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the world
 対。
 たい。つい。
 
 


 なんか夢という言葉が濫用というか誤用されてるようなので、まずこれから。

 普通「夢」というと、叶えたい願望や理想やそれに向かって邁進すべき目的のことを言います。
 で、Martin Luther King Jr.、キング牧師が言うところの"I have a dream."のdreamは日本語で言うと「理想」みたいな意味です。まあこれ普通です。ところが、最近チラチラ目に(耳に)付くんですけど、同じ「夢」という言葉でも、要するにあの一昔前たくさんいたまあ洗脳か何か分かりませんが麻薬中毒でアタマが狂っちゃったロック・ポップミュージシャン達が言う「夢」というのは彼ら彼女らが見るところの幻覚における幻覚、つまりは現実の世界のことですから言葉を字面どおりにまともに受けないで下さい。あの連中は現実と幻覚が逆転してしまってます。幻覚で同じものを見(たつもりになっ)てそれが現実だと言ってそれを布教しようとしてるまあ一種のたわけた新興宗教の信徒みたいなもんですから騙されないで下さい。中には薬物(麻薬)でラリったアタマで見た"Dinge an sich"な幻覚を絶対普遍の事実だと思い込んでさらにはそれをあろうことか「真実」だとかヌカして単調極まりない陳腐な曲調とメロディーにのせてギャーギャーわめくちょっとかわいそうなロックミュージシャンとかいますね。ちなみにこれはラリったというよりは、ラリった後のoverdoseによりもたらされたものというのが正確そうです。

 あと、いわゆる「物語」とやらを創る連中でもそういったのがいるみたいです。現実世界を「ストーリー」とか言うちょっと頭おかしい人たちもいます。まあ上で書いたロックだのポップスだののミュージシャンとかでもそうですけど簡単に言うと物語の世界と現実の世界との区別がつかない、というのならまだしも悪化を極めてそれが逆転してしまっているような連中です。要するにいわゆる「マンガの読みすぎ」の病的な場合みたいなもんです。これの亜種として「マンガに出てくる悪者のマネをする・したがるバカ」というのがいます、これは子供の場合でも学力の低い子供、チンピラ予備軍みたいなのに多いです。で、これは漫画家に多い感があります、小説家でも村上春樹さんみたいな人がいます。「世界はメタファーだ」とかいういかにもアッチの世界へイッちゃった感というかアッチな感じなセリフを登場人物に吐かせているくらいですから。ちなみにあれは実存主義文学の先駆者であるFranz Kafkaを思いっきり皮肉ってる感がありますけど、まあ今はそんなことはどうでもいいです。しかしこれはマンガ程にはタチが悪くないです。ラノベはあんま読んだことないですけど、マンガはもうほとんどのものが「メタファーな世界が前提」になっちゃってますから村上さんの小説よりぜんぜんタチ悪いです。庵野秀明さんが十何年か前にたしか「オタクがこんなにバカだと思わなかった」とかやたらオタクを攻撃してましたけど、あれはちょっと失礼ですけどバカなのは十何年か前の庵野さんの方です。エヴァンゲリオンのテレビアニメや映画見て感動するのはいいです、十代半ばの私もそうでした。しかし「エヴァを見てアサハラ教祖バリのどっかのイタいロックミュージシャンみたいに世界の真理とかそこに見ちゃう」アレな人間よりも、「綾波萌え~」とか「アスカ萌え~」とか言って見てたただのオタクの人たちの方が余程まともで健全です。音楽でも漫画・アニメでもゲームのストーリーでも小説でも映画でも、ああいった創作表現に心頭しきってしまう、ハマりきってしまう人というのはヤバいわけです。
 真実(truth)というのはそれぞれの人が持ってます。まあその人をその人たらしめる主観感覚みたいなもんです。事物の認識形態は人それぞれ違うということです。事実(a fact)というのは一つしかないです。私は私以外の人間になったことが無いので断定はできませんが、事物の認知形態は万人に共通である可能性が高いということです(正解は脳科学の研究者の人にお任せしましょう)。ちなみに仏教においては「真実」というのはイコール「絶対の真理」のことらしいです。つまり「真実」という言葉は仏教では一般的な意味で言うところの事実の集合の意味で使われているということです。絶対の真理なんてものは現象つまり個々の事実の集合そのもの以外に在りませんから。汎神的というか汎世界的というか「汎」的な概念といったところです。まあちょっと短絡的な発想かとは思いますけど涅槃の観念(概念?)とつながるものがあるんでしょう。で、共時的な感覚に基づいて「これがセフィロスだ!」みたいに「アサハラ教祖バリのどっかのイタいロックミュージシャンみたいに世界の真理とかそこに作っちゃう」意図をそのまま飲み込んじゃう的な人はもうヒットラー的な末路が待っているということです。私が機会主義は危険だと言っている要因の一つにこのようなものもあります。そして、仮に仏教的な理・信念の基、真実イコール絶対の(世界の)真理とみなし、自分の真実が世界のそれだと表明・主張する、つまり「オレが世界だ」みたいなDIO様みたいなノリで創作作品を作るというのならそれはそれでアリだと思います。が、その場合それはその人も含めて宗教になってしまうわけです。新興宗教の教祖になるのは嫌だがしかし創作作品を、という人は坂口安吾が言う様に(たしか)「地球にスッポリと表紙を被せるしかない」ということです。そしてそんなことはいつか将来にでもスーパーコンピュータがとある瞬間に地球上(全宇宙)に起こった全ての事象を演算して導き出すなりsearch(search forではない。ここポイント。我々日本人の感覚で言うところの「探す」における対象が目的語にならない。しかしこのsearchは他動詞。つまりこの動詞の目的語になるのは?という意味)するなりしてその結果を何らかの形の言語を用いて記録する、ということが可能にでもならない限り絶対に無理です。



 それでまあ別にこの創作表現の類をペラペラ漫画雑誌めくって「両さんの日常のなかでの破天荒さが漫画として読んでておもしろい」だとか「ベジータのビッグバンアタックが(名前からして)ネタっぽくてイイ」だとか「DIO様つおい」だとかアハハ程度に楽しめる大人な人は何も問題ないです。で、またここで統合失調症用の抗精神病薬なんですけど、私はこれを一定長期間飲んで知った(識った)んですけど、本っ当にこういうものを真に受けちゃう人ってのがいるんですね。富野由悠季さんとか真に受けて真に作った人な感じですね(ちなみに私はガンダムのアニメもゲームも大好きです)。やたらとサブカルチャーを有害だとか叩く人間もいますけど、この連中も同類です。真に受けちゃうから→(これは有害だと)叩く、か、真に受けちゃうから→(コレだ!とか思って)作る、かの違いです。ちなみに現代でおカタい文学とみなされているものだって100年前は人心をまどわせる俗悪なものとみなされていました。要するに「マンガの読みすぎ」ならぬ「小説の読みすぎ」みたいなものがあったということです。漱石だけは100年前当時においては最初の人と見做されていたかなんか知んないですけど例外としていた人もいたみたいですけど。あんなもん、っつっちゃ作ってる人に失礼ですけど、適当に自己流にでもなんでも気楽に楽しんどきゃいいわけです。だから「アニメは子供が見るもの」と言ってそういう作品を作ってらっしゃる宮崎駿さんはまともであり、宮崎駿さんのアニメは「『子供むけのアニメを大人が見る』というスタンス」で大人でさえも子供といっしょに、形としては親子なんかでも楽しめるものであり、非常に健全なものだと私は思います。


4:51 2010/12/24
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