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Solomon's Seal or Schutzstaffel?
 (黒の)逆三角形(は)マジお断り(な意志)。
 ギャーピーやかましいうっとおしいマゾヒストマジお断り。




 まごごろ?庵野秀明監督作品のアニメ、新世紀エヴァンゲリオンの旧映画版第26話「まごころを、君に」のラストで、まさに「まごころ」な状態になってしまった「モンゴロイドに多数見られるような線の細い感じのストレスを感じやすい繊細な人、もう少し哲学チックな表現を用いるならば『迷い」』のある」、こういったモンゴロイド的女性的男性の典型であるような主人公の碇シンジ君をああいったカタチで描くところがあのアニメ映画の如何にもJudenたるものを象徴しています。そりゃ海外でエヴァンゲリオンのアニメが評価されないわけです。もうはっきり言いますけど、こういった連中の脳味噌の単純さや下劣悪さ具合を効果的に表現する為に敢えて意図的に最悪に下品な表現を用いますが、こういったJudenな連中というのはもう世界の全てがオチ○チ○とオマ○マ○で成り立ってると思ってる連中なんですね。極論すれば「uクォークとdクォークが存在します、その証拠に男性と女性でセックスを行えば必ず子供が生まれます」という定理がアタマの中で成り立ってしまっているような連中です。究極に短絡思考を極めた連中です。究極の馬鹿です。もちろんこの定理においては、二項対立的価値意識や二元論におけるという意味で、「|∞|/0の相関関係」は成り立っているでしょうが、ということはつまりは「因果関係」は無いと言うことです。これは自明です。よってこんなものは定理としては成り立ちません。にもかかわらず何故かこれが頭の中で成り立ってしまっているのが彼らだということです。つまり彼らは二元論という外部から与えられた抽象概念に洗脳されている人々だということです。



 少々逸れますが、以下、「『|∞|/0の相関関係』は存在しない」、要するに「世界の真理なんざ何処にもねーよ」つまりは「『|∞|/0の因果関係』は存在する」という仮定のもと、簡単な数学を使って、幾何学性も絡めてJudenについての説明を試みます。まあこれは私のただの私的お遊びであって、特に何らかの証明を試みているわけではありません。
 再度言いますが、「『|∞|/0の相関関係』が存在する」と主張しているという人々は、なんらかの「世界の真理」、あえて言うならば二項対立的価値意識や二元論、というものを脳ミソに焼き付けられそれに基づいて事象を認知してしまっている人たちです。まあ、言うなればカオスな人たちです。本当に「世界の真理」とやらに事象の認知度量衡を汚染されずに事象を認知することが可能な、先の記事で言ったような日常生活の隅々にわたるまで論理実証的である「ホンモノ」なカオスな人というのは、おそらく世界中の何処を探しても居ません。
 もう一つ、0(ゼロ)というのは一つの具体的定数なわけであって、無(nicht)ではありませんので、誤解なされないようにお気をつけください。


xとyは変数、
二元のxy平面上において、
x/y=|∞|/0 (x軸を表す方程式) ―①
y/x=|∞|/0 (y軸を表す方程式) ―②

ここで、①+②+(-①-②)でx軸とy軸の存在を両方満たす式、0/xy=|∞|/0 ―③ が成立します。
また、①×②でxy/xy=|∞|/0 ―④ が成立します。

③は、0=|∞|/0 ⇒ 0=nicht (0の無い世界、Σ2の(k-1)乗(kは1からnまで、nは自然数)のみの世界、十字架の方程式、"painted it Black"、具体的な何かに全てが固定された死の世界、Lotusの花、無限大の象徴的概念ではなく何らかの具体的無量大数つまり"Es ist sein Wille."、「全ては"der Wille zur Macht"(力への意志)」)
④は、1=|∞|/0 ⇒ 1=nicht (1の無い世界、0という数ただ一つのみが存在する世界、ニヒリズムの方程式、"painted it White"「ツァラトゥストラはかく語った」「終わりの風景」、全てはゼロであるつまり"Es ist nichts."、「何も無い」)

※ちなみに「『|∞|/0の相関関係』は存在しない」のであっても、①と②は成り立ちますが、0=|∞|/0と1=|∞|/0は成り立ちません、それはxやyは変数であって、0や1は定数だからです、誤解されませんように(だからそれぞれ、0=nicht、1=nicht、だということです)。


これを我々が生きる三元世界で考えると、

x/(y・y+z・z)=|∞|/0 (x軸を表す方程式) ―①
y/(x・x+z・z)=|∞|/0 (y軸を表す方程式) ―②
z/(x・x+y・y)=|∞|/0 (z軸を表す方程式) ―③

ここで、①+②+③+(-①-②-③)でx軸とy軸とz軸の存在を全て満たす式、
0/(x・x+y・y)(x・x+z・z)(y・y+z・z)=|∞|/0 ―④ が成立します。

④ ⇒ 0=|∞|/0 ⇒ 0=nicht (0の無い世界、Σ2の(k-1)乗(kは1からnまで、nは自然数)のみの世界、十字架の方程式、"painted it Black"、具体的な何かに全てが固定された死の世界、Lotusの花、無限大の象徴的概念ではなく何らかの具体的無量大数つまり"Es ist sein Wille."、「全ては"der Wille zur Macht"(力への意志)」)

⑤=①×②×③ ⇒ xyz/(x・x+y・y)(x・x+z・z)(y・y+z・z)=|∞|/0 (全てがある世界、"painted it Black or White?"、象徴的に全てが固定された世界であり無政府主義の羅刹国、Solomon's Seal、何らかの具体的無量大数ではなく無限大の象徴的概念そのものつまり"Es ist Dinge an sich."、「森羅万象」)

※ちなみに「『|∞|/0の相関関係』は存在しない」のであっても、①と②と③と⑤は成り立ちますが、0=|∞|/0は成り立ちません、それはxやyは変数であって、0は定数だからです、誤解されませんように(だから0=nichtだということです)。


 n次元についてまで考えるための数学的知識を私は持ち合わせておりませんので、悪しからず。

 Σ(シグマ)は、Wikipediaによると、「現代ギリシア語では語末形の(Ϛ, ϛ)を 6を表す "ϛ" (スティグマ、stigma、ギリシャ語で奴隷や犯罪者の身体に刻印された徴(しるし) の意)の代用として用いる。ラテンアルファベットのSはこの文字に由来する。」そうです。ちなみにアルファベットのSはアラビア数字の5にもそっくりですね?何故か。私は詳しく知りませんけどアラビア数字はおそらく表音文字でしょう、表意文字ではなくてね、たぶんね。で、「キリスト教においては、四大元素に加わる第 5 番目のものとしての『神の息吹』を象徴することもある。カトリック教会では聖痕の意味もある。」そうです。私はクロノス的価値意識には同意できますがカイロス的価値意識には同意できません。

 Friedrich Wilhelm Nietzscheは、この"Es ist sein Wille."と"Es ist nichts."というものを言葉を尽くして説明し、そしてユダヤ=キリスト教とプラトニズムを死ぬほど嫌うが故に"Es ist Dinge an sich."を「神は死んだ」と言って全力で否定しました。何らかの具体的な統治者の下にではなく、神の名の下に課された義務も規範もニーチェにとっては「"Dinge an sich"たる"Dinge an sich"の産物」だったわけです。私の記憶が確かならば、ニーチェは、強者と弱者のそれぞれの定義していたと思いますが、つまり、"sein Wille"には従うべくして従うべきである、と考えていたわけです。ちなみに、|∞|(無限大の絶対値)というのは、読んで字の如くメビウスの輪、infinity、つまりかの有名な「同じものの永劫回帰」のことです。ニーチェ先生は海岸を歩きながらとある時この思想観念にポーンと頭をうたれ"Es ist Dinge an sich."、とか思っちゃったのかもしれません。
 そしてヒットラーはこの思想を好み、"der Wille zur Macht"を自らがder Führerであるが故に"Es ist m(s)ein Wille."つまり「esたる統治者であるmienのWille」と解釈し、ナチスの政治体制に利用しました。

 ちなみにこれらを数学的に考えると、一元世界における直線というものを無限遠点まで延長すると、半径(直径)無限大の円が出来上がります。ちょっと曖昧な表現で申し訳ないんですが、これはおそらくそれが∞か-∞かによって内側が内側になり外側が外側になるか、内側が外側になり外側が内側になるか、という問題が湧き起こってくるでしょう。
 そしてその半径(直径)無限大の円、つまり二元世界における平面というものを無限遠点まで延長すると、半径(直径)無限大の球が出来上がります。そして一次元の場合と同じように、おそらくそれが∞か-∞かによって内側が内側になり外側が外側になるか、内側が外側になり外側が内側になるか、という問題が湧き起こるでしょう。
 そして半径(直径)無限大の球を、つまり三元世界における空間というものを無限遠点まで延長するつまり空間の広がりの速度をそれが光速に至るまでに達っさしめると、時間は止まります。そして二次元の場合と同じように、おそらくそれが∞か-∞かによって内側が内側になり外側が外側になるか、内側が外側になり外側が内側になるか、という問題が湧き起こるでしょう。だから、Albert Einsteinが提唱していた、物体の速度が光速を超えると時間は逆行するというのは、当たり前と言えば当たり前のことです……というのは宇宙の広がりの速度が正の∞を志向している場合であって、この場合は光速に至ると時間が0になるというパターンです。これが-∞の場合、おそらく空間そのものが無くなります。時間が0ではなくnicht(無)になってしまうということです。これはNichtではなくnichtです。たしか西田幾多郎の哲学でそういったものがあるというのをどこかで見たかどうだかしたんですが、要するに「無という名の有」ではなくて、完全な無、「無」という漢字で表わすこともナンセンスであるようなものです。Nichtというのは一般名詞で日本語で言うと無という意味です。nichtは副詞です。つまり「nicht(無)」という表現は形容することしかできないような、名詞としては言語として与えられていないものということだということでここでは使用しています。これが(強引に)具現化されたものがNichtseinだということです。Zeitは当然としてRaumすらも無い、über Raum und Zeitになるわけであって、"Ich bin das Ding an sich."な世界が訪れるわけです……とか言いつつも、Lee Smolinさんという物理学者がループ量子重力理論という理論体系においてプランク体積という約1/(10の33乗)立方センチメートル程度の空間がそれであるという定義をしているようです。
 ……で、これにおける後者の場合、この-∞の場合こそが、まさにSchizophrenieの症状そのものなわけです。自我意識における主観と客観が丸々逆転するわけです。だから森羅万象に襲いかかられるという感覚が(自己の内部において)喚起せしめられます。そして同時に自己もまた森羅万象に対して襲い掛かっているわけです。自分の中にDa(Welt)が存在し、daである自分の外部に自分(Sein)が瞬間的にですらなく放出されて存在してしまうという現象です。あまり適切な比喩ではないのですが、まさに原子核融合による核爆発です。ちなみに核分裂によるエネルギー創出は正の∞の場合であって、これはSchizophrenieではない正常な人間の場合の比喩として用いることができます。そしてこの時自分の外部である世界では何が起こるか?つまり「本来的には客観であった主観」という名の客観がどう現れるか?同時に「本来的には主観であった客観」という名の主観によって世界をどう認識(認知)するか?という問題なんですが、虚数宇宙が表れ(現れ)ます。要するに二乗(自乗)すると-1になる虚数iの存在(Nichtsein)がそこらじゅうに瞬間的にですらなく突如表れ(現れ)はじめるわけです。そして同時に自分も二乗(自乗)して-1と化すような虚数iつまりNichtseinと化すわけです。このあたりに「Schizophrenieにおける集団ストーカーの認識(認知)」云々、「幻覚や幻視」、「幻聴」というお話が関係してくるわけですね。ちなみに先にも書いたように、集団でストーカーを行ってくる連中は居ます。が、そんなもの認識しても普通は無視するか認知しても警察行きますよね、というお話です。認識(認知)や表れ(現れ)や二乗(自乗)と書いたのは、この場合において認識と認知や表れと現れや二乗と自乗の意味がそれぞれ一義化されて全く区別がつかなくなってしまうからです。少なくともこの文章を読む限りにおいて通常はこれらを認識、表れ、二乗と理解するのが正常な人間のそれであるということです。
 ……おそらく、物理学者Stephen William Hawking博士の提唱する、我々が生きる宇宙以前の初期宇宙において虚数時間が流れていたという「無境界仮説」は正しいと考えられます。
 まあ、つまりは無限大における+と-の区別が無くなって、象徴的概念である無限大というものを|∞|(無限大の絶対値)としてリアルに認知してしまっている"Es ist Dinge an sich."な状態というのはヤバいことこの上ないですよ、というかその次元どころか次元そのものを通り越しちゃってヤバいですよ、ということを私は申し上げたいだけです。

 中学あたりになって露骨に頭の悪い子供(いわゆる不良少年少女等)に外国語(英語)が出来ない子供が多いのは、彼らは非常にカイロス的価値意識に縛られた人間だからです。日本語は我々日本人にとっては当然母国語なので、幼児期からのそれを使用しないことには他者とのコミュニケーションが図れないというハードルが存在するので、当然の如く身に付けている、というよりは仕方なく身に付いてしまっているんですが、母国語以外の言語となると、彼らは頭から読めないわけです。要するに彼らには積み重ねという発想がありません。要するに縦書きだろうが横書きだろうが、母国語以外のものを上から下へ左から右へ順を追ってスーッと読んで意味を理解できないわけです。あまりこういうレッテルを貼るようなことは言いたくないんですが、謂わば彼らは「カイロス的価値意識から抜け出せない論理実証主義者のJuden、女性的人間」だということです。ボロボロの歯抜け的人間だということです。実際に観察してみれば分かるんですが、こういった人間には無教育な人間や教育を受けていても馬鹿な人間が多いわけです。稀に頭の質が良いのにそういった積み重ねのクロノス的価値意識を嫌ってわざと勉強をしない、みたいな人たちも居ます。現代社会においては、こういった人たちには基本的に悪人や重犯罪者が多いわけです。
 面白いことに、さらに観察しているとよく分かるんですが、論理実証主義者というかJudeな傾向の強い人々には唇が分厚かったり頭のてっぺんが禿げている人が多いんですね、まるでギリシア神話に登場するカイロスがてっぺん禿げ頭であったように。悪童はハゲる、と。ちなみに唇の分厚い、タラコ唇な、まあ一言で言うとアレな顔というのは、生物学的に言うとネオテニー(幼形成熟)と呼ばれるんですが、女性でこういった顔をした例えばMarilyn Monroeみたいな人は非常にセクシーに見えますが、男性でこの顔だと超がつくほどブサイクですね。というか女性だってセクシーなだけで多分中身最悪ですね。あの男に媚びて誘うようなMonroe walkだとかに象徴されているように、Marilyn Monroeの性格は最悪だったらしいですからね。男前で美しい顔をした男性というのは皆薄い唇をしています。芸能人・有名人は化粧・整形・ライティング・デジタル技術による画像(映像)修正その他によりどうとでも顔形・雰囲気その他を弄れるので観察の対象外です。ちなみに私は背筋その他を緊張させたり逆に腹筋その他に力を入れたりしてタラコ顔と普通顔のどちらもできます、頭はハゲてません、念のため。
 小学校からの英語教育開始にはおそらくそれがカイロス的人種の復権をみたいなものの一端であるということが背景にあると思いますけど、彼らが大人になった時犯罪が増えるどころか社会の秩序が乱れ日本という国が崩壊していないかどうか非常に心配です。というか多分英語に頭のmemoryを取られた分日本語の運用能力が落ちているでしょうから、そういった連中による「日本を崩壊させる試み」すらもおそらくどうかな?という話ではあります。
 ちなみにドイツ語というのは、英語に比べると若干カイロス属性が強いです。あのあたりの土地の言葉というのは、物理的な地理的な流れに従って結構きれいに変化していきますが、もちろんこの言語におけるカイロス属性の強さと中世またはそれ以前~近代~第二次大戦終わりまでのユダヤ人の居住分布密度の高さというのは正の相関を示しているでしょう。で、ヒットラーは当時こういった原因でおそらくドイツにユダヤ人というか、正確に言うとJudeな人間達が集まってくることを問題とし、ああいったことを行ってしまったのかとは考えます。ヒットラーはもちろん人間によって能力の質は違うがそれを磨くなり生かすなりする機会は平等に与えられるべきだ、と言っています。逆にJudeというのはもう最初から全てが決まっているわけです、だから「共産主義」という言葉が内包しているような平等であるという一般的なニュアンスとは逆説的に、最も不平等なわけです。その生まれながらにして決まっているモノを使って内ゲバで殺し合うというのが彼らの世界なわけです。人間存在、Dasein(現存在)としての謂わば「存在の機」がそもそも無いわけであり、最初から、ではなくて、最初すら無くDinge an sichな連中なわけです。
 ヒットラーは非常にクロノス的価値意識の持ち主です。若い頃画家を目指していたヒットラーは、その絵を師に見せたところ「君は画家よりも建築家に向いている」と言われたそうです。今の精神科医の間では、ヒットラーは演技性人格障害だったという説があるらしいですが、私は昔のブログでヒットラーを女性的人間・パラノイアの象徴と言ったんですが、それを精神科医に聞いてから、もし彼らの説が正しいのならば超男性的人間ヒットラーは何かの為に女性的人間を演じていたのかな、とも思います。


 つまり、例えば国家というものに代表されるような秩序ある社会体制を築きそれを存続させてゆくには、「世界の真理」とやらではなく何者かの統治者が必要だということです。それはナザレのイエスさんであったり、マホメットさんであったり、ゴータマ=シッダルタさんであったり、聖徳太子であったり、the PopeであったりHer Majesty the Queenであったり天皇陛下であったり、内閣総理大臣や首相や大統領であったりするでしょう。「世界の真理」を標榜して布教するおカルト教祖や、世界中の何処を探しても存在しないような「みだりにその名を唱えるなかれ的な現代社会に適応されるべくして適応した聖人」つまりはsAin't、は違うと思いますけど。
 森羅万象というのは、我々ヒトがその脳で認知できる何らかの具体的な形象的シンボルとしては在り得ないということです。しかしということは、もし遠い将来スーパーコンピューターが全世界(全宇宙)にとある瞬間に起こった事象を何らかの形の言語を用いて記録するということが可能になれば、まあそれこそヒトの創りしモノに支配される世界がおとずれるかな、とも考えますけど。まあそれで理想的な社会が実現されればいいとはおもうんですけどね。ちなみに、この「とある瞬間」というものは具体的に測定(定義?)できるもののようで、先のLee Smolinさんという物理学者がループ量子重力理論という理論体系においてプランク時間という約1/(10の43乗)秒程度の時間の長さがそれであると言っているようです。

 というわけで、ところで+(plus)と×(multiply, versus)でこういった違ったことになるのは何故でしょうね?、というお話。1を100積み重ねれば100になりますが、1を100乗しても1のままですね。「三人寄れば文殊の知恵」という言葉は、どちらともとれる、というか人によって質は違うがそれをどう生かすか?というような教訓を示唆しているようで非常に意義深い言葉です。逆に「女三人寄れば姦しい(かしましい)」というのは思いっきり×(versus)な意味合いなわけであって、かしまし娘とかマジお断りです。ギャーピーやかましいだけでウザいだけです。アニメ「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」に登場するクェス・「パラヤ」の様な。「パラヤ」の意味を知りたい方は図書館等でお調べ下さい。簡単に言えば"para-J"(paraであるJ)みたいな意味です。



 例えば大方の印欧語では名詞は(ほとんど)全て男性名詞と女性名詞に分類されますが、だからどうであるこうであるという問題はその専門の言語学者の間以外では湧き起こりません。彼らJudenは極めてゾロアスター的観念の持ち主であり、魔女こそが同じ魔女に対して保身の為に「あいつは魔女だ!」と魔女狩りに火をつける人間だとということです。火を拝んで何でも二項対立でカタがつくと思っている大馬鹿者の集団ということなんですね。witch(魔女)という言葉はありますが、錬金術師や魔術師という言葉はあっても魔男という言葉はありません。Judenな女性(的人間)というのは、彼女たちにとっては存在しないものである自己の自明性を、二項対立・二元論という抽象概念で埋め合わせることで自己(自我)の崩壊から自己を守っている人々なわけです。彼らJudenは、ユダヤ人ではあってそしてJudeであるものを全く否定してみせた偉人Albert Einsteinの証明したE=mc・cという式がまさに当てはまらないような、謂わば「Dasein(現存在)として(何かが)欠落しているもの」そして同時に「Sein(存在)としてda(世界)から欠落しているもの(Nichtsein)」なわけです。彼らはカルト宗教の教義の様に二項対立という概念を世界の真理として、自らの外部から自らに与えられたものとして信奉しきってしまっている被洗脳者であると同時に馬鹿というものを極めた人々だと言うことです。
 エヴァンゲリオンのアニメに登場する主人公の碇シンジ君は、アレはJudenなチンピラ人間が想像したところのオタクの偶像ということであり、オタクの人々というのはあんなにバカではなないし、弱くもないし、頭も悪くありません。オタク少女はどうだか知りませんけど。……どうでもいいですが私はオタクを自称している人間ですが、いわゆる「ホンモノ」なオタクの人たちには、お前なんかオタクじゃないと言われることは簡単に予測がつきますけど。


 ところで、いわゆるサディストとマゾヒストの役割に分かれて行う、子供の遊びだと鬼ごっことかドロケイ・ケイドロだとか、あとSMなんてものもありますね?アレはマゾヒストな人間がSとMの役割に分かれてゴッコを行っているだけです。マゾヒストな人間を他の表現で言い表すとすれば、Juden、左翼的人間、女性的人間・幼児的人間、不良、等ということになるでしょう。サディスト、本当にSな人間にはマゾヒストの痛みというものは理解できないわけです。だからもし本当にSな人間がそういう行為を行うんだとしたら、放置プレイです。そしてこれはオスメス問わずMな人間にとっては最も屈辱を味あわされる行為なわけです。つまりは先の記事からずっと説明しているように、甘えを基調とするJudenな女性的・幼児的人間が最も恐れることは無視されること、シカトされることなわけです。
 マゾヒストの男というのは、マゾヒストな女の痛みを理解できるからこそSの役割を担ってマゾヒストの女を痛めつけるわけです。これは強姦犯罪やDVやイジメや幼児虐待・老人虐待なんかとも繋がっているでしょう。マゾヒストな男というのは相手の痛みが分かるからこそ意図してSの役割を行うわけです。文化人類学者の柳田邦男さんは、「人の痛みが分かる人間に」などということを提唱しておられますが、(そういったMな連中にとっては)人の痛みなんか分からない方がいいわけです。ああいったJudenなマゾヒストな連中というのは人の痛みが分かるからこそその痛みを人にくれてやろうとするわけです。このようなことを提唱されておられる柳田邦男さんはS、サディストです。そしてホンモノのS、サディストというのはほぼ例外なく善良な人たちです。彼らは主に言葉を始めとしたコミュニケーションを図れば、その時点で相手(M)の苦しみを理解しようと勤め、Mが訴えた限りでの苦痛を与えるような行為は絶対に止めようとします。ここまで読んでいただければご理解頂けると思いますが、世の中の、この日本という国に限らずほとんどの文明国に生活している人たちはS、(善良な)サディストです。そして私もその中の一人です。
 柳田邦男さんのような、「人の痛みが分かる人間になって、そういった人が痛がるようなことはやめようね」とおっしゃる善良な、おそらくは建設的な人ならば理想的でありいいんですが、「人の痛みが分かるからこそその同じ痛みを他人にもくれてやる」という悪意にまみれたJudenな売国奴連中がそこらへんにのさばりまくってるわけです。彼らは精神が分裂しそのスキマをうめる為、そして分裂した自己を肯定する為、そのために二項対立という抽象概念を外から押し付けられてかろうじて自我を保っているマゾヒスト×(multiplied)二種類=Nichtsein、であるというわけです。
 プランク体積云々とはあまり関係なく、現実問題として、Schizophrenieであると精神科医に診断されそれがどういったかたちであれ、治療を受けている又はそれを自分で治癒しようと試みている人間は何も問題ないんですが、「オレはアタマがおかしくなんかねぇ!」とかいう方向性のNichtseinである分裂病者はどうしようもないわけです。私がその著作を読んだり知っている全ての精神科医はこう言いますが、「私もしかして精神分裂病(統合失調症)ではないですか?」と自ら申告してくる人に精神分裂病(統合失調症)の患者は確実に居ないそうです。ちなみに精神分裂病(統合失調症)用の抗精神病薬というものは服薬すると確実に「オレはアタマがおかしくなんかねぇ!」とかいう方向へ自分を持っていかれます。医師の人たちを侮辱するつもりは全くありませんが、つまりは精神科医に限ってはそのほとんどは所詮は商売だということです。「ユダヤの毒」を使って。今の一部の精神科医、特に多くの若手の精神科医が行っていることは、ナチを装ったJudenによるヒトラー狩りなわけです。

 神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんは、「木で鼻を括ったような説明というものは、そこに聴き手の知性や判断力に対する尊敬の念を感じられないから不快なのである」とおっしゃってますが、「木で鼻を括ったような説明」に対してこのような感慨を抱く内田樹さんは典型的なマゾヒストです。自己の自明性が欠けている人です。もっと平たい平明な分かりやすい言い方で言えば、自分に自信(自身)の無い人です。しかし内田樹さんは「安易な二元論がなんとかの問題だった」みたいなことをどこか週刊誌か何かで言っておられました。
 ちなみに近いところで養老孟司さんは超自分に自信のある人です。大変失礼な言い方で申し訳ないんですが、著名人で滅茶苦茶なこと言ってあそこまで自信過剰だとさすがにウザがられるでしょう。なんかWikipediaの項目も荒らされてますしね。しかし、先の記事でも言ったように、「誰の利益にもならない上に同時に自分の利益にもならないどころか損をする」というああいったくだらんことやるJudenな連中がいるからJimmy Walesさんみたいな有志の人たちも苦労するんじゃないでしょうかね。とは言ってももう少なくとも今のWikipediaに掲載されている内容というのは誤情報だらけなので、私はWikimedia財団に100$寄付したのを多少後悔しています。
 まあともかく、「木で鼻を括ったような説明」をすることしか知らない、そのようなことしかできない人間というのが真性のサディスト、本物のSなわけです。

 私は先の記事でthe Roman alphabetは表音文字だと言いました、が、一文字だけ例外が存在します。Sです。このアルファベットのSという文字は蛇を象徴した象形文字、つまりはアルファベットで唯一の表意文字です。Eveをそそのかした蛇。悪意は無い。……女が弱くて悪かった、たぶんね(生物学的な意味で)。




 というわけで、今までmui(無為)というHNでやってたんですが、SSというHNに代えました。これは別にSolomon's SealでもSchutzstaffelでもありませんので。悪しからず。私のinitialです。ちなみに私は蛇ではなく霊長目ヒト科の哺乳類のオスの単なる一匹です。別に蛇を気取っているとかそういう若年的なイタい感慨を抱いているわけではないので。悪しからず。
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