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sAin't
2011.05.21 Saturday
心というものを無くした現代版聖人(robots)の存在の有無について。
動画サイトに載っている日本人しか出演していない映像に英語だけでコメントしてあるものとかありますけど、あんなものほぼ確実に日本人が書いてます。もう日本人の書いた英語というのはいくら頑張ってもなんとなく分かります。いくらスラングを多用してごまかそうとしても無駄です。そういったうわべの知識で騙し騙しやって本質的なところを見ないというか本質的に問題を解決しようとしないところがそもそもからして思いっ切り日本人っぽくてよく分かるので大いに逆効果です。あとは外人さんにお金払って昔あった出会い系のサクラのバイトみたく書いてもらうしかないわけです。英語圏の人たちはメリットや何らかの特殊な好奇心なしにそこまで日本に興味持ってくれないです。ちなみに日本に留学しに来てくれたり日本へ来て好意的な目で寺社仏閣を堪能してくれる外国人の人たちは極めて健全な意味で(文化的な意味で)親日な外国人の人たちです。
英語圏の人たちはそういった日本人的なバカバカしさや愚かさを持っていないので、そもそもからして日本人に自分たちと同じレベルでの英語運用能力など求めていません。彼らが求めているのは、日本人個々人としての意見や考えもしくは日本人としての意見や感じ方の表明であって、彼らと同じ水準での表現能力やスラングを絡めた抑揚のある会話スキルではありません。アメリカの人もイギリスの人も、その他の欧米の人たちはコミュニケーションの手段としての仕方なくこちらが(主に)英語を使わざるを得ないというハンディキャップを背負っているということをたいていはちゃんと理解してくれています。仮に稚拙な言い回しであっても、こちらが何を言わんとしているかということを相手がバカや無教育な個人でない限りはきちんと理解しようと努めてくれます。昔のブログのhuman intelligenceという記事でも書いた様に、自分たちとは別の環境に生きる人間としてどのような考えや意見を持っているかということやどのようなものの感じ方や認識の仕方をするのかということを彼らは当然の如く問題にしているのであって、彼らと同じ水準の英語運用能力を提示されてそして肝心の言っていることの中身が低レベルであったりスカスカやちゃらんぽらんということであっては、ただバカにされて相手にされずに終わるだけです(まるで現代日本の新聞記事のほとんどや書評の様です、ネットについては言うにあたわず)。この言葉は使いたくないんですが、おそらくはそういった無自覚な売国奴を増やすだけなので、私は小学校での英語教育には少々疑念を抱きます。おそらくは小学生の頭のmemoryの無駄遣いです。事態を改善したいのならば、中学校から行われる英語科目の具体的な教育内容を抜本的に変革しない限りほぼ確実に無理です。そうでもない限り、自分だけよければいい、じぶんわえいごおしゃべれる、外国語運用能力をアクセサリーと勘違いした自分だけ外国人と話して楽しくてわーいという低質な人間の量産に拍車をかけるだけです。ちなみに私は予備校時代にこれの典型の様な30後半の中年の男性が薄化粧と茶髪とピチピチタイツみたいなソレ系の格好でという自意識過剰でナルシスティックな無能な英語講師を一人見ました。こういう人というのは自分の外国語の語彙の知識や知識としての表現方法をひけらかすだけで、ぜんぜん子供たちに外国語(英語)を「教えて」いないんですね。外国語というのは、その国の人以外の人間にとってはその当該の国の人々とコミュニケーションを図るためのツールです。その意味では外国語はスキルなわけです。先の記事で能力と言ったのは、それを身につけるに当たって一般的に言うところのスキルとは違って(主に先天的な)能力に因るところが大きいという意味です。だからやはり普通に何らかの技術を身につけるという場合と同じようには、外国語(の運用能力)をを身につけることはできません。やはりこれに関してはできない人間は頑張ってもできない、もしくは時間が掛かります。
例えば、日本時間で8:20 2011/05/21の英国BBCのニュースサイトで、"US President Barack Obama and Israeli PM Benjamin Netanyahu admit "differences" on the path to Mid-East peace, after talks in Washington."という見出しの記事が載っているんですが、私の場合だと、この一文を読んで意味を理解するのにだいたい1.7~1.8秒くらいかかります。そしてこの文章の背景にある「Bin Laden氏殺害に対する報復テロを回避する為にアメリカはイスラエルとは違った立場を取りますよということを表明し、それに基づいた意見をオバマ大統領が表明してるんだな」ということを理解するに至るまでにはだいたい2.5秒くらいかかります。これは12年前、私が18歳で大学の受験用の勉強をしていた時から全く変わっていません。
もうあんまり学歴がどうこうとかくだらんことを言いたくは無いんですが、分かりやすい指標として、これは18や19の少年少女たちで言うとだいたい早慶上智や国立旧帝一期校や東外や東工や一橋や各校医学部レベルの学生だと平均的なレベルです。
そして私が知るケースだと、外国語だけではなく日本語においてすらその運用能力が極端に低いという人間が居ます。ちなみにその人はけっこう高学歴です。国語の教科書ですらまともに読めないような人ですけど(その程度の知的レベルで何故高学歴なのかというアレなことについてはこの場ではもうツッコみません)。その価値意識の是非はともかくとして、よくよくじっくり話を聞いてみればそこまでバカな人間ではないことも理解できます。つまり何故かその知的レベルに見合わない言語能力の低さを備えてしまっている人です。そういった人も居るというわけであって、つまり頭の良し悪しというよりは、(おそらく先天的な)能力云々というお話です。しかしやはりこの2つは正の相関関係にはあります。やはり頭の(質の)良い人の方が言語能力に恵まれている場合が多いです。そういった人というのは、分かりやすく言うと、要領の悪さが目立ちますがやったことは大抵はできます、が、ウィットに富んだいわゆるおもしろい会話ができません。つまり言葉言葉に隠された微妙なニュアンスや細かな表現の意味内容を、少なくとも会話の流れに乗って瞬時には理解することができず、別に頭が悪いわけではないのにそのせいで少々知能の遅れた感じがして、同級生の悪童に馬鹿呼ばわりされたり下手をするとイジメの対象になったりするわけです。要するに知能の足りない人なのではなく、理知や機知の足りない人という表現が正確です。だから能力どうたらこうたら技術・スキルどうたらこうたらというよりは、人によって得手不得手といったものがあるということですね。ちなみにこの人はボキャブラリーさえ増やせばコミュニケーションツールとしての言語を運用する能力が高まると思い込んでいる、まあ少しアレな人ではあります。……しかしかといってまた、この人は日常会話が全くできない、というわけではないのです。
要するに、ナザレのイエスさんやマホメットさんやゴータマ=シッダルタさん(仏教は中国に伝来してから仏像という具体的形を与えられることで偶像崇拝化しました)や聖徳太子のような偶像的聖人ではなく、先の記事で言ったような論理実証主義的価値意識を日常生活も含め自分が相対する全ての局面において浸透させ、それに基づく行為を選択する、という「現代版聖人」もしくは「みだりにその名を唱えるなかれ的な現代社会に適応されるべくして適応した聖人」というような人間というのはおそらく世界中何処をさがしても存在しません。
動画サイトに載っている日本人しか出演していない映像に英語だけでコメントしてあるものとかありますけど、あんなものほぼ確実に日本人が書いてます。もう日本人の書いた英語というのはいくら頑張ってもなんとなく分かります。いくらスラングを多用してごまかそうとしても無駄です。そういったうわべの知識で騙し騙しやって本質的なところを見ないというか本質的に問題を解決しようとしないところがそもそもからして思いっ切り日本人っぽくてよく分かるので大いに逆効果です。あとは外人さんにお金払って昔あった出会い系のサクラのバイトみたく書いてもらうしかないわけです。英語圏の人たちはメリットや何らかの特殊な好奇心なしにそこまで日本に興味持ってくれないです。ちなみに日本に留学しに来てくれたり日本へ来て好意的な目で寺社仏閣を堪能してくれる外国人の人たちは極めて健全な意味で(文化的な意味で)親日な外国人の人たちです。
英語圏の人たちはそういった日本人的なバカバカしさや愚かさを持っていないので、そもそもからして日本人に自分たちと同じレベルでの英語運用能力など求めていません。彼らが求めているのは、日本人個々人としての意見や考えもしくは日本人としての意見や感じ方の表明であって、彼らと同じ水準での表現能力やスラングを絡めた抑揚のある会話スキルではありません。アメリカの人もイギリスの人も、その他の欧米の人たちはコミュニケーションの手段としての仕方なくこちらが(主に)英語を使わざるを得ないというハンディキャップを背負っているということをたいていはちゃんと理解してくれています。仮に稚拙な言い回しであっても、こちらが何を言わんとしているかということを相手がバカや無教育な個人でない限りはきちんと理解しようと努めてくれます。昔のブログのhuman intelligenceという記事でも書いた様に、自分たちとは別の環境に生きる人間としてどのような考えや意見を持っているかということやどのようなものの感じ方や認識の仕方をするのかということを彼らは当然の如く問題にしているのであって、彼らと同じ水準の英語運用能力を提示されてそして肝心の言っていることの中身が低レベルであったりスカスカやちゃらんぽらんということであっては、ただバカにされて相手にされずに終わるだけです(まるで現代日本の新聞記事のほとんどや書評の様です、ネットについては言うにあたわず)。この言葉は使いたくないんですが、おそらくはそういった無自覚な売国奴を増やすだけなので、私は小学校での英語教育には少々疑念を抱きます。おそらくは小学生の頭のmemoryの無駄遣いです。事態を改善したいのならば、中学校から行われる英語科目の具体的な教育内容を抜本的に変革しない限りほぼ確実に無理です。そうでもない限り、自分だけよければいい、じぶんわえいごおしゃべれる、外国語運用能力をアクセサリーと勘違いした自分だけ外国人と話して楽しくてわーいという低質な人間の量産に拍車をかけるだけです。ちなみに私は予備校時代にこれの典型の様な30後半の中年の男性が薄化粧と茶髪とピチピチタイツみたいなソレ系の格好でという自意識過剰でナルシスティックな無能な英語講師を一人見ました。こういう人というのは自分の外国語の語彙の知識や知識としての表現方法をひけらかすだけで、ぜんぜん子供たちに外国語(英語)を「教えて」いないんですね。外国語というのは、その国の人以外の人間にとってはその当該の国の人々とコミュニケーションを図るためのツールです。その意味では外国語はスキルなわけです。先の記事で能力と言ったのは、それを身につけるに当たって一般的に言うところのスキルとは違って(主に先天的な)能力に因るところが大きいという意味です。だからやはり普通に何らかの技術を身につけるという場合と同じようには、外国語(の運用能力)をを身につけることはできません。やはりこれに関してはできない人間は頑張ってもできない、もしくは時間が掛かります。
例えば、日本時間で8:20 2011/05/21の英国BBCのニュースサイトで、"US President Barack Obama and Israeli PM Benjamin Netanyahu admit "differences" on the path to Mid-East peace, after talks in Washington."という見出しの記事が載っているんですが、私の場合だと、この一文を読んで意味を理解するのにだいたい1.7~1.8秒くらいかかります。そしてこの文章の背景にある「Bin Laden氏殺害に対する報復テロを回避する為にアメリカはイスラエルとは違った立場を取りますよということを表明し、それに基づいた意見をオバマ大統領が表明してるんだな」ということを理解するに至るまでにはだいたい2.5秒くらいかかります。これは12年前、私が18歳で大学の受験用の勉強をしていた時から全く変わっていません。
もうあんまり学歴がどうこうとかくだらんことを言いたくは無いんですが、分かりやすい指標として、これは18や19の少年少女たちで言うとだいたい早慶上智や国立旧帝一期校や東外や東工や一橋や各校医学部レベルの学生だと平均的なレベルです。
そして私が知るケースだと、外国語だけではなく日本語においてすらその運用能力が極端に低いという人間が居ます。ちなみにその人はけっこう高学歴です。国語の教科書ですらまともに読めないような人ですけど(その程度の知的レベルで何故高学歴なのかというアレなことについてはこの場ではもうツッコみません)。その価値意識の是非はともかくとして、よくよくじっくり話を聞いてみればそこまでバカな人間ではないことも理解できます。つまり何故かその知的レベルに見合わない言語能力の低さを備えてしまっている人です。そういった人も居るというわけであって、つまり頭の良し悪しというよりは、(おそらく先天的な)能力云々というお話です。しかしやはりこの2つは正の相関関係にはあります。やはり頭の(質の)良い人の方が言語能力に恵まれている場合が多いです。そういった人というのは、分かりやすく言うと、要領の悪さが目立ちますがやったことは大抵はできます、が、ウィットに富んだいわゆるおもしろい会話ができません。つまり言葉言葉に隠された微妙なニュアンスや細かな表現の意味内容を、少なくとも会話の流れに乗って瞬時には理解することができず、別に頭が悪いわけではないのにそのせいで少々知能の遅れた感じがして、同級生の悪童に馬鹿呼ばわりされたり下手をするとイジメの対象になったりするわけです。要するに知能の足りない人なのではなく、理知や機知の足りない人という表現が正確です。だから能力どうたらこうたら技術・スキルどうたらこうたらというよりは、人によって得手不得手といったものがあるということですね。ちなみにこの人はボキャブラリーさえ増やせばコミュニケーションツールとしての言語を運用する能力が高まると思い込んでいる、まあ少しアレな人ではあります。……しかしかといってまた、この人は日常会話が全くできない、というわけではないのです。
要するに、ナザレのイエスさんやマホメットさんやゴータマ=シッダルタさん(仏教は中国に伝来してから仏像という具体的形を与えられることで偶像崇拝化しました)や聖徳太子のような偶像的聖人ではなく、先の記事で言ったような論理実証主義的価値意識を日常生活も含め自分が相対する全ての局面において浸透させ、それに基づく行為を選択する、という「現代版聖人」もしくは「みだりにその名を唱えるなかれ的な現代社会に適応されるべくして適応した聖人」というような人間というのはおそらく世界中何処をさがしても存在しません。
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