでね……」と溜め息混じりにおっしゃっていたことがあります。
我々は子供の頃から(まともな)両親や(善良な)地域の大人や(まともな)教育機関の教員によって教育を受けます。幼児の頃から、「他人に危害を加えてはいけない」だとか、具体的な事柄としては「左手で茶碗を持ち右手で箸を持つ」などの事柄を教わります。それらは積み重ねとして在るわけであって、ある程度の年齢になったら「左手で箸を持ち右手で茶碗を持つ」ようになるわけでもなければ「ガッついて犬食いをする」ようになるわけでは無いですね?小学校で和差を習わずに積商ができるようになるという類のことはあり得るかもしれないですが、和差積商習わずにいきなり中学校へ放り込まれて一年生ピカピカで一元一次方程式解けるようにはならないですね?で、中学校で一次だの二元一次だの二次だのの方程式を利用した計算問題解けるようにならないと、高校の教科書に載ってる微分積分理解できるようにならないですね?整数関数の微分ぐらいは絵ヅラだけでなんとか分かるような気がしても、数式使わずに積分の概念を正確に理解はできないし、微分方程式も解けなけりゃ三角関数や指数・対数関数の微積分も分からないですね?で、それができないと大学で理科系の学部や経済学部でやる解析学の内容も理解できませんね?「成人したら小学校で教わったことは嘘とみなし女を強姦してもよいし他人を殺してもよい」わけではないですね?そんなことを肯定したら治安は乱れてどうこうとか言ってる前に社会は即刻崩壊します。もう「気に入らない人間は誰であろうと殺すだけだ」というベジータさんだらけになります。もうそういうことを是とする人間は、「……おぬしには邪悪なものが感じられる」→「じゃあ死ね!」とかいったノリで子供みたいに勝手にやりたい人間だけで殺し合いでもなんでもやってて下さいという話です。ベジータ同士で勝手に殺し合っててくれればいいです。公園で小学生の子供に混じって鬼ごっこに興じたり、ウホウホ言いながら素手で殴り合いの殺し合いでもなんでもやっててくれりゃいいわけです。ちなみにマンガのタチ悪いところは、「『ベジータみたいな悪人でも実はイイやつ』とか子供が錯覚されうる」というあたりにあります。現実世界で悪人が実はいい奴とか絶対に有り得ません。マンガ・アニメ・ゲームやテレビの安っぽいドラマや水戸黄門や映画に登場する「悪役」程度を現実の悪人だと思ってたら大間違いです。悪質なのは関しては、ネットを見れば分かるとおり、どんな手段・技術を利用してでも悪意をあらゆる人間の間にはびこらせて「自分らにとっておもしろい」国を作るみたいなことを考えてる人間とか実際多数居ます。そういった人間にのさばられると平和な秩序ある社会は崩壊へと向かうので、警察官の人たちや検察官や弁護士や裁判官その他の法律家等の法曹界の人たちが居てくれるわけです。もう付き合ってはいけない人間とは絶対に付き合ってはいけないわけです。昔は「悪い奴と付き合っちゃダメだ」と言ってくれたり、頭の良い子供の周りから質の悪いのを追い払ってくれる大人や老人がしっかりと居てくれました。ちなみに育った地域にもよるでしょうが、田舎の方へ行くとこういった人たちがまだ居てくれるのかもしれませんが、私が子供の時はもうほとんど居ませんでした。
そしてそういう「悪」属性なことそのものをイコール世界の真実だみたいに「(一見)合理的に」解説しだすロクでもない人間というのが居ます。頭脳のレベルの高い人間だと哲学者の中島義道さんみたいな人間です。頭脳のレベルの低い人間だとそこらへんのチンピラやおそらく一般の同じ女性から見ても気分の悪くなるであろうセックス教団の信者みたいないわゆる女流小説家や(例外的に小川洋子さんの小説なんかは非常にいいと思います、私は好きです)あとはネットの一部に蔓延ったりしてる連中です。頭脳のイカれた人だとどこぞのカルト教祖みたいな人間です。小説家とか漫画家とかこういうこと書きまくりです。マスコミにもこういうロクでもないのが大勢居ます。人の親になる人間やいわゆる地域の大人や学校の教員にもロクでもない人間が大勢居ます。
ちょっとこれとは別路線で、「人を殺す経験が必要」だとかふざけたこと言う人間も居ます。「殺す人間より能天気に殺される人間の方が悪い」とか言ってる連中です。常識的に考えれば理解できると思いますが騙したり殺したりする方が悪いに決まってます。で、こういった人間に限って「常識」という言葉を脳内で言語化したりする、というか口に出して発言したりします(私はここで「常識」という言葉をわざと意図して使ってます)。そして自分が非常識であることは全く理解していません。もはや常識云々よりも人間としての基本的な倫理観に欠けているわけです。こういった人間は知的レベルが高かろうが低かろうが、知的レベル・頭脳のレベルが高いことは稀ですが、総じて反社会的です。そしてその中にはとくに反社会的でない一般の善良な人を反社会的な人間に仕立て上げるという超悪質な反社会的人間もいます。もしそういった理由で善良な個人(他者)を排除する人間が存在したならばその人間こそが排除される対象となります。我々が生きているのは低俗で劣悪な野蛮人の跋扈する大昔の古代ギリシア社会ではありません。他者に意図的には危害を加えないというのは現代社会に生きている人間として基本的なところです。
ちなみにあの中島義道さんという人は悪徳な人間ではないでしょう。が、あの人は「人間としての倫理観を抱くにあたっての微妙な感覚と思考内容との機微」の分からない人です。倫理的な問題を考えるにあたって、「A=B、C=D、よってA+C=B+D、A+D=B+C、よって他人を殺してもよいことになる」とかそういう方向へ考えちゃう人です。ああいった類の人というのは、中島義道さんであれ芥川龍之介であれドストエフスキーであれフランツ・カフカであれ村上春樹さんであれ、実際には間違いなくやらないでしょうけど。おそらく「いやルールではそうだけど、この場合は現実的に考えて多少違反してもまあこっちの方がいいでしょ」とかそのへんの「あいまいな掴み」みたいなものが分からない人です。「で、まあそれやった方がいいじゃん」とか「まあそれ方やんねえがいいじゃん」とかそういったことが分からない、分からないというよりはカチコチっつーかガチガチに考えすぎて常識感覚というと語弊がありますけどそれっぽいものが自分の中から失われてしまった人です。もちろんこれが殺人の場合だとか強盗の場合だとかの重犯罪の場合だと問題は別です。
しかし、中島義道さんは哲学者なのでいいんですが、これが論理学者とかだと最高にタチ悪いことになります。あんなものに労力を費やすのであれば、同系統の労力の費やし方として数学や物理学を学んだ方が遥かに有益です。
我々現代の民主主義社会に生きている人間達は、教育や医療や様々な科学技術や優れた食品などその他いろいろなものによって、人々の心、もっと具体的に言えば人間の脳から物理的にJudeなもの(ヒットラーはこれをユダヤの毒と呼びました)を消していこうと努力しているのに、「我々はJudenだ」と叫ぶだけでは飽き足らず「おまえはJudenだ」とレッテルを貼るどころかJudeなものを社会にバラ撒こうとする、若気の至りなどという言葉では形容しきれないようなJugenな幼児的人間の大糞たわけ者が現代社会においてもいまだに生息しているということです。まるで富野由悠季監督作品のアニメ映画「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」に登場するJudenかつJugenの代名詞と化してしまったシャアの如き強姦魔の様な。クワトロ・バジーナとは別人格になってしまったのではないかと思われるあのアニメ映画に登場するシャア・アズナブルというキャラクターは強姦魔の象徴なわけです。統合失調症用の抗精神病薬?アレは「ユダヤの毒」、Judeの具現体そのものです。今は私はもう10日弱に一回ジプレキサ5mgを服薬するだけです。調子は半年前、旧ブログを書いていた頃より非常に快調です。……これではholocaustの犠牲になって死んでいったユダヤ人の人たちも浮かばれないでしょう。我々現代の民主主義社会に生きる人間たちは彼らの死を無駄にしないためにそれぞれの個々人がそれぞれに可能な努力を行っていくべきでしょう。それでもまだ、Judeなものがいいというのならば、汚泥の復讐心に塗れたJudeがいいというのならば、もはや「最終的解決」しかあるまいて……"Heil, Heinl(r)ich."、"Binse, eigentlich"、というお話。男には生を、女には死を。それが幸せというものなんでしょうか?幸せというものについて深く考えたことがないのでこれについては私にはよく分かりません。「まごごろ」という言葉に対しては怒りすら覚えますね。
そしてそれに基づく理念・感覚・言動の愚かさ。
被人種差別者が最も人種差別者であり、逆も然り。彼らこそが選民思想に塗れ堕落したJudeなものに犯されつくした(ヒトのオス・メス問わず)女性的人間。
そして私は人種差別には徹底的に反対の立場を取るので。
「恐怖心を抱くことが警戒心を持つことにつながる」、つまり物事や他者を警戒しそれらが自らに危害を及ぼすことから身を守るためには、恐怖心を持つことが必要である、ということを言っている人がネット上に居た(今もいるのか知りませんけど)んですけど、これは根本的に間違っています。
基本的に恐怖心が湧き起こると警戒心を失う、というか警戒心がグラつきます。武道を経験したことのある方、特に柔道をやったことのある方にならばよくご理解いただけると思うんですが、サッと恐怖心が心を掠めた瞬間に対戦相手につっこまれて技をかけられてあわよくば一本取られて試合終了です。これが柔道だったら試合に負けたで済みますが、柔術だったら死ねます。
例えば、統合失調症(精神分裂病)用の抗精神病薬である商品名リスパダールを服薬すると、昔のブログで書いていたように「頭蓋の右斜め後ろ辺りに意識が集まり苦痛を感じイライラしてくる」という状態になります。これが究極に高じると先の記事で書いたように「森羅万象が一気に襲い掛かってくる」という最上の恐怖を味わえてしまう状態になります。で、柔道の試合の場でこの(恐怖の)感覚に一瞬でも捕らわれると、人体の筋肉の構造的に、右半身がすこし引いた状態、体の中心が少し左へ捩じれたような状態になり肉体の重心のバランスが若干崩れます。相手がある程度の手練であればその瞬間に入り込まれて左方面へとバランスを崩され大内刈りを掛けられて簡単に一本取られて一瞬で試合終了です。……というか正確に言うと、大内刈りを掛けられて左側へバランスを崩されて倒される、と言った方が正確です。この大内刈りというのは、相手の体へ入りこんでその上体を相手の腕と襟を使って上腕部を締め下腕部で瞬間的に扇を広げる様に左右にさばいて相手の左足を刈り込んで相手の体の体全体を向かってやや右側方向へ倒して背地させる、という技なんですね。で、上で言ったリスパダール状態、つまり「頭蓋の右斜め後ろ辺りに意識が集まり苦痛を感じイライラしてくる」、下で説明しますが頭部の意識そして物理的に頭部が右へ傾いた状態だと簡単にこれを掛けられてしまうわけです。
これは決して現実における武道のお話のみにとどまるというわけではなくて、メタなお話としても通用するものです。こういったことをlearn(学習)というわけであって、study(勉強)だけやっていてもこういったことは理解できません。実際に行ってみたり見て観察してみたりすることも、あくまでもstudyの補助の為のlearnという意味で、それはそれで大事だということです。……ちなみにstudyを放棄してlearnだけやっていると悪徳な人間になるのでお気を付け下さい。これは大人子供問わずそういうことになります。
こういった類のことは江戸時代の剣豪宮本武蔵の著した五輪書とか読めば多分書いてあるんじゃないかと思いますけどね。
マンガオタク・アニメオタク風な表現をとるならば、こういった技は「北斗神拳」や「シャアのアクシズ落とし」といったところでしょう。ゲームオタクチックな例えで言うのならば、「セフィロスが黒マテリアで呼んだメテオ」とかいったものでしょうし、さらにはここで私が説明していること自体が「FF5で言うと青魔法最強」みたいな表現が使われるでしょう。わざわざオタクという蔑称を使ったのは、ああいうものはただ単に適当に楽しんどきゃいいだけであって、そこまでマンガ・ゲームで読み取っちゃう必要性は無いということです。ああいうものから何か読み取っちゃう・学んじゃう、つまりは洗脳されちゃうから彼らは「ハマりこんじゃってるオタク」みたいな目で見られたりそう呼ばれたりするわけであって、先のthe worldという記事でも書いたように、それを叩く側も叩かれる側のオタクの人の側もどちらもサブカルチャーに対する抵抗力が無いオタク属性保持者だということです。オタク属性を持たない普通の人はそれがどういった楽しみ方であれ、見たり読んだり遊んだりして「ああ楽しかった気分良かった、はい終わり」というわけで、クリエイターの人には申し訳ないんですが、自分にとって必要の無い情報はサッサと忘れていきます。だから別にサブカルからこういったものをlearnする、というかしちゃう必要性はどこにも無いです。大人だったらそれはそれでも楽しめるでしょうけど、子供の場合だと教育に間違いなく害悪なんで。
ちなみに私はDQは好きですがFFはあまり好きではありません。DQだとⅠやⅡが名作ですね。FFだとⅦが名作ですね。
ちなみに恐怖心と警戒心が正の因果関係を示しているという、このことを主張していた人はネットで女性の一個人を名乗る人物でした。そしてまた「スポーツに感心が薄く……」と言っている人でした。要するに結論から言ってしまえばこれは極めて女性的な発想です。どうでもいいですけど、その人物が実在の女性である可能性は高いです。女性が外敵から身を守るためには依存心が必要である、つまり何らかの相手を恐怖というか畏怖していることが必要なわけです。つまり女性というのは何らかの他者に必要としててもらわないと生きていけないわけです。中には非常に男性的で他者に精神的に依存しない甘えという感覚を持たない女性もいらっしゃるのかもしれませんけど。アメリカ人の女性にはこういった精神的に自立的な男性的な女性が多数いらっしゃるような感がありますけど。
まあつまり、だから愛だとか恋だとか恋愛だとかを声高に彼女たちは叫ぶわけです。これは極めて共産主義的な発想であり、それが彼女たちの生存本能に基づいた生命活動維持行為なわけです。念のために言っておきますが、これは先の記事で書いた思想面における助け合いだとか隣人愛的思想だとかとは対極を為すものです。こちらは男性的な発想です。あくまで彼女たちは必要なものはカネであるということをもう意識の根底に植え付けられている、無意識的にそういう感覚を抱いてしまっているそういった生き物なわけです。そして女性にとってそのことを為すために最も都合がよいのがイデオロギーとしての共産主義なわけです。そして中で彼女たちは、「内ゲバ」、選民思想と上昇志向と自己顕示欲その他とそれらに基づいた引き摺り下ろし「愛」(合い)、そしてそれらに因る地獄を作り上げる、というわけです。
ちなみに現代日本の社会においては男女の不均衡は是正されつつあるので、大企業の総合職でバリバリ働いて稼いでいる女性の方も大勢いらっしゃるでしょう、が、しかしそれとてやはり物理的なもの(カネ)にまつわるお話というわけです。
関係ないですが、私(男性、ヒト科のオス)に関して言うのならば、「愛」というのはまだ理解可能な気(け)がありますが、「恋」というのは全く理解できません。まあ何らかの創作作品や物に対する愛着だとか、酒を酌み交わして楽しい時間を共有するだとか、そういったものはまあ「愛」の一種なのかなくらいには思います。が、「恋」というのは何なんだか私には全く理解不能です。思春期の少年の頃に女性に対して性的な欲望を抱いたことはありますが、いわゆるその「恋」とやらのステレオタイプな説明で為されているような、「その当該の相手のことが気になって気になって忘れられない」だとかそういう類のことは一度もありません、というか何を言ってんだか全く理解不能です。それと関係あるのかないのかよく分かりませんが、ちなみに私は生まれてこのかた三十年間女性にモテたことはただの一度もありません。
基本的に男性(霊長目ヒト科の哺乳類のオス)の性欲というのは、射精したら終わりです。このことは中学校の時点で保健体育の教科書で既に説明されてます。これはおそらく多分どの哺乳類のオスに関しても同じで、自然界だと、性行為の後にオスがオルガスムの状態で性的に興奮したままだと、冷静でいることができず妊娠させたメスを外敵から守ることができないからだそうです。だから、非文明的な自然界に生きる動物が子孫を残す、より高い確率で自らの遺伝子を将来より長い時間にわたって存続させてゆくためには、オスは射精したら冷めとかなきゃまずいわけです。要するに、男は「恋」にかまけているヒマなんか無い、私は「恋」とやらを経験したことがないので字面からの予測ですが、いわゆる「恋は盲目」の状態に陥ったらオスは死に至るわけです。その意味では「恋」というのは、浦沢直樹さんの漫画作品MONSTARの中で描かれている「終わりの風景」であるのかな、とも思ったりします。ミもフタも無い言い方をすれば、男は生涯の伴侶としての女を見つけてヤッたら人生終わりというわけです。
その意味では、「結婚はしないのか?」と問われ、「自分はおそらくいい父親にはならないから」と答えたアドルフ・ヒットラーという人物は、私は極めて人間的な人間、畜生道から次元を隔てられたところに存在する極めて人間らしい人間だと考えます。ドイツ語にはMenschという名詞があり、日本語で表現するならば人間という意味です。そしてこれはドイツ語の辞書には載っていない言葉ですし、現代の我々と同世代のドイツ人の若者に聞いても首を傾げられるかもしれませんが、ヒットラーという人物は言わばmenschelnという動詞によって表される行動を極めた、もしくは極められなくとも"Es ist mein Wille."と志向しDing an sichに抵抗していたおそらく史上最も人間的な人間であったと、私はヒットラーについて考えています。しかし彼は最後にはDing an sichに敗れたのかもしれません。
ちなみにナチスのやったことは最悪です、念のため。……Adolf Hitlerの意志とNationalsozialistたちの意思はあくまでも合致していなかったのではないかと私は考えています。
私は運動神経は普通でしたが、筋力が生まれつき弱かったので、体育の授業は苦手でした。しかし、ヒットラーも“Mein Kampf”(「わが闘争」)で書いてますけど、学科科目だけではなくて、体育の授業もそれなりに大事なんですね。体育の先生にはもっと体の使い方を根本的なところから言葉も実技もあらゆる手段を用いてきちんと徹底的に教えてくれるとありがたかった、と私は今になって思っています。
男性にとって、世界中の99%以上の事柄は警戒すべきことだと思いますけど、恐怖すべきことというのは一つもありません。恐怖心が湧き起こると警戒心が薄れるからです。生物学的な問題からして、警戒心を保つためにおそらく恐怖心を必要とするのは女性だけです。
つまり、「身を守る為には他者への恐怖心が必要」というこのどっかのお馬鹿さんの吐いたこの文句は、私は男性(ヒト科のオス)なので女性(ヒト科のメス)の心理というものはほとんど分かりませんが、おそらくはこれは女性にとってのみ通用する理屈であり、男性から見れば単なる屁理屈です。
……もうこの際なんではっきり言いますけど、最近マスメディアに登場する「顔写真」で左右のどちらかに傾いたり口が歪んだりしている(大部分は意図的にデジタル技術により画像修正された)もの多々ありますね?もちろん例えばスポーツ選手を競技場等でそのまま写したもので、自然体なものがそのまま撮影されてそれがそのまま掲載されているというものもあるでしょう。それらを除外して、アレで右目(見る側から向かって左側の目)が下がっていたり口角が右(見る側から向かって左側の口角)が釣り上がったりしている顔写真の人間は愚かしくも自らがJudenな女性的人間であることを顔面で主張している連中です。
「男から見れば過剰なまでの生存欲求。女は死の世界の住人であり、そしてかつそこで生きようともがいている、男から見れば凄まじく生存欲求と生存能力の高い生き物(例えば流行性感冒に対してはヒトのオスとメスではメスの方がこれに対して強い抵抗力を持つ)。つまり地獄っちゃ地獄。保身。群生体。繁殖と繁殖力。指図したがり。口うるささ、やかましさ、うっとおしさ、そうぞうしさ(オバタリアン等の偶像に象徴されるように、オバサンを想像すればたやすい)、これらを全て同時に持つということ。共時性。見た目大好き。みてくれやうわべ、これらで物事や人格を判断すること、そしてこれらを好むこと。うわべのごまかし、問題を根本的に解決しようとしないこと。妬み。怨嗟。私怨。愚かさ。逃げ、逃避。嫌なものからは目をそらす。陰湿さ。しつこさ、偏執狂。隠蔽。劣等感。恥意識。全体主義。悦楽、快楽主義、極限状態での快楽。マゾヒスティック。上昇志向、選民思想、つまりはイジメ好き、イジメられるのも大好き、嫌がらせをするのもされるのも大好き。虐待。性欲。熱狂。興奮。戯言、それによる自他の現実検討能力の喪失の促し。自己顕示、自己顕示欲。依存心、他者をはじめ「他」を求める心理。恐怖。絶望。不安定さ。狡猾、狡さ。人生とやらへの期待。(無為に)希望を抱こうと試みること。邪悪さ。性悪、性悪説。悪意。悪徳。狂気。穢れ。」
これらは全てドイツ語のJudeという言葉一つで表される、女性(的人間)の特徴なわけです。
上で説明した「……ちなみにstudyを放棄してlearnだけやっていると悪徳な人間になるのでお気を付け下さい。」というのはつまりはこういうことです。「勉強ダリー」とか言って即時的・即物的な「とりあえず目の前のモンに食い付いとけ」的learningのみ行っていると自分の中のJudeを増長させます。
このことは、まあ多かれ少なかれああいったカルトにハマるってのは女が多いじゃん?、というお話に帰着します。オウム真理教の場合だっておそらくそうでした。Xみたいな類のバンドの追っかけにしてもそうです。音楽としてのレベル云々は置いといて、それは男性とてXの音楽聴いて好きになるという当時の思春期くらいの少年だっていたでしょう。私とて中学や高校の時Xの曲聴いてhideやPATAの早弾き聞いていいと思いました。その辺からYngwie Malmsteenの早弾きを好きになっていったとかそういった経緯があるんですけど、まあ今はそれは関係ないので置いておくとして、まあかといって女の追っかけみたいに偶像崇拝信仰的に「ファン」にはならないよね、って話。
念のために言っておきますが、現時点でイスラエルやその他の地域で生活しているユダヤ人の人たちとは直接にはこれは関係ありません。私は特に反ユダヤ主義者ではありません。要するに彼らは今に至ってはユダヤ人(Juden)などという蔑称ではなくイスラエル人(Israeli)と呼ばれるべきでしょう。
もっと物理的な側面から言ってしまうのならば、昔のブログで身体論どうこうと書きましたが、これは医学的な意味での女性器と男性器との違いに由来しているわけです。男性器を持っているヒトのオスであるにもかからわず、女性器的感覚を持っている男性、つまり(女性的な)男性の場合で言うと、肛門の痔、前立腺肥大、その他だと外反母趾、背筋力の異様な強さ、そういったものが関係してくるでしょう。要するに男性で言えば、モンゴロイドに多数見られるような線の細い感じのストレスを感じやすい繊細な人、もう少し哲学チックな表現を用いるならば(哲学的意味において)「迷い」のある人、こういった人が女性的男性の典型であるというわけです。ちなみに私はこの「線が細い感じ」だとか「繊細」だとか「迷い」だとかいったものとは対極の「図太い」人間、コーカソイドやネグロイドの人たちに多く見られるような骨格・体型を持つまあ男性的人間、基本的には自分のことを善人だと考えている人間です。そして私が女性(器)的感覚を知り得たのは統合失調症(精神分裂病)用の抗精神病薬の作用に因るものです。
関係ないですが、男性でニューハーフと呼ばれる人たちが居ますね。医者に頼んで男性器を意図的に切除してしまうような人たちです。アレは絶対に止めた方が良いです。もし生物学的にヒトのオスであるのに、「自分は女よ!」みたいな信念を抱いている人たちがいるのなら、そんな取り返しのつかないことは止めて精神科へ掛かって分裂病用の抗精神病薬を投薬してもらうことを非常に強くおすすめします。これで女性がいかなる感覚で日々生きているかというものがほとんど理解できます。男性にとって大切なものである睾丸を取り去る必要性もメリットもまったく存在しません。
要するに、合法的に医療の現場で提供される抗精神病薬というものであろうが、少なくとも脳に影響を及ぼすとされている薬物というものは理性や自制心を消し去るということが多々あるので服薬しない方がよろしいということです。というか十中八九それが大方の精神科医の狙いであり、内科医や外科医や整形外科医や歯科医や神経内科医・心療内科医その他の医者の先生方はこの限りではありませんが、あの精神科医という連中(の大方)の言うことを真に受けてしまうことは私はおすすめしません。実際にとある整形外科医の先生が統合失調症用の抗精神病薬に対して「我々はそういうクスリは使わないんでね……」と溜め息混じりにおっしゃっていたことがあります。
我々は子供の頃から(まともな)両親や(善良な)地域の大人や(まともな)教育機関の教員によって教育を受けます。幼児の頃から、「他人に危害を加えてはいけない」だとか、具体的な事柄としては「左手で茶碗を持ち右手で箸を持つ」などの事柄を教わります。それらは積み重ねとして在るわけであって、ある程度の年齢になったら「左手で箸を持ち右手で茶碗を持つ」ようになるわけでもなければ「ガッついて犬食いをする」ようになるわけでは無いですね?小学校で和差を習わずに積商ができるようになるという類のことはあり得るかもしれないですが、和差積商習わずにいきなり中学校へ放り込まれて一年生ピカピカで一元一次方程式解けるようにはならないですね?で、中学校で一次だの二元一次だの二次だのの方程式を利用した計算問題解けるようにならないと、高校の教科書に載ってる微分積分理解できるようにならないですね?整数関数の微分ぐらいは絵ヅラだけでなんとか分かるような気がしても、数式使わずに積分の概念を正確に理解はできないし、微分方程式も解けなけりゃ三角関数や指数・対数関数の微積分も分からないですね?で、それができないと大学で理科系の学部や経済学部でやる解析学の内容も理解できませんね?「成人したら小学校で教わったことは嘘とみなし女を強姦してもよいし他人を殺してもよい」わけではないですね?そんなことを肯定したら治安は乱れてどうこうとか言ってる前に社会は即刻崩壊します。もう「気に入らない人間は誰であろうと殺すだけだ」というベジータさんだらけになります。もうそういうことを是とする人間は、「……おぬしには邪悪なものが感じられる」→「じゃあ死ね!」とかいったノリで子供みたいに勝手にやりたい人間だけで殺し合いでもなんでもやってて下さいという話です。ベジータ同士で勝手に殺し合っててくれればいいです。公園で小学生の子供に混じって鬼ごっこに興じたり、ウホウホ言いながら素手で殴り合いの殺し合いでもなんでもやっててくれりゃいいわけです。ちなみにマンガのタチ悪いところは、「『ベジータみたいな悪人でも実はイイやつ』とか子供が錯覚されうる」というあたりにあります。現実世界で悪人が実はいい奴とか絶対に有り得ません。マンガ・アニメ・ゲームやテレビの安っぽいドラマや水戸黄門や映画に登場する「悪役」程度を現実の悪人だと思ってたら大間違いです。悪質なのは関しては、ネットを見れば分かるとおり、どんな手段・技術を利用してでも悪意をあらゆる人間の間にはびこらせて「自分らにとっておもしろい」国を作るみたいなことを考えてる人間とか実際多数居ます。そういった人間にのさばられると平和な秩序ある社会は崩壊へと向かうので、警察官の人たちや検察官や弁護士や裁判官その他の法律家等の法曹界の人たちが居てくれるわけです。もう付き合ってはいけない人間とは絶対に付き合ってはいけないわけです。昔は「悪い奴と付き合っちゃダメだ」と言ってくれたり、頭の良い子供の周りから質の悪いのを追い払ってくれる大人や老人がしっかりと居てくれました。ちなみに育った地域にもよるでしょうが、田舎の方へ行くとこういった人たちがまだ居てくれるのかもしれませんが、私が子供の時はもうほとんど居ませんでした。
そしてそういう「悪」属性なことそのものをイコール世界の真実だみたいに「(一見)合理的に」解説しだすロクでもない人間というのが居ます。頭脳のレベルの高い人間だと哲学者の中島義道さんみたいな人間です。頭脳のレベルの低い人間だとそこらへんのチンピラやおそらく一般の同じ女性から見ても気分の悪くなるであろうセックス教団の信者みたいないわゆる女流小説家や(例外的に小川洋子さんの小説なんかは非常にいいと思います、私は好きです)あとはネットの一部に蔓延ったりしてる連中です。頭脳のイカれた人だとどこぞのカルト教祖みたいな人間です。小説家とか漫画家とかこういうこと書きまくりです。マスコミにもこういうロクでもないのが大勢居ます。人の親になる人間やいわゆる地域の大人や学校の教員にもロクでもない人間が大勢居ます。
ちょっとこれとは別路線で、「人を殺す経験が必要」だとかふざけたこと言う人間も居ます。「殺す人間より能天気に殺される人間の方が悪い」とか言ってる連中です。常識的に考えれば理解できると思いますが騙したり殺したりする方が悪いに決まってます。で、こういった人間に限って「常識」という言葉を脳内で言語化したりする、というか口に出して発言したりします(私はここで「常識」という言葉をわざと意図して使ってます)。そして自分が非常識であることは全く理解していません。もはや常識云々よりも人間としての基本的な倫理観に欠けているわけです。こういった人間は知的レベルが高かろうが低かろうが、知的レベル・頭脳のレベルが高いことは稀ですが、総じて反社会的です。そしてその中にはとくに反社会的でない一般の善良な人を反社会的な人間に仕立て上げるという超悪質な反社会的人間もいます。もしそういった理由で善良な個人(他者)を排除する人間が存在したならばその人間こそが排除される対象となります。我々が生きているのは低俗で劣悪な野蛮人の跋扈する大昔の古代ギリシア社会ではありません。他者に意図的には危害を加えないというのは現代社会に生きている人間として基本的なところです。
ちなみにあの中島義道さんという人は悪徳な人間ではないでしょう。が、あの人は「人間としての倫理観を抱くにあたっての微妙な感覚と思考内容との機微」の分からない人です。倫理的な問題を考えるにあたって、「A=B、C=D、よってA+C=B+D、A+D=B+C、よって他人を殺してもよいことになる」とかそういう方向へ考えちゃう人です。ああいった類の人というのは、中島義道さんであれ芥川龍之介であれドストエフスキーであれフランツ・カフカであれ村上春樹さんであれ、実際には間違いなくやらないでしょうけど。おそらく「いやルールではそうだけど、この場合は現実的に考えて多少違反してもまあこっちの方がいいでしょ」とかそのへんの「あいまいな掴み」みたいなものが分からない人です。「で、まあそれやった方がいいじゃん」とか「まあそれ方やんねえがいいじゃん」とかそういったことが分からない、分からないというよりはカチコチっつーかガチガチに考えすぎて常識感覚というと語弊がありますけどそれっぽいものが自分の中から失われてしまった人です。もちろんこれが殺人の場合だとか強盗の場合だとかの重犯罪の場合だと問題は別です。
しかし、中島義道さんは哲学者なのでいいんですが、これが論理学者とかだと最高にタチ悪いことになります。あんなものに労力を費やすのであれば、同系統の労力の費やし方として数学や物理学を学んだ方が遥かに有益です。
我々現代の民主主義社会に生きている人間達は、教育や医療や様々な科学技術や優れた食品などその他いろいろなものによって、人々の心、もっと具体的に言えば人間の脳から物理的にJudeなもの(ヒットラーはこれをユダヤの毒と呼びました)を消していこうと努力しているのに、「我々はJudenだ」と叫ぶだけでは飽き足らず「おまえはJudenだ」とレッテルを貼るどころかJudeなものを社会にバラ撒こうとする、若気の至りなどという言葉では形容しきれないようなJugenな幼児的人間の大糞たわけ者が現代社会においてもいまだに生息しているということです。まるで富野由悠季監督作品のアニメ映画「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」に登場するJudenかつJugenの代名詞と化してしまったシャアの如き強姦魔の様な。クワトロ・バジーナとは別人格になってしまったのではないかと思われるあのアニメ映画に登場するシャア・アズナブルというキャラクターは強姦魔の象徴なわけです。統合失調症用の抗精神病薬?アレは「ユダヤの毒」、Judeの具現体そのものです。今は私はもう10日弱に一回ジプレキサ5mgを服薬するだけです。調子は半年前、旧ブログを書いていた頃より非常に快調です。……これではholocaustの犠牲になって死んでいったユダヤ人の人たちも浮かばれないでしょう。我々現代の民主主義社会に生きる人間たちは彼らの死を無駄にしないためにそれぞれの個々人がそれぞれに可能な努力を行っていくべきでしょう。それでもまだ、Judeなものがいいというのならば、汚泥の復讐心に塗れたJudeがいいというのならば、もはや「最終的解決」しかあるまいて……"Heil, Heinl(r)ich."、"Binse, eigentlich"、というお話。男には生を、女には死を。それが幸せというものなんでしょうか?幸せというものについて深く考えたことがないのでこれについては私にはよく分かりません。「まごごろ」という言葉に対しては怒りすら覚えますね。
PR